中村雅俊さん主演の舞台『僕たちの好きだった革命』のプロモーションで、企画・原作・脚本・演出の鴻上尚史さんが来広!

『僕たちの好きだった革命』東京公演を終え、全国ツアーに突入したばかりの6月5日、多彩な活動で多忙を極める鴻上尚史さんが、北海道公演の合間をぬって来広されました。ここでは、在広雑誌社を対象にした、記者懇親会の模様をお届けします。

(2009/06/05)


>>>堤監督とタッグを組むことになったきっかけについて、教えてください。

企画の初動は、2000年。酒の席で堤監督から、こんな企画があるんだけど映画の台本を書いてもらえないかなぁと頼まれたのが始まりですね。それでシナリオを仕上げて、映画会社に持っていったら、最終段階でそこの社長に「学生運動は嫌いなんだ」と言われて終わったという…。その後、映画会社を変えてトライしたけれど、予算的に難しくて。そのうち僕が焦れてきて、「先に演劇にします」と。それで2007年に初演したんです。


>>>映画化実現に向けてのプロジェクトは、その後も進行中なんでしょうか。

舞台の初日、堤監督を見たら、自分の原案でそこまで泣きますかというぐらい、ボロボロ泣いているんですよ。それで「必ず映画化します」と宣言までしたんですけど、後日談がありましてね。ちょうど舞台を観に来ていた別の映画会社の社長が、映画化に賛同してくれて、イイ感じで話が進んでいたんだけど、堤監督の『20世紀少年』の制作が半年も押してしまって…。機を逃してしまったんですよね。でも、そのうち必ず実現させますよ。


>>>映画用のシナリオを、舞台用に書き直す作業は、大変だったでしょうね。

そうですね。たとえば、600名の学生が全校集会を開くシーンがあるんですけど、出演者総勢19名でそれをどう表現するかとか…。あと、映画のようなスピードで、場面転換をするにはどうしたらいいか。映画ではできない演出、演劇でしかできない演出は何か。散々考えましたよ。その結果、ブレヒトというドイツの演出家が考案した、チープな幕を多用して場面転換する手法があるんですけど、その幕を4列も仕込むことになりました。


>>>鴻上さんが、この舞台を通じて伝えたいことは、ズバリ何でしょうか。

学園紛争で乱闘中にガス弾を受けて意識不明になった男が、30年ぶりに意識を取り戻して、現代の高校に復学するという設定にすることで、高校生から団塊の世代まで楽しんでもらえる舞台ができたと思うのですが、伝えたいことはいろいろありますね。学生運動で傷ついた人たちは、当時のことを語りたがらないのですが、ぼちぼち語ってよという気持ちもあるし、現代の若者には、そんなにスマートに生きてどうすんのという思いもある。


>>>過剰に熱かった世代と、過剰にクールな世代が描かれているのですね。

学生運動の時代は、インターネットもブログもない。窓ガラスを割るしかなかった…。今は、エネルギーを処理できるツールがある。でも、それを扱えないヤツもいる。自傷するヤツだっている。それだったら、窓ガラスを割る方がいいんじゃないか、こういう生き方もありなんじゃないかと…。厄介な時代だから、そう単純にはいかないと思うけれど、公演後、劇場を出る時にラクになってもらいたい。元気になってもらえたら嬉しいですね。


>>>中村雅俊さんの起用については、どんな思い入れがあったのでしょうか。

中村さんは、学園紛争が激しさを増した1969年に、慶應大学に入学した人なんです。あの激動の時代を本当に目撃してきた人に、演じてもらいたかったんですよ。まぁ、中村さん自身はノンポリ(非政治派)だったようですがね。あと、日本の高度成長期で希望がもてた時代、クラスメイトというだけで助け合うことができていた時代に、学園ドラマをやっていた、青春の象徴のような人だから…。存在するだけで、説得力があるんですよ。


>>>東京公演が終わられたばかりですが、再演の評判はいかがでしょうか。

再演に際して、初演のDVDを見直してみたのですが、自分で言うのもなんですが、よくできているんですよ。堤監督が20年以上温めてきた企画だけあって、原案の骨格がしっかりしているからなんですけどね。だから、初演と何も変わってないのですが、今回の方がイイという声が圧倒的です。セリフが熟成している。キャラクターが深くなっている。場面転換の幕さばきも、うまくなっていますしね。広島公演まで、どうぞお楽しみに…。