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ジリジリと焦がすような、容赦ない日差しが降り注ぐ八月の初め。
基町クレド前の大型ビジョンを眼前に、山岸ユイは携帯電話の時計を見た。
待ち合わせは9時半。あと、10分ある。
(早く着きすぎちゃったかな~)

今日は、友達グループで、宮島の包ヶ浦自然公園に行くことになっている。

遅刻してはいけないと思って早く家を出たが、どうやら一番に到着してしまったようだ。
(誰か早く来ないかな~)

ユイは暇をもてあまして、噴水の縁に腰掛けて、行き交う人々を見ていた。
この中に、あの人はいないだろうか。

 「山岸……?」

 「えっ?」

 不意に名前を呼ばれて、ユイは面食らった。

 そこに居たのは、ユイが思い描いていた人物だったのだ。
(夏川君!!)

ユイは、驚いて心臓が口から飛び出しそうだった。
夏川准汰は、サッカーをするためにサッカーの名門校・翔実学院高校へ行ってしまった。
そのため、出澪高校に通うユイとは進路が違っていた。

「やっぱり山岸だ。……元気だった?」
「うん。夏川君は?」
「俺も、元気」
「そっか……」
(気まずいよ~。早く誰か来て~)

突然の再会に戸惑いながら、二人は顔を見合わせて苦笑した。
(こんな時、どんな話をすれば良いの?)

ユイは、立ったままの准汰をちらりと見上げた。その瞬間、困ったように頬を
掻く准汰と目が合って、さらに気まずさが増した。

しばらく続いた沈黙を破ってくれたのは、准汰だった。

「今日って、宮島に行くんだよな?」
「そうだけど……夏川君も?」

ユイは、参加者については詳しく聞かされていなかった。

ただ、「当日のお楽しみ」とだけ言われていて、まさか准汰が来るなんてことは、
思ってもみなかった。

「森田に誘われたんだ。俺、実は宮島って行ったことなくてさ」
気恥ずかしそうにはにかむ准汰に、ユイは思わず笑みを浮かべた。
准汰と同じ翔実学院に通う森田洋介とは中学校が同じで、
これまでも何度か一緒に遊んだことがあった。

今回の言いだしっぺがユイの友人で森田とも親しい神原千秋だから、
准汰が呼ばれたのも納得できる。

不意に、ユイのポシェットの中で、携帯電話が震えた。
ユイは携帯電話を取り出し、耳に当てた。

「もしもし?」
『あっ、もしもし、ユイ?』

電話は、神原千秋からだった。

ユイが待ってましたと言わんばかりに電話越しの千秋に抗議すると、
千秋は悪びれる様子もなく、あっけらかんと言い放った。

『私たちみんな遅れるから。二人で先に行っててよ~。じゃっ』
「えっ!?ちょっと……」

ユイの戸惑いもお構いなしに、千秋は電話を切ってしまった。

ユイは携帯電話の画面を見ながら、呆然とした。
(二人って、二人って……)

そんなユイの様子を、准汰が不思議そうに見つめているのが分かる。

ユイはしどろもどろになりながら、やっとの思いで電話の内容を伝えた。

「……ということなんだけど……」
「そっか……」

しばしの沈黙。

二人きりなら、准汰は来ないかもしれない。
ユイはドキドキしながら視線を准汰から逸らした。

足元に、丸々と肥えた鳩が寄ってきていた。

「先に行って、時間つぶしながら待とうか」
「そうだね」

ユイが立ち上がると、足元にいた鳩が翼を羽ばたかせて舞い上がった。

ユイは高揚した気分で、准汰とともに電停へと向かっていった。

中学時代の思い出話をしながら、電車に揺られること40分。
そのころにはすっかり和やかな雰囲気になっていて、ユイと准汰は
軽やかな足取りで駅のホームに降り立った。

 「着いた~」
 「ふふっ」

准汰が腕を上げて、大きく伸びをする。改札を通り抜けると、
潮の香りともみじ饅頭の焼ける香ばしい香りが鼻をくすぐった。

 「もみじ饅頭の匂いがするね」
 「本当だ。食いたいな~」

「私も食べたいな。そういえばお姉ちゃんから聞いたんだけど、
 もみじ饅頭って、いろんな味があるんだって。フルーツ味とか」

 「へ~。あんこだけだと思ってた。全部食ってみたいな」

 「ふふっ。島に渡ったら見てみようよ」

 「おう」

宮島口のフェリー乗り場に来ると、平日だというのに大勢の観光客が列をなしていた。

 「すげぇ人の数」

 「さすが世界遺産だね~」

 「やっべぇ、俺、テンション上がってきた」

キラキラと瞳を輝かせながら、准汰が列の先の様子を窺う。
しばらくすると、大きなフェリーが桟橋に停泊した。
二人は混雑の中、海を見渡せるデッキ部分に落ち着いた。

 「お~、動き出した!」

 まもなくしてフェリーが動き出すと、准汰はまるで小さい子どものように海を覗き込み、
 船尾に続く泡を見つめながら、「すげぇ」を繰り返した。

 「ふふっ。夏川君小さい子みたい」

 「海は男のロマンなんだよ~」

 「え~」

二人はくすくす笑いあいながら、濃いブルーの海を見つめていた。
瀬戸内海を渡る潮風が、心地良い。

 「あっ、鳥居見えたよっ」

誰かがそう叫ぶと、乗客たちの視線が、一斉にそちらに向けられる。
濃いブルーの海のむこう。輝くように鮮やかな朱色が姿を見せた。
宮島名物の、大鳥居だ。背後にそびえる深緑の山々と、
澄んだ青い空とのコントラストがなんとも美しい。
デッキに集まった人々が、デジカメや携帯電話を向ける。
ユイと准汰もそれに倣って、携帯電話のカメラを鳥居に向けた。

「夏川君、綺麗に撮れた?」

「ん~、微妙」

「見せて~」

二人は画面を見せ合った。どっちもどっちで、少しぶれた景色が写っていた。

「「へたくそ~」」

笑い声が重なり、二人は目を見合わせて、また笑った。

「着いた~!宮島だ~っ」
記念すべき初上陸に、准汰は興奮した声を上げる。
その様子が可愛らしく思えて、ユイはその姿を見守るように桟橋を歩いた。

桟橋を抜けて広場に出ると、准汰のジーンズのポケットの中で携帯電話が震えた。
准汰は携帯電話を取り出すと、ユイに背を向けて話し始めた。
微かに漏れてくる相手の声は、賑やかな女性のものだった。

「えっ、ちょっと、おいっ」

焦ったような准汰の声に、ユイはドキドキした。
電話の相手は、准汰の彼女かも知れない。
そう思うと、少し胸の奥が痛んだ。

「え~」

小さく漏らしながら、准汰が携帯電話をポケットに戻す。

ユイは、なんだかデートみたいだと浮かれていた自分が恥ずかしかった。

「神原から電話でさ。遅刻組は予定変更で、来るのやめるって」
「えっ!来ないの!?」

ユイは目を白黒させた。電話の相手が彼女じゃなかったのは嬉しいが、
問題はそこじゃない。
千秋たちが来ない。寂しいような、ちょっと嬉しいような。
なんだか複雑な気分だ。

「メールしてみる」

ユイはすぐに神原千秋にメールを打った。

~♪♪~♪~♪~~ メール受信を知らせるメロディが鳴って、

千秋は携帯電話を開いた。
差出人は、『ユイ』。

「ユイからメールだ~」
「なんだって~?」

千秋の携帯電話の画面を囲んで、覗き込む。

『予定変更って、何かあったの?来ないって本当?(;_;)』

小さな画面を集団で覗き込んで、笑い出す者あり、苦笑いする者あり。

「完全に困ってるみたいだな」
「え~。ここからだと結構な時間かかるし、行ってもあまり遊べないよね?」
「そうだよね~。ユイにとってもチャンスだもんね~」

千秋はニヤニヤしながらメールを返信した。

携帯電話が低い音を立ててメール受信を知らせると、
ユイはすぐにメールボックスを開いた。

千秋からのメールだ。

ユイは神に祈るような気持ちでメールを開いた。

(え~っ)

本文には、『ファイト♪』の一言だけ。

その言葉の意味はわかっている。せっかく二人きりなんだから、
気にせず楽しんでおいでよ。そういう意味だ。

ユイはこのことをどう説明すればいいのかと思い悩んだ。
それを察したのか、准汰が頬を掻きながら、少し言いにくそうに話した。

「……せっかくここまで来たんだし、
計画通りのルートでのんびり観光しよう?」

「……うん」

完全に二人旅になってしまった。ユイは改めて照れくささを感じた。
それは准汰も同じようで、少し視線が泳いでいた。
「い、行こう。ほら、あれだよね、乗り合いバスのメープルライナー」
所在無く彷徨わせたユイの視線の先に、
ちょうど小型の乗り合いバスが停車していた。

二人は気を取り直して、バスに乗り込んだ。

バスといっても大型タクシーのような車内は、8人乗りで、
ユイと准汰の前には既に家族連れとカップルが乗り込んでいた。

乗り合いバスは順調に島内を走り、10分ほどで目的地に辿り着いた。

バスを降りると、濃い草木と潮の香りに包まれた。
ビーチから、楽しそうな声が聞こえてくる。

「「海だ~!!」」

開けた視界の先に広がる瀬戸内海。穏やかな波が寄せては
返す波打ち際に立った二人は、少しの間海を眺めていた。

濃い海の青と薄い空の青が、重なってとても綺麗だった。
加えてここが宮島だと思うと、ちょっと特別な気分がした。

「海なんて久しぶりだな~」

「私も~。気持ち良い~」

「宮島って厳島神社のイメージが強かったんだけど、こんな海水浴場もあるんだな」

「ね~。私も知らなかったよ」

「ちょっと歩いてみようか」

「うんっ」

二人は、波打ち際に沿って歩き始めた。

「せっかくだから、ちょっとだけ入っちゃおうかな」

ユイはサンダルを脱いで手に持つと、ちゃぷちゃぷと浅瀬を歩き始めた。
夏の日差しにきらめく水は少しぬるかったが、
それでも久しぶりの海は気持ち良かった。

「あ~あ。水着持ってくれば良かったな~」

穏やかな波音とともに聞こえてくる子どもたちのはしゃぎ声に、
泳ぎたくなってうずうずする。今日は海水浴よりも
「海の家に行く」ことが目的だったので、水着の用意をして来なかったのだ。

「今日暑いから、気持ちいいだろうな~」

波打ち際の、ギリギリ水に浸からない場所を
選んで歩く准汰も、後悔を滲ませる。

照りつける太陽は痛いほどで、せっかく海に来ているのに入れないのは、

なんだかお預けを食らっている気分だった。

「今度はちゃんと水着持って来よう、うん」

独り言のように言う准汰の背中を追いながら、ユイはまた一緒に来たいな、
と心の中で呟いた。

半ばぼーっとしながら歩いていたユイの足に、にゅるっと
何かがまとわりついた。
見ればそれはふよふよと波に乗って漂っていたワカメで、
なんとも器用にユイの足の指に絡まっていた。

「わわっ」

「おっ」

絡まったワカメを取ろうとしてよろけたユイの腕を、准汰が掴む。
間一髪、海にダイブを免れたユイは、
自然と准汰にしがみつくような格好になっていた。

「わわ、ごめんっ」

慌てて体を離すと、ユイは足の下に何かがあるのを感じた。

足を上げると、その下には小さな貝殻が埋まっていた。

ユイは貝殻を拾い上げると、太陽にかざした。
薄いピンク色の貝は、日の光に透けてとても綺麗だ。

「綺麗~」

「こっちにもあるよ」

「えっ、どこどこ」

「ほら、これ」

准汰は自分の足元に落ちていた貝を拾い上げて見せた。
ユイのと同じ、薄いピンク色をした貝だ。

二人は貝殻を集めながら、しばらくの間海岸で過ごした。

昼時を過ぎたころを見計らって、二人は海の家に向かった。

カラフルなパラソルの群れの中でも最も海に近い緑色のパラソルの席を陣取って、
二人は少し遅い昼食をとった。

 「夏川君、早いね」

ユイが半分食べたか食べないかのうちに、准汰は通常の2倍以上は
あったであろうボリュームの焼きソバを完食して、満足げにジュースを
飲んでいた。

 「ん?あぁ、ゆっくり食べて良いよ」

 「うん、ごめんね」

ゆっくり食べて良いと言われても、少し焦る。
ユイは食べるのが遅い方ではないが、いつもよりも少し急いで、
残りの焼きソバを詰め込んだ。

ユイも食事を終えると、そのままそこでカキ氷を食べた。
頭がキーンとすると言って准汰が渋い顔をするのを、
ユイは笑いながら見ていた。

その舌がイチゴのシロップで染まっているのを指摘されてユイが慌てると、
准汰がしてやったりといった表情で笑う。
傍から見ると完全にカップルなのだろう。

アルバイトらしき女の子がハート型に曲がったカップルストローを持ってきた。

(何に使うの~!?)

受け取った瞬間凍りついたユイは、ハッとして准汰の方へ向き直った。
なんともいえない表情をした准汰が気まずそうに「……もう行く?」と
席を立とうとしていて、ユイもそそくさとその場を立ち去った。

置き去りにするのも忍びなかったストローは、
とりあえずポシェットの奥にしまってみた。

それから1時間ほど海岸をぶらぶらして、二人は再びバスに乗り込んだ。

来たときと同じように桟橋でバスを降り、今度は宮島の代名詞とも言える
厳島神社を徒歩で目指した。

「あれ、厳島神社にはお参りしなくて良いの?」

ユイは、半歩分ほど前を歩く准汰に問いかけた。
准汰は厳島神社の入り口とは反対方向の道を行こうとしていたのだ。

「えっ、厳島神社って、お参りするところ?見るだけじゃないんだ」

目を丸くする准汰に、ユイは逆に驚いた。

「神社だもん、見るだけじゃないよ。
           それに、結婚式だってできるんだから」

「結婚式?えっ、でも、宮島って、ナントカって神様が
ヤキモチ焼くからどうのこうのっていうジンクスなかったっけ?」

随分曖昧な記憶で、准汰が例のジンクスを持ち出す。
そのジンクスについては、ユイも知っている。
宮島にカップルで訪れると、市杵島姫という女神がヤキモチを焼いて、
そのカップルを別れさせる、というものだ。

しかしユイの姉が言うには、そのジンクスの続きも存在しているらしい。

「いつのことかは分からないけど、その女神様にもお婿さんが来たから、
 カップルにヤキモチ焼いて別れさせるなんてこと、しなくなったんだって」

「じゃぁ、もう大丈夫なんだ」

「そうみたい」

「そうか~。世界遺産で結婚式って、スケールでかいよなぁ」

「一生の思い出だよね~」

結局二人は参拝はせず、厳島神社を右手に臨みながら、海岸沿いを歩いた。
寝殿造りの厳島神社は、外観だけでも充分に見ごたえがあった。

「そろそろ、お土産見に行かない?みんなにお土産買って帰らなきゃ」

「よしっ。行こう」

二人は土産物を求めて歩き始めた。地理は良くわからなかったが、
なんとかなる気がしていた。  

表参道の商店街にさしかかったところで、ユイの携帯電話がふるえた。
それは、幼なじみの鷹西隼人からのメールだった。

『今、宮島?』とタイトルのつけられたメールには、

『〈必勝〉って書いてある杓子、買ってきて☆よろしく~(^^)』とある。

「隼人くんからのメールだけど」
  とユイはディスプレイの文面を准汰に見せながら、

「〈必勝〉って漢字が書いてある杓子、売ってるかな?」

「もしかして、あの仲間?」

そういって准汰が指さす先には、たくさんの杓子が並べられた店があった。

「そうかも」

といいつつ店にふみこんだユイが、

「わ、あったよ」

すぐに〈必勝〉と書かれた杓子を見つけた。
いろいろな大きさの中から、ユイはいちばん実用的なサイズの杓子を選んだ。

「いろんな言葉を書いたのがあるけど、
   これって、ひとつひとつ手書きなのかな」

准汰は、〈友情〉や〈努力〉や〈根性〉などと書かれた杓子を手に取り、
目をあてている。

「おなじ言葉が書いてあっても、字のかすれ具合や大きさが
 微妙に違ってるから、印刷とか、判で捺したわけじゃないと思うよ」

と、ユイが准汰に話していたら、

「ほうよ。うちのじいちゃんが書きよるんよ。見ていく?」

店のおばちゃんが、紙につつんでくれた杓子とお釣りを
ユイに手渡しながら言った。

ふたりが店の奥へと足を運ぶ。鼻めがねのおじいさんが
毛筆で杓子に字を書いていた。

顔は神妙だが、慣れた手つきだ。
話しかけたら気が散るといけないので、ユイも准汰も口をつぐんだまま、
しばらく感心しておじいさんの見事な筆さばきに見とれていた。

「杓子は宮島の伝統工芸品でねぇ。〈敵をメシとる〉とか
〈幸福をすくいとる〉ゆーて、縁起ものなんよ。
見んさい、ええことが書いてあるじゃろ~」

 おばちゃんがいう。

「せっかくだし、俺も買おうかな。これください」

そう言って准汰がおばちゃんに渡したのは、大きく〈夢〉と
書かれた杓子だった。

「はいはーい。お二人さんは、どこから来ちゃったん?」

准汰が選んだ杓子を袋にいれながら、おばちゃんがたずねる。

「広島です。地元なんです」

「あら、そうなんね~。何歳?」

「16です。ふたりとも高校一年生」

「ありゃあ、じゃあちょっと早いね~。こんど来るときは3人で来てね。
おばちゃん待っとるけん。ありがとね~」

おばちゃんは意味ありげに笑いながら、杓子の入った袋を差し出す。

(なにが、ちょっと早いんだ?)
とユイにはおばちゃんの言ったことがよくわからなかったけど、
准汰は顔を真っ赤にして足早に店をはなれた。

ユイは小走りにあとを追った。

「あんた、ええ言葉を選んだね」

と、おばちゃんは准汰にだけ聞こえる声で、

「この杓子じゃったら、あの可愛い子を、うまいことすくい取れるけんね」 
そうささやいたのだ。

ふたりで桟橋にむけて歩いていると、右の店からも左の店からも香ばしい香り
が鼻をくすぐった。

「ねぇ、あげもみじだって」

ユイが言って、〈あげもみじ〉と看板に書かれた店の前で足をとめた。

「あげもみじ? なに、それ」

「もみじ饅頭が揚げてあるのよ。わたし食べようかな」

「じゃあ俺も」

と二人で店に踏みこむ。

准汰は餡、ユイはクリームの揚げもみじを食べながら歩いた。

桟橋にむかう途中で二人の目を引いたのは、

商店街に横たわる大きな杓子だった。

「大きいね~。何メートルあるんだろう」

「7.7メートル。世界一の大きさだって。すげーなあ!」

 准汰もユイも、またたきもしない目で見とれている。

「この大杓子、厳島神社の世界遺産登録記念なんだね。写真とっとこ~」

ユイが説明文を読みながら言ったら、

「どうせなら大きさ比較で撮る? そこに立ってみて」

准汰がいった。

「えっ、うん」

大杓子の前に立つ山岸ユイを、准汰の携帯のカメラがとらえる。

「どうだっ」

大きな杓子を背景にした笑顔のユイを、准汰は見せている。
フェリーから撮った大鳥居はわずかにブレていたが、
これはうまく取れている。准汰は大満足だ。

「きれいに撮れてる! わたしも撮るよ。立って立って」

と声をはずませ、ユイの携帯にも大杓子と夏川准汰が収まった。

二人はいろんな場所で写真を撮った。
そして、赤外線通信でお互いの携帯電話に送信しあった。

きょう一日で、宮島の風景がたくさん撮れた。その中に二人を
被写体にした写真もまじってることが、ユイも准汰もうれしかった。

ユイと准汰は、さまざまな味のもみじ饅頭をおみやげにして、
帰りのフェリーに乗り込んだ。

「いっぱい買ったね~」

「こんなに種類があるとは思わなかったな~」

山のむこうに、大きなオレンジみたいな夕日が沈もうとしている。

フェリーを降りると、宮島駅のホームでたくさんの
観光客にまじって電車を待った。

電車に乗って広島市内についたら、そこでお別れなんだ。

准汰はどうだか知らないけど、ユイはなんだか気分がふさいできて、
会話が弾まなくなってきた。

「……今度また、みんなでどこか遊びに行きたいね」

電車が広島駅について、別れぎわにユイが言ったら、

「おう。今日は楽しかったよ。ありがと」

准汰が元気な声で応じた。

「わたしも楽しかったよ」

「うん。それじゃ、また」

准汰はかるく手をふり、くるっときびすを返して人ごみに消えた。

なんだか待ち合わせのときと同じように、
別れるときもぎごちなかったなあ…と、ユイは思った。
(ああ緊張した……わたし、うまく喋れてたかな~)

今ごろになって、ユイは顔が火照ってきた。

火照っているのは顔ばかりじゃなさそうだ。
(この次は、いつ会えるかな~)と

ユイは暮れ方の空を見上げた。

八月半ばにさしかかり、気温の上昇もようやく頭打ちとなってきた。
そんなある日の午後、私立翔実学院のグラウンドでは、サッカー部員たちの声がとびかっている。
夏川准汰も、ひたむきにボールを追いかけていた。

やがて陽ざしがかたむき、練習は終了となる。部員のみんながてんでに帰っていく。
准汰も一年生の部員たちと用具の片付けをすませ、ユニフォームを制服に着替えはじめる。
あたりはもう夕闇につつまれていた。

「なあ准汰。きょうも一徹に行くだろ?」

 森田洋介がいう。

「また一徹か。飽きないねえおまえも」

 准汰がいいかえす。

「悪いかよ。うまいもんは、うまいんだよ。行かねーの?」

洋介の誘いをことわるつもりはない。たしかに一徹のお好み焼きはうまい。

「行くよ」

「よっし決まりな。おい陸っ、おまえも行くだろ」

洋介が陸にも声をかける。

「うん、もちろん行くよ。あそこのお好み焼きは最高だからね」

七瀬陸もうきうきした声でいいかえした。

「さすが陸はわかってるじゃん。あんなにうまいお好み焼きなら、
まいにち食べても飽きないよな」

「まいにちは、さすがに飽きるだろ」

「うん、まいにちじゃあな」

「なんでだよ。飽きないんだよ!」

三人はいいかわしつつ、ほかの部員たちに別れを告げて部室を出た。

いつからだろうか? 部活の終わりには、きまって三人で
お好み焼きを食べに行くようになっていた。
〈一徹〉は本通りから外れた路地のつきあたりの、
ちょっと目立たないところにある。店主の真嶋一徹は、
その名前のとおり、典型的な頑固おやじである。

みずからのお好み焼き論を貫き通して三十五年、
味と素材には一切の妥協を許さない。
それでいてリーズナブルな
価格が魅力の、知る人ぞ知る隠れた名店だ。
常連客からは〈おやっさん〉とか〈てっちゃん〉と呼ばれ、親しまれている。

「ちぃーす! おっちゃん、俺いつものね」

のれんをくぐるなり洋介が注文し、カウンター席に腰かける。

「お、今日もきたな。彰吾、肉玉そばW肉W、もち入りだ」

「あいよ、肉玉そばW肉Wもち入り!」

 一徹おやじの声がかかると、彰吾と呼ばれた若者が注文を復唱する。
すぐさま生地をひろげはじめる。

「俺は……肉玉そば、納豆入りで」

「じゃあ僕は、肉玉そばのしそコーン」と注文しつつ、

准汰と陸も洋介のわきに腰をおろし、
大きなスポーツバッグをカウンターの足元に押し込んだ。

鉄板の上に、生地の満月が三つ並んだ。三人でサッカーの話を
しているうちに、

「はいよ。肉玉そばW肉Wもち、肉玉そば納豆、
肉玉そばしそコーン、おまち!」

目の前に、美味しそうなお好み焼きが出来上がった。
しばらく三人とも無言でお好み焼きを食べていたが、

「ところで、どうだったんだよ准汰」

洋介が口をひらく。

「どうって、何が?」

「とぼけんなって。愛しの山岸ユイと、宮島でデートしたんだろ?」

「あ、僕も気になるなぁ。宮島デート、楽しかった?」

陸もいって、准汰に顔をふりむける。

「デートじゃないって。おまえらがドタキャンしたから、
しかたなく二人でお寺とか見てまわっただけだよ」

たちまち顔を赤くして、准汰は反論している。

「それをデートって言うんだよ。手ぐらい、つないだのか?」

「わあ、山岸ユイさんと手つないだんか。いいなあ准汰は」

洋介が、ついで陸がいうと、

「ば、ばかっ。そんなことするか!」

准汰はますます顔を赤くした。

「なんだよ、二人であちこち見て歩いただけかよ。
それじゃあ観光客と同じじゃん。でも携帯の番号くらいは
交換したんだろ?」

「うん、それは……」

口ごもりつつ、准汰はひざに目をおとした。

「えっ、交換してねーの?」

顔をふせたまま准汰がうなずく。
准汰自身、その事に関しては情けないと思っている。
何度も連絡先をたずねようとして、けっきょくそれを
口にする勇気がなかったのだ。

「おーいマジかよぉ。せっかくのチャンスに、何やってんだよ」

「いきなり二人っきりにされたら、めんくらうに決まってるだろ。
おまえら、なんで来なかったんだよ」

准汰が、うらめしげな口ぶりだ。

「二人っきりのほうが親密になれると思ったのに、
なんだよおまえは。あー、やだやだ。
いま話題の草食系ってやつ?流行んねえって、そういうの。
男はもっとこう、ガツーンとだな」

と、洋介がつづけようとしたとき、

「じゃあ洋介は、神原千秋さんにガツーンと自分の
気持ちを伝えちゃったわけだね」

陸が横あいから口をはさんだ。

「そ、それはだね陸くん」

とたんに洋介がうろたえだす。

「そうだそうだ。俺のことより自分はどうなんだ。
神原となにか進展はあったのかよ」

つづいて准汰も反撃にでた。

「いや、まあ、あれだ。俺は連絡先は知ってるもんな」

洋介はあいまいに応じている。

「それで?」

と陸が先をうながす。

「だから、このあいだ宮島へ行こうって神原から連絡があった」

「それは、みんなで行こうってことだろ。こっちから個人的に何か、
連絡したのかよ」

准汰がいうと、

「……いや、ぜんぜん」

洋介は、さきほどの准汰みたいにうなだれた。

「なんだよ。けっきょく洋介も、神原と一歩も
すすんでないじゃないか。なにが男はガツンだよ」

「うるせー、俺は准汰とちがって、神原の連絡先は知ってるんだ。
へっ、どうだ。俺のほうがリードしてるぜ」

そんな理屈をおしつけて、洋介が肩をそびやかす。

「連絡先くらい、俺だってすぐに聞けるよ」

准汰も勢いこんでいいつのる。

「そうか? 草食系の准汰には無理だろ」

「洋介だって、連絡先を知ってるだけじゃ意味ないじゃん」

「なにをっ!」

「なんだよ!」

と二人がにらみあう。そんな准汰と洋介をひややかにみて、

「ま、二人ともヘタレには違いないけどな」

陸がつぶやいた。

准汰も洋介もその言葉に納得するしかなく、おし黙ってしまった。

ややたって、

「なあ准汰」

と洋介がきりだす。

「なんだよ」

「俺たちが言い合ってても仕方ない。ここは共同作戦といこうぜ」

洋介はいって、右手をさしだした。

「ああ、いいだろう」

准汰が察したような顔になり、その手をにぎりかえす。

「よし、おまえが山岸の心をつかめるように協力してやるよ」

「じゃあ俺も、洋介と神原さんがうまくいくように、いろいろ考えてやるよ」

「ははは、がんばれよ。僕も応援してるからさ」

と陸はわらっている。

そのとき、洋介の携帯電話が鳴った。

「うわっ、さっそく神原から電話だ。どうしよう」

ディスプレイをみた洋介があわてだす。

「とにかく早く出ろよ」

准汰にせかされ、電話を耳にあてた洋介が、

「も、もしもし。神原? ん、どうした?」

言葉もすべりぎみに話しかけている。

「え、つぎの日曜? ああ、サッカーの練習は休みだけど・・・・」

准汰と陸には神原がなにをいってるのか知らないけど、みるみる洋介の顔が笑いにたるみだす。
なにかいい話にちがいない。

「おう、わかった。准汰と陸にも言っとく。じゃあ日曜日に」

電話を切った洋介に、二人が問いかけるような目をむける。

「おまえらこんどの日曜、暇だろ?」

「うん暇」

「僕も暇だけど、なんだよ?」

洋介は准汰と陸の肩をゆすりながら、

「こんどの日曜が、俺たちの初陣になるってことさ」

と明るい声でつげた。

ゴトン、ゴトン…
街中をわがもの顔で走る市内電車の音がひびく。大通りを吹きぬける風が心地よい。

空は青く晴れわたっている。

「よーっす」

「よーっす」

待ち合わせ場所のショッピングビル前で、
夏川准汰と森田洋介と七瀬陸の、三人の顔がそろった。
日曜ということもあり、ほかにも待ち合わせらしき人で
あふれている。

「ちょっと准汰くん。来るの早いんじゃないの? 
楽しみ過ぎて早く着いちゃいましたかー」

たった今やって来た洋介が准汰を茶化すと、

「はあ? そんなんじゃねーよ。それに、
陸のほうがおれより早かったぞ」

准汰がいいかえす。

「僕としては10分前に着くのは常識だけど」

と陸はいってる。

准汰がポケットから携帯電話を取り出す。

液晶画面には12時58分と示されている。
13時に待ち合わせる約束だった。

「山岸たち、遅いな」

「そんなに心配しなくても、愛しの山岸ユイちゃんは逃げないぞ」

「おまえ……」

まだ言うか、と准汰はきつい目で洋介をにらみつける。
2人のやりとりを笑って見ている陸が、

「アレだろアレ。女子は洋服やら髪やら気をつかうんだろ。
だから時間に遅れたりするわけだ」

といった。

「洋介。お前は、もう少し身なりを
気にしたほうがいいんじゃないのか」

  と、准汰は洋介の頭を指でつついた。

ワックスでととのえたつもりの髪は、
ぴょこんと寝ぐせが立っている。

洋介はショウウィンドウの正面に立ち、
あわてて髪の毛を抑えつけている。

そんな彼を、こんどは准汰と陸が声をたてて笑った。

「…おそい」

ビルの壁にもたれかかっている洋介が、
待ちくたびれたようにいった。

「もう20分だな」

  と、准汰も人ごみを見まわしている。

「三人とも遅いなんて、さすがに心配だね」

という陸は、気をもんでいるふうもない。

「そうかそうか。俺たちと遊ぶのに、
そこまで気合い入れて服選んでるんか…」

冗談を言いかけた洋介のポケットから、
陽気なメロディが聞こえた。携帯電話を耳に当てる。

『ちょっと、寝坊? 今どこよ』

 声の主は神原千秋だ。

「寝坊って、そっちだろ。とっくに着いてんよ」

『え、見当たらないけど』

「正面入り口。ど真ん前に居るぞ」

『……』

「え、どした?」

『正面は人多いからって、裏の入り口前って言ったじゃん!
 広場があるほう!
みんなにも伝えといてって言ったでしょ』

「…あっ」

『ばか森田』

あくたいをつき、千秋が電話を切った。

「どうだった?」

 准汰が洋介にたずねる。

「ごめん。裏口集合だった。えへ」

「なっ!」

 ぺしっと准汰は洋介背中をひっぱたいて、三人が裏口へと急ぐ。

「待てって、置いてくなー!」 

「もう、おそーい。女の子待たせるなんて、
              いい度胸してんじゃん」

両手を腰に当てて仁王立ちの神原千秋が、男の子たちをにらみつけた。

ショートヘアにボーイッシュな身なりの、その千秋の後ろには、
山岸ユイと天野茜が笑みをうかべて立っていた。
ユイと准汰は目が合ったとたん、宮島での
ことを思い出して、どちらからともなく顔をそらした。

「わりいわりい。おわびに何かおごるから」

「おー洋介、太っ腹だな」

「もち、俺と准汰と陸でな!」

「おい!」

 准汰が洋介のわき腹を小突いた。

「やったねー」

「きょうは男の子三人のおごりってわけだね」と笑い合い、

 ユイと千秋と茜はよろこんでいる。
 これで怒りっぽい千秋も機嫌をなおしたようだ。

「そうだ! 近くにお洒落なカフェがあるの。
 この前テレビで紹介されてたんよ。そこ行ってみない?」

と千秋の声は弾んでいる。

「いいね、そこ行こ!」

 すぐさま茜が同意し、つづいてユイが口をはさんだ。

「前に茜が教えてくれたお店もステキだったよ。そこにも行ってみたいなあ」

「おいおい、ハシゴとか値段高いとこは、ちょっと無理だかんな…」

 洋介が不安をのぞかせた表情で、女の子たちを見やる。

「問答無用! 遅れて来たんだから文句いわない。行くよっ!」

 千秋がたたみかけるように言って、
 ユイたちはきびきびした足どりで並木通りに向けて歩きだす。

「おいってば!」

「女の子のパワーはすごいね」

「…だな」

 あとを追う男たちは、あきれた口ぶりで言い合ってる。
 並木通りを少し入ったところに、その店はあった。
 レンガづくりの外装で、入り口には〈今日のデザート〉と
 書かれたブラックボードが立てかけてある。

 いかにも女の子が好きそうなカフェだ。

 店に踏みこむ。

「いらっしゃいませ」

 大人びて落ち着いた雰囲気なので、高校生六人は
 少し浮いていた。コーヒーの匂いに混ざって、
 ホットサンドの香ばしい匂い、

 パイやマフィンの甘い香りが漂う。

 ショーケースをのぞきこんだユイは、
 それらの珍しいケーキ類に見とれている。

「わあー、どれもみな美味しそう…」

 じっさい、目移りしてしまう。

「みんな、好きなもの頼んでいいって、森田が」

「言ってない!」

 反論をまったく気にせず、千秋はさっさと注文を決めるのであった。

「カプチーノ、おいしいよ」

 両手でカップを持って、ユイは笑顔を浮かべている。

「マフィンもおいしいよー。これ食べたかったんだ。しあわせー」
 と、食べ歩きが大好きな茜も、
 美味しいものを食べているときが至福のひとときなのだ。

「そういや、きょうは徹と牧原、来なかったんだな」

 ひとくちアイスコーヒーを飲んで、准汰がいう。

 出澪高校の赤沢徹と牧原加奈子。ユイと准汰とは中学校も
 一緒で、先日の宮島に行くメンバーにも入っていた。

「うん、映画観に行くって言ってたよ」

「毎回毎回、俺たちに付き合ってられっかよ。察しろよー准汰」

 洋介が隣から身を乗り出す。

「なんだよ、鈍感みたいに言うな!」

「待ち合わせの間違いに気づかない森田だって、充分鈍いわ」

 千秋が、きつい一言を吐きだす。

「だから、ごめんってば! おごりでチャラだろ」

「それにしても、今日は待たせちゃってごめんね」

 陸が申し訳なさそうに頭を下げた。

「ううん。千秋に連絡とってもらってよかったよ。
         私たちの中で連絡取れるの千秋だけだし」
ユイがいった。とたんに洋介は、はっとして准汰に目配せする。

いまがチャンスだと、その目が言ってる。

准汰は、ぐっと唾を飲み込んだ。

「そういや、山岸のアドレスも知らなかったよな。
 教えてもらってもいい、か?」

「え、私の?」

そんなつもりじゃなかったユイは、どきりと胸を高鳴らせる。

「ほら、また洋介がドジしても大丈夫なようにだな、その」
と口実めいた准汰の言葉をさえぎるように、

「もうドジしねーから!」 洋介がわめいた。

「ふふっ、いいよ」

二人のやり取りに緊張がほどけたユイの顔から、
ひとりでに笑みがこぼれた。

「じゃあさ、みんなのも教えて! 森田くんと、七瀬くんのも」

「え、僕たちのも? いいけど」

「…鈍感なのは准汰の方じゃなかったみたいだな」

「なっ」

洋介の言葉に、陸と千秋と茜がクスクス笑う。
准汰は顔を赤らめたが、ユイはきょとんとした表情で、
携帯電話を片手に首を傾げるだけだった。

「よっしゃあ、遊ぶぞ」

 カフェから出た6人は本通りを歩いた。

「みんなで出来ることってなんだろう」

すいすいと人の波を縫って歩く千秋の後ろを、ユイは、はぐれないように足を急がせる。

「えーっと… カラオケ? ボーリング?」

「最近ボーリングやってないなあ」

「じゃあ行ってみようよ!」

「さんせーい」

タイミングを見計らって人の波を横切る。ユイは危うく人に
ぶつかりそうになって、ぺこりと頭を下げた。あとのみんなも通りを
横切ると、路地のつきあたりにある屋内型複合レジャー施設へと
足を踏みいれた。

「申し訳ありません。只今、全レーン埋まっておりまして。待ち時間は…」

ボーリング場のフロントの中から、係員が頭を下げる。

「どうする?」

入り口に戻り、みんなで顔を見合わせた。

「作戦変更! 今日は人多いみたいだし」

「じゃあさ、じゃあさ、ゲームしよ! ゲーム!」

6人はボーリング場と併設されているゲームセンターへ向かった。
クレーンゲーム、レーシングゲーム、リズムゲーム、クイズゲーム、
メダルゲーム… 複数階に渡って、さまざまな機械が所せましと
並んでいる。学生のグループ、カップルが何組かゲームに興じている。

「日曜だし、どこ行ったって人多いよな」

 准汰がつぶやく。

「よし、ここはひとまず解散だ!」

しばらく黙りこんでいた洋介が、ふいに告げた。

「解散?」

「ああ。大人数で行動するより、動きやすいだろ?一時間後に集合な。神原、付き合え」

「うん、いいよ」

「ちょっと、森田」

准汰がなにか言いかけたら、天野茜が、

「じゃあ私、七瀬くんについてこっと。なんとなくゲーム上手そうだもん」

「うん、いいよ」

そんな調子で、たちまち4人が勝手なほうへと歩きだす。

「え? ええ?」

ユイは方々に散っていくみんなの背中を、ぽかーんと
口を開けて見送っている。

置き去りにされた格好のユイと准汰は、困ったような面映ゆいような
顔を見合わせている。

「七瀬くんって、夏川くんたちとは中学違ったんだよね?」

「うん。高校入ってからの付き合いだけど」

などと言い交わし、陸と茜は目的も無くゲームセンターの中を
歩いている。この二人は、前に一度みんなで遊んだ時が初対面だった。

「それにしては息合ってんじゃない?」

「そう? まあ、見てて飽きないかな」

「なにそれー」

あまり人見知りしない茜は、ぺしぺしと陸の肩を叩く。

「あ、これやんない?」

「これー! 私もすき!」

目にとまったのは、赤い帽子をかぶったキャラクターが主人公の、
レーシングゲームだ。
さっそく運転席へと乗り込む。

「二人とも、楽しんでんのかな」

「准汰と山岸さん? みんな過保護だよね。
僕らは僕らで楽しんどけばいいんだよ。ていうか、楽しませるからね」

「あはは、頼りになるー」

陽気な音楽に乗せて、フラッグの合図と共にレースは始まった。

「いいの? ユイと夏川、こないだも今日も二人っきりじゃ、
なんかわざとらしくない?」

洋介の後ろから、千秋は声をかけた。周りの音にかき消されないように、近づいて声を張る。

「いいのいいの。それくらいしないと手をつなぐだけでも
百年くらいかかんぞ。神原だって応援してんだろ」

「そうだけど」

「俺も都合いいんだし」

「はい?」

「あ! 神原、あれやろうぜ」

ガンシューティングゲーム。二人用で、タイトルや外装は見るからに
ホラーゲームだ。

シリーズ物らしく、千秋も見かけたことくらいはあった。

「森田、こういうのが好きなの?」

「好き、つーか得意? これはやったことないけど」

「へえ」

千秋は目を細める。コインを入れると同時に効果音で
ある悲鳴が聞こえた。

「うわー!」

急に画面上に飛び出してきたゾンビに、
体をのけぞらせて洋介が声をあげた。

「森田! だらしない!」

そう言って、千秋は次々に標的を撃っていく。
凶暴化した犬、這いつくばって迫ってくるナース姿のゾンビ、
飛び交うカラス。

千秋はイジワルそうな笑みを浮かべて、ちらりと隣をうかがい見る。

「得意なんじゃなかったっけ?」

「いや、そのはずなんだけど……はは」

やがてストーリーは進み、1ステージ目のボスまで辿り着いた。
動きも早く、一撃で受けるダメージも通常の数倍。

「しまった、油断した」

それまで快調だった千秋のライフポイントが大きく削られた。
あと一撃受けると、ゲームオーバーになってしまう。

しかし、相手もかなり弱っていた。勢いよく迫ってくる相手に、
洋介が止めの一発を喰らわす。

「俺って、頼りになるんじゃない?」

「よく言うわ」

 ぷっと吹き出し、二人は顔を見合わせて声に出して笑った。

「また二人になっちゃったね。もう、みんな勝手なんだから」

「ああ、そうだよな」

森田の作戦だと知っている准汰は、動揺しないように普通に振る舞う。

宙を仰ぎ見て、視線を会わせようとはしない。手持ち無沙汰なのか、
ユイはポシェットのストラップをいじっている。

「夏川くん、何がやりたい?」

「山岸のやりたいやつでいいよ」

なんでもいい。いちばん困る返答だ。しかし、
准汰には気の利いた返事を返せるほどの余裕はなかった。

「じゃあ、あれとね。これとね……あと、あれも!」

「ぷっ、多いな」

「えへへ」

「じゃあ、全部やるぞ」

前より、宮島のときより自然に笑えてるだろうか。ユイは思った。

「あ、あれ」

最後に指さした先には、小さなクマのマスコットが山のように積まれたクレーンゲームがある。
ボールチェーンにつながれてキーホルダーになっているようだ。

ユイは小走りで駆けていった。

「なに?」

「私、これ好きなのー」

ユイは透明なガラスごしに、きらきらした瞳で見つめている。

「あー、最近よく見るよな。このクマ」

「でも、取るのヘタなんだ。私」

ふにゃりと苦笑いを浮かべる。准汰はおもむろに、
財布から百円玉を三枚とり出した。

「えっ」

「三回までには取れる気がする」     

一枚目のコインを入れる。ゆっくりと動くアームを目で追う二人。

積まれた山に爪が引っかかるけど、少し動いただけで
クレーンが戻ってくる。

「うーん」

二枚目のコインを入れる。さっきよりも動いたマスコットは、
出口ギリギリの所で止まってしまった。

「あと少し!」

ゆっくりと三枚目のコインを入れる。ユイの喜んだ顔が見たい。

いちだんと集中して、准汰は手を動かした。

「あっ!」

「っしゃあ!」

チャラララッチャチャーン。軽快な音楽に乗せてマスコットが
落ちてきた。しかも二つ。引っ掛かって一緒に雪崩れてきたのだ。

「すごーい。夏川くんすごい!」

目を丸くしてユイが飛び跳ねる。

「三回で取れるって言ったろ?」

ふう、と一息ついて、出口から取り出したそれをユイに手わたす。

「両方やる」

同じクマが二匹。赤色のスカーフと青色のスカーフの色違いだ。

「ありがとう! でも、夏川くんが取ったんだもん。はい」

片方、青色のスカーフのクマを准汰に差し出す。

たじろぐ准汰だが、ユイの無邪気な笑顔を見てふと笑みが
こぼれる。

「おう、サンキュ」

「ふふっ。お揃いだね」

「……天然って、いちばん厄介だよな」 

准汰は、マスコットに目を落として呟いた。

「ん、何か言った?」

「なんでもねえよ! そろそろ時間だし、行くぞ」

マスコットは二人の手にぶら下がり、それぞれのリズムを
刻んで揺れている。

また六人が合流してしばらく街をぶらついているうちに、
時間は足早に過ぎていく。
やがて空がオレンジ色に染まっていった。

「じゃあ、学校で」

「今日は楽しかったな」

「また集まって遊ぼうね」

ユイはみんなに向かって手を振った。

その日の帰り道、街路灯の光が灯り始める道の途中で、
准汰の携帯がふるえた。

なんとなくどきりとして、そっと開く。差出人には、
見慣れた名前。

「なんだよ、森田か」

肩の力が抜け、歩きながら内容を確認する。

『今日は俺のおかげで(^ー^)bメアドゲット!やったな』

「はいはい、サンキュ。森田がドジしたおかげさまで」

『もうメールしたんか?』

「さっきまで会ってたのにするわけないだろ」

『はあ、これだからダメだわ(- -;)メ

まあがんばれよ。じゃあまた学校でな』

「はあ? 何がだめなんだよ……」

准汰は、アドレス帳の〈山岸〉のページを開いて、目を細めた。

「こんど用事がある時に、普通にメールすればいいんだよな。うん」
                           
そう自分に言い聞かせる。

もう夜が長くなる季節だ。夕焼けの後ろから迫ってくる暗闇に
急かされて、准汰は家路を急いだ。

いっぽう、夜も更けてユイは自室のベッドに寝ころがり、
携帯電話とにらめっこしていた。

「メール送ってもいいかな……別におかしくないよね」

文字を打っては消し、短い文章を何度も何度も読み返して、
やっとの思いで送信ボタンを押す。
かたわらに置いてあるマスコットを見つめて、
頬をゆるませた。

「今日はクマ取ってくれてありがとう(^ ^*)
 すっごく可愛くて気に入ってます。
 ギターケースにつけようかな♪ 今度、
  出澪高校の文化祭で、練習してる曲演奏するんだよ。
                    よかったら来てね」

風呂あがりの麦茶をもって自室に戻った准汰は、
ベッドの上に放り投げたままの携帯電話がメール受信を
告げているのに気づいた。

(洋介?)

ぬれた髪をガシガシ拭きながら、画面を開く。
心臓が飛びはねた。〈山岸〉の文字が表示されていた。
あわててメールを開く。
顔文字や絵文字で飾られた可愛らしい文章に、思わず頬がゆるむ。
さっそく山岸ユイに返信メールを打ちはじめた准汰だけど、

「文化祭、ぜったい行くよ! 演奏がんばれ(^^)」

文章を作っては消し、作っては消しをくりかえして、
結局できあがった文章はなんてことはない内容だ。

こんなときに気の利いた言葉でも書ければ
カッコいいんだろうなと思いながら、准汰は送信ボタンを押した。
ユイはなんて思うだろう。

軽快なメロディーが響いて、ユイの携帯にメール受信を知らせる。
ひざに抱えたギターを脇に置いて、ユイが携帯電話を取る。

(夏川くん!)

はじめての受信メールに、胸が高鳴る。
あっさりとした文章だけど、それも准汰らしくて嬉しかった。

(練習がんばろ!)

ユイはギターを抱え直し、何度も何度もコードを練習しはじめた。

そのあくる日

「ユイ、早く早くっ!」

ホームルームが終わると同時に、神原千秋が音楽室へと駆け出した。

「先に行っちゃうよ~」

と天野茜もあとにつづく。

「待って~、あ、加奈ちゃん、また明日ねっ」

ふたりとも足が速くて、ユイは教室で見送る牧原加奈子に
手を振りながら、ころがるように後を追いかけた。
背中のギターケースでは、夏川准汰にもらったクマのマスコットが
揺れている。
 
「おそくなりました~!」

ドアを開けて飛び込むと、すでにほかの部員たちは練習を始めていて、
欠けているのはユイたちのバンドだけだった。

「おそいよ~」

「ごめんなさ~い、先生の話、長くって~」

 ドラムセットに埋もれるようなかっこうで、

「待ちくたびれたよ~」

と冗談めかして言うのは、先輩部員の海野詩織だ。
千秋が笑いながら手を合わせる。

「じゃぁ、さっそくだけど始めるよ~」

いいながら、詩織がスティックをにぎる。
ユイたちも、あわてて楽器のスタンバイを終える。
この瞬間は、いつも緊張する。

「っしゃー! いくぞーっ!」  

ふだんの詩織のほんわかした雰囲気からは
想像できない勇ましい声を合図に、演奏が始まる。
ユイは、昨夜たくさん練習したコードを一生懸命に反芻した。

「おつかれさま~」

ひとしきり練習を終えると、もうすっかり夕闇が迫っていた。
ユイたちは帰り支度を整え、そろって校門を出た。
その数メートル前を、見なれたシルエットが2つ歩いている。

ふっくらとした体つきの女の子と、背の高い細身の男の子。
そのアンバランスなシルエットは、牧原加奈子と赤沢徹だ。
ユイたちは、すこし歩幅をせばめてスピードをおとした。
あきらかに手をつないでいる2人に、近づいてはいけないような気がした。

「そっか、加奈ちゃんは今日、バイト休みだっけ」

茜がいうと、千秋が、

「バスケ部おわるの待ってたのか~。健気だねぇ」

とつづける。

放課後はアルバイトにいそしんでいる加奈子は、
ふだんならとっくに帰っている時間だ。

文化祭シーズンだけは特別にバイトを休むのだと言っていたけど、
なるほどそういう理由もあったのか。
ユイが納得していると、前を歩いていた加奈子が振り返った。

「気づいてますけど」

その声に、3人はアハハと渇いた笑いで返す。

「や~、お2人さんを邪魔しちゃ悪いと思ってね~」

千秋が茶化すように返すと、加奈子が、

「もー」

と苦笑する。
徹がらみの加奈子の「もー」は照れだと知っているユイは、
ついつい微笑ましくて顔がほころぶ。

「ほらー、気ぃつかってくれたんじゃん。加奈子ってば照れ屋さーん」

千秋の言葉にのっかるように、徹が唇をとがらせる。
その徹の脇腹を小突くのも、加奈子の照れ隠しのひとつだ。

「はいはい、ごちそうさま。それはそうと、赤沢のクラス、文化祭で何するの?」

千秋がたずねると、徹は得意げに胸をそらせて、

「カレー」

と答える。

「あー、そっか。田島先生のクラスだもんね。
田島先生のクラス、毎年カレーだって聞いたことあるわ」

「そうそう。カレー以外の候補も出なかったし飯系少なそうだし、
それでいいんじゃね? みたいなノリで決まったんだ」

「さすが脱力系1組」

茜が口をはさむと、

「だろ? マジでタジマーニャが担任で良かったよ。
じゃなかったらうちのクラス、文化祭の存在わすれてるわ」

「あはは、さっすが1組」

「笑いごとじゃないから、マジで。ところで、3組は何すんの? 
きいても教えてくれなくてさー」

徹がちらっと加奈子を見やる。ユイが言ってもいい? 
と加奈子を見つめる。加奈子はダメダメと首を横にふる。

「加奈ちゃんがダメって言うから内緒ね」

ユイがいいかえすと、徹は大げさに、

「え~っ」

 と残念そうな顔をする。

「どーせ当日になればわかるんだから、いいじゃない」

「えーっ。知りたい知りたい」

「ダーメ! ほら、暗くなるから帰るよっ」

「ちょっ、待って! 加奈ちゃーん」

半笑いの顔でさっさと歩く加奈子を、徹が追いかける。
なんとなく置いてけぼりを食らった3人は、

「またやってるよ」

 とわらいあって家路についた。

バンドの練習や模擬店の準備をしているうちに、文化祭当日を迎えた。
県立出澪高校では、早朝からにぎやかな声が飛び交っている。
ユイたちの3組も例外ではなくて、朝からてんてこ舞いだ。

「ねぇ、ちょっとこのスカート短くない?」

数日まえの衣装あわせのときよりもさらに5センチ以上短くなっている
スカート丈に、千秋が恥ずかしそうにすそを引っぱりながら
抗議の声をあげる。それを見て満足げに笑っているのは、
衣装を作ったクラスメイトの女の子たちだ。

「千秋、可愛いよ~」

「うんうん」

ユイと茜が賞賛すると、千秋は顔を真っ赤にして唇をとがらせた。

はずかしそうにモジモジするたびに、ぴょこぴょことスカートの
オプションが揺れる。

「ほら、つぎは山岸さんと天野さんだよ。
さあさあ、お着替えしましょうね~」

あやしげな笑みを浮かべて迫ってくる女の子たちに、ユイと茜は、
されるままになっていた。

「さーて、准汰くん。いよいよ愛しの山岸ユイちゃんの
学校に乗り込むわけですがー。意気込みをどうぞっ」

マイクのように差し出された森田洋介の拳を払いのけ、
夏川准汰はため息をついた。午前9時に待ち合わせして、
それからここまで20分。洋介は、いっときも黙らず喋りつづけている。

「なんだよそのテンション。おまえの方が舞い上がってんじゃん」

准汰がいうと、洋介は、

「ばっか言え。……当然だろ」
と切り返す。
「認めるのかよ」

「おーともよ。この門の先には俺たちの知らない女の子たちの
スクールライフがあるんだ。燃えないわけないだろ」

「はいはい、赤沢もいるけどね。勝手に燃えててよー。
恥ずかしいから先に行くー」

熱血ドラマの主人公のようなセリフを吐きながら校舎を見上げる洋介を、
陸が冷ややかにやりすごす。

「わーっ陸、おまえ抜け駆けか!」

あわてて陸を追いかける洋介につられて、准汰もあわただしく
構内へと足を踏みいれた。
校舎に入った3人は、まっすぐに1年1組の教室をめざした。
カレー屋の売り子をしている徹といっしょに、3組の喫茶店に行くためだ。

「いらっしゃいませーっ。カレーうまいっすよー」

教室の近くまでくると、ひときわ大きな呼び込みの声がきこえてきた。
人ごみのむこうに、大きな看板をもった徹の姿が見える。

「おー、やってるやってる」

先頭を歩く洋介が切り込み隊長となって、人ごみの中を進んでいく。
そのあとを陸と准汰がついていく。
徹が3人に気づいて、看板を大きく振ってみせた。

「よー。あと5分だから、もうちょっと待って」

 申し訳なさそうにいう徹に、洋介が、

「え~っ。准汰くんはもう待てませんっ」

なんて言うから、准汰が洋介の背中を叩く。
「おれだって、はやく加奈に会いたいの!ほら、ひまなら呼び込み手伝えよ」

「きゃー、のろけ発言~。今の聞きました?」

「今日の洋介うぜぇな」

「待ち合わせからずっとこうなんだ」

「もうすぐ神原さんに会えるから舞い上がってるんだよね」

「あー、どうりで。まあ落ち着けよ。お楽しみはこれからだろ」

意味深な徹の発言に、3人の頭の中は、?マークでいっぱいになった。

徹の言葉の意味がわかったのは、彼の仕事がおわって、
4人で3組の教室にきたときだった。

窓をおおう暗幕にはハロウィンでおなじみのカボチャのお化けや
コウモリの形をした飾りがたくさんとりつけられ、入り口には、
どこから持ってきたのか、柳の木の枝がしなだれている。

そしてドラキュラの格好をした案内係が手にしている看板には、
〈冥途★喫茶〉の文字。
3組の教室は不思議空間へと変貌していた。

「昨日やっと何やるか教えてもらえてさー。入ろうぜ」

あっけに取られている准汰と洋介を尻目に、徹と陸が暗幕をくぐる。
准汰と洋介が、あわてかげんに後につづいた。

演出を考えての薄暗い照明。室内にもたくさんの怪しげな
装飾がほどこされ、不気味な雰囲気を盛りあげている。

4人を迎えたのは、スカート部分が大きく広がった
黒いワンピースに黒い猫耳カチューシャをつけた女の子だった。

「お帰りなさいませ、ご主人さま……あっ」

「神原?」

森田の驚いた表情に、名前を呼ばれた神原千秋は
持っていたお盆で顔をかくした。
髪は長くて、カールしているけれど、その顔はまぎれもない神原。  
「なんでこのタイミング?」

千秋が抗議すると、徹がイエイッとVサインをつくる。
徹は事前に千秋のシフトを把握していたのだ。

「ちょっと赤沢っ! もう、はやく加奈子のとこ行けっ」

「イエっさー。加奈子~」

マンガなら確実にハートマークが散乱しているような
ウキウキ気分で、足どりも軽く徹がバックヤードに飛びこむ。
加奈子の驚きの声があがって、徹に背中を押される形で加奈子と
茜がもじもじと姿を見せる。茜は、千秋と同じように裾の広がった黒と赤の
チェック柄のワンピースを着て、悪魔の角と羽をつけている。

「へ~、にあうね。可愛いよ」

陸がしげしげと見つめる。

「あ、ありがとう」

ほめられた茜は、ちょっと気恥ずかしそうに首をすくめた。

いっぽうの加奈子は、制服の上にフリルのついた白いエプロンを
つけただけのシンプルな服装。

徹が、 「加奈子もコスプレすればよかったのに~」

残念そうに言うと、

「あたしは調理係だからコスプレはしないよ」

       と、もっともな回答。
「えー」

と不服そうに唇をとがらせる徹に、

「まぁ次に、機会があればね」

なんて付け加えて笑う加奈子は、徹の扱いをよく心得ている。
さすが、つきあって1年。准汰は感心しながら、
視線を教室内にむけた。

接客ちゅうの女の子の中に、ユイの姿はなかった。

「なあ、山岸は?」

   尋ねたのは准汰ではなく、洋介だった。

「ユイはジャンケンで負けたから、今は宣伝係してるの。
    もうすぐ帰ってくるだろうから、とりあえず座ったら?」

千秋が4人がけの席に案内して、メニューを差し出す。

〈地獄の一丁目・オレンジジュース〉

     などと怪しげな名前ばかりが並ぶメニューから、
それぞれ選んで注文しおえた頃、聞きなれた話し声が
近づいてきた。
(……帰ってきた)
准汰が声のほうへ視線をむける。
笑顔のユイが入り口にあらわれた。
(来たっ!)
テンションの上がった准汰だけど、ユイは気づいていないようで、
ふたりの男の子たちと会話をつづけている。
ひとりは徹と同じ制服だから出澪高校の生徒なのだろう。
すこし髪が長めで、チャラそうな雰囲気だ。
もう一人は私服姿だが、爽やかな好青年といった感じだ。
准汰は、自然と視線が釘づけになった。
誰かは知らないけど、いい感じのほうがちょっと気になった。 

二人を教室の奥の席に案内して、注文をきいてバックヤードへ
戻ろうとしたユイに、

「山岸」

准汰が声をかける。

「あっ」

ユイが目を丸くして、ついで、いつもの笑顔になる。
准汰はなんだかほっとした。

「来てくれてたんだね」

「ああ。山岸は魔女のコスプレ?」

「うん」

なにを話そうかと言葉が出てこない准汰の足を、
だれかが思いきり踏んづけた。

「いてっ」

洋介をにらむと、おれじゃないとばかり首を横にふっている。

そのときバックヤードからユイを呼ぶ声がして、

「ごめんね、もう行かなきゃ。このあと十一時半から体育館で
ライブやるの。よかったら見にきて」

「うん、ぜったい行く。がんばって」

「うん、ありがとう! じゃあ、またあとでね」

ちいさく手をふって、ユイはバックヤードに戻っていった。

「はい、お待たせー。ユイじゃなくてごめんね」

と、千秋がドリンクを運んできた。
人をひやかすところは洋介ゆずりだな、
と思いつつ准汰は苦笑している。

「なによ」

千秋が准汰の肩をつついた。

「べつに~。ほら、仕事仕事」

「もー。あとで、ぜったい聞き出してやる」

「はいはい」

千秋をあしらって、准汰はジュースに口をつけた。

「で、さっきおれの足、ふんだの誰だよ?」

「ん? おれ」

徹がいった。

「だって准汰~。あそこは『可愛いね』とか
『似合ってるね』とか言うところだろ」

「おれは、お前とはちがうんだよ」

「おれが軽いみたいに言うなよ。
おれは加奈子ひとすじなんだから」

「見てりゃわかるよ。おれが言いたいのは、思ってること、
そのまま言えないってこと」

「難儀だねー、お前。可愛いって思ったら、
『可愛いね』って素直に言えばいいんだよ。

ほめられていやな子なんていないだろ。ほら洋介、お前も。
神原見ていつまでもニヤニヤしない。気持ち悪いぞ」

「やー、徹くん。あれはなかなかレアだぜ」

「うんうん。気に入ったんだよな。
 あとで携帯のカメラで撮らせてもらえ。
 2人ともこの調子じゃ今日1日かかっても進展しないぞ!」

「そりゃいかん」  

しゃきっと表情を引きしめる洋介とは裏腹に、
准汰は徹の肩ごしに見えるユイに釘づけになっていた。
ユイが、あの男たちの席で接客をしていた。
かなり親しげなようすだ。

「あらら~」

「ライバル出現かー。どうする准汰? 
いつまでも草食系じゃいられないよな」

准汰の視線に気づいて、洋介と徹もユイたちに目をとめ、
准汰にいってる。

「准汰、はっきりしない男は嫌われるよ」

  というのは陸だ。
すかさず洋介が、

「おっ、陸ちゃん辛口」
  陸は緑茶をすすり、
「だってそうでしょ」
という。

陸は軽口を叩かない分、一言一言が重い。
そして的を射ている。
  あの男たちが席を立った。
出口で見送るユイと、またなにか話している。
(さっきから、なに話してるんだろ)

二人の楽しげなようすに准汰が歯がゆさを感じていると、
不意にあの男がこちらを向いた。

(目が合った!)

准汰が焦っていると、男は何かを察したようにニヤリと
口元をゆがめて、ユイに耳打ちした。
(何してんだ!)

思わず立ち上がりかけた准汰を尻目に、男は、

「またあとでね」

  と言って、ユイの頭をぽんぽんして出て行った。

ユイはのんきに、

「またね~」

  なんて言いながら手をふっている。

(なんなんだよあの男~)
准汰は、確実にニヤリと笑われた。

「うーわー、むこうは超余裕って感じ?」

 洋介が面白くなさそうに唇をとがらせる。

「准汰の視線、バレバレだったんだね~」

「な~。思いっきりけん制してたよな。
山岸は気づいてないみたいだけど」

 陸と洋介が言い、徹だけはうーんと首をかしげている。

「どったの?」
  洋介がたずねると、

「いや、一緒にいたチャラいほうは軽音部の2年なんだよ。
でも、山岸に話してたほうもどっかでみたことあるんだよー。
だれだっけ」
「あっ、言われてみたらおれも見覚えあるかも」

徹と洋介が考え込む最中も、准汰の頭の中では、
ユイと男の耳打ちの様子がリピート再生される。

「山岸さんに訊いてみたらいいんじゃないかな」

 陸の一言に、

「おーっ陸ナイス! そうだ准汰、訊けよ。
『あの男は誰だ』的にさー」

「それいいかもな。ほら、山岸との距離を縮める第一歩としてさ」

  洋介と徹が准汰の背中をバシッと叩く。

「……がんばる」

二人に押し切られる形で、准汰は決意した。

准汰がいつ切り出すか悩んでいるうちにも、
ユイたち軽音部のライブは近づいていた。

準備のために模擬店を抜けたユイ、千秋、茜たちを見送り、
4人は、シフトを終えて出てきた加奈子と合流して
ライブ会場である体育館へと足を踏み入れた。

「けっこう人いるんだな」

予想外に混みあっている館内に、准汰はおどろいた。

「うちの軽音部って上手い人が多いから、人気みたい」

  人混みに埋もれそうになりながら、加奈子がいった。

「それにしてもすっげぇ人だな」

徹がすぐ後ろを歩く加奈子に手を差し伸べる。
加奈子も、すんなりとその手をとる。

(徹すげー)
 准汰は前々から思っていたが、徹はこういうことを
さらりとやってのける。加奈子への愛情表現だって、
聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらいストレートだ。

(俺もこんなだったら悩まないのかな……)

手をつなぐ二人の後ろを歩きながら、准汰はあれこれ
妄想してみた。でもやっぱり、
こなれた態度を取る自分は奇妙だった。

(徹は参考にしちゃダメだ)

 准汰は自分に言い聞かせている。

だんだんと館内の照明が暗くなってきた。
いよいよ演奏が始まるのだ。もうこの辺りにしとくか、
と5人が足を止めた場所は、少し離れてはいるがステージの
真正面。意外にもよく見えそうな場所だった。

まもなく幕が上がって、ユイたちのバンドが姿を見せた。
先ほどまでのコスプレ衣装ではなく、学校の制服になっている。

「マジ楽しみ~」

千秋を見ながら嬉しそうに笑う洋介の前方に、
准汰はあの男がいるのを見つけた。

男も、洋介と同じような表情でステージを見つめている。
(やっぱ山岸のこと見てんのかな)
響く重低音。軽快な曲がスタートすると、准汰はステージに
意識を集中させた。
 一生懸命に、でも楽しそうに演奏しているユイの顔を
見ていると、自然と笑顔になる。

准汰は、一瞬だけ男のほうを見た。男は准汰に気づく様子もない。

(負けたくねーな)
  准汰は小さく拳をにぎった。 

演奏を終えた3人と合流して、8人で構内を
うろつくことになった。

8人は自然と二人ずつ並んで歩くようなかたちになって、
准汰の隣にはユイがいた。

「ライブお疲れ。ギター良かったよ」

「ありがと。緊張で手、ふるえてたから、
間違えなくて良かった~」

ほっとしたようなユイの笑顔に、自然と准汰の顔もほころぶ。

「えいっ」

「きゃっ」

ふいにユイの横顔が視界から消える。

「もー、隼人くん!」

「ハハッ、きまったきまった」

うしろからいきなりユイに膝カックンを
食らわせて喜んでいるのは、あのけん制男だった。

(隼人…?)

ユイの口から出た名前には、准汰も聞き覚えがあった。

「隼人またやってるー」

隼人の隣で笑っているのは、ユイたちのバンドでドラムを
叩いていた女の子だった。名前はたしか、海野詩織。

「相変わらずだな~」 

詩織の横で、連れのチャラ男がケラケラと笑っている。

「先輩たちも今から回るんですか?」 

「回るっていうか、隼人にうちのクラスの売り上げに
貢献してもらおうと思ってさ。こいつ大食いだし」
 
「え~、ずるい! だったら鷹西先輩、
また私たちの〈冥途★喫茶〉来てくださいよ~」

「またあのコスプレするなら行ってもいいよ」

「あれかー、どうしよう」 

千秋が親しげに話しているのを見て、洋介と徹が、
 
「あっ!」 

  と声をそろえる。

「ん? 赤沢どうした?」 

「や、なんでもないっす」 

「そっか。まぁお前たちもうちの模擬店、こいや」 

「何してんすか」
 
「お好み焼き」 

「うちのカレーと交換でどうすか」 

「いいねぇカレー。隼人、カレーも食ってやれ」 

「お前、俺にどんだけ食わせる気なんだよ」 隼人が笑う。

そのあとは十一人での団体行動になり、
出澪高校の文化祭は無事閉幕した。

「じゃぁ、また連絡するわー」 

「おう」 

「またなー」 

徹に見送られて校門を出た准汰たち3人は、夕暮れの中を歩いた。 
「どうりで見覚えあるはずだよなー」 

「ああ」

「俺たちの中学の先輩とか…すっかり忘れてたし」
 
愚痴のようにこぼすのは、洋介と准汰だ。

「かなり目立ってた人みたいだねー、あの人。鷹西隼人だっけ?」 
陸が今日の情報をかき集める。

「ああ。野球部エースで、確か推薦で鯉宮館高校に行ったんだぜ」 
「鯉宮館って、野球の強豪校じゃない。あの人すごいんだ~」
 
「すごかった気がする。よく知らねぇけど」

「なにそれ」 

「だってサッカーと野球じゃ畑が違うだろ」

「確かにそうだね。准汰としては、安心したのかな? 
あの人が山岸さんの幼なじみだってわかって」 

陸が准汰を見やる。准汰の表情は微妙だ。

「安心…安心かー」 

「なんだよ准汰」 

「すっきりしてない感じ?」 

「んー。幼なじみだっていうのはわかったけど、
やっぱりけん制されたような気はするんだよ」 

「あれなー。こっち見てニヤッて笑って内緒話したとこだろ?
 あれは俺も怪しいと思うんだよなー」 
 洋介がむつかしい顔をする。

「怪しいって?」 

「ほら、マンガとかであんじゃん。
幼なじみで好き同士になる設定」 

「あーらら。准汰、大変だ~」 

「陸おまえ、ひとごとだと思って」 

「だってひとごとだもーん」 

「うわー。これでも気にしてんだからな」 

「わかってるよ。だからこうして作戦会議してんでしょ。
さて、次はどうする?」 

 夕暮れの道に、3人の声が弾んでいた。  

         

 昼どきに近い基町クレド前、夏川准汰は寒さに
身をちぢめながら壁に背をあずけ、道ゆく人々を眺めつつ
肉まんをほおばっていた。(暇だな……)

 なぜ彼が一人で肉まんを食べているのか。その理由を
知るためには、すこしだけ時間をさかのぼる必要がある。

「ふぁーあ…」

 休日だというのに、准汰は家族の誰よりも早く目が覚めていた。
悲しいかな、連日のサッカー部の朝練の影響で、
すっかり早起きが身に付いてしまっているのである。
 そのサッカー部の練習も今日は休みであった。
やることもなく、しばらく家でのんびり過ごしていたが、
どうも落ち着かない。せっかくの休日だ。とくに用事も無かったが、
とりあえず財布と携帯だけ持って広島市中心部まで出てみることにした。

クレドに着き、准汰はとりあえず近くの大型書店で適当に漫画などを物色してみた。
とくにめぼしいものも見つからず、早速やる事がなくなってしまった。

 でもこのまま家に帰るのもなんだかしゃくなので、
近くのコンビニで肉まんを買い、時間をつぶしているというわけだった。

(洋介にメールしたら「今日は忙しい」って返ってきたし、陸も用事があるって言ってたっけ……)

 いつもの面子のアテも外れた准汰は、完全に手詰まりだった。
最後の抵抗と言わんばかりに、のろのろと肉まんを咀嚼する。
しかしそんな努力も虚しく、准汰はすでに肉まんのほとんどを
胃ぶくろにおさめてしまっていた。

 准汰は大型ビジョンへと顔をむけた。待ち合わせ場所によく指定される、
基町クレドのシンボル的存在のビジョンだ。

 休日という事もあって、周囲にはさまざまな人がいた。
苛立たしげに携帯電話で話しているスーツの男性、
ビジョン近くのイスに座り談笑しているカップル、泣いている子どもを必死になだめている女の子。

(そういえば、宮島に行った時もあのビジョンの前に集合だったな)

 准汰はビジョンを見ながら、あの日の出来ごとを
思い返している。楽しかった宮島での出来ごとが、まるで昨日の事みたいに鮮明に蘇る。

 それと共に彼女も自然に思い出され、准汰は自分の顔が熱くなるのを感じた。
   (山岸、何してるだろう…)
 ポケットから携帯を取り出し、アドレス帳を表示する。

 もともと友人はそれほど多くないので、アドレス帳のや行には
山岸ユイの名前だけが表示されていた。

(メール、してみようかな)

 山岸も悪い気はしないはずだ。そして、もしも山岸も暇を
もてあましているようだったら、どこかに遊びに行かないかと
誘ってみよう。などと考えても、なかなか決心がつかなくて、
けっきょく准汰は山岸に連絡をとらないまま、携帯をポケットにねじこんでいる。

 准汰はビジョンへと視線をもどした。
さきほどの少女が、あいかわらず泣いていた。

それを懸命になだめている女の子のうしろすがたを見て、

(あれ?)

 准汰は目をうたがった。冷え切った肉まんのひとかけらを
急いで平らげ、准汰は女の子の方へと足をはこんだ。

「大丈夫だから泣かないで。ね?」

 となだめる声を聞いて、

(やっぱり山岸だ)

驚きと喜びが准汰の胸を満たした。

   「山岸」

 准汰がよびかけ、ユイが振り返る。

「あ、夏川君! わわっ」

 よほどびっくりしたのか、ユイは振り返った拍子に
バランスをくずし、尻もちをついている。

おきあがろうとするユイに手をかしながら、

「なにやってるんだ。その子は妹?」

「あ、違うの。この子、奈々ちゃんっていうんだけど。
                どうやら迷子らしくって」

 少女はとつぜん現れた准汰を警戒するように、
ユイの陰にかくれ、不安そうな顔をしている。
でも准汰の登場で泣き止んでしまった。 

 ユイはこれまでのいきさつを准汰に説明した。といっても
この泣きじゃくる少女からは奈々という名前だけしか聞き出せていなかった。

「警察には?」

「まだ届けてないの。それに……」

 ユイはちらりと奈々のほうを見る。
警察という言葉が出たとたん、奈々はユイの腕にすがり、
いやいやをした。

「またわたし以外の知らない人に預けられるのが、嫌みたい」

「そっか。うーん、困ったな」

 准汰はどうしたものかと思案する。泣き止んではいるが、
ときおり嗚咽がもれている。
その不安そうな顔を見ているうち、准汰にある考えが浮かんだ。
准汰は膝をつき、奈々を真正面から見すえた。
そしてすーっと息を吸い込むと、

「奈々ちゃんこんにちは。ぼくはこのお姉ちゃんのお友だちで、
准汰っていうんだ。よろしくね」

 そう言って手を差し出す。奈々はユイの背に隠れたが、
准汰は笑ったまま、手を引っ込めないでいた。
しばらくそうしていると、おそるおそる顔を出した奈々が、
そっと准汰の手を握り返した。

「奈々ちゃん安心して。お兄ちゃんが、奈々ちゃんの家族を
     一緒に探してあげるよ」

「えっ!」

 思わずユイが声をあげる。いっぽう奈々は、

「ほんと?」と首をかたむけ、
         ようやく明るい表情を見せた。

「もちろんほんとだよ」

 准汰も笑ってそれに答える。

「夏川くん、大丈夫なの? やっぱり警察に届けたほうが…」

「警察はだめだよ。奈々ちゃんが嫌がってるんだから。
 まずぼくたちが親を探して、それでも見つからなかったら、
   警察につれていく事にしよう。
       そのときは奈々ちゃんを納得させるから」

「うん、わかった」

 ユイは納得した。

「奈々ちゃんは今日、誰とここに来たの? 
            ぼくに教えてくれないかな」
「…お兄ちゃん」

「お兄ちゃん? お兄ちゃんとふたりで来たの?」

「うん、あのね、奈々があたらしい野球場が見たいっていったの。
  そしたらお兄ちゃんが、じゃあつれてってやるぞーって、つれてきてくれたの」

 奈々が、たどたどしく説明してくれた。

「マツダスタジアムの事かしら」

「あたりまえだろ。よし、じゃあ奈々ちゃん。
   お兄ちゃんを探しに、みんなで野球場まで行ってみようか」

「うん!」

   *****************

「おぉー、これがマツダスタジアムかぁ。でっかいなぁ」

スタジアムを前にし、准汰が素っ頓狂な声をあげる。

「うわー、おっきぃ・・・」

奈々もすっかり驚いているようだ。

「夏川君、来た事なかったの?」

ユイが不思議そうに尋ねる。

「テレビではよく見るけど、実際に来たのは初めてだなぁ」

「そっかぁ。あたしは幼馴染とよく来るんだよ。」

「へぇ・・・そうなんだ」

准汰は文化祭で見た男の顔を思い出し、曖昧な返事をしてしまう。

「とりあえず、中に入ってみようか菜々ちゃん」

「うん」

 三人は正面ゲートからスタジアムの中へと入る。
スタジアムの右手にはちょっとした展示コーナーがあり、
左手にはカープグッズなどを売っているショップがある。
三人はまず展示コーナーを覗いてみた。中では数名の見物客が熱心に展示に見入っている。

「どう、菜々ちゃん。この中にお兄ちゃんはいる?」

「ううん、いない」

「そっか・・・」

 その後、グッズショップの方も廻ってみたが、結局菜々の兄らしき人物は見つからなかった。
三人は肩を落としてスタジアムの外に出た。

「お兄ちゃん、どこにいるんだろ・・・」

 菜々が俯きがちに呟く。

「だ、大丈夫だよ。きっと見つかるから、ね。」

准汰が慌てて菜々を慰める。

「あ、今日はコンコースが開放されてるみたいだよ。行ってみようよ!」

「「こんこーす?」」

突然のユイの言葉に、准汰と奈々が声を揃えて問い返す。

「ふふ、きっとおどろくよ。こっちこっち!」

 そう言うと、ユイはスタジアム横の階段に向かって走り出した。

「ほらー!こっちこっちー!」

 階段の上からユイが子どものように二人を急かす。

「なんだよ、一体何があるんだよ。」

 准汰は菜々の歩調に合わせ、ゆっくりと階段を登りながら尋ねる。

「ほら、みて!」

ようやく二人がユイに追いついた時、ユイはそう言って自身の背後を示す。

ユイの示した方向、そこには球場を見渡せる広大な通路が広がっていた。

ユイ曰く、コンコースとはこの通路の事なのだそうだ。

 コンコースはグラウンドを取り囲むように続いており、
 外側にはシャッターこそ閉まってはいるが様々な飲食店が軒を連ねている。

「わー・・・」

「すげぇ・・・こんなに近くでグラウンドが見られるんだ」

二人はコンコースの内側へと駆け寄る。

コンコースは一階観客席の最後部ぎりぎりまで開放されており、グラウンドを一望できた。

グラウンドは芝生が瑞々しく青く輝き、

一台の芝刈り機がゆっくりとした速度で芝生を手入れしている。

「えへへ、すごいでしょ」

 ユイはさも自分の手柄のように誇らしげだ。

「この通路もね、今は全然人がいなくてお店も閉まってるけど、
          試合の時は人がいっぱいいて賑やかで、お祭りみたいなんだよ」

「へぇー」

 返事はするものの、准汰はこの光景を見るのに夢中なようだ。
ユイもそれを察してか、それ以上何も言わずにグラウンドを見つめる。

しばしの沈黙の後、

「お兄ちゃんにも見せたかったな・・・」

不意に、ぽつりと菜々が呟いた。その一言で准汰とユイは我に返る。
          准汰は一時でも菜々の事を失念していた事を恥じた。

「菜々ちゃん。ここにはお兄ちゃんはいないみたいだし、一旦、駅まで戻ろうか・・・」

「うん・・・」

 准汰の問いに奈々は素直に頷く。三人は駅に向かって歩き出した。

 駅への帰り道、三人は終始無言だった。広島駅の構内には交番がある。
 駅に戻るということの意味を、奈々は理解しているようだった。

(やっぱりこれ以上連れまわすのはまずいよな・・・)

 俯いて、准汰は一人考えていた。マツダスタジアムで奈々の兄を見つけられなかった以上、
これより先は警察に任せたほうが奈々のためなのだ。

(探してあげるなんて言っておいて結局これかよ・・・)

 頭ではわかっているが、准汰は自らのふがいなさが悔しかった。その時だった。

「菜々っ!」

 そう呼ぶ声がした。顔をあげると、前方から大きく手を振りながら男が走ってくる。

「あ、お兄ちゃんっ!」

 菜々は男を見るなり駆け出した。男はほとんどヘッドスライディングのような勢いで
    菜々に飛びつき、しっかりと菜々を抱きしめる。

 准汰とユイは驚愕した。まさか、こんな偶然があるのだろうか。

「よかった。本当によかった。菜々。ごめんな、一人にして」

「ううん。大丈夫。お兄ちゃんとお姉ちゃんが一緒にいてくれたから」

「お兄ちゃんとお姉ちゃん?」

准汰とユイはゆっくりと男に近づく。それに気付き、男も慌てて立ち上がる。

「あ、菜々を保護してくれてた方ですか。あの、本当にありがとうございまし・・・」

男は二人の顔を見るなり言葉を失う。そんな男に准汰はにっこりと声をかける。

「どういたしまして。森田洋介君」

「いやー、びっくりしたー。
まさか菜々を保護してくれてたのが准汰と山岸なんて」

「こっちだって死ぬほどおどろいたっつーの。
まさか奈々ちゃんが洋介の妹とはな」

「本当。森田君に妹さんがいたなんて、あたし全然知らなかった」

「へっへー。可愛いだろ?自慢の妹だ。准汰、お前にはやらんぞ」

「いらねーよ。いや、妹としては是非とも欲しいけど」

「ふふっ」

四人で軽口を叩き合う。菜々は初め、急に親しげに話し出す
洋介と准汰に困惑していたが、洋介が学校の同級生である事を
告げると驚きながらもとても嬉しそうにしていた。

「それにしても」

と、ふいに洋介が切り出す。

「休日に二人でおでかけなんて、
随分と仲がよろしいですなぁ。准汰く~ん」

ぼっ!と、一瞬で耳まで真っ赤になる二人。

「ば、馬鹿!ちげーよ!俺と山岸が会ったのはたまたまで・・・」

「そっそうだよ!ほんとにただの偶然・・・」

「へぇ~。約束もしてない二人が、
この広い広島の地で偶然にも出会ったわけか。
それはもはや偶然じゃなくて運命だね。うん。間違いない。」

洋介の冷やかしに、顔を赤くして俯いてしまう二人だった。

「よし。じゃあ菜々。兄ちゃんたちはお邪魔なようだから、
そろそろお暇しようか。」

「お、おい」

「うん。お兄ちゃん、野球場見に行こうよ。あのね、
こんこーすがすっごくおっきくて広いんだよ。
お兄ちゃんにも見せてあげる!」

「へぇ、そりゃ楽しみだ。じゃ、そゆ事なんでお二人さん。
今日はありがとな。後は二人で楽しんでくれよ」

そう告げると、洋介と菜々は新球場へと歩き出す。
准汰とユイはその後姿を黙って見送っていたが、
去り際に菜々がこちらを振り返る。

「准汰お兄ちゃん、ユイお姉ちゃん。ありがとう。
また遊んでねっ」

輝くような笑顔でそう叫んだ菜々に、二人は笑顔で手を振った。

「よかったね、奈々ちゃん。無事に森田君と会う事ができて」

「ん、うん・・・」

相変わらず人通りの激しい広島駅を、二人は歩く。

「どうかした?何か元気ないみたい」

ユイは准汰の顔を覗き込む。准汰はふいに足を止めた。
    

「少し考えてたんだ」

「何を?」

「本当にこれでよかったのかなって」

「??何が?」

  ユイはキョトンとしている。准汰は俯いてぽつりぽつりと
                        話し続ける。

「菜々ちゃんの事。俺は奈々ちゃんの家族を探すなんて
     言って菜々ちゃんを連れ回したけど、
                それでよかったのかな。」

「・・・」

「本当は今日、ずっと考えてたんだ。
     やっぱり無理やりにでも警察に連れて行った方が
                良かったんじゃないかって。」

消えそうな声で准汰は話す。

「・・・夏川君は、どう思ってるの?」

「わからない。何が正しかったのか。
     どうするのが正解だったのか。わからないんだ。」

「でも、あの時はそうする事が奈々ちゃんのためだと
             思ったからそうしたんでしょ?」

「・・・うん。」

「だったら、それでいいんじゃないかな。」

「え?」

准汰は顔をあげてユイを見る。
       ユイは真っ直ぐに准汰を見つめていた。

「私ね、あの時夏川君が来てくれて、すごく頼もしかった。
  菜々ちゃんに、一緒に探してあげるって言った時、
    本当にすごいなって思ったんだ。
  私一人だったらどうしていいのか分からなくて、
   未だに泣いてる菜々ちゃんの前で
             おろおろしてたかも知れない。」
「そんな事・・・」

「ううん、本当だよ。あの時のあたしは、
    どうしようどうしようって焦ってばかりで、
    結局何も出来なかった。だけど、夏川君は違ったでしょ。
  菜々ちゃんのためを思って、正しいと思った事をすぐに
          実行した。それって本当にすごい事だよ」

「・・・」

准汰はユイの言葉に聞き入っている。

「ほら、『やらなくて後悔するよりも、やって後悔する方がいい』って言うでしょ。だから、
   もしも今日の事が夏川君の中で納得できないのなら、
      それを糧にして次に活かせばいいんじゃないかな。」

 ユイは真剣な眼差しで准汰から目を離そうとしない。

普段のユイのイメージとは少し違う、
       言いようのない力強さがそこにはあった。

「・・・そっか。うん、確かにそうだよな。」

准汰はユイの言葉をかみ締めるように、うんうんと何度も頷く。

「ありがとう山岸。なんだか、すっきりした」

「えへへ、どういたしまして」

ユイは照れながら、柔らかく微笑んだ。
(やらなくて後悔するよりも、やって後悔する方がいい、か)

「えと、じゃあこれからどうしよっか。もう解散する?」

ユイが問いかける。

准汰は心の中でもう一度繰り返し、そして覚悟を決めた。

「あのさ、山岸」

「え、何?」

しっかりとユイの顔を見据える。体温がどんどん上昇していく。
口の中はカラカラで、顔は耳の先まで真っ赤だった。
      しかし、その表情に迷いの色はもうなかった。

「よかったら・・・どこか、遊びに行かないか?」

**** 言った。******

千秋に声をかけるときだって、
加奈子に声をかけるときだって、もちろん洋介を
遊びに誘うときだって、こんな風に一言を言うだけのことに
神経を集中させることはない。

 それはやっぱり、そこに特別な思いがあるからなんだと、
准汰は思い知った。

「えっと、その……」

 准汰が息をのむ。

「ごめん!」

「ええ?」

 あまりの勢いに、准汰の体から一気に熱が抜けていった。

「じゃなくて、あのね…」

 ぱたぱたと手を前で振り、ユイは頭の中で
ぐるぐると言葉を選ぶ。

「今度改めて遊ぼう?」

 そう言うと、准汰に背中を向けて電車乗り場の方へ踏み出す。
顔だけ振りむけて、ふふっと笑みを作る。

「またメール、するねっ」

「…おう」

 引き止めようかと思ったけど、笑い返して手を振った。

ユイは自分から、これからどうしようかと持ちかけたのに、
おかしい。だが、准汰の真剣な眼差しを見ていると、
その場に居られなくなったのだ。

 相手は正面から来てくれたのに、
自分は逃げるように立ち去ってしまった。
そのことにユイは、ちょっぴり心が痛んだ。

「ピンポンパンポン ピンポンパンポン・・・・」

 休憩時間を知らせるチャイムが校内に鳴り響き、
          生徒たちが思い思いに席を立つ。
授業が終わると、わあっと教室内は一気に賑やかになる。
そんな中、山岸ユイは一人席に
   座ったまま何やらうめき声のような声をあげた。

「どうしたのよ、ユイ。具合でも悪い?」

 席の近い神原千秋が、それに気付き、寄ってくる。
心配そうにというよりか、何やらけげんそうに覗きこんだ。

「違う、違うの」

 ユイが顔を上げる。その手には、プリントが握られていた。
いくつかの赤いバツ印が見える。

「それ、さっきの」

「わあああ、見ちゃだめっ」

あわてて机に隠したけど、ときすでに遅し。
千秋にばっちり内容を見られてしまった。

それは、ついさきほど数学の授業で返された
               小テストの答案用紙だ。

先週、抜き打ちでおこなわれ、
 みんなからはブーイングの嵐が巻き起こったのだった。

「見ちゃいけないなら、先に収めときなよー」

 千秋が笑う。ユイは、しゅんとしている。

「中学の頃は、けっこう数学好きだったんだけどな…。
        高校に入ってから難しくなっちゃった」

「まあね。小学校の算数だったころが懐かしいね。
 ユイは文系か理系か、どっちに進むとかもう決まってんの?」

 千秋は腕を組んで机にもたれかかる。
          ユイは首を横にふった。

「ううん。決まってないから、
      どっちでも大丈夫なようにしときたいんだけど。            
    わからないままだと、後から大変そうだし」

「うん。ユイの場合、ギリギリになってあたふたしてそうだね。
                        目に浮かぶ」
「もう、千秋ちゃん! そこまで言ってないよお」

「あはは、ごめんごめん。とか言いながら、
私もあんま点数良くなかったし。…ユイよりかは良かったけどさ」

「そうだね。5点差だけど」

 うしろから、天野茜がやってきた。
    少し悪戯な笑みを浮かべて手を差し出す。
     その手には、千秋の名前が書かれたプリントがあった。

「なっ。なんで茜がそれ持ってんのよ!」

「拾ったんだよー、そこで。机から落ちてたみたい」

 あわてて茜の手から奪い取る。

「千秋ちゃんも同じくらいだったんだね」
            ユイが安堵の笑みを浮かべた。

「ちょっとユイ。そこは安心していい所じゃないんじゃない?」

「私はたまたまだよ。ほら、今回のテストは
    全体的に良くなかったって先生も言ってたし…」

 千秋が、しどろもどろに言葉を紡ぐ。
 いつもはっきりとしたもの言いで言い放つ千秋にしては珍しい。

「うー。じゃあ茜ちゃん教えて」

「いいけど、人に教えるのヘタだよ…そういうのは先輩に
   聞いたらいいんじゃない? ほら、年上だし、塾行ってる人とか居るし」

「塾か…もし私が入ったら、今より自信持てるかな」

 ユイがひとりごとみたいに呟く。

「なんなら千秋も行ったら?」

 ちらっと、千秋の手元を見やる。
        今日の茜はちょっぴり小悪魔だ。

「私は、もうちょっと後でいい。今は何も考えずに、
              高校生活を堪能したいわー」
          千秋は顔をそらして、ため息をついた。

「先輩…か」

 いつもならにこにこしながら二人の
 やり取りを見ているであろうユイは、どこかぼーっとしている。

「そうそう、たとえば海野先輩とか、勉強してそうじゃない?」

「あ、でも全然テスト興味なさそうな人も居るじゃん。
                  たとえばさー…」

 千秋と茜は軽音学部の先輩の話を始めた。
ユイは、二人のやりとりを聞きつつ、たまに相槌を打つ。
でも、なぜか耳に入ってこなかった。

 その日、家に帰ってからメールを打った。

『ねえねえ、隼人くんは塾とか行ってる? 
       野球部で忙しいから行ってないかな……』

 メールの送信先は鷹西隼人だった。
先輩、と言われて思い浮かんだ隼人に、相談をしてみる。

 しかし、隼人は塾には行っていない。
野球部の練習は忙しいが集中力と手際の良さがあり、
勉強の効率が良いのだ。いつも復習していて、
授業についていっている。まさに文武両道というやつである。

『行ってないよ。勉強のことで悩みでもあるのか? 
     また、前みたいに一緒に勉強したいけど、
こんど練習試合もあるし、なかなか近いうちは
               都合あわないかもなあ』

 中学の頃は、たまに勉強会と称して隼人がユイに勉強を
         教えることもあった。
 高校に入ってからは、一度もやっていない。

『ありがとう。練習試合がんばってねp(^▽^)q
 塾に行ってみようかなーと思ってるよ。
    どこかは決めてないけど。1年生のうちは早いかな?』

『そんなことないんじゃないか? 俺も受験用には、
     不安な教科だけ行こうかと思ってる。
   従兄弟が前に通ってたって言ってたとこがあってさ。
                      たしか名前は…』

そこには、いわゆる塾とは印象の違う
       個別指導という文字が、書かれていた。

なんとなくユイは、
    その言葉と自分のイメージとの違いに興味を持った。

                
ユイはJR山陽本線の五日市駅で電車をおりた。
                 北口の改札を出ると、

 手にした案内書の地図と駅前の道路を見くらべている。

広い通りにはコンビニや飲食店がならび、
 学校帰りや会社帰りの人たちで賑わっていた。

「えーっと、ここからまっすぐ歩いて…」

つめたい風に首をすくめながら、ななめ前方のデパートにむけて足をふみだす。

「あった!」

デパートのすぐ近くに目的の建物を見つけたユイは、
                案内書をカバンにおさめた。
『個別指導・Axis』

と、白い建物に青い看板が掲げてあった。

ユイはちょっと緊張ぎみに、その建物に踏みこんだ。

「こんにちは。体験授業をお願いしていた山岸ユイです」

 と声をかけ、ぺこりと頭をさげる。 

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

セミロングにスーツ姿の女性が笑顔をかえし、
                 ユイに椅子をすすめた。

「わたしは山岸さんの担当をさせていただく、
            仲本由香里です。よろしくね」

「山岸ユイです。よろしくお願いします」

広びろとしたフロアには自由にくつろげる机や椅子が
                  いくつも置いてある。
フロアの一方が、ボードで区切られた授業ブースになっていた。
そしてフロアのつきあたり、
ガラス窓のむこうには自習室があった。

「思ってた雰囲気と、ちがいました?」

目をおよがせているユイに、由香里が問いかける。

「あ、はい。いくつか教室があって、
       そこで授業を受けるのかなって思ってました」

ユイが言い返す。さらに、こう付け足した。

「なんだか、とても開放的な感じですね」

「授業が無い日でも立ち寄って、
     自習室で宿題なんかしてる生徒たちもいるんですよ」

由香里がいうとおり、いくにんかの生徒が
        窓ガラスの奥の机について自習をしていた。

「さっそくですが、授業を体験してみましょうか」

「はい、」

由香里にうながされ、ユイは授業ブースの席にすわった。
そのとなりに由香里がすわる。

一つの机に三つの椅子が用意してあり、
    「学生2人に指導員1人が基本なんだけど、
                    きょうは特別ね」
由香里は言った。

「きょうは、山岸さんの苦手なところを一緒にやりましょう」

「はいっ」

ユイはノートをひろげ、シャーペンをにぎりしめた。

************************************************

「で、その個別指導の教室に通うことにしたんだ?」

コーヒー牛乳を手に、千秋が問いかける。

「そう。お父さんもお母さんも、いいよって言ってくれたし」

机の上に弁当をひろげ、ユイが答える。

「でも、部活は出るよね?」

「もちろんよ。だから週に一日だけ通うんだ。
         苦手な教科だけ見てもらおうと思って」

「そっか。次のテストは私も負けてらんないな!」

「ふふっ。私もがんばるからね」

 握りこぶしを作り、にっと笑いかけた。

「そういえば、ユイ。こないだ夏川くんと、
         森田の妹を助けてあげたんだって?」

「うん、奈々ちゃんね。なんで知ってるの?」

 思わぬ話題を振られて、ユイは目を丸くした。
あの日、准汰を置いて先に帰った後ろめたさもあり、
だれにも話さず、心の中におさめていたからだ。

「森田と電話してるときに聞いた」 

「千秋ちゃん、森田くんと電話で話したりするの?」

といいつつ、ユイは頬が赤くなった。

「するよ。べ、べつに深い意味はないけど。普通の会話だよ」

 まっすぐ問いかけてくるユイに、千秋は照れくさそうに答えた。

「そうなんだ」

准汰といっしょに奈々を連れて、
     洋介を探しまわった先日のことを思い出し、

(夏川くん…)

ユイは、心の声でよびかけた。

「さみい…」

准汰は大きなスポーツバッグを肩から下げて、
足早に家路をいそぐ。肩をすぼめてポケットに手をいれ、
マフラーに口も鼻もうずめて歩いている。

「あれ」

その教室からもれる明かりのほうへ、
    なにげなく顔をむけた准汰は、歩道に立ち止まった。

「山岸?」

まぶしい光の中には、まちがいなくユイの姿がある。

ふりあおぐと『個別指導・Axis』と大きく書かれてある。
ユイがここに通っているとは知らなかった。

「部活も勉強も両立してんだな。…よし、俺もやるぞ」

准汰はがんばっているユイを応援したくなり、
ガラス窓にマスコットキーホルダーに
         似せたキャラクターを描いた。

いつかユイにあげたキーホルダーだ。そして、
        かたわらにはサッカーボールも描いた。
となりに一言、メッセージをそえる。

〈がんばれ!〉

さかさまの鏡文字だし、指はかじかんでいるし、
メッセージは歪んでしまった。

准汰は自分も元気をもらったような気分になった。
すぼめていた肩をそらし、足どりもかるくその場を立ち去った。

「きょうも、よろしくお願いします」

ユイは席にすわり、問題集をひろげた。仲本由香里をはさんだ
向こうには、もうひとり生徒がすわっている。

「きょうは、先週解けなかった問題の復習からいきましょう」

「はい。
あと、家でやってみてわからないところがあったので、
そこもお願いします」

ユイはAxisに通うようになってから、
家でも予習をするようになっていた。自分は何が得意で
何が苦手かわかってきてから、
勉強をする効率がよくなっていった。

「じゃあ、次はこの問題にいきましょう」

由香里の指導で問題集にとりくむ。
まわりにほかの生徒がいることも忘れて、ユイは集中して
問題を解くことができた。

「できました」

「そう。ちょっと見せて」

由香里が答えを確認する。そのとき、
なにげなく窓のほうに顔をふりむけたユイは、

「…あ、れ?」

 ちいさならくがきに目をとめて、たちまち
顔いっぱいに笑みをひろげた。

〈サッカーボールと 「がんばれ」の文字〉

だれが描いたものか、すぐにわかった。

「ユイちゃん、ほとんどできてるわよ。それと、ここはね…」

「あ、はい」

ユイはノートに目をもどし、由香里の補足説明を聞きながら、
おちつきなく喜んでいる。

「ありがとうございました」

個別指導がおわって授業ブースを出たユイは、
休憩と自習ができる部屋へと移った。
たまにここで復習をして、それから家に帰っていくのだ。

「ユイちゃん、おつかれさま。きょうも復習して帰るの?」

由香里が笑いかける。

「はい。家だとついついテレビを見たり、
       マンガとかに気をとられて集中できないから」

とユイも笑いかえす。

「そういえばユイちゃん、なにか悩み事でもあるの?」

「えっ、わたし、授業中ぼーっとしてましたか?」

ユイは、まっすぐ由香里を見かえした。

「そうじゃないけど、休憩時間とか、
        ひとりで考え事してるように見えたから」

「すごーい。わかるんですね」

 ユイは、びくりと肩を揺らした。

「ふふっ」と

目をほそめた由香里は大学生だけど、
       たまに今みたいな大人っぽい表情になる。

 机をはさんでユイとむきあった由香里に、

「じつはわたし…」と、

先日の准汰とのいきさつを話しはじめる。
学校の友だちでもなく、准汰の知り合いでもない
由香里だからこそ、ユイは気軽に相談できる気がした。

「…そう。ユイちゃんは、その子が好きなのね」

「その、好きというか、気になるっているというか…」

いきなりそう聞かれて、ユイはかえす言葉につまった。
耳まで赤くして顔をふせている。

「気になってる段階で、もう好きなのよ」

由香里が断言する。

(仲本さんって、大人だな…)

ユイはそう思った。

「でも、今までどおり楽しいだけじゃ、だめなのかな?」

自分に言ってるのか由香里に言ってるのか
           わからないみたいに、ユイがつぶやく。

「みんなで楽しく遊ぶときはなんでもないけど、二人だと、
               ぎこちなくなってしまうの?」

「そんなわけでもないけど…」

げんに宮島で、二人っきりで遊んだことがある。
でもあれは突発的だったし、ユイは心の準備をしていたわけじゃない。
今回は、それとは違う。面とむかって誘われると、
やっぱり意識してしまう。

「自分の気持ちが変わることを、怖がっちゃだめよ」

「変わる…」

 准汰への気持ちが、どう変わるのだろうか。

「二人きりで遊んでも、楽しいことがいっぱいあるはずよ。
     准汰くんって子も、きっと連絡を待ってると思うよ」

由香里は言って、あらためてユイに問いかけた。

「ユイちゃんは、どうしたいの?」

「わたしは… 会いたい」

「そう。じゃあその会いたいって気持ちに、
             素直になればいいのよ」

宮島で准汰とすごしたときは緊張したけど、別れぎわには、
なんだか名残惜しく思った。つぎはいつ遊べるかなと、
  心のどこかで楽しみにしていた。やっぱり准汰に会いたい。

「あ、そろそろ失礼するね」

        時計を見て、由香里は席を立った。

「話を聞いてもらって、ありがとうございました」

「いいえ。勉強も恋もがんばってね!」

由香里はみじかく笑って、つぎの学生との授業に向かった。

「よーし、やるぞ」

ユイはすっかり気分が晴れて、
        ひろげた問題集にとりくみはじめた。

自習をすませて外に出ると、ユイはガラス窓に
       ちいさなキャラクターをひとつ増やした。
そして、
   〈がんばれ!〉
        と書かれた言葉のとなりに、

               〈うん、〉と書き加えた。

********************************************

「お姉ちゃん遅いなぁ~」

 ユイは唇をとがらせながら、携帯の画面を見た。

『もう少しで着くからね! ごめん(><)』

  というメールがきてから20分。
待ち合わせ場所の基町クレドに、姉はまだ現れない。

楽しげに行きかう人たちに目をおよがせ、
ユイはため息をついている。

「こんどの土曜日、ひま?」

 一昨日の夜、勉強の息抜きにユイがギターを弾いていると、
姉が部屋にやってきた。

「ひまだよ。どうしたの?」

「お母さんの誕生日プレゼント、買いにいこうよ」

「そっか。お母さんの誕生日、もうすぐだったね。
でもお姉ちゃん、土曜日はサークルでしょ」

ユイの姉の香織は、大学で吹奏楽部に所属している。
土曜日は毎週、その練習に行くはずだった。

「だから、1時にはサークルが終わるから、
ユイはそのころ街に出てきてよ」

「わかった。じゃあ1時半にクレドで待ってるから」

「うん」

 そういう手筈だったのに、もうすぐ2時になろうとしている。

退屈しているユイの気分そのままに、空は曇りはじめていた。
雨になりそうな天気だ。

今にも降ってきそうな空を見上げながら、
ユイはマフラーを口元まで引き上げた。

(本屋さんにでも行ってようかなぁ)

新しい楽譜も見たいし、と歩きだしたそのとき、
肩にポンと手がかけられる。

顔をふりむけると、幼なじみの鷹西隼人だった。

「隼人くん!」

目を丸くするユイに、隼人が笑いかける。

「何してるんだ、こんなところで」

「お姉ちゃんと待ち合わせしてるの。
でもなかなか来ないから、本屋さんで待ってようかなって。
隼人くんこそ、どうしたの?」

「俺は友だちと映画に行ってきたんだけど、
さっきそこで別れたんだ。そしたらユイを見つけて。
香織姉ちゃんなら、遠慮しなくていいよな?」

隼人の言葉を疑問に思いつつも、ユイは笑顔でうなずいた。
 
ユイと隼人が書店で本を選んでいると、携帯に着信が入った。

〈お姉ちゃん〉とディスプレイに表示されている。
           柱のかげで通話ボタンを押す。

「もしもし」

『もしもしユイ。ごめんねっ』 

 ユイは抗議したいところだけど、あせった口ぶりの姉に、
         「大丈夫よ」おだやかに返す。

「隼人くんと出会ったから、一緒に本屋にいるの。
               お姉ちゃん、いまどこ?」

『それがね、こんどのコンクールのことで
   急にミーティングすることになっちゃって、
     大学に引き返してるところなの。隼人が一緒なら、
  隼人とふたりでプレゼント探してきてよ。
              値段も品物も任せるから』

「えーっ!」

『ごめんね。隼人によろしく! じゃっ』

 そう言うなり、姉は電話を切ってしまった。

あっけにとられているユイを、隼人がけげんそうに見ている。

「お姉ちゃん、来られないって。
 隼人くんと一緒にプレゼント探してきてって言われちゃった。
    どうしよう?」

「俺はかまわないよ。プレゼントは何にするか決めてるんか?」

「まだよ。いろいろ見てから決めようって話してたの」

「そっか。じゃぁ、見にいこうか」

「うん」

 書店を出た二人は、にぎやかな商店街に踏み出した。
 人ごみの中を歩いていると、見慣れた背中がふたつ並んで
                    いるのをみつけた。

「あ、加奈ちゃんと赤沢くんだ~」

「あぁ、あの、前にいる二人?」

「そう」

ふっくらと丸くて背の低い牧原加奈子と、
細身で背の高い赤沢徹。アンバランスな感じだけど、
二人は仲よく手を繋いで歩いている。

「あの二人、付き合ってるのか」

その様子をみて、隼人がいう。

「うん。すっごくラブラブなんだよ」

「へー。ユイは? ユイは好きな人、いるのか?」

「へっ!」

自分に話を振られるとは思っていなかったので、
すっとんきょうな声が飛び出した。

ユイは恥ずかしそうに口元を手でふさいでいる。

「びっくりしすぎだって。で、どうなんだ。
              好きな人、いるのか?」

隼人が楽しそうに問いかける。

「え……」

口ごもりつつ、ユイの脳裏には准汰の顔が浮かんでいた。

でも、はっきり好きだと宣言できるほど、
自分の気持ちに自信がなかった。

「ん?」

言いよどむユイの顔を、隼人が覗き込む。

目と目が合うと頭の中を見透かされているような気がして、
ユイは思わず顔をそむけた。

 隼人は笑いをおさえて、ユイの頭をクシャクシャと撫でた。

「なによ~」

みだれた髪をなおしつつ抗議するユイに

「なんでもない」

といいながら、隼人は笑っている。

「そういう隼人くんは? 詩織先輩とは、うまくいってるの?」

ユイは話を逸らそうと、おなじサークルの先輩で、
おなじバンドの仲間でもある海野詩織のことを持ちだした。

隼人は、

「まあね」

はにかみながら言ってる。

その表情がすごく柔らかくて、
ユイは胸が温かくなるのを感じた。

「加奈ちゃんと赤沢だっけ? 
あの二人みたいに学校で会うのはむりだけど、
遠距離なわけでもないし、それなりにうまくやってるよ」

「そっかぁ~」

「うん。会いたいと思ったら、いつでも会える距離だしな」

(会いたいと思ったら、いつでも会える距離かぁ……)

隼人の言葉が、やけに耳に残った。
それはいつか由香里に言われた言葉とつながって、

「会いたいって気持ちに、素直になればいい……かぁ」

無意識のうちに、ユイは声に出していた。

「ん? なにか言ったか?」

歩幅が大きいぶんだけ先を歩いていた隼人が、
ユイの独り言に振り返る。

ユイはあわてて、なんでもないと顔の前で手をふっている。

「あっ、このお店、見たい!」

ショーウィンドウの前で足をとめる。
ガラスのむこうには、春らしく色鮮やかな装いをしたマネキンが
並んでいる。

「もう春かぁ」

ワンピースのマネキンを見て、隼人が言う。

「春だねぇ。いいな~ぁ、このワンピース」

マネキンに目をうばわれているユイに、
隼人がニヤリと口元を引き上げる。

「じゃあ、初めてのデートは、この服に決まりだな」

「えっ!」

ユイがウィンドウから顔をふりむけると、
隼人はいたずらっぽく笑っていた。

ユイをからかうのが、すこぶる楽しそうだ。

「隼人くんっ」

ユイは、バシッと隼人の腕をひっぱたいた。

勘のいい隼人のことだ。
ユイの頭の中のモヤモヤなんて、お見通しなのかもしれない。

もしかして、何もかもわかっていて、面白がっているのだろうか。

「いじわるぅ」

「ごめん、ごめん」

 口をとがらせるユイのほっぺたを、隼人が笑いながらつつく。

「あれ、山岸じゃないか?」

徹に肩をたたかれて、
加奈子は陳列棚の陰から向かいの店を伺った。

たしかにユイだ。

「となりにいるのは、鷹西先輩だよな? 
二人で何してるんだろ?」

徹が声をひそめながら、加奈子の視線に合わせて腰をかがめる。

べつに隠れることもないけど、なんだか見つかっては、
あの二人にいけないような気がしたのだ。

「まさか、デート?」

 徹の言葉に、加奈子は冷静な口ぶりで言い返す。 

「はぁ? そんなわけないじゃん。
ユイが好きなのは夏川くんだもん」

「だよなぁ。でも、ここに准汰がいなくて良かったな。
                 アレ見たら、絶対へこむ」

「だよねぇ」

二人は顔を見合わせて、ふたたびユイたちの方へ視線をのばした。

ときおり、じゃれるようなしぐさで笑い合ってる様子は、
すごく親しげで楽しそうだ。

こんな二人を見たら、ヘタレの准汰じゃなくても落ちこむ
に決まっている。

「一応、何してるのか聞いてみようか」

そう言うなり、加奈子が携帯を取り出してメールを打った。

「どっちにメールしてるんだ?」

「ばか。ユイに決まってんじゃん」

〈何してるの〉

とタイトルに入れられたメールを見て、ユイが辺りを見回す。
そしたら、向かいの店の棚の奥から顔をのぞかせ、
加奈子が手を振っていた。

「加奈ちゃん!」

ユイは持っていた商品を棚に戻し、店から飛び出した。
そのあとを、隼人が悠然と歩いていく。

加奈子と徹も店から出て、
4人は連れ立って近くの喫茶店に入った。

「で、お母さんのプレゼントは決まったの?」

オレンジジュースを飲みながら加奈子がたずねる。
ユイは首を横に振ってる。

「何にしようか迷っちゃって~」

「なかなか決まらないんだよな。ユイは優柔不断だから」

茶化すみたいに隼人がいう。

「だって~。加奈ちゃんは、
お母さんの誕生日にどんなものをあげた?」
ユイに訊かれて、

「うーん」

加奈子は天井をふりあおいだ。

「いちばん多いのは、ハンカチかなぁ。
可愛いのがいっぱいあるし、実用的だし」

「ハンカチかぁ。もうすぐ春だし、
色とりどりのがいっぱい出てそうだね。
 どこのお店がいいかなぁ?」

「だったらいいお店、おしえてあげるよ。
どれもぜんぶ可愛いんだよ」
「え~。どこどこ?」

 ユイは加奈子に案内された店でハンカチを買った。

街には雨が降りだし、加奈子と徹は
相合い傘で人ごみに消えていった。

「やるね~、赤沢」

にんまり笑う隼人の視線の先で、背の高い徹が、
加奈子を濡らさないように傘を寄せていた。
「漫画みたいだね」

ユイがつぶやく。ちょっぴり加奈子がうらやましかった。

「お前もね」

「え、なに?」

 隼人が何を言おうとしたのか分からなくて、
ユイは首をかたむけた。

「なんでもない。傘、買いに行こう」

その夜。
ユイはベッドの上で枕を膝にかかえて、唸っていた。

〈会いたいって気持ちに、素直になればいい〉
由香里の言葉が、頭の中でぐるぐると回っていた。
准汰に誘われたとき、とっさにどうしていいのかわからなくて、逃げてしまった。

でも、やっぱり准汰に会いたい。

(どんなふうにメールすればいいのかなぁ)

かかえた枕に口元を埋めて、
ユイは携帯のディスプレイを見つめた。

そして、ユイの頭の中に、あるシーンが蘇ってきた。

それは一年まえの夏、鯉宮館高校のグラウンドで
                行われた練習試合だった。
鯉宮館高校は県下有数の進学校でありながら、
    甲子園の常連校だ。その野球部で一年生から早くも
レギュラーポジションを獲得したのが、ユイの幼なじみの
                    鷹西隼人である。

ユイはこの高校を志望校の一つにしていたから、
  志望校見学のオープンスクールで校内の施設を
見てまわったり、説明会にも参加した。

だけど、もともと安芸藩の藩校で男子校だったせいか、
  なんとなく雰囲気が堅苦しそうで、

   「どうも自分の通う学校じゃないかなーぁ」

           と、ユイの気持ちは揺らいでいた。
そんなとき、

      「あした鯉宮館に来るんなら、舟入商業と
             練習試合してるから、観戦しろよ」

とユイは鷹西隼人から声をかけられたのだ。

そんなわけで、その日ユイは、
   (ちょっとグラウンド、のぞいてみよ……)
校舎と体育館のあいだを抜けて、グラウンドへと足をむけた。

 八月だというのにその日はなんだか肌寒くて、
 空は青いつやをうしない、
           朝から雨が降ったり止んだりしていた。

「わぁ、ひろーい」

ユイは目をまん丸にして見わたしている。

鯉宮館のグラウンドは、野球場とサッカー場が
2面ずつ取れそうなほどの広さだった。

その北側で、鯉宮館と舟入商業の練習試合は行われていた。

「一回でも、隼人さんの打席を見なきゃ」

       ユイは一塁がわのベンチのほうへ急いだ。

この日、なぜかコンタクトレンズが目に
    しっくり馴染まなくて、ユイはメガネをかけて
 オープンスクールに参加していた。

隼人に見られたら、あとでメガネの
            顔を茶化されそうなので、
メガネは校舎を出たときに外していた。

だから一塁側で見物しているユイは、右目0.1、左目0.2の
             視力で隼人を探そうとしていた。

試合はすでに9回裏、3対3の同点で、ツーアウトランナー
2塁だ。一打サヨナラのチャンスだ。

そしてまさにこのとき、鷹西隼人が
          左バッターボックスに立つところだった。

バッターの輪郭はぼやけている。
        バットをかまえた体ぜんたいが、
     かげろうみたいに揺らいでいる。 
                 
でもユイは確信していた。

隼人を見つめるユイは、見えているというより、
 幼稚園のときから一緒に遊んできた隼人の、
     オーラのようなものを心の目で感じているのだった。

(やっぱり、ここだけはしっかり見なきゃ)

ユイは思った。真剣勝負にのぞむ隼人の打撃フォームなのだ。
  しっかり目に焼きつけておかなきゃ。

 そこでユイはバッグの中からメガネを取り出そうとして、
              一瞬グラウンドから視線を外した。
まさにそのときだった。

          「カキューン!」

隼人の金属バットがボールをとらえた。
  高校野球のボールはプロと同じ硬球だ。

 かるいキャッチボールでさえ、取りそこねて口に当たれば、
    歯が折れてしまうほどだ。

まして鷹西隼人が真芯で捉えた弾丸ライナーだ。

音に気づいて視線をむけたユイの顔面に、
   もはや避けようもない、火を噴くような打球が……。

その瞬間、ユイの目の前に白い影がよぎった。

  「ズドッ! バタッ!」

       にぶい音とともにユイも地べたに倒れた。

どれほどか過ぎて……。

「だいじょうぶ?」

やさしく呼びかける声で、山岸ユイは目を覚ました。
   白衣の女の人が、笑顔でユイをのぞきこんでいた。

どうやらここは保健室らしい。
   「ああ、よかった。気がついたのね」

どうして自分はいま、保健室のベッドに
              寝かされているんだろう。

「あなたには、ボールは当たってないのよ。
      きっと、飛んできたボールの怖さで気を失ったのね」

それを聞いて、とっさに全てがわかった。

「ほんとうなら、まともに打球が顔面を直撃してたそうよ」

「どうしてわたし、助かったんですか?」 

  と問いかけるユイに、白衣の先生は笑いのまじった声で、

「すごい子がいるもんね。
     あなたを直撃しそうになったファウルボールを、
   ヘディングしたサッカー少年がいたんだって。
           あなたと同じ中学3年生だそうよ」

(そうか。私を助けてくれた人がいたんだ)

ユイは、そのサッカー少年に感謝したい気持ちでいっぱいだった。

でも、あんな打球をヘディングして、無事でいるとはとても思えない。
(自分の代わりにケガを負ったとしたら、すぐにでもお見舞いに行かなきゃ)

「せんせい。私を助けてくれたその人、大丈夫だったんですか」
                          と聞いてみる。

「あなたとしては、その子がどうなったか知りたいよね」

白衣の先生が、親しみのこもった声でユイに言いかえす。
           笑いかけつつ、さらにこうつけくわえた。

「ぜんぜん心配ないわ。おでこにちょっとすり傷があったけど
                          ぴんぴんしてた」

ほっと安心したところで、

「すみません、申しおくれました。わたし、実が丘中学3年の山岸ユイです」

「うん、知ってるわよ。野球部の鷹西隼人くんの友だちだそうね」

先生はいって、じぶんは西若あんなだとユイに告げた。

 保健の教員かと思ったら、この高校の校医だという。

「うちの病院、スポーツ整形もやってるから、
            運動部の生徒のことはいろいろ知ってるよ」

         と、西若せんせいはすっかりうちとけた口調になって、

「きょうはオープンスクールだったから、中学生のために、
  一応ここでスタンバイしてたの。そしたらグラウンドで大さわぎになっててね」
               とユイにその時のようすを話してくれた。
そして、さらにこう言った。
「あなたを助けようとしてヘディングしたサッカー少年も、
                     実が丘中学だといってたよ」

「え、わたしと同じ中学?」

「そう。学年もあなたと同じ3年生。ええと、名前は何て言ってたっけ。
                        夏川くん……だったかな」

ユイにケガがなかったので、その少年は安心して、
       サッカーの練習があるからと西若せんせいに告げると、
                         中学校に帰ったという。
「夏川くん……」

サッカー部には違いないけど、どんな男の子だろう。
                 ユイには覚えがなかった。

そのころ夏川准汰は、
実が丘中学のグラウンドでフリーキックの練習にはげんでいた。

朝から鯉宮館高校でのトレセンに参加し、
そのあと野球部の練習試合を見て、実が丘中学に帰ってきたのだ。

このトレセンとよばれる合同練習会で実力を認められた選手たちは、

さらに県選抜、中国地方選抜、日本代表へと
                 ステップアップしていく。

 フリーキックが思うように決まらない准汰に、
  バスケット部の赤沢徹が声をかけてきた。

「よう准汰。洋介が言ってたけど、おまえトレセンで、
           すごいヘディング決めたらしいな」

 おでこの傷に手をのばした徹から顔をひきつつ、

「ああ、そうだよ。洋介のおしゃべりめ」

准汰は苦笑まじりで言ってる。

「女の子を助けるために弾丸ライナーにヘディングなんて、
漫画級のアンビリーバボーなプレーじゃないか」

「まともにヘッドなんて、しねぇよ。
  ちょっとかすらせて角度を変えるのが、テクニックなんだよ」

「うっそぉ! そんなテクニックあんの?」

徹が目をぱちくりさせて聞きかえした。

「プロなら常識さ。高校サッカーでも、よくやるぜ。
 世界クラスなら、かすらせてキーパー逆サイドのゴール隅に
  ピンポイントで狙うなんてこともあるんだから」

        と、准汰がついつい調子にのりだす。

足技にはまあ自信のある准汰だけど、
  ヘディングでそんな高度な技などできるわけがなかった。

ましてやサッカーボールよりもまるで小さい硬球の弾丸ライナー。

 「助けなきゃ」と思ったときには横っ飛びにジャンプしていた。

手ではなく頭が出てしまったのは
     サッカー選手の本能だったのだろうか?

浅い角度で当たったとはいえ、かすり傷ですんだのは、
首に巻いていたスポーツタオルがちょうど頭とボールの間に入り、
ショックを和らげたのだ。

本当に奇跡的と言える。
   かすらせたなんて、偶然もいいとこだ。

 准汰はそれほど痛くはなかったが、

     「いてぇ!」 
              と大声をあげたやつがいた。

角度が変わったボールはグランド脇のネットの支柱に跳ねかえり、
いっしょにトレセンに参加していた森田洋介の頭に当たってし
まったのだ。

偶然がふたつ重なるなんて……

そんなわけで、洋介のほうがタンコブを作ってしまった。

准汰と徹が話しているところへ洋介がやってきた。

「よう徹、おまえもお好み焼き食べにいくか。
           きょうは准汰がおごってくれるぞ」

 とつぜんのフリに、准汰の顔つきが変わった。

「なんでオレがおまえらに、
        お好み焼きをおごらなきゃいけないんだよ」

            いどむような声で言いかえしている。

洋介はあたりまえだと言わんばかりに、

「今回のさわぎで一番の被害者はオレでぇ。
 頭蓋骨カンボツの重傷を負ったのに、
 頭に冷却スプレーかけられただけでおしまい。
 鯉宮館の恐い選手に囲まれたら
          、大丈夫ですとしか言えないでしょ」

「カンボツなのに、なんで盛り上がってるんだ?」

   徹がおどけた表情で、洋介のタンコブにふれた。

「いたーい! さわるなっ」

その手を払いのけ、洋介がさらにいいたてる。

「それにくらべ、おまえはあの山岸ユイを
 助けた白馬の王子さまでしょ。おとなしくて派手さはないけど、可愛くて気が利いてて、
  人気ナンバーワンのユイちゃんは、まちがいなくおまえにホレるだろ!」

白馬の王子みたいな心境ではなかったが、
 准汰の心のかたすみに山岸ユイが居すわったのは確かだ。

「損な役まわりをひきうけてやったんだから、
  この哀れな道化におごれ。ついでに徹にも」

そんなわけでお腹はいっぱい、サイフは空っぽになって、
 准汰は家に帰ってきた。風呂から出てベッドに寝ころがると、
きょうのハプニングを思い返した。

(トレセンを終えて、甲子園常連校同士の試合を
              洋介たちと見ていたオレは……)

ライト側からこっちへ近づいてくる山岸ユイが目にとまった。
メガネをかけたユイを見たのは、はじめてだった。

一打サヨナラのチャンスだから、准汰はすぐに視線を戻した。
ピッチャーが投球動作に入った瞬間、バッターの打球が、
(……こっちに来るんじゃないかな)

そんな気がした。
(絶対、こっちに来る!)
その勘が確信に変わった。
これはもう、野生の勘としかいいようがない。
そのあとは考えた行動ではなかった。
         気づいたときには全てが終わっていた。

山岸ユイ。

ルックスの可愛さは、たしかに2年の頃から
気にはなっていた。いっしょのクラスになったことはないけど、
廊下で目にしたときなど、
いつも表情のどこかに笑みがかくれているような女の子だ。

男子のあいだでは、ひかえめで人の悪口は言わず、
あたりまえのように困った人に手をさしのべる、
そんなやさしい子だと評判だった。

准汰自身も見たことがある。
廊下に落ちていたゴミを迷いもなく拾いあげて、自然にゴミ箱にいれるところを。
ゴミがあっても、誰かが拾うだろうって、
ほったらかしの光景しか見て来なかった准汰には
その姿が、妙にまぶしかった。

それは彼女の内面からにじみでるまぶしさだけど、
准汰の年令では、そこまでは気づいてはいない。

(ユイを助けたい! と思った瞬間、
  心と体が同時に動いてたんだ……ユイを助けたい一心で……)

 でもオレ、いま思い返しながら、事実を色濃く作り変えてる?

母親に迎えにきてもらって家に帰ったユイも、
いまベッドの上であの瞬間のことを考えていた。

「夏川くんかぁ……」

あの球が当たっていたら頭が砕けて、わたしは死んでいたかも。
ユイの中では急速に思いがふくらんで、
顔も知らない夏川准汰はすでに命の恩人にまで昇格していた。

♪ピロリーン。ピロリーン♪

そのときユイの携帯が鳴った。
ディスプレイには[隼人くん]の文字が表示されている。

「もしもし、ユイです」

「あ、おれ隼人。元気かぁ?」

「うん元気だよ。心配させてごめんね」

「いや、オレのほうこそごめんな。気絶させて」

そのあと隼人は、洋介に謝ったり准汰に
         お礼を言っておいたことなど告げた。

ユイも校医の西若せんせいにお世話になったことや、
准汰のヘディングについて耳にしたことを話した。

「けっきょく逆転サヨナラのチャンスも凡退で、
           主役の座は夏川に奪われたよ」

ヒーローになりそびれたと言って、隼人は明るく笑った。
自分が打てなかったことなど問題じゃない。
      ユイにケガがなくて、ほんとうによかった。

その後、
いくにんかのクラスメイトからも電話があって、
                ユイを気づかってくれた。

とくに仲よしの牧原加奈子とは、いつもどおり会話がはずみだす。

「ケガしなくてよかったね。
   でも助けてくれたのが夏川くんだなんて、すごいよ」

「すごいって?」

夏川准汰のことを知らない、
          ユイは全然ピンと来ない感じだった。

「え! 夏川くんのこと知らないの?
     だって三年生の中でベスト5に入る男子だよ。」 

加奈子は、なおも熱っぽい口ぶりで、
 准汰の人気ぶりをまくし立てたが、ベスト5というのも
 加奈子の主観で、准汰が加奈子の好きなタイプの男子
               という感じは否めなかった。

そして最後に

「体を張って助けてくれたんだから、お礼を言わなきゃ。
でもユイは夏川くん、知らないんでしょ。
わたし、付き合ってあげる」と一方的に段取りをつけてしまった。

あくる日、登校してすぐに、ユイは加奈子と二人で
夏川准汰のクラスへと足をむけた。

そして、廊下で准汰が来るのを待った。
こんなふうに女子が二人で男子を待ちかまえていると、
周りの視線は、
   (いったい誰に告るんだろ)
           と興味津々で見てきたりする。

だからユイは、加奈子と立ち話をしているふうをよそおい、
准汰が現れたらお礼をいうつもりだ。

准汰の顔は、中学のクラブ活動紹介の写真で、
一応は確認しておいた。
 テンションのあがっている加奈子のほうは、
准汰が上がってくるはずの階段に
目をやり、ほかの男子がやってきても、

「あっ……ちがうか」とか、

あけすけな声を出したりして、
だれかを待ち受けているのがバレバレになりそうだ。

ユイは口もとに指をあて、
   「しーっ」と加奈子をたしなめている。

授業開始まで3分になったころ、
男子の一団が騒々しく階段を駆け上がってきた。

朝練を終えたサッカー部、バスケット部の男子たちだ。
こんな出会いかたを予期していなかったユイは、
        あわてかげんに目をうろつかせている。
 
いっぽう加奈子は、きゃーっと悲鳴じみた声をあげた。

軽い走りでこちらに向かってくる夏川准汰に目がとまった。

 准汰が自分に目をとめたとき、ユイは一歩ふみだし、

「きのうはありがとうございました」
                 といった。

 准汰は、
     「もう大丈夫?」

              と笑みをむけた。

ユイがハイと答えると、准汰はうなずきかえして
                    教室に消えた。

あわただしい一瞬だったけど、
 ユイは感謝の気持ちを
       しっかり受け止めてもらえたような気がしていた。

あの時から、ユイは准汰のことが気になっていた。
目で追うようになって、どんなに遠くても准汰の姿だけは
すぐにわかった。

ユイは目を閉じて准汰の顔を思い浮かべる。

ユイが准汰のことを考えるとき、その表情はいつも笑顔だ。
(会いたい。夏川君にもっともっと会って話したい。知りたい)

 ユイは目を開けるとすぐにメールをうった。

自分の素直な気持ちをそのまま文章にしたら恥ずかしいポエムが
できあがったので、すぐに消して書き直した。

『こんばんは。この前は誘ってくれたのにごめんね。
また改めてって話だったけど、今度の日曜とかどうかな?』

「うん。これでいいよね」

 出来あがったメールがおかしくないか
何度も読み返してから送信した。

そわそわしながら返信を待っていると、
トントンと誰かが部屋をノックした。

ユイはあわてて携帯を閉じて、
「はい!」と返事した。 ノックの相手は姉だった。

「ユイ、今日はほんとごめんね! これ、お詫びの品」
 そう言って姉の香織が差し出したのは、
有名な洋菓子店のショートケーキだった。

ずっと、中学時代の准汰との出会いのシーンを
考えていたユイだったので一瞬なんのことかわからなかったが、
その香織が、急にサークルの用事で大学に行って
しまい、隼人とプレゼント選びになってしまったのだ・・・。

「やった! 私ここのいちごのケーキ好き!」

 ユイはベッドから飛び起きると、ケーキの入った箱に
                      飛びついた。
「お姉ちゃん、ありがとう!」

「そうそう。隼人の分もあるから、渡してきてくれる?」

「えーっ、いまから?」

 さっそくケーキをとりだして、
    台所で食べようと思っていたユイは唇をとんがらせた。

「付き合わせちゃったんだから、当然でしょ。
    私は今からレポートまとめなきゃいけないの。
              ね、ケーキ二つ食べていいから」

 結局ケーキの誘惑に負けたユイは、隼人の家までケーキを
                届けに行くことにした。
 ユイと隼人の家は5分とかからないほどの距離だ。

隼人の家につくと、隼人の母親がユイを出迎えた。

「あらあら、ユイちゃん。
こんばんは。こんな時間にどうしたの?」

「夜遅くにごめんなさい。ちょっと隼人くんに用事があって」

「そうなの? わざわざごめんなさいね。ちょっと待っててね」

 二階へ隼人を呼びに行った母親が、すぐに一人で戻ってきた。

「いま手が離せないみたいなの。二階まで上がってちょうだい」
「あ、いえ、これを渡すだけだから」
「いいからいいから。ほら、ユイちゃん上がって。
あとで部屋にジュースでも持って行くわね」

 押しの強い隼人の母親に言われるがまま、
ユイは二階に上がった。隼人の部屋に入るのは久しぶりだ。

高校生になってからは、初めてかもしれない。
部屋をノックすると、

「どうぞ」と声が聞こえたので、ドアを開ける。

隼人は野球道具の手入れをしていたところで、
グローブを磨いていた。

「悪いな。上がってもらって。で、なに?」

「きょう付き合わせちゃったから、お礼のケーキ。
お姉ちゃんから」

 ユイは隼人にケーキの入った袋を渡した。

「おばちゃんたちの分もあるから、どうぞって」

「さすが香織姉ちゃん。気がきくよな。
また買い物があったら言って。すぐに飛んでく」

 隼人はさっそく箱を開けてケーキをひとつ取り出した。
フィルムを剥がしてそのまま手で食べる。

「もう、行儀が悪いんだから」

  ユイに注意され、隼人が苦笑する。

「これ美味いよ。ユイも食べるか?」

「ううん、私の分は家にあるから」

  ユイは部屋の中に入ると、ベッドに座った。

ふと、ベッドの脇にギターが置かれているのに気がついた。
ボディの部分に隼人が昔から好きなアーティストのステッカーが貼られている。
ユイはギターを手に取ると、
懐かしそうにそれをまじまじと見た。

ステッカーの色は薄れていたけど、弦は新しいものに張り替えてある。

「懐かしい! まだ弾いてるの?」

「ん、ああ。たまに気晴らしでね」

 なにを隠そう、ユイにギターを教えたのは隼人だ。
中学生のとき、音楽と野球に夢中だった隼人は野球部に専念する傍ら、
お小遣いを前借りしてギターを買った。

当時よく隼人の家に出入りしていたユイは、
隼人のへたくそなギターを聞かされていた。
そのうちユイ自身もギターに興味を持ち始め、隼人からギターを
教わるようになったのだ。

「俺はへたくそのままだけど、ユイはうまくなったよな」

「私だってまだまだだよ」

 隼人はケーキを食べ終わると椅子を逆に座りなおし、
背もたれに寄りかかった。

「そうだ。なんか歌ってよ! なんでもいいからさ」
隼人の提案にユイは首を左右に振った。

「無理! だって音痴だもん!」

「音痴じゃないって、俺は好きだよ」

「っ!」

 ユイは言葉に詰まった。隼人に正面から好き、
なんて言葉を言われたこともなければ、今は好きとか恋とかに敏感に
なっていたので恥ずかしくなり、顔が赤くなった。

「好きって?」

「ほら、昔はよく俺がギター弾いてる横で歌ってくれたじゃん。
ユイの歌声ってさ、聞いてて心地いいんだ。だから俺は好きだよ」

 そっちの意味かとほっとする反面、
別の意味を考えていた自分にさらに顔が赤くなる。

「だからお願い。久しぶりにユイの歌が聞きたくなった!」
 隼人が両手を合わせてお願いすると、ユイはしぶしぶギターをかまえた。

「ほんと音痴だから! 耳ふさいでて!」

「それじゃせっかくの演奏も聞けないじゃん」

 笑う隼人に、ユイは自分のミスを誤魔化すようにチューニングをはじめた。
その間、隼人は見守るような目でユイのことを見ていた。

 さあ、始めるぞっというところで、
ベッドに投げてあった隼人の携帯が鳴った。

隼人はすばやく携帯をとると、液晶に出た名前を見て携帯をぎゅっと握った。

「電話だ。ごめん、ちょっと待ってて」

 そう言って隼人は部屋を出た。

 すっかりやる気を削がれたユイは、
ギターを置いて足元にあった雑誌をぺらぺらとめくった。
野球雑誌だったので読むものもなく、すぐに閉じる。

 隼人の携帯の液晶画面に出ていた名前は、詩織だった。
彼女からの電話ならもっと喜んでもいいはずなのに、
隼人はあまり嬉しくないみたいだった。
(昼間はうまくいってるって言ってたけど、本当はどうなんだろう)

 どうしても気になったユイは好奇心に負け、
いけないと思いつつドアに耳を当て聞き耳を立てた。

聞こえてきたのは、隼人のぼんやりとしたあいづちばかりだった。

どんな会話をしているのかまではよくわからない。
けれど隼人の声のトーンから、
あまりいい話ではないという事はなんとなくわかった。

(なにがあったんだろ)

 ズルズルと床に座りこみ、詩織とのことを
話していた隼人の顔を思い出してみる。

昼間はあんなに幸せそうに笑っていたのに。

あの笑顔は嘘なんかじゃない。

ほんもののはずだ。それはユイにも充分伝わってきた。

 ならば、どうして? 考えても答えは出てこない。

ドアのむこうでは、まだ通話は続いている。

ユイが二人のことを考えこんでいると、

「なにしてるんだよ、ユイ」

「あ……」

通話を終えた隼人が不意にドアを開けた。

いぶかしげにユイを見おろしている。

「あ、あのね、なんだか隼人くんの様子がおかしかったから」

とあわてた顔をふりむけ、

「気になっちゃって、その……盗み聞きしてたの。ごめんなさいっ!」

隼人はちょっと眉を動かしたけど、すぐに笑いかけてくれた。

「ユイ正直すぎ。そんなふうに謝られたら怒れないって」

「怒ってくれていいよ。だって私、最低だもん」

もしも自分が同じことをされたら、どんなふうに思うだろう。
穏やかな気持ちではいられないはずだ。

ユイは罪悪感で、まともに隼人を見ることができなかった。

「じゃあさ、怒るかわりに俺の話、聞いてくれね?」

 と、隼人がユイの横に腰をおろした。

「うん、聞かせて」

  ユイがうなずく。

「ありがと。ちょっとまっててくれ、飲むもの持ってくるな」

隼人が階段をおりていくのを見送りながら、
ユイは小さく息をついた。

なんだか大変なことになってしまった。

しばらくして、隼人はお盆にお茶の入ったコップをのせて戻ってきた。

ユイは手渡されたコップをうけとり、
だまって隼人が口を開くのをまっていた。

「俺は、今のままでも十分だと思ってたんだ」

お茶が半分ほどになったころ、隼人はようやく口を開いた。

「でも詩織は違ったみたいだ。
今日おまえと別れたあとメールが来てさ、ちょっと距離を置きたいって。
あいつってさ、おっとりしてるけど言い出したら聞かないところあるんだぜ」

「そんな……」

「俺だって信じられないよ。
でもほんのちょっとしたすれ違いが重なった結果だって。
学校が違えばテスト期間や行事だってズレてくる。
そしたら本当に会いたいときだって会えないことが多くなる。
もちろん俺だって、できる限り詩織と会う時間を作ってきたつもりだったんだ」

けど、とつぶやいたまま、隼人は口をつぐんだ。

ユイも何も言えなかった。コップの中の氷がとけて、カランと音がした。

その日は夜も遅かったので語りつくすことも出来なくて、
ユイは家に帰った。
隼人が玄関まで送ってくれた。

「おやすみ隼人くん。送ってくれてありがとう」

「おやすみ。話、聞いてくれてありがとな」

たがいにすっきりしない気持ちを抱えたまま、二人は背を向けた。

ユイは家に入るとすぐさま部屋に駈けこみ、ベッドに寝ころがった。

「ケーキ食べないの?」

 香織が声をかけてきたけど、とても食べる気にはなれなかった。

あれだけ楽しみにしていたのに、
いまは冷蔵庫に入っているはずのケーキもまったく気にならない。

頭の中は隼人と詩織のことでいっぱいだった。

「彼女ができたんだ」
と隼人に教えてもらったとき、
ユイは自分のことのように嬉しかった。
幼なじみを取られてしまったような、そんなさみしさがなかったわけじゃないけど、
それを上回る嬉しさがあった。

隼人と詩織はすごく仲が良くて、すごく好きあっていて、
ユイはそんな二人に憧れを抱いていた。

そしていつか自分に恋人ができたら、あんな
ふうになりたいと、ずっと思っていた。 

「あ、メール」

ほったらかしだった携帯を開くと、いつのまにか新着メールが届いていた。

「夏川くんだ……」

いそいでボタンを押す。隼人の家に行く前に送ったメールの返事だった。
どきどきしながらメールを開く。

『返事が遅くなってごめん! 練習が長引いちゃって。
日曜なら大丈夫だよ』

ユイは何度も何度も、准汰からのメールを読み返した。
さっきまでの沈んだ気分が、すこしだけ明るい色に染まっていく。

『ほんと! 嬉しいな(*^v^*)でも
今日はもう遅いから明日またメールするね。おやすみなさい』

もう日付が変わりそうな時間なので、ユイは簡単な言葉を送った。

そしたら准汰から、たちまち返事がきた。

『わかった。おやすみ!』

ユイはしばらく、その短い文面を見つめていた。

日曜日の朝。ユイは身支度に手間取っていた。

「ど、どうしよう。やっぱり着ていく服くらい
昨日のうちに決めておくんだった」

 ハンガーにかけたままの3着を、鏡の前で自分にあてがって見くらべる。
(どういうの着ていけば、いいのかな)

「男はけっきょく、女の子の服装なんて見てないのよね」
  という千秋の言葉にも納得がいくし、
「でも今ごろは男の子もおしゃれだから、
女の子の格好だってちゃんと見てるよ」
  という茜の言葉もうなずける。

 鏡の前でにらめっこしている自分の顔を見て、
ユイは思わず笑ってしまう。

せっかく会えるというのに、なんてむつかしい顔をしているんだろう。
いつも通りの自分でいよう、と思いなおしたユイは、
最近いちばんお気に入りのピンクのワンピースを選んだ。

  家を出るときに姉とすれちがい、

「おっ、がんばって」 と言われた。

もしかして浮かれてる気持ちが顔に出てたかなと思うと、恥ずかしい。

 待ち合わせ場所のショッピングビル前に向かった。
自然と小走りになっているのは、はやる気持ちのせい? 

 待ち合わせ場所についたけれど、まだ准汰は来ていないようだ。
携帯電話を開く。時計を見ると5分前。

少し熱くて、ぱたぱたと手で顔をあおぎながら、
(夏川くん、はやくこないかな)
と思いつつ顔をあげたそのとき、前方からこちらへ向かってくる姿があった。
准汰だ。
 ユイはどきどきして、頬が熱くなるのを感じた。

「おまたせ! もしかしておれ遅刻?」
「まだ5分前。遅刻じゃないよ」
  と笑いあう。二人で歩き出し、
「今日は、何する?」
「何しよっか」

 そんな会話から始めてみたけど、あとの言葉が続かない。
口をつぐんだまま二十歩も歩いて、

「山岸は」
「夏川くんは」 何したい? と互いに問いかけた声が、かぶってしまった。
そこで二人とも笑ってしまった。

声を出して笑ったことで、緊張が小さなしみのように薄れていく。

(すべり出しは、ま、こんなもんか)

なんて思いつつ、准汰はユイに言った。

「今日は、お互いのやりたいことに付き合うことにしよう」
「そうだね。それがいいね」
「遠慮のしあいは、なしでな!」
「うん!」

 やっと会話が行き交いだし、二人は足どりもかるく本通りの方へ歩いて行く。

まずユイがファッションビルの前でたちどまり、

「私、服を見たいんだけど、いいかな」
「うん、いいよ」 
二人で店内にふみこむ。
 冷房がかかっていて、ほてった頬が冷やされて気持ちがいい。

「涼しいね」

ユイのほっぺたは朝から熱っぽかった。
気になる男子と二人っきりで出かけるなんて、
ドキドキしないわけがない。

ほっぺたの熱はそのせいだかどうだか知らないけど、
これ以上熱くなっても困るため、ユイは冷房に感謝した。

 エスカレーターでのぼっていると、各フロアごとに違う感じの
服が並んでいた。男物ばかりの階もあり、  

「夏川くんも見る?」
  ユイが聞いたら、

「いや、おれはいいよ」

と、あかるい表情のまま言い返された。

 准汰は、尽きないユイのファッショントークに押され気味だった。
でも、そんなユイのおしゃべりが耳に心地よい。

「チュニックもいいなって思うんだけど、どうしようかな」

(チュニックって何だろう。まーた、分からない言葉が飛び出したぞ)
  准汰が思っていると、
「ごめんね。私ばっかり話してた」
「いや、ちっともかまわないよ。むしろ」
「むしろ?」
「俺、ファッションには詳しくないから、すげー勉強になるよ」
「ほんとう?」
「うん。で、チュニックって何?」
「チュニックっていうのはね……あ、あれだよ」

カジュアルで明るい色の服が目につく階で、ユイがエスカレーターからおりる。
ユイの指さすほうにあるのは、オレンジ色が綺麗な短めの
ワンピースのようだった。
「これ、ワンピースとは違うの?」
  准汰は言ってる。

「ワンピースよりも短めなのかな」
「レギンスも分かんないんだよな。スパッツと何が違うんだろう」
「確かに、違いを説明しろって言われてもできないかも」

どうでもいいような話だけど、
なぜかすごく楽しくなってきて、二人で笑い合った。

ユイはチュニックのあった店にそのまま足をふみいれ、
服を見て歩いている。

そのあとを、ものめずらしそうな目つきの准汰がついていく。

もう夏物の服が出そろっていて、ピンクやオレンジのものが多かった。

「これもかわいいなぁ」

「山岸に似合いそうだよ」

「ほんと!」

ユイが手に取る服を見ていると、あきらかに女の子だなと
思わせる色合いのものばかりだ。

今日着ているのワンピースだって、ピンク色だし。

「山岸ってさ、ピンク好きなの?」
准汰が聞くと、

「似合わないのに、ついつい選んじゃうんだよね」
予期しなかった言葉が返ってきて、

「そんなことないって。似合ってるよ」

口調にいきおいをこめて、准汰は言い返している。

「本当に?」

「本当だって! 今日の服も似合ってるよ」

 たたみかけるようにほめた自分の言葉に、おもわず照れてしまった。
いっぽうユイも、悩んだすえに迷って着てきた服のことを
准汰からコメントしてもらえたので、

「ありがとう。嬉しいな……」

おちつきなくよろこんでいる。

 またいろんな服を見てまわりだしたユイを目尻でとらえ、
准汰はあることを思い出していた。

「可愛いって思ったら、『可愛いね』って素直に言えばいいんだよ」
  それは、徹の言葉だ。

顔が熱くなってきた。

ユイの背中に目をあてているだけで気分が高ぶるのをおぼえた。
(似合ってるだけじゃなくて、可愛いねとも言わなくちゃ) 

そう考えただけで鼓動が早くなってくる。

 一人どぎまぎしていた准汰は、

 「ねえねえ、夏川くん」
                いきなり話しかけられて、
 「わっ、うは!」

 あわてぎみに意味不明の声をたてている。

ユイは笑いながら、
         「これ、どうかな」
                    と手にした服を見せた。

 もちろんユイに似合うし可愛いに違いないと思った准汰だけど、
  それを口にするのはかなりむつかしい。
                徹が言うほど簡単じゃないって。

  「試着してみたら?」

ピンクのスカートを体にあてているユイに、
      准汰は、心とはうらはらに素っ気なく言い返している。

しばらくして、ユイが試着室のカーテンをあけた。

           「お、おぉ……」

准汰が、体のどこかにしびれが走ったみたいな声をもらした。

           「どうかなぁ、これ」

 ボリュームのあるピンク色のスカートだ。
            動くたびにふわふわとゆれる。

(だれが見ても可愛いって言うよ。
           なにより山岸に、すごく似合っているよ)

そうだ、そう言え。
    いま思った通りに。と心の声がけしかけた。

「可愛い」

「え?」

「可愛いよ!」

 たちまちユイが、顔いっぱいに笑みをひろげた。
もちろんユイは、そのスカートを買うことにした。

可愛いと口にした准汰の言葉が、
   ユイも准汰までも気持ちのどこかを落ちつかなくさせている。

このままでは続かないと思った准汰は、

     「どこかのカフェで、ひと休みしないか」
                      ともちかけた。

「うん、それがいいね」

ショッピングビルを出ていくらも歩かないうちに、
ユイが〈ドリームヒル〉と歩道の看板に書かれている
                   カフェで立ち止まり、

「あ、新商品が出てる! スパイスの効いたココアだって。
                     ねえ、ここにしよう」

ドリームヒルの奥のほう、二人がけの席におちつくと、
ユイはその新商品なるものを注文し、
      准汰はアイスコーヒーを注文した。

冷たい飲み物が、少し汗ばんだ体をクールダウンさせてくれた。

「どう?」

     准汰が新商品の味をたずねてきた。

「おいしいよ。ココアの甘さとスパイスの香りがベストマッチ!」

「ちょっと飲ませてもらっていい?」

「いいよ。どうぞ」

          と、ユイがココアを准汰の近くに置きなおす。

准汰が自分のストローでそれを飲んだ。

(これって、間接キスだよね?)

 とっさに気づいたユイが、まいったなあといった、
     はにかんだ表情になった。
でもそんな意識のかけらもない准汰は、

    「新しい味だな」 と笑っている。

古い味がどんなだか知らないくせに。
 そのあとは、朝のぎこちなさが嘘みたいに会話もはずんで、
楽しい時間を過ごすことができた。

「先輩だ後輩だと仲たがいしてたときもあったけど、
              いまは全員がうち解けてさ」

「よかったね。人間関係がうまくいかないと、
            試合にだって勝てないもんね
  ワールドカップの日本代表も最高のチームワークで
                世界を驚かせたもんね。」

と、ファッションの話にふたをして、サッカーの話になった。

きょうの准汰は、このあと本屋でサッカー雑誌を買うそうだ。

部活のあれこれを准汰から聞きながら、
ユイは頭のかたすみで隼人と詩織のことを思い出していた。
落ちこんだ隼人の顔が忘れられない。

でもユイが考えても、うまい解決方法は見つかりそうもない。
そもそも第三者が口を出すことじゃないのかも。

「山岸?」

「あ、ごめん」

    准汰の話を途中から聞いてなかった。

笑顔でとりつくろったけど、ようすが変だと気づいた准汰は、

「なんか悩みごとでもあるのか? 友だちのこと? 勉強のこと?」
ユイが五日市にある個別指導に通いはじめたことを知ってるから、

そうたずねたのだろう。
 だれかれなく話してはいけないような気がして、
               ユイは返事をためらっている。

(たとえ話としてなら、いいかな)

そう思ったら、自然に言葉が口からでた。
「勉強のことじゃないの。たとえば……」
「おう」
「たとえば夏川くんに恋人ができたとするじゃない?」
「お、おう」

恋人ということばに准汰はうろたえたが、かまわずユイが続ける。

「その彼と彼女は学校も違ってて、おたがいに予定が合わなくて、
なかなか会えないとして、
そんなとき彼女が距離を置きたいって言ってきたら、
夏川くんならどうする?」

  うんうんとうなずきながら聞いていた准汰が、
「それは辛いな」
  といって、こうつづけた。

「おれはショックを受けるよ。
自分の気持ちだけが先行してたのかなって思うだろうな」
といいつつ准汰は、
その彼と彼女を、
なんの妨げもなく自分と山岸ユイに置き換えて考えている。

(うん、たしかにショックだ)

と、あらためて思った。

そんな准汰の胸の内などわかるはずもなく、ユイは隼人
と詩織に思いをかたむけ、
「そうだよ……ショックよねぇ」
つぶやいている。

「その彼と彼女って、だれのことなんだ?」

「だれって、たとえばの話だって」

 口調にいきおいをこめて、ユイは言いかえしている。

「それって、山岸自身のことだったり?」

「え、ちがうよぉ!」

「本当に?」

        と念をおす准汰が意外で、

「どうして私のことだと思うの?」

けげんそうにユイが問いかえす。

「いや、山岸がそういうことで悩んでるのかと思ったけど、
                そうじゃないなら、いいんだ」
「私のことじゃないよ」

「たとえばの話だもんな」
         と准汰が含みのある笑いをうかべた。

「そう。たとえばの話」

准汰の口が、なにか言いたそうにしている。
   ユイが言葉をまっていると、
      「… その … 山岸に何かあったらさ」

「うん?」

「いつでもメールしてこいよ。
     そういう、恋愛のことでも相談にのるからさ」

これを聞いて、つい目の前の准汰が五歩もしりぞいたような気がした。
ユイはとっさに返すことばがなかった。

「やっぱり俺じゃ、だめかな」

「そんなことないよ!」

 ユイがあわてて否定し、それから小声で付け足す。

「うれしい。ありがとう……」
            (夏川くんに恋愛相談か)
できるわけがない。好きになりかけてる当人に恋愛相談なんて。

友情から恋に育つかもしれないと期待していたけど、

(夏川くんにとっての私って、やっぱりただの友だちなんだよね)

友だち、友だち、友だち……夏川くんの心のど真ん中に、
友だち以外の何者でもない私が、デーンと居座ってるんだ。

よし、友だちで居てやるっ。

「私も待ってるよ、相談!」

むりやり気分を切りかえ、ユイがあかるく応じる。

「勉強のことも恋愛のことも、なんでも相談し合おうね。
                 わたし、ちゃんと聞くから!」

「まぁ、相談しなきゃならない悩みがないことが一番だけどな」

「そうよね。あかるく前向きでいれば、悩みなんてなくなるかなあ」

なんて会話をはずませながら、
  ユイも准汰も思いは別々のところをさ迷っていた。

喫茶店を出てゲームセンターで遊んだあと、すこし歩くことにした。
街の中は人が多いので、平和公園のそばを流れる元安川のほとりを歩いた。

川にそって曲がると、原爆ドームが見えてきた。

准汰は、横目でちらりとユイを見た。
ユイは口もとに笑みをうかべ、水面の魚をのぞきこんでいる。
顔にかかる髪を耳にかけた。その細い指から目を離せない。
(あの手を、だれか握ったことはあるんだろうか。
あの髪や唇に、おれ以外の誰かが触れたことはあるんだろうか)

ユイが自分に話しかけているのに気づいて、
え? と聞きかえした。

「あの船に、乗ったことある?」

川をさかのぼる遊覧船を指さし、ユイが言う。

「いや、乗ったことないけど」

「乗ってみたいね。楽しそう」

とユイが笑いかける。

可愛くて、まともに見ることができない。
准汰はさりげなく視線をはずした。
その視線の先に花火大会のポスターが貼ってあり、

「ねぇ山岸、この花火大会に、一緒に行かない?」

「花火大会?」

ユイもポスターに目をとめた。
准汰たちの家のちかくでは、まいとし夏になると花火大会がある。
かなり知れわたっているので見物客も多い。

「もちろん俺でよければ、なんだけど」

「うん、いいよ。一緒に行こう」

ユイはこころよく了承してくれた。それからすこしおしゃべりをして、
准汰はユイを家まで送りとどけた。

帰り道、さっそくユイからメールが届いた。

『今日はとっても楽しかったです。ありがとう♪ 
花火大会、楽しみにしてるね』

准汰は喜びを抑えきれず、ひとりでにニヤついてしまう。
すれちがう人たちが、けげんそうに見ていた。

(山岸とは、こうして少しずつ距離をちぢめられたらいいんだ)

 なにを悠長なことを! と徹に怒られそうだけど、
これが自分では精一杯なのだと、准汰は開き直ることにした。

花火大会の当日、ユイは朝から大忙しだった。
去年の夏祭りに着た浴衣を探したのに、見つからないのだ。
洋服タンスの衣類を調べていると、

「ほんとにあんたって子は。どうして、もっと早くから言わないの」

洗濯物を取り込んだ母親が、苦笑まじりに叱っている。

「だってぇ、めったに着ることないし」

「どこにしまったのかしらねぇ」

せっぱ詰まっているユイをそっちのけに、
母はのんきな口ぶりで言って洗濯物をたたみ始めた。

「ここにもない。もーう、どこだろう」

こんなことなら昨日のうちに探しておけばよかったと、ユイは後悔した。
自分の部屋はもちろん、一階の押し入れも徹底的に探したけど、
それでも見つからない。
家じゅう引っかき回して、さすがにくたびれた。
(どうしても、あの浴衣を今日の花火大会に着て行きたいのに)

それは、薄いピンクの生地に赤い金魚がプリントしてある浴衣だ。
ちょっと幼い感じがするけど、ユイにぴったりだと、みんなほめてくれた。

「ん?」

洋服タンスの奥に箱があるのを見つけた。

いろんな服の陰になっていて、はじめに探したときは
見つけることが出来なかったのだ。

「おねがい。この箱の中に金魚ちゃんが、いますように」
祈るような気持ちで、ユイが箱を開ける。
「あった!」
やっと見つけた。取りだして広げてみる。

うーん、やっぱりこの浴衣でなきゃ。

准汰との約束の時間は17時なので、これで
花火大会に間に合うとユイが安堵していると、
携帯が鳴った。着信は准汰だ。

(花火大会まではまだ時間があるのに、どうしたんだろ)
と思いつつ電話を耳にあてる。
「もしもし」

『あ、俺だけど、今いい?』

「うん。どうしたの?」

准汰の声の調子が、ちょっと変だ。

『その……言いにくいんだけど、昨日から熱が出てさぁ、
花火大会に行けそうになくて』

「え……」

たちまち全身から力がぬけていくようで、
ユイは必死で探した浴衣に目を落とす。
「そうなんだ。大丈夫?」

ユイは浴衣に目を落とす。
「そうなんだ。大丈夫?」

『たぶん風邪だと思うんだけどね。それよりほんとごめん! 
俺から誘っといて』
准汰が、なんべんも謝っている。

「ううん、気にしないで。仕方ないもん」

『もしあれだったら、俺のことはいいから。
ほかの誰かと花火大会に行っても、全然いいから』

「うん」

お互いの声が小さくなっていく。

行けなくて残念なのは、二人とも同じだ。
電話の近くで准汰を呼ぶ声がした。
たぶん准汰のお母さんだろう。准汰がその声に返事をして、

『じゃあ、今から病院に行ってくるから。また』

「うん。またね」

電話を切って、ユイはため息をついた。

せっかく見つけた浴衣を箱におさめた。
(また来年まで、バイバイ)

洋服タンスに戻していると、洗濯物をたたみおえた母が、

「それでしょ浴衣。着ないの?」

「うん。一緒に行く人が、行けなくなったから」

「そう、残念ね。お母さんと行く?」

「いい。行きたくない」

「せっかく浴衣を見つけたんだから、行ったほうが楽しいでしょ」

「だから、今日はもう、どこにも行きたくないの!」

ユイは口調に不満をのぞかせ、二階の自分の部屋へあがった。
母親は散らかった衣類を見ながら、

「もう、誰があと片づけするのよ」

わかりきった問いを口にしている。

ユイは自室のドアを閉めると、ベッドに倒れこんだ。
金魚の浴衣を、夏川くんに見てほしかった。

可愛いって、言ってほしかった。いっしょに花火を見たかった。

ぜんぶ自分のわがままだけど、わかっているけど、
一つも実現しなかったことが悔しくて、もどかしくて、
じわりと目に涙がたまってきた。

(子供みたい。ほんとヤダ)

泣くのは嫌だ。ユイは枕を顔に押しつけたまま、
             しばらくじっとしていた。

そのうち眠ってしまったらしく、
ベッドから上体を起こしたときには、辺りは暗くなっていた。

時計を見ると、もうすぐ花火が始まる時刻だ。

(花火……見るだけ見ようかな)

ユイはベッドをおりて、電気を点けずベランダに出た。
ここからは花火がよく見える。

はじめの一発を待っていると、携帯が鳴った。

着信をみる。准汰だ。

あわてぎみに通話ボタンを押して耳にあてる。

「もしもし!」

 とユイが勢いよく応じたので、准汰はひるんでいる。

そのあとハハハッと笑って、

『今いいかな?』

「わたしはいいけど、夏川くんは大丈夫?」

『薬のんでぐっすり寝たら、だいぶ楽になった。
                今日はほんとにごめん』

「ううん。夏川くんが元気になって良かった」

准汰の声を聞いて、沈んでいた気持ちがたちまち薄れていく。

かわりに嬉しさが胸いっぱいに広がっていく。

『山岸、いまどこにいるの?』

「わたしも家だよ。自分の部屋のベランダ」

『なんだ、花火大会に行かなかったの?』

「うん。ベッドに寝ころんでたら寝ちゃってて」

まさか、すねてたらそのまま眠ってしまったとは言えない。

   その時、最初の一発が空に上がった。
ぱあっと開いた火の花が、ユイの目に映る。

わずかに遅れて、綿で包んだような音が届いた。
つづけざまに色とりどりの花火が、空を輝かしいものにしていく。

「花火、始まったね」

『山岸ん家からも、花火見えるんだ』

「うん」

『俺もいま、家の縁側から花火見てるんだ』

いよいよ夜空は光にみちあふれ、賑やかさを増していく。

「花火、一緒に見れたね」

『電話だけどね』

准汰が申し訳なさそうに言う。だけどユイはそれでも良かった。

どんなカタチであれ、一緒に花火を見ていることが大切なのだ。

「きれいだね」

『うん。あ、いまのすごかったな!』

まばたきするのも惜しいくらい、七色の花が咲きつづける。

ユイと准汰は花火が終わるまで、いまの花火が良かったとか、

夏の屋台では何が食べたいとか、
     とりとめのない話をケータイで交わし合った。

 生ぬるい風にのって火薬の匂いが運ばれてきた。

准汰の声を聞きながら、ユイはひそかに決めた。

(今日のことはぜんぶ心の箱におさめておいて……おっと、
金魚の浴衣みたいに、どこにいったか忘れないようにしなきゃ)

 花火大会から何日かして、准汰たちサッカー部は猛暑の中で
激しい練習をこなしていた。

夏休みも終盤にさしかかっていたが、まだまだ暑い。
外にいると体じゅうの水分を容赦なく持っていかれる。

「んん……ゲホッ! ゲホッ!」

風邪は治ってるはずだけど、まだ喉の調子がよくない。
痰でもからまっているのだろうか、喉が痛い。

グランドの外周を走っていると口の中が乾燥して、
さらに喉を痛めたようだ。

「大丈夫か? 准汰」

心配した洋介が隣にやってきた。

「風邪は平気なんだけど、喉がな」

「監督に言って、せめて走る本数少なくして
               もらえばよかったのに」

いつもの調子が出ない准汰はすでに洋介より1本遅れている。

「あの監督がそんな甘いこと言うかよ。
       さっさと帰れって言われるのがオチだって」

サッカーの名門である准汰の学校は、
  地方からも選手を集めてくるほどサッカーに力を入れている。

監督はこの学校の卒業生でもあり、長年監督を務めている。

准汰は監督の表情が、仏頂面からわずかでも
柔和な顔に変わったところを見たことがない。

「だったら休めって。体こわしたら元も子もないぞ」

「サッカーの練習は休みたくないんだ。俺の命だから」

「……まぁ、無理すんなよ」

ぽんっと准汰の肩に手をやると、洋介は先に走り出した。
呼吸をととのえながら、走るペースをおとす。

もっと早く走りたかったが、これ以上は無理だ。

走っているといろんなことを考える。
准汰の考えごとといえば、最近ではもっぱらユイのことばかりだ。
(今、なにしてるんだろ。部活かな)
少し会っていないだけで、またすぐに会いたくなる。

じつはあの花火大会の日、
准汰はユイに好きだと告白しようと思っていた。
いや、ユイと話していると好きな気持ちが募って、
その気持ちのままに言いたくなった、というのが正しい。
声を聞いているだけで胸が高鳴って、

つい好きだと伝えそうになったけど、
あと一歩のところで踏みとどまった。
ユイが言ってた話を思い出したからだ。

二人で買い物をしているときに交わした話だ。
〈たびたびすれ違うカップルは、心まで遠くに離れてしまうのか〉
 というたとえ話だ。

これは、ユイと准汰にも当てはまる。
通っている高校は違うし、部活があるので、
お互い忙しくて連絡が取れなくなってしまうかもしれない。
〈距離が遠くなると心も遠くなる〉
もしユイが、そのことに不安を持っていたら? 

准汰はその不安を完璧に消し去ってやる自信がなかった。

准汰にとってサッカーは本当に大切なものだ。
ユイに会いたいからと言って練習を休むなんて考えられないし、

監督からも期待がかかっている分ほんきで取り組みたい。

(告白していい返事をもらったとしても、
     山岸を悲しませるだけかもしれない。
         俺の自分勝手な思いだけで、困らせたくない)

だから、言葉をぐっと飲み込んだ。

今でもその時のことを思い出すと妙な気分になる。

言わなくて良かったと思う気持ちと、後悔とがないまぜになっていた。

ずず、と鼻を吸い込む。

(やべ、鼻水まで出てきた。風邪がぶり返したかな)

なんべん吸い込んでも鼻水が流れてくる。

おかしいな、と思い始めたとき、走り終えていたはずの陸が
逆走して准汰のほうへやってくる。

「准汰! 大丈夫か?」

「なにが?」

准汰は足を止める。

「なにがじゃねーよ!」

陸がティッシュで准汰の顔を拭いた。

「うわ、お前どうした!」

後ろから走ってきた洋介が、准汰の顔を見て目を丸くした。

「すげぇ鼻血でてるぞ」

「え?」

鼻の下をさわると、血がべっとりとついた。

「あ、ほんとだ」

練習着で拭おうとしたとき、サッカー部のマネージャーである今野雪美が
走ってきた。

「待って待って! 鼻血ならこれで拭いて」

雪美がタオルを准汰の顔に押し付ける。

「ぷはっ、息できねぇよ、ばか力! 自分で持つから」
准汰は雪美からタオルを奪うと自分で鼻を押さえた。

「ばか力とはなによ。心配して走ってきてあげたのに」

准汰と同じ学年の雪美は美人でスタイルもよく、
誰へだてなく接するので男女に関係なく人気がある。

部活中は長い髪をうしろで束ねている。
「監督がしばらく日陰で休んでろって。歩ける?」
という雪美に手を貸してもらい、テントまで歩いた。

「鼻血止まった?」

「ん……まだっぽい」
鼻血が喉を通過していくのがわかる。

雪美はクーラーボックスから保冷剤を出すと、
それをタオルで巻いて准汰の首の後ろに当てた。

「熱中症か脱水症状かもしれないね。横になる?」

「うん。そうさせてもらう」

「水分もとったほうがいいよ」

雪美は准汰のそばにスポーツ飲料の入った紙コップを置いた。
准汰は一気に飲み干すと、雪美が敷いてくれたビニールシートの上に寝ころんだ。

「鼻血が出るほどなに考えてたの? 好きな子のこととか?」

「はぁ!」

「ムキになった! 図星でしょ?」

「ちがうよ」

「同じクラスの子?」

「ちがうって」

「わかった。佐々木ちゃんでしょ?」

雪美の尋問にうんざりし、目をつむり、疲れているふりをした。
それでも雪美はしつこかった。無視すると、
鼻血を出して横になってる病人の体を蹴ってくる。

介抱と虐待で接してくるなんて、この女どうなってんだ?

「ねぇーいいじゃん。ケチ。教えてよ」

「今野には関係ないだろ」

「……関係あるよ、って言ったらどうする?」

雪美の意味深な言葉に、准汰は目を開けた。
雪美は真剣な目をしている。]

「関係あるって?」

「……」

雪美は黙ったままうつむいて、自分の靴に目をおとしている。

暑さのせいだろうか。雪美の頬が赤く染まっているように見える。

「准汰って、ほかの学校の女の子とも仲いいよね」

ぼそっとつぶやいた。
「今野……?」

声をかけると、雪美がぱっと顔をあげた。

「なんでもない! 気にしないで。私ちょっとトイレ行ってくる」
そう言いおいて、雪美は校舎へ走った。
(一体なんなんだ?)
准汰は首をかしげながら、鼻血の様子を見た。
どうやら血は止まったようだ。

そこへ、練習が休憩になって洋介と陸がやってきた。

「お、鼻血とまった?」

「うん。なんとか。休憩が終わったら練習に戻るよ」

「ほんとか? まだ休んでたほうがよくね?」

陸が言うと、准汰は大丈夫だと笑ってみせた。

「あれ、雪ちゃんは?」
洋介があたりを見まわす。
「トイレ行った」

「そっか。じゃあ勝手に スポーツ飲料 飲んじゃおっと」

洋介は准汰の使った紙コップにそれをいれようとした。

その手が止まる。
「 ん? これなんか入ってるよ」

そう言って准汰に紙コップを返した。

喉あめがひとつ入っていた。喉の調子が
悪いと気づいて、雪美が入れたんだ。
(いつのまに入れたんだろう。俺が目をつぶったときかな?)

准汰はのどあめをズボンのポケットにおさめた。
「俺、ちょっと顔洗ってくる」
急いで水道へ行くと鼻血の付いた顔を洗って、部室へ戻った。
のどあめを自分のカバンにいれて、

代わりに帰りに食べようと思ってたスナック菓子を取り出すと、
グランドへひきかえす。
(介抱のお礼ってことで)

マジックでありがとうと書いた紙コップにスナック菓子を入れて、
雪美が気づくように置いておく。

それから充分に水分補給をして体を休ませていると、

「集合!」

と号令が掛かった。准汰たちはグランドへ走った。

   ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 暑かった夏がようやくおわろうとしている。

陽の光はまだ強いかがやきをもちこたえているけど、
吹いてくる風には秋の気配が感じられた。

新学期に入ると、ユイは軽音部の練習、
准汰はサッカーの練習が忙しくなった。

あの花火大会の日から、
お互いに連絡をとることも少なくなっていた。

 「あれ、メールだ」

ユイの携帯がメールの着信を告げたのは、
そんなある日の下校のときだった。

画面には〈夏川くん〉と表示されている。
うわつく思いでメールをひらくと、ユイは声にだして読んだ。

「今週の日曜、映画に行かない? だって!」

たちまち顔をほころばせ、ユイの足どりが軽くなる。
いい具合に、こんどの日曜日は部活も用事もない。

しかも誘われた映画は〈太陽に恋して〉だった。
ユイが見たいなあと思っていた映画だ。

すぐさまOKの返信を送ると、心が空に舞い
上がりそうな気分で帰っていった。

そして、そわそわと待ち続けた日曜日。

ユイはクローゼットの前で腕をくみ、
               仁王立ちしている。

「うーん、何を着て行こうかな。このワンピースはもう季節はずれかな。
  これもよくないし」

 なんて首をかしげつつ、なかなか服装が決まらない。

准汰と会うのは久しぶりだし、いつも以上に身支度に気をつかっている。

「あーあ、やっぱり昨日のうちに決めておけばよかった」

あれでもないこれでもないとハンガーを片寄せたりしているうちに、

「あっ」

真新しいピンクのスカートに目が止まった。

いつか准汰と出かけた時に買ったものだ。
夏川くんも似合うっていってくれたスカートだ。

「うん、これにしよう!」

 スカートが決まれば、あとは造作もない。

無難なところで白のブラウスを身につけ、ユイは玄関をでた。
空にまき散らされた雲は陽を隠すほどではなく、いいお天気だ。

(きっと今日は、すてきな一日になるよ)

待ち合わせ場所に急ぎながら、ユイにはそんな予感がしていた。

広島駅前の噴水ちかくで携帯をいじっている准汰が目にとまる。

ユイはそっと後ろから准汰に歩みより、

「わっ!」
       背中を押した。
「あっ」

准汰がおどろいて声をあげ、ふり返る。

「やまぎしーぃ!」

「ごめんね。ふふっ、そんなにびっくりするなんて」

いたずらっぽい目でわらっているユイの
        スカートを見て、准汰が言った。

「それ、もしかして、こないだいっしょに選んだスカート?」

「うん、そう」

「やっぱり似合ってるな」

 たちまちユイが、顔いっぱいに笑みをひろげた。
        准汰を眩しがらせるに充分な笑顔だ。

まともに見るのが照れくさくなって、准汰はあらぬ方に目をおよがせ、

「じゃあ、行こうか」
         と言った。
「うん!」

 二人は路面電車に乗って、本通り方面へとむかった。

〈太陽に恋して〉という映画は、高校生の恋愛を描いたものだった。
ユイがこの映画を見たいと思ったのは、
   好きな俳優が出演しているからだけではない。

ストーリーが自分の恋とかぶっているところもあると感じたからだ。

主人公の女の子は、別の高校に通っている男の子に恋をする。
                   すれ違いの多い日常の中での恋だ。

そして、お互いが愛を感じた直後に二人を
             引き離すいくつかの原因があったりする。物語だ。

(ちがうところもあるけど似てるもん。この二人、わたしと夏川くんに)

ユイはパンフレットから目をあげ、准汰の横顔をうかがい見た。

准汰はユイの思いをそっちのけに、ジュースのストローをくわえたまま、
開演時間はまだかい、と携帯をのぞきこんでいる。

(夏川くんとわたしは、どうなるんだろう)

ユイは心の思いをひろげた。

(ずっといつまでも、夏川くんのそばにいられるだろうか)

 映画の中の二人のように結ばれるだろうか。それとも……。

「あ、山岸。始まるみたいだ」

ユイの思いをさまたげて、開演のブザーが鳴り響いた。

いよいよ映画が始まった。

ピアノの音楽にあわせて、スクリーンに映像が浮かび上がる。

 二人ともすっかり物語に引き込まれて、
     それぞれの思いの中に沈んだまま映画を見終えた。

「終わったなー」

    と准汰は背を伸ばした。

「うん。すごくいい映画だったね」

   ラストシーンの余韻で、ユイの胸はまだ熱い。

 二人は席を立ち、ほかの客たちと出口にむかった。

「俺、恋愛映画ってあんまり見ようと思わないんだけど」
          と言いかけた准汰の言葉におっかぶせて、

「きょうは私に合わせてくれた?」

「ん、うん。でもすごく楽しめたよ。なんていうか、
            やけに共感しちゃうっていうか」

最後のほうが聞きとれなくて、

「え、なに?」

ユイが問いかえすと、

「いや、なんでもない。」

     准汰は顔の前で手をふり、

「まだ帰るのはちょっと早いから、どっか寄っていく?」
           准汰が誘うと、すぐさまユイが応じた。

「じゃあ私、行きたいお店があるの」

「じゃあ、そこに行こっか」

しばらく紅葉の並木道を歩いたところで、

「このお店よ」

  ユイが指さしたのは、通りに面した2階にあるカフェだった。

                   看板に〈柊〉と書かれている。

「お姉ちゃんのお勧めのお店なんだ。まえから来てみたかったの」

二人が店内に足をふみいれる。

「いらっしゃいませ」

店員に案内されて奥の席につく。

「山岸、なに飲む?」

     と准汰が差し出すメニューは見ないで、

「私、カプチーノにする」

        そくざにユイが言った。

「ここのカプチーノってそんなにうまいの?」

「うふふ、注文してからのお楽しみよ。夏川くんは何にする?」

     准汰はしばらくメニューに目をそそいでいたが、ラテにきめた。

きょう観た映画の話をしていると、待つほどもなく二つのカップが運ばれてきた。
准汰がユイの注文したカプチーノに注視している。 

「素敵でしょ」

飲むのが勿体ないようなラテアートで、
      セピアとホワイトのハートが描かれていた。

「すごくいいねぇ、俺、こんなのはじめて見た」

いいつつ、准汰が身をのりだす。ユイもカップをのぞきこむ。
無意識のうちに息がかかるほど二人の顔が近づき、
            おでことおでこがコッツンコした。
「あ、ごめん」

あわてぎみに准汰が上体をそらす。
気にしないで、と言うみたいにユイが首をふる。

ひたいが触れたことで二人ともあせりに似た感情におそわれ、
准汰は気恥ずかしさで顔を赤らめ、ユイもほてった顔をうつむけた。

おちつきを取りもどすように、ユイの手がカプチーノにのびる。
ラテアートを崩すのはもったいないけど、カップに口をつけた。
(おいしい……)

優しい味が口の中に広がっていく。
それでも顔のほてりがおさまったような気がしない。
どうしよう、どうしようとユイが耳まで赤くしているそのとき、
カランと音をたてて扉がひらいた。長い髪の女の子が店に入ってきた。

ユイが、ちらりと見やる。
見たとたんに、きれいな人だなと思わせるような顔立ちだ。

「……准汰?」と、

その女の子が顔をふりむけた。
「ん? あれ今野」
ユイは准汰とその子を交互に見ながら、たちまち落ち着きをなくした。
さっそうと現れて准汰を呼び捨てにしたその人に気圧され、体までふるえてきた。

「……准汰?」なんて、
准汰のことを親しげに呼びながら現れた女の子。
准汰の知り合いで、今野雪美だと名のった。

「もしかしてデート中だった?」
        ひやかし半分にそう聞かれた准汰は、

「そ、そんなんじゃないけど……」
            あいまいに弁解した。

「そうじゃないなら、わたしもまぜて」
       雪美はちゃっかり相席してきた。

ユイの横に並んで腰かけ、
       「紹介してよ、准汰」
           と、准汰をまっすぐ見返した。

准汰が、いくらかそっけない口調でユイの名をつげる。
       ユイと雪美のあいだで挨拶ていどの言葉がゆきかい、

「ユイちゃんかぁ。可愛い子だね」
   そう言われた。可愛いなんて言われたらうれしいはずなのに、
             ユイはなぜかそう感じることができなかった。
 あとはユイも准汰も、ほとんど雪美のおしゃべりを聞く立場になった。
美人で堂々としていて、ユイは圧倒されっぱなしだった。
ひとり焦りを覚えながら雪美に見とれていたら、
もしかして夏川くんはこんな子がタイプなのかな、と不安になってくる。

准汰の表情をうかがうと、
彼も落ち着かない様子でラテを飲んでいる。
 会話がとぎれて、ユイが何を話せばいいのか困っていると、
准汰も困っていたのか、とうとつに口を開いた。

「そうだ、このあいだはありがとな今野」

「ああ、部活のときのこと?」
       准汰と雪美にだけ共通した話題になり、
「ねえ、ユイちゃんも聞いて」
       雪美はもう、すっかり親しげな声になって、

「准汰ったら部活中に鼻血を出しながら走ってたんだから!」
「い、言うなよ」
「みんなびっくりしたのよ」
「もう、言うなって」

      自分で話題を振ったくせに、准汰は雪美を黙らせようとしている。

「迷惑かけて悪かったって!」

「ま、マネージャーですから、これからも私に任せてよ」

 それで夏川くんは大丈夫だったの? ユイはそう聞きたかったけど、
そんなスキもあたえないくらい二人の会話はテンポがいい。

 二人のやりとりは、まるでユイを忘れたように盛り上がっていった。
正直いってユイは、准汰がほかの女の子と
楽しそうにしているところなど見たくはなかった。
この場から逃げ出したいくらいだ。

鼻血でランニングの話はおわったけど、
  そのあとも雪美のトークは続いた。

部活や学校での准汰について、いろいろユイに聞かせてくれる。
ありがたいけど、准汰の口から聞けたらうれしかったのに。

「なんか、俺の部活の話ばっかで、面白くないよな」
                 と、准汰がユイを気づかう。

「そんなことないよ。夏川くん、部活がんばってるんだなぁって……」

                    ユイが准汰を気づかう。

この言葉の交わし合いで、ユイは少し安心した。

「おっと、もうこんな時間か」

 准汰が時計をみた。ユイも自分の時計に目をやり、
               (そろそろ帰らなきゃ)
 と、まだ話していたそうな雪美にえんりょしつつ、思っている。

「帰るの? じゃあ、今日はもう帰ろう」

    まっさきに立ち上がった雪美のあとにつづいて、三人が店を出る。

 風がいくぶん強くて、空には地上を暗くさせる雲がわだかまっていた。
                (まるで私の気分みたいなお天気……)
 ユイは准汰と雪美から遅れ気味に、つま先に目を落として歩いている。

「今日は二人ともありがとな。楽しかったよ」
              わかれ道まできて、准汰がいった。
「こちらこそありがとう」
            そう口にしたのはユイで、
「また遊ぼうよ! ボーリングとか行きたいな」
      雪美はボールを投げるしぐさをしつつ、准汰に笑いかけた。

ひとをまぶしがらせるに充分な笑顔だ。
 「ボーリングか。いいね」
      ユイがなかなか言えない誘いの言葉を、雪美は簡単に口にし、
             准汰も乗り気のようだ。
(あーあ、私も今野さんくらい積極的になれたらなぁ)
               と、ユイは目のはしに今野雪美をとらえ、
  くやしいけど今野さんにはかなわないと思った。
          ほんとにいい顔だちをしているとおもう。
 美少女っていうのは、今野さんみたいな女の子のことを言うんだ。

 准汰と別れたあと、ユイと雪美は途中まで同じ道なので、
   一緒に帰ることになった。

「准汰のこと、どう思う?」
        いきなり問いかけられた。
「どうって?」
「私、准汰のこと好きなんだ」
「えっ」
  ユイはおどろき、気をのまれたような目で雪美の横顔を伺った。

「ねぇ、ユイちゃんは?」

  ユイも准汰が好きかと、そう問い返された。
「わ、わたしは別に……」

 雪美に気圧されて、ユイはまともに言い返せなかった。
私も夏川くんが好きよ、と言い返すには、
つまり雪美と張り合うには何かが足りない気がした。

雪美にはあり、自分には無い何か。それは……だいいち容姿がずば抜けている。

しかも雪美は、ユイがもっていない、おおらかさのようなものをにじませていた。

そのおおらかさが、
「私、准汰のこと好きなんだ」
いともあっさり、そう言わせたのだ。

 街路樹の道を折れると、冷たいビル風が吹きつけてきた。
雪美が、その風を盾にするみたいにユイの前に回りこんだ。
ユイの足がとまる。
「じゃあ、応援してくれる?」

 ぶ厚い雲のせいか、暗くなりかけているせいか、雪美の表情は見えにくい。
でも、ユイの正面に立ちふさがったその全身からは、真剣さが伝わってきた。
(どう返答すればいいんだろう……)

雪美をかばうように風を背なかに受けながら、
ユイはちょっとのあいだ迷った。

「うん、応援する」

    ほとんど意志の抜けた言葉で、気付いたらユイはそう答えていた。

「ありがとう! わたし、頑張るね」

  雪美がユイの手をとり、顔いっぱいに笑みをひろげた。
 別れ道までの十二、三分、雪美は口ぶりも明るく話しつづけた。
ユイが知らなかった准汰のことを、雪美はたくさん知っていた。

ユイはそうしたあれこれを心がきしむような思いで聞きながら、
そんな心とは反対に、かけひきも気取りもない雪美の性格の良さを、
いやでも感じないわけにはいかなかった。

(きっと明るくて優しくて、頼れるマネージャーに違いない)

  おまけに雪美は、ほら今だってすれちがう人が
 見とれるほど目鼻立ちは整っているし。
    (あんな素敵なコ、好きにならない人はいないよね)
 雪美とさよならして一人で家路をたどりつつ、
            目頭まで上がってきそうな涙を、

「泣くわけないでしょ」

     ユイは自分を叱るような声で押しとどめた。

  「応援するって言っちゃったし……」

すっかり秋がふかまった十一月、准汰は部活を
おえて帰り支度をしながら、携帯に目をやった。

でもユイからのメールは届いていない。

こっちが三回メールを送って、
やっと返信が一回戻ってくるといった調子だ。
それも、あたりさわりのない短い文面だった。
 一緒に映画を観た日からあとは、
なんだかユイがそっけないのだ。

気になって、ため息ばかり出てしまう。

「どうしたんだよ」
  そんな准汰に洋介が話しかけてきた。

「いや、山岸のことなんだけどさ」

「上手くいってないんだろ?」
  いきなり図星をつかれて准汰は驚いた。

「お前って分かりやすいんだよ。近ごろ元気なさすぎ!」
「そうかぁ」
「ほらまた、そのしょぼくれた顔」
 洋介の言葉に、むりやりなにくわぬ顔を
してみせた准汰だけど、
暗いほうへと
かたむく心はどうしようもない。
「俺ら、協力しあうって言っただろ。話してみろよ」
  そこで准汰が話しはじめた。

「じつは最近、メールがほとんど来なくて。
こっちから送ってもそっけないし、
なーんか以前の山岸じゃないんだよな」

「そうか。で、何か思いあたることはないのか?」
「それが分からないんだよなぁ」
「じゃあ俺のほうから思いあたることを言ってやるけど、
お前、近ごろ今野と仲良すぎじゃないか?」
「え?」
「てっきり今野に乗りかえたかと思うくらいの雰囲気だぜ」
「そんなわけないだろ!」
 まるで見当ちがいのことをいわれて、准汰が声をはりあげる。

「たしかに前よりは話すようにはなったけどさ、俺が好きなのは山岸だし」
 などと言い合っているところへ陸が加わり、准汰にこう言った。
「もしかして今野と一緒のところを、山岸さんに見られたんじゃないの?」

「……そういえば」
 正確にはユイと一緒のところを今野雪美に見られたのだが、
准汰はすぐに喫茶〈柊〉でのことを思い出した。

ユイとラテアートのカプチーノを楽しんでいる
ところへ今野がいきなり現れて、三人で話し込んだ。

話題はもっぱらサッカー部のことになり、今野が自分の失敗を口にするたび、
「そんなことないって。ほんとに俺たちの頼れるマネージャーだって」
 とフォローしたように覚えている。
(山岸、ぜったい俺のこと、甘ったるい奴だと思っただろうな)

 なるほど、今野と親しそうだから避けられているのか、
                 とそんな答えに落ち着いたとき、

「山岸さん、きっと遠慮してるんだよ」
 陸がいった。

「准汰と今野が付き合ってると勘ちがいして、
邪魔しちゃいけないって思ってるんじゃないかな」
  と言葉をつないだ。
「なるほどな」
      洋介はうなずき、

「おい准汰、これ見ろよ」
  目の前に携帯のストラップを差し出した。

ラメが入ったオレンジ色の玉が、ゆらゆらゆれている。

「それが、なんだよ?」
「このストラップ、神原とおそろいなんだぜ」

へえーっ、と准汰と陸が声をハモらせた。

 「どうだ、わかるか准汰。男から積極的に攻めないとな!」

  「とか言って、積極的な神原さんから貰ったんだったりしてね」

  「ギクッ」
  洋介と陸のやりとりに、准汰は笑っている。

「おそろいのストラップか。洋介は、准汰より一歩リードだね」

「だろ」

  洋介はふんぞりかえっている。そんな洋介はひとまず置いて、

「山岸さんがどう思ってるかなんて、分からないよね」
  陸が話しはじめる。

「それなら、こっちから伝えようよ。ぼくは君だけを見てるんだよってさ」

「陸、それって准汰へのアドバイスにかこつけて、
     自分に言い聞かせてんのか。お前、好きな子できたんか」

「えっ」

 陸が否定とも肯定とも取れない声を発した。

 准汰は、この二人の親友に感謝した。
    はっきり好きだと伝えなきゃ、何も伝わらない。

   准汰はあらためて強くそう思った。

(おそろいのストラップか。
俺も山岸に、おそろいの何かをプレゼントしようかな)

 そして、はっきり伝えよう。君が好きだと。

12月になると世間は早くもクリスマスモードになる。

街を染める色は緑と赤と白だ。

あちこちで電飾が光り、クリスマスソングが流れ、
だれもが浮ついた気分になる。 そして12月24日。

いつも通りサッカーの練習があったが、
いつもより練習時間が短かったのは、
あの鬼監督がイブだからと気を遣わせたからかもしれない。

雪美は部活が終わるとひとまず帰宅し、それから准汰の家に向かった。
准汰が家にいることは電話で確認済みだ。自転車のペダルをこぎつづける。

冷たい風が顔にあたるけど、もう冷たいという感覚もない。
「もしもし。いま着いたよ」
准汰の家まできて、携帯で外へ呼びだす。

ちょっと待ってろと言われた雪美は、玄関先でおとなしく准汰を待っている。

カフェで会った山岸ユイのことを、ふと思い出した。
帰り道、あんなことを言うつもりはなかった。
ユイと准汰が惹かれあってるのを感じた雪美は、とっさにユイを牽制していた。
このままではいけないと思って、
「私、准汰のこと好きなんだ」
そう口にしていた。自分自身にびっくりだ。
(ユイちゃん、ショックだったろうな。きっと傷ついてた)
ユイが見せた表情を思い出す。

でも心の一方で雪美はそれを忘れようとしている。

(私だって准汰が好き。どうしても譲れないの。
そのためなら何だってするかも……)

そんなことを考えているところへ准汰が出てきた。
准汰の顔を見たとたん、ある甘さがこみあげてくるのをおぼえた。

「どうした? こんな時間に」
雪美は笑顔をこしらえ、准汰に紙袋を差し出す。

「今日はクリスマスイブでしょ。はい、プレゼント」

「は?」
准汰が、とまどい気味にプレゼントを受け取る。

「なんで俺に?」

「いいから。開けてみて」
せかせるみたいに言われて、准汰が紙袋を開ける。
ニット帽が入っていた。
茶色のニット帽に、青い糸で准汰の背番号が刺繍されている。

たまたま入ったお店で見つけたものだ。きっと准汰によく似合うはずだ。
「ありがとう。大事に使うよ」
なんだか熱がこもらない声でお礼を言われた雪美は、
准汰が腕時計の時間を気にしていることを察知した。

「これから、なにか用事でもあるの」

「まぁな。ちょっとした用だけど……」

あいまいに返して、准汰は雪美から顔をそらせた。
その顔には笑みがまじっている。
雪美にはそれが、抑えようのない喜びをにじませているように思えた。
自分には見せたことのない笑顔が、はっきり雪美に伝えている。
これからユイのところへ行くのだと。
(目的はたぶん、私と同じね)

「これからユイちゃんに会うの?」

「え、なんで!」

「わかるよ」

「まいったな」
  と准汰が笑う。照れ笑いなのか、嬉しくて笑っているのか、
どっちにせよ雪美の胸に鈍い痛みが走った。痛みは急速に大きくなり、
もう胸に収めておけないほどだ。

ついには言葉となって雪美の口から飛びだした。

「でもユイちゃんは、准汰のこと好きじゃないよ」

「えっ……お前、なに言ってるんだ」

「だって、私が准汰のこと好きだって言ったら、
応援してあげるって言ったもん」

と、もう自分で自分を止められない。

いきなり告白された格好の准汰は、顔を赤くさせている。
でもその表情には狼狽が出ている。
「准汰」

 雪美はまっすぐ見返し、准汰のほうへ踏み込んだ。
ついで、准汰の胸に頭をあずけた。

「私、准汰のことが好き。私じゃダメかな?」

 ややあって、

「……悪い」

准汰は雪美の両肩に手をおき、彼女をやさしく遠ざけた。

「今野の気持ちはうれしいけど、俺は山岸が好きなんだ」

准汰は言った。決定的な一言だったが、

「たとえ山岸が俺を好きじゃなくても、俺の思いは変わらない」

といったそのあとの言葉を、雪美はわずかな望みが
残されたように受け取った。

「そう。わかった。今日はもう帰る」
雪美が自転車にまたがる。

「でも私はあきらめないから。私が准汰を好きだってこと、
ちゃんと覚えててね」
と言いおき、ペダルを踏む足に力を入れた。
「今野……」

なにか言いかけた准汰を置き去りにして、雪美は自転車を走らせた。

准汰から離れるにしたがって、涙があふれてきた。
自分の気持ちをそうそう簡単には受け入れてもらえない
                 と分かってはいたけど、悔しい。

(どうして私じゃないの。こんなに好きなのに)

 涙を風にさらしながら走っていた雪美は、
うるんだ景色で前が見えなくなり、ブレーキをかけた。

准汰もユイちゃんも、どっちもが好きあっている。それはわかっている。
 でもそんな二人の思いを感じるたびに、私は嫉妬の炎に包まれる。

(私、准汰に好きになってもらえるなら、何だってする)
 
頭が焦げつくほどの炎が、雪美に心でそう言わせた。

(ごめん、ユイちゃん)

雪美は手の甲で涙をぬぐった。
携帯を取り出す。准汰に告白したことをメールでユイに伝えた。

応援してね、と文章の最後に付け加えて。
送信されたのを確認して、イブの夜空を見上げる。

幾千もの星がひしめいていた。
雪美は大きく息を吸い込んでは星たちにむけて吐き出し、
心を落ち着かせようとした。

けど、いま打ったメールのせいで雪美の鼓動は
ますます早くなるばかりだ。

「……ほんと、嫌な女」

とつぶやき、また自転車を走らせる。

ずるい自分を切り離したくて、力いっぱいペダルを踏みつづけた。

准汰がユイの家のチャイムを鳴らしたのは、それから30分後だった。

出てきたのは母親で、准汰がユイを呼んでほしいと頼んだら、
好意をにじませた顔でうなずいた。

「夏川くん」
なにごと? とユイの目が問いかけている。

「ごめん、こんな時間に。ちょっといいかな」

「うん」

と了承したものの、ユイは浮かない顔をしている。

上着を取りにひきかえしたユイを待ちながら、

(迷惑だったかな。一家だんらんでイブの夜をすごしてたとしたら、
そりゃ困るか)

雪美の話を聞いて、准汰は自分が勘違いしていたことに気づいた。
ユイも自分を好きでいてくれてると思っていた。
これまで二人きりで何回か遊んだし、たびたび、いい雰囲気にもなった。

洋介たちにもはやし立てられ、自分の中でユイはすっかり特別な存在になっていた。
ほかの女の子たちがガラス玉なら、ユイだけが宝石みたいに。
(山岸は俺のこと、ただの友達だと思ってたんだ。
俺だけがひとりで舞い上がって……バカみてぇ)

だが、今夜はユイに告白しようと決めていた。
上着のポケットに入れてある小箱を指で触れてみる。このプレゼントと一緒に、
想いを伝えようと考えながら。

でも、その決意も今になって揺らぎはじめた。
(俺のことをただの友達だと思っている山岸に、
告白なんて……どんな結果になるかな)

ユイが、カーキ色のジャケットを着て玄関から出てきた。
「その先の公園まで歩こう」
准汰が言うと、ユイはだまって頷いた。
おたがいの胸に思うことがあるためか、夜道を歩く二人は言葉も交わさず、
なんだか気まずい雰囲気だ。

その気まずさを取っぱらうように、准汰が口をひらいた。
「洋介たちがさ、また年末に集まろうって話してたよ。
いつものメンバーで」
「そうなんだ」

「そのうち、山岸たち女の子のほうにも連絡いくかも」

「うん、わかった」

 弾みのないユイの受け答えに、
(どうしたんだろう。なんだか元気がないけど)
と准汰は心配になってきた。

今野雪美が早手回しのメールを
ユイに送ったなんて、つゆほども知らない准汰だった。
公園につくと、街灯に近いベンチに座った。
自販機で買った温かい紅茶をユイにわたす。
「ありがとう。あ、お金」
「いや俺が誘ったんだし、いいよ」
紅茶を飲みながら、ちょっとのあいだ脈絡のない言葉をかわし、
それから准汰は切り出した。

「きょう山岸を呼び出したのは、これを渡したかったから」
いいつつ、ポケットから小箱を取り出す。

「クリスマスプレゼント」

ほんとうは洋介たちのように、おそろいの品を贈ろうとしたけど、

「やめろ。俺とかぶる気か」
と洋介に止められた。神原とおそろいを持っていることが、
洋介にはよほど嬉しいらしい。准汰とユイまでがおそろいになったら、
おそろいの値打ちが下がるというものだ。

ユイがリボンをほどいて小箱を開けると、
チャームブレスレットが入っていた。シルバーのブレスレットに、
可愛い花や音符の装飾品がついていた。

いっしゅんユイの顔に笑みが浮かんだ。
でもすぐに、その笑顔のなかに迷いがまざりこんだ。

「それとさ、俺」

「ごめん夏川くん。受け取れない」

准汰の声に、おっかぶせるようにユイが言った。
そしてチャームブレスレットを箱に戻すと、准汰の手に返してきた。

「え!」

まさかの態度に准汰は驚いた。プレゼントで勢いをつけて、
つづけて告白しようとした准汰は、
行き場のなくなった言葉をのみ込むほかなかった。

「嬉しいけど、受け取る理由がないから」
いいつつ、ユイがベンチから立ちあがる。
「理由って、俺はただ……」
「ごめん。もう帰らなきゃ」

ユイは准汰を置いて走り出した。
今野雪美は准汰に告白したとメールで知らせてきたし、
その雪美とは約束も交わしている。准汰とはもうどんな嬉しいこと
も共有できない。ユイは自分のつらい立場に耐えきれなくなり、
逃げるしかなかった。
 ちょっとのあいだ呆然としていた准汰は、すぐさまユイを追いかけた。
「山岸っ」
公園を出たところでユイに追いつき、腕をつかんだ。
ユイは腕をつかまれたまま、准汰から顔をそむけている。

「どうしたんだよ。なんで?」

「私、どうしても受け取れないの」
なかば自分に言い聞かせるように、ユイはきっぱりと准汰に告げた。
「それは、俺が山岸にとって、ただの友達だから?」
ユイが、口をむすんだまま頷いた。
「そっか……」
  ユイの腕をつかんでいた准汰は、その手をゆるめた。
「でもこれは、山岸のために買ったものだから」
そういって、准汰は箱から出したブレスレットをユイの手に握らせた。
「要らなかったら、捨てちゃっていいから」
目の前のユイが顔をそむけているのを、
ただの友達だと意思表示しているように准汰は受け取っているけど、
ユイの気持ちとしては、
つらくて准汰の顔をまともに見ることができないのだった。
たった今、ただの友達だと知った准汰だけど、
それでユイへの想いが薄められるわけもない。
(嫌がられたってかまわない。このまま腕を引き寄せて抱きしめてやろうか)

ふと考えた准汰だけど、そうすれば友達でさえなくなるかも。
准汰は、その考えをねじふせた。

「いろいろ困らせてごめん。じゃあ、また年末に会おうな」
そう言って、准汰はユイの手を離した。くるっと背をむけて歩き出した。
(振られたんだ、俺……)
足どりは水の中を歩くみたいに重かった。
 遠ざかる准汰に、ブレスレットを握りしめたユイが、
「夏川くん」
と呼びかけた。なかば独り言みたいな小さな声で。
その声に気づかず、准汰は鼻をすすりながら家まで帰っていった。
泣いてたわけじゃない。風が冷たかったのだ。

どっちにしても准汰とユイにとっては、とんだクリスマスイブだった。

****************************************************

人それぞれに、大晦日を楽しく過ごす方法がある。
年末にいつものメンバーで集まろうという洋介たちの計画は、

「そんな高いレストランでディナーなんて、お前、お金あるのかよ」

「じゃあ、ファストフードってのは?」

「それより、どこかの家で年越しそばを食べて、ゲームでもしようよ」
 などと、あの電話この電話が交錯しあい、
けっきょく准汰の家で大晦日を過ごすことに決まった。
クリスマスに気まずいさよならをしたユイは、
その誘いを断ろうとしたけど、
「一年間、不平も言わずについてきてくれたその体に、
年越しそばの一杯も食べさせてあげないつもり?」
と千秋から言われ、
「こらユイ。ユイが一人ぼっちで新しい年をむかえてると思ったら、
私らまでみじめな気持ちになるんだからね」
と茜から言われて、
ユイも彼女たちと連れだって准汰の家にむかった。
(どんな顔をして夏川くんに会えばいいんだろう)

それを考えると足取りは重くなる。
准汰とユイとのなりゆきは茜にも千秋にも伝言ゲームみたいに伝わって……
とはいえほぼ正確に知っている。

でも余計なことは口にせず、遅れがちになるユイを振り返りつつ歩いている。
准汰の家についた。チャイムを押す。玄関が開いて准汰が顔を出す。
「おう、きたか」
「きたよー。お邪魔しまーす」
  二階へ上がると、洋介たちはすでにテレビゲームで遊んでいた。
「あ、私もやる」
千秋が言って、洋介のとなりにすわった。
「コントローラー、貸して」
「ちょ! まだ俺がやってんだろ」
「じゃあ、早く敗けて私に代わって」
「お前なぁ、いいかげんにしろよ」
文句とはうらはらに、洋介は千秋の妨害を嬉しがってるふうだ。
ユイが入り口で立っていると、
「山岸、入ってこいよ」
准汰が手招きした。
「うん」
  ユイがちょっと固い表情でうなずき、部屋に踏みこむ。
「まさか、遠慮してるわけじゃないだろ」
と准汰が笑いかける。いつもと変わらない准汰に、
ユイはすこし心がほどけた。
「お前らはちょっと遠慮しろ! うるさすぎるぞ」
准汰が洋介たちをにらみかえす。
「はーい!」
「はーい!」
「わかったよーう、准汰くーん!」
かんだかい声で、みんなが言いかえす。
「お前ら、それがうるさいんだよ! 下には親がいるんだからな!」
「准汰だって、声でけぇじゃーん!」
  洋介たちは手や言葉でふざけあってる。ユイはこたつに両足をのばした。
「ユイ、みかん食べる?」
こたつに向きあってる茜が、みかんをくれた。
「ありがとう」
 皮をむいて、ひとつ口にいれる。酸味が口にひろがった。
 ゲームをしたり談笑したり、みんな楽しそうだけど、
ユイだけは取り残されてるようで、なんだか落ち着かなかった。
おしゃべりはいよいよ盛り上がって、もうすっかり准汰の家が
みんなの家みたいになってくると、ユイは急速に寂しさが増してきた。
それを悟られまいと、みんなが笑えばユイも笑う。

でも寂しい。

この孤立感はどこから来てるんだろう。
そしてユイは気づいた。准汰が、一度も自分の顔を
まともに見てくれないことに。
(私だって夏川くんを目の端でとらえているだけ)
全員が打ち解けてるようでも、見えないバリアが二人をへだてて、
どっちもが目と目を合わせないようにしているのだった。

ユイの寂しさに切ないものが混ざってきた。心の半分はここに居たくて、
心の半分はここに居たくない。そんな思いにとらわれ、
「ごめん。ちょっとトイレ」
立ち上がって部屋を出る。後ろ手にドアを閉めたとたん、
とうとつに涙があふれてきた。

廊下の床に涙をぽたぽたこぼしながら、
(いやだ、こんなところで泣いちゃダメ)
 後ろの騒ぎを聞きつつ、ユイは涙を遠ざけようと心に命じている。

もう、准汰と自分は友だちだと決めた。好きという感情を消して、
友だちでいようと決めた。でもつらい。友だちでいることがつらい。
あのクリスマスイブの夜だって、こんなに苦しい気持ちにはならなかった。

きっとあのときは、雪美から送られてきたメールが
頭のど真ん中に居座っていたからだ。
〈ユイちゃん。わたし、准汰に告白したよ。応援してね〉

そんな意味のメールだった。ほんとは准汰を追いかけて、
ありがとうって言いたかった。

(クリスマスのとき私があんな態度だったから、きっと嫌われちゃったんだ)
だから准汰は、私と目を合わせないようにしてるんだ。

おさまりかけた涙をふいて、そんなことを考えていると、
「ユイ」 
「どうしたのユイ」 
茜が、つづいて千秋が廊下に出てきた。
泣き顔のユイに気づいて、千秋があわ
てかげんにドアを閉める。
「どうしたの?」
「わたし、もうだめ。ここに居られない」
「ユイ。落ち着いて話してみて」
            と茜がユイの手をとる。

「わたし、もう夏川くんの近くに居たくない。ぜったい嫌われた。
いっしょに居るだけでつらい」

 またもや泣きながらユイが言った。

「それが今の、ほんとの気持ち?」 
千秋がユイの肩をつかんで正面を向かせ、そう尋ねる。

ユイがうなずく。そしたら千秋がユイの頬をひっぱたいた。

と言っても加減して。そのショックでユイ
の涙が目の奥に引っ込んだ。

「いっしょに居るのがつらいのは、准汰が好きってことじゃないの。
 それがユイのハートの声でしょ。
   もともと恋なんて頭で考えてするもんじゃないよ」
             と千秋は叩いた頬をなでながら、

「心をオープンに、好きな人に好きだと言えばいいのよ」
こんどは茜が口を開き、
「自分の気持ちに嘘をついてちゃ良くないね。
私は、もっとユイにわがままになってほしい。准汰のこと、
 ほかの誰かに譲って、好きって気持ちをねじふせて、
                  友だちでいられるの?」
                 と言った。なおも茜が付け足す。

「准汰への想いを正直な自分のフィルターにかけたら、
  これからどうすべきか答えはハッキリしてるでしょ」
ユイが、さっきより強くうなずく。言葉には出さなかったけど、
(私、ようやく気づいたの。夏川くんの笑顔も声も、ぜんぶ自分だけに
    向けてほしい。ユイって呼んでほしい。私も准汰って呼びたい)
千秋と茜に、心でそう言いかえした。

雪美が、いともたやすく准汰を呼び捨てにしているのが羨ましい。
自分だってそれくらい准汰と距離を縮めたい。そう思ったとたん、
今度は言葉に出して、
「私は夏川くんのことが好き。誰にも譲りたくない」
             千秋と茜にハッキリ告げていた。
やっと言ったか、という表情で二人は顔を見合わせている。
余計な世話をせず、ユイが一人で答えを出せばいいと思っていた
千秋と茜だが、満足そうな笑みを浮かべている。

けっきょくはユイの背中を押して准汰のほうへ踏み出させたけど、
        まあいいかと、二人ともそう思ってるに違いない。
「いま私らに言った言葉を、こんどは准汰くんに言うんだよ」
 千秋が言ったら、ついで茜が、
「その前に、やることあるよね」
そう、もうユイには、したいこと、すべきことがハッキリした。
(雪美さんに言わなきゃ)
ユイが携帯を取り出す。
     千秋が気をきかしてユイから離れようとしたら、
「ここにいてやろうよ。手ごわい相手だから」
                  と茜が言った。
「も、もしもし、雪美さんですか」

『あらユイちゃん。どうしたの?』
「あの、雪美さんにどうしても言っておくことがあって」
『……うん。なに?』
    と返しながら、雪美はユイが何を言おうとしているのか、
                        うすうす勘づいた。

「私、夏川くんが好き。だから雪美さんの応援はできません。
                   ずるくて、ごめんなさい」

『知ってたよ』
「え」
『ユイちゃんが准汰を好きだと知ってて、私は准汰に告白したの。
  だから、ずるいのは私かも』
「雪美さん……」
『言ってくれてありがとう。これで正々堂々と勝負できるね。
准汰に振られたからって諦めるつもりはないから』
         雪美の声は、どこかサバサバとしていた。
「私もです。譲れませんから」
          と、ユイのほうも勢いづいた。
「好きなものを奪う。それは愛じゃないわ」
『じゃあ何?』
「いっとき目がくらんだだけだわ。愛の本質がないもの」
『愛の本質? 教えてほしいわね』
ユイはちょっと考えて、
「相手への信頼と、自分の責任をまっとうすること……かな」
それに対する雪美からの言葉はなかった。
『私にだって好きになる権利はある。毎日は楽じゃないんだから。
 それに、たとえ准汰を失っても私自身が取り戻せる。
                 大切なのは自分なのよ』
          といって、雪美のほうから電話を切った。

雪美さんと私のあいだに、ルールは何もない。
私はただ心の声に従い、勇気を持つことだ。雪美と話し終えたユイは、
そう思った。
   「じゃ、部屋に戻ろうか」
    「そうだね。あとで恋敵とのやりとりを、詳しく聞かせてよ」

「うん。二人ともありがとう」

午前0時が近づくと、准汰の母親が〈緑のたぬき〉を
取りにおいでと声をかけた。准汰がこたつから出ようとしたら、
「私、とってくるよ」 
 とユイは立ち上がった。それから、真っ直ぐ准汰に目をあてて言った。
「いいから、夏川くんは座ってて」 
キッチンに降りると、准汰の母が人数ぶんの緑のたぬきを用意していた。
「あら、ひとりで大丈夫?」
「はい。任せてください」
夏川くんのお母さんには、気に入ってもらわなくちゃ。
と、ユイがそばをのせたお盆を二階へ運んでいく。
ドアをあけるために母親もユイのあとから階段をあがる。
「あなた、もしかして夏休みに准汰と花火大会に行く約束をしてた子?」
「え、なんでわかったんです?」
 ちょっとびっくりして、お盆をひっくりかえしそうになった。

「ふふ、勘よ勘。こんなに可愛い娘が准汰の相手ならいいなって思ったの」
「そんな、可愛いなんて……」
「サッカーばかりの息子だけど、よろしくね」
ドアを開けながら母親が言った。
「はい」
好意を向けられたユイは、つつみかくしのない嬉しさを顔に浮かべている。
「わるいな山岸。ありがとう」
そばを勉強机にのせていると、准汰が手伝ってくれた。
「よっしゃ。このステージが終わったら食おうぜ」
「うん、わかった」
とテレビ画面を見つめたまま言い返し、みんなゲームに夢中だ。
ユイが、さりげなく准汰のとなりに座る。
「夏川くん」
 准汰のセーターのそでをひっぱり、自分のほうを向かせる。
「ん?」
「あのね。クリスマスイブの時のことなんだけど」
ユイがそう切り出すと、
「ああ、うん」
 と、准汰はちょっと固い表情に変わった。
「あの時うまく言えなかったけど、いま、ちゃんと言うね」
とユイは准汰をまっすぐ見つめ、
「プレゼント、すごく嬉しかった。ありがとう」
そしたら、はじめて今日、准汰がユイをまともに見た。
見つめ合ってたら、ユイは顔が赤くなるのがわかった。
鼓動も早くなってきた。そんなユイを見て、
こんどは准汰の顔が赤くなった。
茜たち女の子はわざと知らん顔してるけど、男の子らはゲームに
夢中で、ユイと准汰など眼中にない。
「喜んでもらえて、俺も嬉しいよ」
「ごめんね、あの時は」
二人ともいま、同じことを思っていた。
失望は短い時間でしか無かったと。
ユイと准汰は、そんな気持ちで笑みを交わし合っている。
(夏川くんの目に私が映ってる。
きっと私の目にも夏川くんが映ってる。そこにあるのは、
二人の飾らない心……)
嫌われていなくてよかった。もっともっと心をオープンに、
夏川くんとの距離を縮めなきゃ。
 いよいよ午前0時が近づいて、みんなで年越しそばを食べはじめた。
「大晦日に〈緑のたぬき〉を食べない人は、
今年の不運を汗で流すことはできない。
不運を来年に持ち越す」
 なんて陸が言うと、すかさず洋介が、
「ふうん」
と言い返し、みんなで大笑いしながら、
緑のたぬきにトンガラシかけて、残さず食べて、
それから近所のお宮へ初詣に出かけた。
おたがいの家に帰るまで、ユイと准汰はずっと肩をよせあって歩いた。
「山岸から電話もメールもないから、もう嫌われたんだと思ってた」
「帰って電話するよ」
そして准汰に、こう言おう。
「一日の最後におしゃべりをしたいのは、准汰よ」
准汰。准汰。准汰。准汰って言えるかな。
准汰からもらったブレスレットは机の引き出しにおさめこんでいる。
こんど会うときは付けていくよ。そしたら、また距離が縮まる。
「山岸。初詣で、何をお祈りした?」
「内緒」
ユイは、准汰といつまでも、となりあわせでいられますようにと祈った。
それから、

(雪美さん、ありがとう)
とお礼をのべたのだ。
だって、結果的には今野雪美に
応援してもらったことになったから。

准汰との仲が進展した大晦日から、早くも一ヶ月がすぎた。
お正月休みが明けてからはなかなか会えずにいたので、
准汰とはメールのやりとりばかりしていた。今日は何をしたとか、
何を食べたとか、部活の事とか、
以前よりも包み隠しのないことが話せるようになったと思う。

たまにどちらからともなく掛ける電話では、

「こんばんは准汰」
「やあ、ユイか」
と、お互いのことも名前で呼び合うようになっていた。
だけどユイには、まだ言えないでいることがある。
それは、いちばん言いたくて、いちばん言い出せないでいる言葉、

「准汰が好きよ」
という言葉だ。

心の中では百回でも言えるのに、
口に出そうとしたら余計な心構えが邪魔をする。

「このままじゃダメだよね。
好きって言わなきゃ、わたしも落ち着かないし」
 
部活を終えた帰り道、ユイはうつむきがちに、
受信ボックスに貯まった准汰からのメールを見ながら呟いている。
「なーにを悩んでいるのかな、恋するユイちゃん」
いきなり背中を叩かれて振り返ると、千秋が笑っていた。
「びっくりするじゃない、もう」
「ごめんごめん。でも後ろ姿に、恋してますオーラ漂ってたよ」
と千秋はユイと肩をならべて歩きながら、
「その後、准汰とはどうなの」
  と聞いてきた。
「心の歩み寄りはあっても、具体的には何も進展してないけど……」
「そんな事だろうと思ったよ」
という千秋に、
「なんか、きっかけがないかな」
相談を持ちかけるようにユイがたずねる。
「今月の十四日は何の日か、もちろんユイもわかってるよね」
「バレンタインデーだけど」
「じゃあ、きっかけはそれでしょ?」

一月の中旬からバレンタインフェアは始まっていた。

店頭には所狭しと、きれいにラッピングされたチョコレートや、
手作り用の材料などが並べられている。
(准汰にチョコをあげなきゃ)
そう思って、ユイもいろんなお店を見てまわった。

でも、これだと思えるチョコが見つからず、いまだに買ってない。
「准汰にあげるチョコ、まだ用意してないんでしょ。
だったら、ちょうどいいよ。手作りにしてみない?」
「えっ、手作り?」
お菓子など、家庭科の料理実習の時にしか作ったことはない。
しかもユイが作ったカップケーキは焦げてしまって、
美味しくも何ともなかった。
その時のことを思い出すと、手作りチョコなんか作るのはためらってしまう。
自分で食べるんだったらいいけど、准汰にあげるとなるとなおさらだ。
「なに難しい顔してるのよ。じつは茜と、
お菓子作ろうって話になっててさ。ユイも一緒に作ろうよ。
みんなで作れば知恵も意見も出しあえるじゃん」
「うん、それもそうだね」 
「買ったほうがきれいなのは分かってるけど、
やっぱ手作りのほうが心は伝わると思うんだよね。
せっかく一年に一回のチャンスなんだし」
といいつつ、千秋はユイの手を握った。

ユイも頑張って作ってみたら? とでも言うみたいに。
「わかった。わたしも作ってみるよ」

そしてバレンタインデーの前日。

ユイの家でお菓子を作ろうということになって、
エプロン姿の三人がキッチンに材料を広げる。

話し合った結果、簡単で失敗も少ないブラウニーを作ることにした。

「じゃあ始めますか」

「わたしが小麦粉、量るから」
というのは茜だ。たまにお菓子を作るだけあって、
茜の手つきは器用なもので、ユイは思わず見とれてしまった。

「こらこらユイ。手を遊ばせない。
私たちの仕事はチョコを刻むことだよ」
  千秋が言う。
「うん、わかった」
あわててユイがチョコレートを刻みはじめる。

(准汰のために……じゃなかった、私のために美味しくできますように)

  ユイは、そう心で唱えている。

そして一時間後。オーブンからは甘い香りが漂っている。

あとは焼きあがるのを待つだけだ。
「お、ますます美味しそうな匂いがしてきたね」
と茜が鼻をひくつかせる。
「早く焼けないかな。味見が楽しみなんだよね」
と千秋が待ちわびている。
「千秋はこのチョコ、誰にあげるの?」
と聞いたのはユイだ。
「ああ、森田にあげようかなって」
「千秋、森田くんのこと好きだったの」
と茜が、オーブンから千秋のほうへ顔をふりむける。
「そんなんじゃないよ。ただよく遊ぶし、
        なんとなく森田にあげようかなって。
お返しも期待できるし」
「そんなこと言って。お返しのためだけじゃないでしょ」
        茜は含みのある口ぶりでいいつつ、千秋を伺っている。
「もー本当に何でもないってば。あ、ほら、焼けたみたいよ」
 チーンと音がして、千秋がいそいそとオーブンをあけた。
そのとたんにチョコの香りが辺りに立ちこめた。
「わあ、おいしそう!」
「いい匂いだね」
と三人がオーブンをのぞき込む。
きちんと中まで焼けてるか茜が竹串を刺してみたが、
べつに問題はないみたいだ。
「ちゃんと焼けてるようだね。すこし冷ましてから切り分けよう」
「じゃあ、そのあいだにラッピングの用意とかしよう。
                  カードも書いたりさ」
「うん、わたしも書こうっと」
「だれに? 森田に?」
「うるさいっ」
世界でいちばん美味しそうにできたブラウニーを前にして、
三人とも落ち着きなく喜んでいる。
「チョコをいれる紙袋は、この青いやつがいいかな」
「リボンは赤もいいけど、ピンクもかわいいな」
なんて話をしているあいだに、ブラウニーはほどよく冷めた。
「おいしいっ!」
さっそく味見をした千秋が、はずんだ声をあげる。
つられるように茜もユイもブラウニーをつまんだ。
「うん、おいしいね」

「大成功だね」

ブラウニーをほおばりながら、ユイは准汰のことを考えた。
(明日はこれを准汰に渡して、好きって、はっきり言葉で伝えるんだ)
この美味しいブラウニーが心に弾みをつけてくれたから、きっと言える。
そんな気がした。

 そして二月十四日。バレンタインデーがやってきた。
百万人の女の子が、百万人の男の子に、好きだと伝えてチョコレートを渡す日が。

だからユイも、好きだと言える。はっきり准汰に好きだと言える。
 青いリボンでラッピングしたブラウニーをかばんにいれて、
准汰に貰ったブレスレットをお守りに付けて、ユイは家をでた。

待ち合わせの時間より十分も早く来たのに、駅の噴水の前では、もう准汰が待っていた。
「ごめん、待たせちゃった?」
「いま来たところだよ」   
 
逢いたい気持ちは時計の振り子よりも足どりを軽くさせ、
ついつい二人とも約束の時間より早く来てしまうようだ。

「あのね、准汰くんに渡したいものがあるんだけど、
まず暖かいところに行こ」
二人が近くの喫茶店に足をはこぶ。奥の席で准汰と向き合い、
温かい飲み物を頼んだ。かばんの中から青いリボンの包みを取り出したユイは、
「あのね准汰くん。これ、貰ってくれないかな」
と准汰に差し出した。
「ありがとう。これってチョコだよな」 
手作りだから、市販のものには負けちゃうかもしれないけど」
「手作りなんだ。だったら市販の、どんなチョコにも負けるわけないだろ。
と准汰が笑いかける。准汰の笑顔を見て、
がんばってよかったとユイは心から思った。

(でも、もうひとつ大事なことが残ってる)
  ユイはホットココアをひとくち飲むと、
「ねえ准汰くん」
 准汰をまっすぐ見かえす。
(わたしまだ、准汰くんにはっきり言ってないことがあるんだ)
と心でつぶやき、そして言った。
「わたし、准汰のことが好きだよ」

ユイの言葉に、コーヒーカップを持ちあげようとした
准汰の手がとまる。

おどろきをはらんだ准汰の表情が、
あきらかに嬉しそうな表情にかわる。

「ごめんね、いきなり」

「なんであやまるんだよ。すげーうれしいよ」
と、こうふんが声ににじみでている。

准汰も心をこめた口ぶりで、
「俺もユイのこと、好きだから」
と言った。そう口にしたとたん、顔が熱くなるのを感じた。
ユイをうかがうと、つつみかくしのない嬉しさを顔にうかべている。
准汰は急速に緊張がほどけて、

「あーあ、ユイに先を越されちゃったな」
おどけ気味に言ってる。
「ふふ、あとさきなんて関係ないよ」
「でも、リードする立場の男としては」
と言いかけたら、ユイがおっかぶせるように言った。
「もともと両想いだったんだから、どっちが後でも先でもいいの」
ついでユイが、こうつけたす。
「サッカーひとすじかと思ったら、准汰も男女っぽいこと考えるんだね」
「洋介たちと、けっこう女の子の話するんだよな」
「そうなの」
とユイは意外な口ぶりで応じて、
「ねえ、たとえばどんなこと話すの」
准汰のほうへひたいをよせ、あきらかに興味津々で聞いている。
(しまった)
准汰は思った。陸はうまくいってるから話題にしてもいいけど、
洋介の恋のゆくえは、まだどうなるか分からなかった。

あれこれうかつに喋るわけにはいかない。
「ユイたちこそ、恋バナとかするんだろ」
と話をそらしてみる。
「女の子はもちろんするよ」
「俺の話とかも、する?」
「するよ。だって……」
ユイは恥ずかしさにとらわれ、あたりの客に目をおよがせた。
「だって?」
准汰がうながす。
「だって、いまは両想いだとわかったけど、
これまでずっと悩み続けたんだから」
そのユイの言葉は、そっくり准汰にも当てはまる。
(それをユイに伝えなきゃ)
准汰は背すじをのばし、そして言った。
「俺もユイのことで悩み続けて、洋介たちに相談したりしてたんだ」
「そっか。そうだよね」
ユイが、さも嬉しそうな笑みをうかべる。

「准汰もわたしも両想いのくせに、ずっと片想いだったもんね」
       とユイは言って、こんどは声たてて笑った。
「じゃあこれからは、なんでも直接言い合おうよ」
「うん。だってもう両想いだもんね」
     とユイは言って、おどけた口ぶりでこうつけくわえた。
「ねえ、聞いてよ准汰。
    わたし准汰に恋してるんだけど相談にのってくれる?なんてね」
こんどは准汰が声たてて笑った。
「勉強のことや友だちのこと、なんでも相談し合おうぜ」
「うん。いろんなこと、准汰といっぱい話したい。
        准汰の苦労に巻き込まれるなんて、すごく幸せよ」
「俺だって、ユイの悩みをいっしょに悩める嬉しさを考えたら、
                       最高に幸せだよ」
お互いの苦労や悩みで結びつけられることが幸せなら、
  それが両想いというものだ。

 そんなわけで、バレンタインデーの日から
          ユイと准汰の距離は息が届くほど縮まった。

〈おはよう〉と〈おやすみ〉のメールは日課となり、
電話での話も弾んで、気がつけば二時間も
       喋りあってるといったありさまだ。
『いいかげんにしろよ准汰。いくら電話してもユイちゃんと
話し中だなんて、俺のめいわくも考えろ』
「おう洋介か。わりい、わりい」
『おまえはうわの空かもしれないけど、
俺たちの大切なイベントが迫ってるんだからな』

「わかってるって。まさか洋介から、
おそろいプレゼントの提案があるとは思わなかったよ」

准汰と洋介と陸は、そのホワイトデーのプレゼントを買い終えると、
カフェに立ち寄った。三人が買ったのは、おそろいの指輪だった。
指にはめるのはもちろん、チェーンがセットになっているから
ネックレスにしたりストラップにもできる。三人とも、
自分のぶんと相手のぶんを買った。
「さりげなくおそろいのところがいいだろ」
洋介がいうと、
「案外ロマンチストなんだね」
            陸が冗談めいた口ぶりでいった。
おそろいにしたわけを、それぞれ渡すときに
            伝えるということも決めていた。
「お前ら、ちゃんと言えよ。
       頭に穴があくほど俺が考えた文句なんだからな」
「はいはい、わかってるよ洋介くん」
「准汰も、照れずにちゃんと言えよ」
「言うよ。おまえが考えた文句を、俺の言葉で伝えるよ」
こうして迎えたホワイトデー。部活を終えると、
准汰も洋介も陸も、それぞれの女の子と約束している場所へ向かった。
准汰はユイといっしょに帰る約束をしていたので、
   校門へと足を急がせる。

   すでにユイが待っていた。

翔実高校の制服の中に一人だけ出澪高校の制服のユイがいて、
ひときわ美しく映えている。
准汰は、嬉しさがせりあがってくるのをおぼえた。
(俺の彼女なんだぞ)
だれかれなく自慢したい気分だ。
「ユイ、待たせてごめん」
「おつかれさま。わたしもさっき終わったところよ」
          とユイが笑顔で応じた。
「新しい曲はどんな感じ?」
二人で肩をならべて歩きつつ、准汰が聞いている。

昨夜の電話のお喋りで、
「きょうから新しい曲を練習し始めたのよ」
とユイが言ってたからだ。
「こんどの曲はすごくむつかしくて大変。
でも、それだけやりがいもあるよ」
「新しいこと、一から始めるって大変だよな。
サッカーの練習は同じことの繰り返しだけど」
「曲が変わっても、繰り返し練習するところは
サッカーといっしょかもね」
「こんど公園でいっしょに練習する? 
俺はボール蹴って、ユイは楽器を弾いて。すごく楽しいよ」
「いいかも。でもまだ人に聴かれたら恥ずかしいレベルだから、
もっと上手くなってね」
しばらく会話がはずんだのち、
「ユイに渡したいものがあってさ」
   准汰が、鞄からプレゼントを取りだす。

「はい。バレンタインデーのお返し」
と、ピンクの包装紙に包まれた小箱をユイに手わたす。
「わあ、ありがとう」
ユイが声をはずませる。
「開けてみてくれる?」
「じゃあさっそく」
ユイは足をとめ、路肩に鞄を置くと包みをほどいて箱をあけた。

「わあ、指輪だ」
さっそく指にはめながら、
「うれしいな。ありがとう」
「どういたしまして。あ、これ見て」
准汰がポケットから携帯を取りだして見せる。
同じ指輪をストラップにして携帯に付けていた。
「あれ、同じ指輪なの?」
とユイが、指輪に指輪を近づける。
「そうだよ。おそろい」
「おそろいだなんて、
この小さな輪の中におさまりきらないくらい嬉しいよ」
ユイは言いつつ、指輪をつけた手を准汰に示した。
「このプレゼント、洋介たちといっしょに考えたんだ」
准汰が話しだす。
このまえはためらった彼らと彼女たちの話だけど、
洋介と神原千秋との仲がうまくいきそうだから、
今はもう話してもいいだろう。
「じつはこの指輪、洋介と陸も同じやつを持ってるんだ」
「森田くんと七瀬くんも? じゃあもしかして……」
「そう。神原さんと天野さんも同じ指輪を持ってるってこと」
ユイは笑っている。その笑いが准汰をうっとりさせた。
「六人みんな、おそろいなんだね」
といいつつ、友情に厚いユイはあきらかにそのことを喜んでいる。
「この指輪を持ってるかぎり、俺たちはずっと繋がってるんだ」
洋介が言ったとおりを、准汰が口にする。
「辛いことや悲しいことがあっても、みんなが隣り合わせなんだよって」
と洋介が言ったかどうか忘れたけど、准汰がそう言葉を続ける。
「だから、部活とか勉強とか本気で頑張ろうぜっていう
誓いの指輪でもあるんだ。
そんな思いをこめてユイたちに贈ろうって、
俺と洋介と陸で決めたんだ」
准汰は言いおえて、
ちょっと芝居じみてるかなと何だか照れくさくなってきた。
あらぬほうへ目をむけると、立ち並ぶビルの向こうに
沈んでいく夕陽が見えた。

ビルにかくれて沈む陽も、
       やがてあしたはまた昇る。

きょうは落ち葉に埋もれても、これで終わりになるものか。

どんなことがあっても、俺もユイもみんなも
            一人ぼっちじゃないんだ。

「森田くんや七瀬くんや千秋や茜がいなかったら」

         とユイはみんなの名前を口にしつつ、

「いまこうして、准汰とわたしは
  並んで帰ることなんてできなかったよ。
         二人だけの空気の層につつまれて…」

「俺、ユイのことが大好きだよ」

        思ってることがそのまま口に出てしまった准汰は、
照れをごまかすようにボールを蹴るしぐさをしてみせた。

「あんまりとつぜん言うから、恥ずかしいよ」
              とユイも耳まで赤くなっている。

「わたしも准汰が大好きよ」
      といいつつ、ユイは自分から准汰と手をつないだ。

いま二人は心の中で同じことを思っていた。

     (なんて俺は幸せ者なんだろう)

     (なんて私は幸せ者かしら)

 色んなことがあったけれど、あきらめなくてよかった。

******************************************************

きょうは、県内の高校生バンドが
ポートモールのステージにやってくる。

このライブにユイたち出澪高校のバンドも出場する。

 いよいよ次が自分たちの出番となり、舞台裏で待ちながら、

「今日までいっしょうけんめい練習してきたんだから、
大丈夫だよね」

  不安そうな声でユイが言ってる。

「いまさら、なに言ってんのよ。
練習できたえあげたパワーを出し切るだけよ」

と千秋は強気だし、

「ライブは聴いてくれる人も味方だから、
うまく行くに決まってるでしょ」
と茜も落ち着いたものだ。

「あーあ、サッカーの試合も見たかったなぁ」

千秋が余裕をみせて、別の話題をふってきた。

「きょうは男子たち練習試合だったのに、
かぶっちゃって見に行けないなんて」

とぼやいている。

「ほんと。わたしらの演奏も聴いてもらえないし、
あいつらの応援にも行けないなんて」

と茜が同調する。

「でも、准汰や森田くんや七瀬くんも頑張ってるから、
わたしたちも頑張るぞって気にならない?」
と、これはユイが言った。

千秋も茜も、うんうんとうなずいた。
「わたしらもあいつらも、見えないところで頑張ってる。
離れてても繋がってる」

茜が言って、携帯のストラップに付けている指輪を二人に見せた。
ユイも右手の指輪に目をやる。

千秋もネックレスにしている指輪をつまんで見ている。
いよいよユイたちの出番だ。

緊張ぎみだけど、
准汰も頑張ってると思ったらユイは体じゅうに力がみなぎってきた。

「よし、行くよ!」

バンドリーダーの詩織の声を合図に、
ユイたちはステージに駆け上がった。

なんたる偶然! たった今、
准汰がボールをゴールにけり込んだところだ。
拍手が鳴り止み、ユイたちの演奏が始まった。

音は生まれるはしか消えていく。

でもすぐ次の音が追いかける。

音と音とが繋がって、美しい音楽になる。

そしていま、わたしも准汰も青春というかけがえのない音楽を奏でている。

************************************************************

恋待ち風にのせて アナザーストーリー

  「 今野雪美の恋 」

始業式のときは満開だった桜の花も散り、
         翔実高校は真新しい制服をきた新入生で賑わっている。

だれもがこれから始まる学生生活に夢をふくらませ、地に足がついていない。

ひとつ学年がちがうだけで若いなと思うのは、

先輩という意識が強くなったからだろう。今野雪美は新入生たちを見ながら、
そんなことを考えている。自分も一年前、

あんなふうに胸をふくらませていたけど、もうずいぶん昔のことに思えた。

色白で顔立ちの整った雪美が長い黒髪をリズミカルに揺らして歩けば、
すれちがう人のだれもが見とれた。でもその容姿をひけらかすことはない。
明るく世話好きな性格は、みんなに慕われている。

サッカー部の女子マネージャーをつとめている雪美は、
      いま部活が終わって片づけをしているところだ。 
翔実高校はサッカーの名門である。毎年三十人も入部希望者がいる。

でもきびしい練習に音をあげて、半年もたたないうちに
  二十人ちかくがやめてしまう。
     きついのは女子マネージャだっておなじだ。

こちらも希望者が多いけど、
      男子部員との恋など期待してたらおかどちがいだ。
   付き合う相手はつらい仕事ばかりで、あっというまにやめていく。
雪美は入学してすぐ、友人に誘われてマネージャーになった。

しんどい仕事だけど今でも続けている。
           なんでも途中で投げだすのは嫌いなのだ。

誘った友人はとっくにやめてしまった。
  部室の掃除を終えた雪美は、ジャージから制服に着がえて外にでた。

「あ、今野」

「准汰」

はちあわせたのは同級生の夏川准汰だ。二年生でも実力のある准汰は、
今年から副キャプテンをつとめている。みんなに信頼されていた。

「今から洋介たちとお好み焼き食べにいくけど、今野もいくか」
               (あいにくきょうはビンボーなのよ)
という言葉は心でつぶやき、
「ありがとう。副キャプテンともなれば、さすがね。
             えんりょなくおごってもらうわ」

「おごるなんて、言ってないだろ」
「けち。女子マネージャーひとり養えないんじゃ、副キャプテン失格だよ」
  と雪美が笑いかける。
「こんなときだけ副キャプテンを強調するなよな」
              准汰もわらって雪美の頭をこづいた。
「いくぞ」

   准汰が足を踏み出したので、雪美も並んで歩きはじめる。
並べば頭半分、准汰のほうが背が高い。
      「ねぇ、ユイちゃんとは仲良くやってる?」
               とたんに准汰が顔を赤らめた。

「なんだよ、とつぜん」

        と、あきらかに動揺している。

「付き合ってるんでしょ。知ってるんだよ。
            なんで教えてくれなかったの」

いいつつ、雪美が准汰の背中を力まかせに叩いた。
准汰はつんのめっている。

「あのな」
    なにかいいかけて、准汰が口をつぐむ。

いたわりをみせた表情を雪美にふりむけた。

「おねがいだから、それやめて。そんなふうに気を遣われても困る。
               そういう准汰の優しさに……傷つく」

去年のクリスマスに、雪美は准汰に告白した。
     准汰に好きな女の子がいたため、振られてしまった。

准汰は申し訳なく感じているのか、雪美の前ではユイの話はしない。

「わるい」

准汰が謝ったとたん、また雪美がバシッと背中を叩いた。
手のひらに痛みを感じたほどに。

「さっきから、人の背中をばんばん叩くなよなっ」

准汰が足をとめる。かみつくような声だけど、顔は笑っている。

「ばーか。いまのせりふは冗談よ。私がそんなヤワに見える?」
                  准汰がなかばあきれていると、

「たしかに失恋して落ち込んだけど、私はいつだって前向きよ。
                 新しい恋だって、してるもん」

「新しい恋?」

「そうよ。准汰よりずーっといい男!」

雪美が空を見あげる。かたむいた太陽が頭上の空をオレンジ色に染めていた。

   温かくて、切ない夕暮れだ。

「ごめん准汰。用事を思いだした。私、今日は帰る」

 「え、そうか」
 雪美は顔の前で手をあわせ、

「ごめん。このつぎにおごってもらうから」
        准汰の言葉を待たずに走り出す。
 准汰が視界から消えると、歩をゆるめた。
     (もうちょっと准汰のそばにいたかったな)

 バス停までの足どりが、水の中を歩くみたいに重くなりだす。

そのうち雪美は、歩道で立ち止まってしまった。

家路を急ぐ人が、そんな雪美を右に左によけながら通りすぎる。

人の流れをさまたげていることに気づいて、
            路肩の街路樹によっかかった。

はやくも街灯がともり、全身さびしんぼうの雪美を照らしている。

夏川准汰と山岸ユイが付き合いだしたことは、
准汰とおなじサッカー部の森田洋介から聞いた。

驚きも動揺もしなかったけど、ちいさなシミのような寂しさが
雪美の胸に付着した。

寂しさとも悲しさともつかないシミは、
准汰とユイのことを考えると広がりだす。

(新しい恋なんて嘘。いまでも准汰が好き)

マネージャーとして同級生として
同じ時間をすごしているうちに、准汰の優しさに惹かれ、
誠実さに惹かれ、そして顔立ちにも、そう、

あの端正な顔立ちにいちばん惹かれた。
しみついた心のシミが悲しみを鈍感にさせ、やっと准汰に軽口を
言えるようになったと思っていたのに、今日はどういうこと?

あいつの優しさが心の平安を壊してしまう。

冷たくされて捨 てられたほうが、サッパリかもね。
(どうしてユイちゃんなの? どうして私じゃないの?)
雪美は街路樹の根かたにしゃがみこんだ。

無関係な人たちが、そんな雪美を気にもせず歩道を流れていく。
「だいじょうぶ?」

ふいに声をかけられた。雪美がふりあおぐ。
  のぞきこんでいるニット帽の若者は、
           街灯を背負って顔が見えにくい。

「気分わるいの?」

「あ、だいじょうぶです。ちょっとしんどくて」
                   という雪美に、
「ここよりも、その公園のベンチで休んだほうがいいよ」

若者がうながす。いわれるままに雪美は立ちあがる。

大丈夫かと聞かれたら大丈夫じゃない気がしてきて、
なんだか全身の力が抜けていく。
歩くのもやっと、といった雪美の背中に、若者が手をそえる。

雪美はベンチにすわった。
まともに彼の顔を見た。すずやかな目が、まっすぐ雪美を見かえす。
「ここのほうが楽だろ」
  気さくな態度にふさわしい笑顔だ。

感じのよさは准汰にひけをとらない。
「ありがとうございます」
そのとき、ちょっと待ってろと言われた女が、待ってる場所から呼びかけた。

「隼人。なにしてるの!」

若者はそのほうへ手をふりかえし、

「じゃあな。ゆっくり休んで帰るんだよ」

立ち去ろうとした腕を、おもわず雪美が掴んだ。

「ん、どした? まだ気分わるい?」

気分はこの人のせいで、ものすごく良かった。

「 あ、いや。なんでもありません。ごめんなさい」
雪美は耳まで赤くなり、
(どうして引きとめたんだろ。知らない人なのに)
と軽率な自分を恥じた。

 掴んだ手はとっくにひっこめたけど、
隼人と呼ばれた若者は雪美の正面に立ったままだ。

ポケットから取り出した何かを、雪美の手にのせた。
「きみにあげるよ」
「え」
「そいつを持ってると、元気でるよ」

いいおき、彼は彼女のほうへと走り去った。
(これ……外国のアニメヒーローかしら)
見たこともないキャラクターのストラップだった。
するどい目つきのハムスターみたいな動物が、
スーパースーツをまとって決めポーズをとっている。
(ちっとも可愛くないし、女の私が持つには似合わないよ)
雪美はストラップのひもに指を通し、目の高さまで上げると、
じっと見つめた。

(んー、見れば見るほど……)

 不細工で不格好で、どんくさい顔のヒーローだ。
「変なの。はははは」
おもわず声たてて笑ってしまった。]

当たってる。隼人という若者が
言ったとおり、なんだか元気がでてきた。

雪美はベンチから立ちあがった。
ストラップを指てもてあそびつつ、
しっかりした歩調になってバス停へとむかった。
「つおいよ、わたしも」
 もらったストラップのヒーローに話しかけている。

もう、すっかり暗い。

雪美は人の流れにうまく乗れるように早足になった。

バス停にはすぐついた。時刻表を見るとバスは3分前に出たばかりだ。

だれもいない待合室のイスにすわる。

ストラップの紐に指をかけて、顔の前にかかげる。
 不格好で宙ぶらりんなヒーローを、
                「えいっ」
                     と指ではじく。
「つおいぞ、わたしは」

         もういちどヒーローにつぶやいた。

(君みたいなへんてこなヒーローよりも、もっともっと強いよ、わたし)

                      と自分に言いきかせた。
(でも……)

         と、ストラップのヒーローを見つめる。

似合いもしない決めポーズをいっしょうけんめいとっている彼は、
          准汰の前で気丈にふるまうわたしと似ている気もする。

雪美は大きく息を吸いこんだ。吐きだす息といっしょに涙がにじんだ。
(なんだこいつ、元気がでるんじゃなかったの)
          もうだめだ。悲しみが荒っぽくこみあげてきた。
(准汰のばか、なんでユイちゃんなのよ。
       そりゃあユイちゃんは、ほんわかしてかわいいよ。だけどさ……)

ああもう! ぐちぐちしているわたしもばか。

  それに、さっきの彼は何だったの? じつは少し、どきどきした。

    つかの間の癒しというか、准汰のことで落ち込んでいた気持ちが、

              彼と言葉を交わした一瞬だけ、吹っ飛んでいた。

(ああ、今日はいろいろありすぎて、気持ちの整理がつかないよ)

 バスがきた。待合室から飛び出し、雪美はバスに乗り込んだ。
帰宅時間を過ぎたバスには、ほとんど人が居なかった。
いちばん後ろの広い席にすわった。

家族が心配するから、涙をぬぐいきって家に帰らなきゃ。

雪美はカバンをあけてハンカチをさがした。そしたら足元にヒーローが転がった。
(忘れよう、こんなヒーロー) 
さっきの隼人とかいう彼みたいに、つかの間の癒しがあるだけじゃないの。

いい男なんて、たくさん居る。好きな人が出来たなんて嘘ついたけど、

そのうち現実にしてやるから。自分磨きに精をだして、そのうち現実にしてやる。
(つおいぞ、つおいぞ、つおいぞわたしは)
雪美が心の中でくりかえす。

今日のことはぜんぶ忘れてしまおう。
ストラップもこのままバスに置いて帰ろう。
見えないところまで飛ばそうと、ローファーを履いている足を浮かす。

ヒーローと目があった。

相変わらずの不細工な顔に、雪美はまた声をたてて笑ってしまった。
(やっぱりわたし、こいつと縁を切るほど強くはないかな)

 雪美がストラップを拾いあげる。顔の汚れを指でぬぐう。

カバンの中の、チャックがついたポケットにしまった。

【 お知らせ 】

   来週からは 『恋待ち風にのせて ~ 大学編 ~ 』 が
   スタートします。
 

 
  ※  「恋待ち風にのせて アナザーストーリー 雪美の恋」は
         大学編の中で  再び展開されます。 ご期待下さい。 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

          『 恋待ち風にのせて 』

                  ~ 大学編 ~

 6月のはじめ、山岸ユイは広島市内の教会で親戚の結婚式に参列していた。

空は晴天、この時期に雨が降らなかったのは幸運と言える。
あたたかい陽気の中、
     真っ白なドレスに身をつつんだジューンブライドの顔がまぶしい。

新郎新婦を祝福する声があふれ、バラ科の花びらが舞っている。

夢のような光景に、ユイがうっとりしながらカメラを構える。

シャッターを押す。
    「ごめんねぇユイちゃん。忙しいのに、
              カメラマンの役を押しつけちゃって」

                叔母が声をかけた。花嫁の母である。

「入学したばかりで、もうアルバイトもしてるんでしょ?」

「えへへ……朝美お姉ちゃんに言われたからってこともあるんですけど」

        いいつつ、ユイは自分に手を振る従姉の朝美に手を振り返し、

またシャッターを押した。
「もう高校生じゃないんだから、なにもかも親に頼っちゃだめよ。
  学費の足しにバイトぐらいしなさいよ」
              朝美はユイにそう言ったのだ。

ユイと准汰は、この春にそれぞれ出澪高校と翔実高校を卒業し、
不動院大学に入学した。

去年の暮れに会ったとき、ユイは准汰が不動院大学の
短期大学部を受けことを知った。

(おれ、もともと子どもが好きだし、それにスポーツをしているから、
不動院大学で勉強してインストラクターの免許を取ろうと思うんだ)

 准汰は言った。いっぽうユイは、理系か文系かで言うなら文系。
できるだけ広島県内の大学がいいということ。
              進学についてそれだけは決めていた。

(准汰が不動院大学を受けるなら、わたしも考えてみてもいいかな)
と思い、第一志望を不動院大学の現代文化学部言語文化学科に決めたのだ。

四年間の大学生活で二年だけでも、准汰が同じ構内いると思えば安心だし。

「あの子も市内の大学だから喜んでるわよ。
     結婚して広島に帰って来たら、またユイちゃんと遊べるものね」
                         と叔母がいってる。
「朝美ちゃん、とっても綺麗ですね」

 ユイはちょっぴり羨ましそうに朝美を見つめた。
5つ年上の朝美は大学を出て神戸で就職したが、
       地元の知り合いと結婚して広島に戻ってきたのだ。

4年近くも会っていなかった従姉は大人びて見えた。

(なんだかびっくりしちゃうなぁ……)

 この春から耳に入っただけでも、
結婚を決めた同級生の話をいくつか耳にしていた。

でも大学に入学したばかりのユイには、結婚も家庭を持つことも、
現実味のない話題だった。
(もうみんな、そんなことまで考えちゃうんだ……すごいなぁ……)

   なんて思いつつ、ユイは素敵な被写体にシャッターを押しつづける。

(准汰……)

ファインダーごしに2人を見ながら、自分と准汰にその装いを重ねてみた。
もし、もし准汰とわたしが結婚……

(って、なに考えてるの! いまは2人に集中!)

ユイがカメラを下ろして、かぶりを振る。叔母が怪訝そうにユイを見ている。

 午後3時に挙式と宴会がおわる。親族や招待客が談笑しながら、
二次会に向かうバスに乗り込む。カメラを構えっぱなしで凝ってしまった両肩を、
ユイは上下させている。

 携帯電話を開くと、准汰からメールが届いていた。

『ミーティング終わった・これから練習。結婚式どうだった?』
          ユイは顔をほころばせ、さっそく返信のメールを打つ。

『ミーティングお疲れさま! 練習がんばってね! こっちもいま終わったよ。

朝美ちゃん、すごく綺麗だった。写真を撮りすぎて肩凝っちゃったよ~』

 大学に入学してからは、もっと2人の時間が増えるとユイは思っていた。
同じ大学なら眼と鼻だし、
   高校が違ってた時みたいな寂しさはなくなるだろう、と。

ところが4年制の学部と違って、その半分の2年で卒業する准汰は、
  そのぶん授業のカリキュラムが厳しくて時間の余裕はない。

おまけに准汰はサークル活動や、その仲間との付き合い。
ユイはサークルには所属していないもののアルバイトがあり、
すれちがいが続いたまま季節は梅雨を迎えてしまった。

(会えないのは寂しいって、准汰に言ったほうがいいのかな)
声だけでも聞こうと、ユイは准汰の番号を携帯電話に表示させた。

(……だめだ。いまは准汰も忙しくしてるだろうし)
こういうとき、高校時代の同級生だった千秋と洋介のような、
言いたいことを言いあう付き合いが羨ましい。
(でも、次の日曜日にはちゃんと会うって約束があるし!)

ユイは、少しだけ唇を噛みながら携帯電話を閉じた。

************************************************************

 「ヘイヘイ! サイドまわせ!」
「ボール持ちすぎ! 右空いてんだろうが!」
「ディフェンスもっと声出せよ! わかんねーだろ!」

  不動院大学の高い敷地にあるグラウンドで、サッカー部は練習に明け暮れていた。

夏川准汰は汗まみれになりながら、まだ慣れないフィールドを走りまわっている。
「あっち~」
 准汰はシャツのすそで、汗がしたたり落ちる顔をふいた。
(大学ナメてた……ここまでキツいとは思ってなかった)

 ほぼ毎日ある部活の練習や、4年制にくらべてカリキュラムの厳しい
短期大学部の授業は、正直、准汰にとって大きな負担になっていた。
何より授業が多いぶん多い課題。そして高校とは違って、教える側も個人個人の
ペースには合わせてくれないのが当然で、完全に自己責任の場だ。

マメに復習でもやっていなければついていけない。
連日課題と睨めっこして寝不足が続いていた准汰は、
だるい身体を引きずってボールを追いかけた。

「おーい、そこの1年の……あー夏川! 交代!」
「あ、はい」
 コーチの声に足をとめた准汰はベンチに走った。
コーチの横には、准汰と同じ1年の男子が屈伸をしている。
背は准汰より低そうだが、がっしりした体格だ。
派手な色に染めた髪はセットなのか寝ぐせなのか、四方八方にはねている。

「これ」 

 准汰がゼッケンを脱ぎ、その男に差し出した。

かがんだまま准汰を見上げた男は、ややあってニコリと人懐っこく笑った。
左前に大きな犬歯が光っていた。

「サンキュ。おまえ、やっぱりスピードあんなぁ」
「?……。どうも」
(“やっぱり”?)
「フェイントには、まんまと引っ掛かってたけどな!」
 ははっ、と男が笑うと、准汰からゼッケンを受け取った。

 准汰がポカンとして男を見ているとコーチから、早くしろよ、と声がとんでくる。
「っす。純情なんだな!」

 犬歯の男は准汰の肩をポンと叩いて、さっそうと走り去った。
「なんだあいつ……」

 “純情”といわれたのが馬鹿にされたような気がして、准汰は眉をひそめた。
 准汰はベンチの脇に置いたスポーツバッグを手に取った。
 携帯電話を出して開くと、ユイからの返信が届いていた。

「“練習おつかれさま……"」

 准汰は返信しようとしたが、
コーチに呼ばれてすぐに携帯を閉じた。

 午後の練習に区切りがつき、休憩に入った。

准汰がグラウンドの脇の水道に駆け寄る。そこには先ほどの犬歯の男がいた。
「よう、おつかれ」
「おつかれ」
 准汰は男の隣の蛇口で水を飲み始めた。

「俺の名前、世羅翼(せらつばさ)。4大の言語文化学科。

おまえ、翔実高校の元副キャプテンの夏川だろ?」
「なんで知って……」
「俺も高校は県内だったし。何度か対戦したことあるんだぜ」
見覚えねえ? と続ける翼に、准汰はその顔をしばし見つめた。

どこかで見たような気もしないこともないが、その犬歯には記憶がない。
「んー、覚えてねえや」
「まぁ普通、いちいち覚えてねーよなー」
 翼は残念そうに言うと、また犬歯を見せて笑った。

「でも相変わらず早えーなー、おまえ」
「フェイントには引っ掛かるけど?」
 准汰が苦笑気味に切り返すと、翼がブハッと吹きだした。

「なんだよー、すねてんのかよ!」
「嫌味だろうが! あれ」
「あいさつ、あいさつ!」

翼はほかの歯もぜんぶ見せて爆笑しながら、准汰の背中をバシバシ叩いた。

久しぶりに再会した友人に話すような翼の口ぶりは馴れ馴れしいが、
不思議と憎めない。准汰は翼につられて笑ってしまった。
「あーそれとさ、休憩が終わったら紅白戦の続きだろ?」
 翼は急に声を落ち着かせた。

「たぶんお前、向こうのチームの12番にマークつけられてると思う」
「緑のジャージの先輩?」

「そうそう。でさー、もしボール取られたら、サイドに寄せて、
一気に突っ込んでってみろよ。そしたらさ、あいつ、パスミスするぜ」

「……えー」

 准汰は黙りこんだあと、疑わしそうに翼を見た。

「ほんとだってー」
 翼はまた笑いながら准汰の背中を叩く。
「まぁ騙されたと思って!」
 翼は肩にタオルをかけると准汰にひらひらと手を振り、グラウンドに帰って行った。

  紅白戦は休憩前と同じ編成で組まれた。ちなみにクジ引きである。
 編成こそ同じだが、休憩時間に翼が言ってたとおり、

ほんとうに12番が自分をマークしはじめたので准汰は驚いた。
背丈は12番より高いが体格差で負けている准汰は、なかなかボールをキープできない。

「っ……」

  味方からのパスをまたもや12番にブロックされた准汰は、口の中で舌打ちした。
“サイドに寄せて、一気に突っ込んでってみろよ。パスミスするぜ”
翼の言葉がよみがえる。
(サイドだ)

准汰はためらったあと、ボールを追って走った。

(騙されたと思って!)

向かってくる准汰を目で捉えた12番が、一瞬うろたえた。迷ったふうをみせ、
12番は准汰の斜め後ろを走っていた味方にボールをパスした。
あっ、と准汰も12番も心の声をあげる。味方にパスされるはずだったボールは、
反対側から上がってきていた准汰の味方にブロックされた。一瞬のことだった。
(マ、マジで当たった)
  准汰はポカンとしながら、どんどん攻め込んでいく味方とボールを眺めた。
“まぁ騙されたと思って!”
  准汰はベンチにいる翼を振り返った。

翼は准汰を目で追いながら、あの人懐っこい笑みを浮かべていた。

ついで立ちあがり、頭の上で拍手をし始める。

「ナイスブロックー!」

その声に気をよくして、准汰はまた走り出す。

けっきょく試合の結果は准汰がいるチームが勝った。
 ばらばらと皆がベンチに戻っていく中、准汰は翼に駆け寄った。

「俺の言ったとおり、だろ?」

 翼がにっと笑う。准汰はうんうんと大きくうなずいた。

「お前すごいな! なんで分かったんだ?」

「見てれば分かるって」

 なんでもないという風に返される。

興奮ぎみに准汰がまた口を開こうとしたとき、集合の号令がかかった。

会話を終了させてコーチの周りに集まる。

「さて、来週の日曜日だが、岩国産業大学との練習試合が決まった」
「え……」
 准汰は小さく声をもらした。

「みな参加するように。詳しいことはまた連絡する。
今日の練習はこれで終わりだ。解散!」
 淡々とした連絡事項が終わる。

「疲れたー」
「あーしんどい」
「腹へったぁ。帰りに何か食って帰ろうぜ」

 口々に言いながらみんなが帰り支度を始める中で、
准汰はぼんやりとつっ立っていた。
「おい、どうした?」
 動かない准汰に気づいて、翼が声をかける。
「あ、いや……なんでもない」
 ベンチに戻った准汰は、大きくため息を吐いた。

返信の終わっていない携帯電話をスポーツバッグの奥へ押しやる。

「なんか嫌なことでもあったかー?」

「ほんとなんでもないから。今日はありがとな!」

 ろくにまとまっていない荷物を持つ。
翼の視線から逃れるように、准汰は家路を急いだ。

 家に帰った准汰はベッドの上で頭を抱えていた。メールを打っては消し、
打っては消しを繰り返す。

「タイミング、悪いって……」

 ぼやいても仕方ない。コーチに対して悪態もついてみたが、

どうにかなるわけでもない。

『ごめん。日曜日会えなくなった。
練習試合があって、どうしても参加しなきゃいけないんだ。本当にごめん!』
 悩んだ末に返信ボタンを押す。返信は予想以上に早かった。

『そっか~残念だけど仕方ないね。試合がんばってね! 
応援してる! またメールします』

 こういうとき、ユイはすんなりと受け入れてくれる。

人がいいから、わがままを言わない。

 それが嬉しくもあり、同時に申し訳ないと思う。

 もう一度おわびのメールを送って、准汰は枕に顔をうずめた。
(会いたいときに会えないなんて……)

 会いたい気持ちだけが逸るがどうにも出来ない。

大学に入って近づいたと思っていた距離は遠いままだ。
「雨か……」

 降り出した雨が、いっそう准汰の気分をうっとうしくさせた。

准汰から届いた『ごめん』の文字を見て、
(うん、わかってる)

 ユイは心の声でつぶやき、メールフォルダを閉じた。

結婚式も終わり、参加者は二次会へと移った。

どのテーブルにも笑顔の花がさいているのに、

ユイの表情は晴れない。

さっきまでは朝美に幸福をお裾分けしてもらった気がしたのに。

胸の内がもやもやとして苦しかった。

(やっと二人の時間がとれて、会えると思っていたのに……)

 けど、仕方ない。准汰にとってサッカーは大切なものだし、

わがままを言ったらダメだよね。

だってもう子供じゃない。メールだって、

電話だってしてるんだし。と自分に言い聞かせる。

 ユイはテーブルの下で指をそらせ、准汰にもらった指輪を見つめた。

高校のときにもらった大切なもの。

指輪を見てると、私たちは大丈夫だという気持ちにユイはなれた。

 ユイは口元に笑みをとり戻し、何か飲もうと立ち上がった。

そのとき、また携帯電話が震えた。開いてみればバイト先からだった。

 人手が足りないから、今度の日曜日に手伝ってほしいというメールだった。

「日曜日……」

 ユイは思わず口に出していた。よかった。

一人でぼんやりすごす日曜日が、多忙な日曜日に変わるんだ。

 ユイはすぐさま了承の返事を送った。

************************************************************

昼時の食堂は学生であふれている。
准汰は人ごみに視線を泳がせてユイを探した。

「ユイ!」

「あ、准汰」

 同じように准汰を探していたユイが歩みよる。
せめてお昼くらいは一緒に食べようと、二人は決めていた。

 ユイは手作りのお弁当だけど、准汰は券売機に並び、
          一番人気の〈不動院ランチ〉を買った。

 不動院大学の食堂は景色がいい。全面ガラス張りの窓からは、
   遠くの山並みを背景に陽をはねかえす川が流れ、
玩具のようなオレンジ色の電車も走っている。

  二人は窓ぎわのテーブルに向かい合い、
         そんな景色を楽しみながら昼食をとりはじめた。

「日曜日遊べなくなって、ごめんな」
席につくなり頭を下げた准汰に、ユイはくすりと笑った。

「准汰ってば謝りすぎだよ。気にしないで。ね?」
と言ってユイは笑った。

はやくご飯食べよう。
話してる時間がなくなるから。
と、その目がうながしている。

「サークルのほうはどう?」

「けっこうきつい。あ、けど友達できた。なんか変なやつだけど」

「変って?」
可愛いピンクのワンピースを着たユイが、可愛く首をかたむける。

「変って言っても、嫌な意味じゃないんだけど。
人のことよく見てるっていうか
…世羅翼っていうんだけど、会うことあったら紹介するよ」

「楽しみにしとくね」

「結婚式はどうだった?」

  メールでもいろいろ聞いたが、じっさいにユイの口から聞きたい。

ユイは口をつぐんだまま、すずやかな目で窓の外を見やっている。
  花びらの舞う教会。綺麗なドレスに身をつつんで歩く新婦。

白いスーツが眩しい新郎。

(いつか私も准汰と……)

 結婚式のあいだじゅう、そう思っていたような気がする。

「ユイ?」

 ぼぅっとするユイに、准汰は首をかしげる。
それに気づいたユイは慌てて視線を戻した。

「え、あっ、すごく綺麗だったよ。けど二次会とか大変だったの。
みんなお酒飲みすぎちゃって大騒ぎ」
 大仰にため息を吐いてみせるユイに、准汰も笑った。

「いいなー。俺、結婚式っていったことないから、
どんなもんか知らないんだ」

「なんかね、こっちまで幸せになれるって感じよ。
とにかく綺麗、としか言えないんだけど」
 キラキラとした目でユイは話す。

 そんな彼女を見つめながら、准汰は柔らかく微笑んでいた。
 お互いに昨日の出来事を話したり聞いたりして笑いあう。

うれしい時間はたちまち過ぎていった。

「あ、そろそろ次の授業始まるね」

  ユイが腕時計を見る。食堂にいた学生も少なくなってきた。

「ほんとだ、行かないと!」

  准汰は残ったジュースを一気に飲んで、食器を返却口に持っていく。

「ユイは授業ないんだっけ?」

「うん、三限はあいてる」

「そっか。じゃあ俺もういくから!」

 准汰は鞄をつかんだ。ユイは手を振って見送った。
背をむけた准汰に少し切なさを感じていると、
くるっときびすを返してユイのほうへ戻ってきた。。
 何か忘れ物でもしたのだろうか。

「どうしたの?」

「今日の授業のあと、用事とかある?」

  急な問いかけに驚きながらも、ユイは首を横に振った。

「じゃあさ、今日サークル休みだから一緒に帰ろう!」

「うん!」

  ユイが嬉しそうにうなずく。

「よし! じゃあまた後で。授業おわったらメールするから」

 ユイの頭をなでてから、准汰は食堂を走り出た。
  ユイは、一人でに顔がほころんだ。なでられた頭にふれる。

昨日のもやもやが吹き飛んで、胸の内と顔が熱くて仕方ない。

「私ってば、単純だなぁ……」

 熱を逃がすように、机に頬をつけて息を吐き出す。

じたばたと足を動かしたい衝動を抑えて、ユイは席を立った。

 時間をつぶすために図書館にでも行こう。

「あ……」

 食堂を出たユイは、小さく声をあげて立ち止まった。

 視線の先にあるのは掲示板。就活情報にまじって、
行事などのポスターも貼ってある。

 ユイの目をひいたのは、赤や青のカラフルな
色が花のように広がっている『花火大会』の宣伝ポスターだ。

「花火大会かぁ……」

 花火大会といえば、高校時代を思い起こす。
(准汰から花火大会に誘われたとき、ほんとに嬉しかった)

でもあのときは、准汰が体調を崩して行けなかった。
お気に入りの浴衣も着られずじまいだった。

 思わずユイはふふっと笑う。残念ではあったけれど、
こうして思い返してみればなかなか良い思い出だ。

(今度は一緒に行けるかな。電話ごしじゃなくて、
准汰と肩をよせあって花火を見たい)

 夜だったら准汰の時間もあいているだろうし、思い切って誘ってみようか。
 浴衣はどうしよう。お気に入りの浴衣だけど、さすがにもう大学生だし。

金魚の浴衣じゃね。バイトのお金で新しい浴衣を買おうかな。

千秋と茜を誘って選びにいくのもいいな。

 ユイは花火大会のポスターの前で、あれこれ思いをめぐらせた。

それでも考えの中心にあるのは准汰のことだ。

(浴衣を着て、可愛いっていってもらえたら、うれしい)

 ユイの頬にまた赤みがはしる。ドキドキし始める胸を押さえて、
ユイは微笑んだ。

 ユイは足どり軽く図書館へと歩き出した。

**************************************************************

 今日は日曜日。

准汰とのデートの約束にサッカーの練習試合が割り込んできて、

ユイはアルバイト先の応援にやってきた。

「…ふーん、サッカーねぇ。そりゃご苦労なこって」

目も合わせず、相手が言った。
佳境を迎え騒音がひびくライブハウスでは、声を拾うのがやっとだ。

  「眞紀先輩はスポーツされないんですか?」

彼は高校のときの軽音楽部の先輩で、
    ユイにこのアルバイトを紹介してくれた。

答えるかわりにこちらを一瞥した。眉の上で切りそろえられた茶髪がゆれる。
 「あー、隼人もそうだけどさ、しんどそう」
  「そこが醍醐味だと思うんですけどね。
      しんどいからこそ達成感があるって言うか…」

 ひまを持てあました眞紀がジーンズのポケットに手をのばす。
煙草の箱をつかんだ眞紀を、ユイは見逃さなかった。

「先輩、ライブ終わるまで我慢ですよ」

「いいじゃん。オーナー引っ込んでるし」

   といって、彼は口の端をあげる。ついで煙といっしょに、こう吐き出した。

「てか、めんどくさくねぇ? そーゆーの」

 「そーゆーの?」

「相手がサッカーばっかで放置。今日みたいにドタキャンされる訳だろ」
                     眞紀の言うことも一理ある。

だがサッカーのない准汰を想像するのはむつかしい。

ふだんの優しい准汰だけではなく、
サッカーにひたむきな彼もひっくるめて好きになったはずだ。

なにより中学生の時から見ている
       ユニフォーム姿の彼はかっこいい。

 うーんとうなったあと、ユイは笑顔を取りもどした。

「いいんです。今度の花火大会いっしょに行こうと思うし。
    それでドタキャンもチャラ!」
「は?」

「夏にあるじゃないですか!」

「知らないの? 花火大会の日はここ主催でバーベキュー大会やんぞ」
                       眞紀が言い返す。
「え、そうなんですか」

「毎年やってるよ。常連客や関係者よんで、スタッフは全員参加」

昼間はバーベキューで、夜はそのまま花火大会に流れる、
                        といった寸法だ。

全員参加と言うことは、もちろんユイも仕事としてかり出される。

それは今年どころか、

へたをすれば大学生の間じゅう准汰との花火大会を
               諦めなければならないことになる。
 ユイはたちまち落ち込んだ。

(まだ准汰を誘っていないだけ、傷は浅いと思おう)
 
 そう自分に言い聞かせた。

ステージの片付けを終え、ミーティングのために事務所へ戻る。

すでにオーナーと眞紀が並んで席についていた。

デスクの上に書類が広げられている。
「お疲れユイちゃん。今日は助かったよ」

「あ、いえ。こちらこそ」

  と笑えば同じように返され、オーナーが紙コップを差し出す。

「ここで『君のために淹れたんだよ』なんてコーヒーでも
出せたら格好いいんだけどね」
「そりゃ、鳥肌モノですね」

  と眞紀が茶々をいれる。

ユイはオレンジジュースを受け取った。

「さて、冗談はさておき、来月に毎年恒例の
イベントをするからそのことについて話し合いたいんだ。
ユイちゃんは初めてだよね?」

「花火大会ですか?」

「あれ? 知ってたんだ」

 予想が当たってしまったことに、ユイは眉を下げる。

オレンジジュースを見つめながらうかない表情を自覚した。

情けないな、と思いつつオーナーの言葉にうなずく。

「じゃあ話が早いや。好きな人、呼んでいいからね」

「へ」
  へんな声が出た。

気落ちして思考が鈍っていたユイは、
とっさに彼の言葉を理解できなかった。

「ユイちゃん、今の声おもしろい」

「お、もしろくないです。あの、呼ぶのはお客さんや

関係者の方だけじゃないんですか?」

「うん、サクラにほしいんだよ。人数多いほうが参加しやすいでしょ?」

 まあ軽くお手伝いしてくれる人もほしいし、
代わりに参加費はちょっとまけてあげる、とオーナーが目を細くした。

ユイは思いがけない話に驚きつつ眞紀を見やる。

(好きな人、呼んでいいって知ってたくせに)

 彼はテーブル上の書類へ目を通していた。

「眞紀先輩?」

「なに」

 眞紀はあらぬ方へ顔を向けた。普通の顔だった。

彼の普通の顔の場合、いやな予感がするのだが。

「あー、もしかして眞紀くん、またユイちゃんで遊んだね。
やめてよ、うちの癒しどころなんだから」

「んなことナイっすよ」

 オーナーのゆるい制止を聞きながら悟った。

「わたし、からかわれてました?」

  にやりとする眞紀に、またやられたと頭を押さえた。

***********************************************************

あざやかな空に大きな入道雲が伸びていた。
(真夏の空は立体感があるな)
  と准汰は感動する。クーラーボックスの

サイダーを取り出しながら視線を戻すと、
ユイも同じように空を見上げている。

スイカを冷やしてくるよう頼まれたユイは、
   足だけ川に浸けている。まわりの木々とワンピース、

緑と白のコントラストに、准汰は空とは別の美しさを感じた。

そんなことを考えていると、

「こらっ、ユイに見とれてる暇があったら手を動かしなさい」
頭に衝撃が走った。

犯人は千秋だ。手にはトングが握られている。

「お前ら、相変わらずそんな調子かよ」
           半眼にした洋介もぼやいている。

 ユイに誘われて参加した、このバーベキュー大会。

高校の馴染みである友人たちも呼ばれていた。

「洋介、その肉、燃えてる」

「え、ちょ、うわっ!」

「お前も相変わらずだな」

        あわてる洋介に准汰が苦笑する。

ひさびさの水入らずの感覚が、嬉しくもありくすぐったい。

「あー、ここはいいから、早くユイ呼んできて!」
        肉の上にキャベツを盛りながら千秋が叫ぶ。

その声を受けて准汰は走り出した。

「ユイ!」

   振り返るユイに、先ほどのペットボトルを差し出す。

一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐに笑みを返してきた。

「ありがとう」

「千秋が呼んでる。なんかあった?」

             川からあがるユイに手を貸した。

バランスを崩さないように気を付けていると、足元に目がとまる。

水にぬれた彼女の足はきらきら光り、その華奢さを際立たせていた。

細いなぁと准汰は思った。

「ううん、いい天気だなぁって」

      いいつつ、ユイはまた空を仰いだ。

                  准汰もつられて見上げる。

「ああ、これなら花火もきれいに上がるな」

                  眩しくて手をかざす。

「ごめんね。花火、二人で観たかったよね」

                  ユイがつぶやく。

「気にすんなよ。洋介たちも一緒だと盛り上がるし、
             花火を観られることには変わりないだろ?」

 准汰の手が頭をなでる。

 遠くから洋介の声が届いた。
           しまった、早く戻らなければ。

「ほら、千秋が待ってる」
          とユイの手を取る。

きゅっと握り返した彼女は、もう顔がほころんでいた。

「遅い! あんたたちいちゃつくなら、よそでやってよね」

    仁王立ちの千秋による手厚い歓迎を受け、新たに指示された場所へ向かう。

いくつかにわかれているグリルは、
         どれも香ばしいにおいがたちあがっていた。

准汰が自分の持ち場はどこだろうかと探していたら、肩をたたかれた。
振り返れば、ひょろっとした男がいた。
「こっち」
「あ、はい」
   はじめに行なった自己紹介から情報を引き出す。

たしか、ユイのバイト先の先輩。

眞紀と言ったはずだ。
   「私も先輩と同じところでやるんですか?」
                   とユイが言った。

   「うん。あっちは千秋に任せてればいいでしょ」

   「わかりました」

     ゆるい笑い方をする人だな、というのが准汰の第一印象だった。

ユイと談笑している眞紀を見ながら、准汰はなんとなく違和感を覚えた。

「ジュンタクン、だよね。力仕事ばっかり頼むと思うけどいい?」

                例の笑顔が今度は自分に向けられる。

「いいですよ。焼き具合とかわからないから、そんぐらいしかできないですし」

「安心しなよ、ユイなんて荷物運びどころか焼くのもできないから」

「先輩!」

「実際できなかったでしょキミ。高校の追い出し会、
                忘れたとは言わせないから」
 ユイが顔を真っ赤にさせてうなる。

 そういえば昔、軽音部の追い出し会で焼肉屋に行ったけど、

ユイが焼き始めたとたん、網の上のものすべてを消し炭にしたとか。

あわてふためく彼女が目に浮かぶようで、准汰は思わず苦笑した。

それを見逃さず、ユイがとがり声をあげる。
「准汰まで!」
「え、あ……ごめん」
「今は出来るよ、たぶん……」
              顔は赤いままでユイがいいかえす。
「仲、いいね」

       という眞紀を准汰が見やる。目があった。

その言葉の意図がわからない。相変わらずの笑い顔。

ずっとこの顔だから、本当に笑っているのかすら怪しくなってくる。

「まあ、それなりに……」
       そう返す以外、言葉が思いつかなかった。

「ユイってさ、子供っぽく怒れるんだな」
「はぁ」
「俺といるときは、俺の方が年上じゃん。
    気ぃ遣ってちょっと表情かたいからさ、新鮮」

                 眞紀が視線をユイにやる。

彼の言葉も表情も、
ユイはいたって自然に受け流しているように見えた。

「しっかり捕まえときなよ、いつか大火事おこすかもよ」
「え?」
「先輩まだその話してるんですか!」

ユイが手にした紙皿が揺れるのを見ながら、准汰は眞紀に不快感をおぼえた。

すこし離れたところで、千秋は高校時代の先輩や友人たちを見やっている。

千秋は眞紀にあまり良い感情を抱いてなかった。

何を考えているのかわからない。

准汰が感じていたように、千秋もあの笑顔を胡散臭く感じる。

「なんだかなー」

         思わずこぼしていた。

ユイは気づいていないようだが、
        准汰はどう思っているだろうか。

「どうしたの? 千秋」

「あー、なんでもない茜」

「なにそれ」

 千秋は適当に返事をする。確信できないことは口に出さない方が吉だろう。

第一、この考えを口に出すほうがむつかしい。

「やぁ、先輩たち元気でよかったわー、なんて」

「うん? 変な千秋」

     そこへ顔を真っ赤に染めたユイがやってきた。

「どうしたの山岸さん。顔赤いよ」
                陸が尋ねる。

「なんでもないよ! きょう暑いから」

「熱中症なら気をつけろよ。山岸が倒れたらびっくりして准汰もぶっ倒れるぞ」

              洋介がタオルで汗をぬぐいながら言う。

「大丈夫だよ、飲み物持ってるから」

「で、どうしたの?」

「紙皿が足りないから貰いに来たの」

      ユイは言いながら段ボール箱を開け、紙皿を取り出した。

「ユイ」
      ひきかえそうとしたユイを千秋が呼び止める。
「なあに?」
      呼び止めたはいいが、かける言葉が思いつかない。

「楽しくやるんだよ」

          と手を振れば振り返された。

ライブハウスのメンバーはすっかり打ち解けて、
楽しいバーベキューになった。

そのあとも准汰は眞紀に話しかけられた。

といっても、片付けの指示をされただけだ。

ユイは紙皿を片手に、いつもと変わらない感じでいろんな人と話していた。

 いつのまにか陽がかたむき、夕焼けに染まったユイの頬が、
                     准汰をまぶしがらせた。

ひとをまぶしがらせるに充分なユイを目の端で追いながら、
准汰は片づけをはじめた。

「准汰、これゴミ捨て場まで持っていってくれる?」

  千秋が、重そうなゴミ袋を渡しながら言った。

洋介も両手にゴミ袋を抱えている。

「一緒に行こうぜ。千秋だってこれくらい持てると思うんだけど、
いちお、女の子あつかいしてやらないとな」

 顔は洋介に向けて言いながら、准汰が千秋からゴミ袋を受け取る。
    
「え、いま何て言った?」
千秋の声を背に、准汰は洋介とゴミ捨て場へ歩きだす。

「さいきんどうなの?」
洋介に千秋との近況を聞くと、

「お前こそ、ユイちゃんとデートする時間は確保してるか。
遊ぼうぜって誘っても、サッカーばっかで忙しそうだけど」
と言い返された。

准汰はその言葉にすこし凹んだ。このあいだ、デートの約束の日に、
予期せぬ練習試合が入ってしまったことを洋介に話した。

「そのことかなあ……」

「ん? なにが?」

「いや千秋がさ、ユイちゃんのこと気にかけてたから。
ユイちゃん、なんかあったのかなあって」

 ユイが千秋に相談でもしたのだろうか。
やっぱり淋しい思いをさせてるのかもしれない。
思わずうつむいてしまう。

「いや、でもお前のドタキャンのことはやっぱり関係ない気がするしなあ……」
という洋介の言葉で、よけいにユイが一人で何か抱え込んでるような気がしてきた。

「まあ、これから花火だし! 久しぶりにユイちゃんとゆっくり出来るんだろ。
俺たちのことは気にせずにさ、2人で楽しむんだな」
  洋介が言った。

そうだ、そうしよう。

  花火の会場まではみんなで行くけど、そのあとは自由解散なのだ。

   ライブハウスの人も、おのおの招待した友達と過ごすようだ。

     花火もみんなと一緒に見るものだと勘違いしていたユイは、

「ゆっくり二人で見れるね」
と、うれしそうに言った。
ゴミを捨てたあと、

「おれ、トイレに行ってくる」
とつげて、

洋介はトイレにかけこんだ。洋介を待ちながら、
准汰がトイレの入り口で手を洗っていると、ユイの声がきこえた。

入れ違いでゴミ捨て場に来たようだ。

ゴミ捨て場にひきかえそうとした准汰は、
思わずコンクリートの壁に隠れてしまった。

ユイが、眞紀先輩と2人だったから。

「あー、つかれた。ちょっと一服するわ」

  眞紀が、腰に巻いた皮のポーチから煙草とライターを取りだす。

「片付けまだ残ってるし、一服してるヒマなんてないですよ」

  ユイがみんなの方を気にしながら言う。

「大丈夫だって。ユイちゃんもはじめてのことで疲れたっしょ。
なにげに周りに気ぃ配ったりしてたし」

  いいつつ、眞紀は煙草をふかしている。

「いっつもニコニコしてるだけの天然なやつじゃなかったんだな」

「え、それひどい! 眞紀先輩だって、
いっつもにやにやしてるじゃないですか」

 ほんとうに失礼な人だと、ユイは頬をふくらませた。
「お、その顔」
「え?」
「あ、いや。准汰くんだっけ? 
彼と話してるときのユイちゃん、可愛かったな」

「なに言ってるんですか、もう」

  ふくらませた頬が、こんどは真っ赤になる。

「そうそう、3人で話してたとき、そんな顔してたよ」
  にやっと笑って、眞紀の方から顔を覗きこんできた。

ユイは恥ずかさのあまり顔を上げられない。眞紀はユイの肩越しに人影を見つけた。

目を細め、口をむすんでうなずく。

「あ、ユイちゃん虫。動いちゃだめ」
と、ユイの腕をつかんで真横にまわった。
頭に虫がついてるふうをよそおって、髪の毛を払った。虫と聞いて、ユイの体が固くなる。

息まで止めて、眞紀にされるがままだ。

「はい、オッケ。ビビリちゃん♪」

  楽しそうに眞紀が笑った。

虫ごときにおびえた自分がまたまた恥ずかしくて、
ユイはうつむいたままだ。眞紀はトイレの人影を意識して、
息が届くほどユイに顔をよせている。

「でも、いいよな、ユイちゃんって」

「……はい?」

「ユイちゃんみたいな子、嫌いじゃないよってこと」

「え?」

「なんだよもー、ほんとニブいな。さっ、行くぞ」

 そう言って、眞紀は煙草を足で消すとさっさと歩きだした。

(眞紀先輩……それ、どういうこと)

 ユイの鼓動が速くなる。

でもそれは、ときめきとはまるで違う動悸の高鳴りだった。

************************************************

「あー、食いすぎて腹いてぇ」

  洋介がトイレから出てくると、准汰が立ちつくしていた。

「おい、准汰?」

  顔色わるいぞ、お前も腹こわしたか? 
などとのんきな洋介をよそに、准汰は
悄然と足をはこんでいる。

(さっきのあれ、なんだ)

  声はしたものの、ユイと眞紀の会話は聞こえなかった。

ユイはずっとうつむいていて、眞紀がユイを抱き寄せた……のか?

 そんなはずないとは思いつつも、あの、2人の所作が腑に落ちない。

(もしかして眞紀先輩は、ユイのことを……)

眞紀先輩にはどうも親しみが持てない理由が、これではっきりした。

 それにしてもユイは……ユイは、されるがままになっていた。

隠れるようにして見たから、一部始終が見えたわけではない。

だけど2人を包んでいた空気の層は、ぜったいに普通じゃなかった。

准汰の脳裏に、されるがままになっていたユイの姿がこびりついた。

************************************************

 花火大会の会場に着いた。早々に解散宣言をして、

みんなも思い思いに散っていった。

眞紀とオーナーは余った食材をライブハウスの
冷蔵庫に入れるために、花火を見ずに帰っていった。

眞紀がいなくなったことを確認すると、ユイはほっとした。

さっきのことは、からかわれたんだと思うことにした。

それより何より、これから准汰と花火を見るのだ。

うれしくて顔をふりむけると、准汰もまっすぐ見返した。

ユイは笑顔になる。

「なに、見つめあってんだよお二人さん!」

  洋介がからかう。かくいう彼はしっかりと千秋と手をつないでいる。

「陸と茜ちゃんはあっちの屋台に行くってさ。
俺たちもゆっくり花火を見れそうなとこ探すから」

 じゃ、と手をあげて洋介と千秋は人混みにまぎれていった。

いつもは強気な千秋だか、洋介に手を引っ張られていく姿はとても可愛い。

  准汰とユイは飲み物を買うと、花火が見れそうな場所に腰を下ろした。

「人、いっぱいだね。ちゃんと見れるかなあ」

「大丈夫だよ。ここの花火、けっこう高くあがるんだよ」

「そうなんだ、楽しみだなあ」

自分も花火を楽しむためには、もやもやを払拭したいところだ。

ややあって、
准汰は口をひらいた。

「……あのさ、きょうゴミ捨て場でさ」

「あ、そういえばね、聞いてよ! きょう眞紀先輩がゴミ捨て場でね、
虫がついてるって払ってくれたんだけどさ、
わたしが怖くて動けなくなってたら、ものすごーくバカにして、
ビビリちゃんっとか言うんだよ。ひどいよね」

 言い終わったあとに、ユイはしまったと思った。

せっかく准汰と楽しくすごしているときに、あの嫌な気分がぶりかえしてきた。

「そうなんだ。はは、あの人、ひとをからかうのが好きなんだな」

      これを聞いて、准汰の疑念は小さなシミのようにうすれていった。

いっぽうユイは、つまんないことを喋ったせいで、

表情もうつろに口をつぐんでいる。ユイちゃんみたいな子、嫌いじゃないよ、

と言った眞紀先輩の言葉が、耳について離れない。

(はやく花火の音で、消し去ってほしい)

 きっと先輩は、からかってきただけだったんだって。

わたしには、こうしてちゃんと准汰がいてくれるんだもん。

わたしが好きなのは、准汰なんだ。

 ユイは三角座りをしていた腕をほどいて、自分から准汰の手を握った。

准汰は、あの、ただならぬ行為が虫のせいだったと
知って、すこしは晴れやかな気持ちになった。

すっかり晴れやかな気持ちになれないのは、
   (眞紀先輩って、ユイのこと好きなのかな)
             という不安が拭いきれないからだ。

でもそんなこと、いまは考えないでおこう。

誰がユイのことを好きだろうと、ユイはいま、
        こうやって俺の隣に座っているじゃないか。

 目と目があった。

ふたりは言葉もなく見つめあった。

ユイが、握った手に力をこめた。

さっきまでジュースを持っていたユイの手は、ひんやりとしていた。

准汰がその手を強く握り返したそのとき、

どーんと大きな音がして花火がはじまった。

「わあ、きれいだね」

「うん、きれいだな」

      花火があがるたびに、歓声もあがる。    

その音と歓声に負けまいとして、ユイと准汰の会話は大声になる。

握り合った手が2人を幸せな気分にし、

色とりどりの花火は、ユイと准汰のための最高の演出家だった。

*****************************************

きょうは准汰とユイは大学に来ていた。

短大生の准汰は夏休みでも忙しく、友達と図書室で課題をする約束をしていた。

たまたま予定がなかったユイは、一緒に図書室へ行くことにした。

ユイと准汰は、別々の高校だったぶん、

こうして学内で並んで歩けることが嬉しかった。

夏休みの図書室は人が少ない。准汰は4人掛けのテーブルに荷物を
置いて課題の準備をする。

ユイは近くの本棚で、どんな本を借りようか迷っている。

「おっす准汰、相変わらず早いな。あ、ユイちゃんだ! おはよっ」

  サッカー部の世羅翼が准汰とユイを交互に見て声をかけてきた。

「おはよう」
  と2人の返事がそろった。

「お前ら、相変わらず仲良しだな」
  翼は、いつもの人懐こい笑顔を向ける。
「おはよう」
 のっそりした声に3人が振り返る。准汰と同じチューターの柏木由樹だ。

黒縁メガネからのぞく瞳はまだ少し眠そうに見える。

背の高い彼が、ほわっとアクビをしながら席に着く。

「わぁ、由樹くん髪切ったんだね!」
  ユイが話しかける。

「うん、近くの理髪店でね。そこ小さい店で、
2歳くらいの赤ちゃんが居るんだけど、
ひーちゃんって呼んだらこっちに来るの、すごく可愛いんだあ」

「そうなんだ、いいなー。由樹くん、幼児教育化だけあって、
やっぱり小さい子好きだよね」

 ユイと由樹の会話を聞きつつ、翼が准汰に話しかけた。

「ユイちゃんと由樹って、何か同類だよな」

「え、そうかな?」

「うーん、もちろん性格とかは違うけど、マイペースで人を和ませる感じがさ」

「ああ、わかるかも」

「ユイちゃんもここに座りなよ。課題手伝って」
  翼が2人を呼んだ。准汰と由樹と翼は課題に取り組んだ。

 夕方まで集中して、やっと3分の1が終わった。
そろそろお開きにしちゃおっか、と翼が伸びをした。

言語文化学科のユイは3人の課題についていけず、借りた本を読んでいた。

「このあとみんなでメシ行こうぜ」
  翼がいうと由樹は同意したが、

「ごめん、きょうは高校時代の部活の集まりがあるんだ」
准汰は言った。
「そっか、じゃあまた今度な」
「おう」
  けっきょく、みんなは解散した。

  ユイと准汰は駅まで一緒に歩いた。

「集まり、楽しそうだね」

「うん、みんな進路がバラバラで、久しぶりに会うからな。
まあ、洋介はこないだ会ったばっかだけど」

 声がはずんでいる。

准汰は、部活の集まりを本当に楽しみにしているのだろう。

「行ってらっしゃい、楽しんでね」

「ユイも気をつけて帰れよ」

  駅でわかれたユイだけど、ひとつだけ気になることがあった。

(部活のあつまりってことは、雪美ちゃんも来るのかなあ)

 今野雪美は准汰と同じ高校のサッカー部のマネージャーだった人で、

とても美人で明るい子だった。そして、准汰のことが好きだった。

バスの中で、ユイは雪美のことを思い出していた。

最後に雪美と話したのは、一昨年の大晦日。

『たとえ准汰を失っても私自身が取り戻せる。大切なのは自分なのよ』

あの日の雪美の言葉がよみがえる。もし雪美なら、

こんな状況でも准汰とうまくやれていたんじゃないかとか、
あまり時間に余裕のない今の准汰を支えてあげることもできたんじゃないかとか、
考えてしまう。

その上、今日の飲み会で准汰と雪美が以前のように親交を深めるのではと
   邪推してしまう自分がいやだった。

(けっきょく悪いのは、いいとか嫌とか、はっきり言わない自分なんだよね)

ユイは、膝の上に置いた鞄に顔を押しつけた。

「そんな姿勢してたら、バスに酔うよ」

その声に顔をあげると、何かに頭をぶつけた。

「あいたっ」
「どんくさ」
「あ、眞紀先輩!」

      眞紀が座席のわきに立ってニヤニヤしていた。

「もう、痛いじゃないですか」

「俺は、握り拳つくってただけだから。ぶつかったのはユイちゃん。
            ユイちゃんて石頭なんだね。俺の手のほうが痛かったよ」

「そうですか、すいませんっ」

「えっ…謝るんだ」

     眞紀はユイの顔を見ながら、
「顔色わるいよ」
      と言葉をつないだ。

「そうですか?」

「隣いい?」

       ユイの返事をきくまえに、眞紀が座席に腰をおろした。

「俺、いまからオーナーのお遣いで買い出しに行くんだけど、つき合ってくれない?」

「え?」

眞紀はニヤニヤ笑いをうかべ、ユイを見つめる。バスが止まった。

  ユイが降りるバス停だった。

「あの、私ここで降りるんですけど!」

「ちょっとホームセンターとか楽器屋に寄るだけだし、いいだろ」

   眞紀は席を立とうともしない。そのうちバスの扉が閉まり、動きだした。

「あーもう。降りれなかったじゃないですか」

「ごめーん」

あやまりつつ、眞紀は悪びれたふうもなく笑っている。

**********************************************************

准汰は、慣れない立町の通りをうろついていた。

時計はもう、待ち合わせの七時を指している。
(かんぜんに迷子だ。人に訊くべきかな)

そのとき、脇の道から女の子が出てきた。
行くべきところをめざしているような、確かな足取りだった。
准汰が足ばやに歩み寄る。

「すいません。魚兵っていう居酒屋、さがしてるんですけど」
「あ、それならこのすぐ先ですけど……って、准汰じゃないの!」
「あ、雪美? わかんなかった。おまえ化けたなぁ」
「なんか、いい意味に聞こえないんだけど!」

雪美は眉をつりあげ、振りかぶったバッグで横殴りに准汰の頭を狙った。

「うわっ、ごめん」

 准汰はそれをよけつつ、あらためて目の前の同級生を見つめる。

もともと顔立ちの整った雪美は、見ちがえるほど美人になっていた。

(女って化粧一つで変わるなぁ。いや化粧じゃないかも。
なんかこう、内面から……)

「なにボーッとしてんのよ。どうせ迷子になってたんでしょ」

雪美が准汰の腕をつかむ。

「私が連れてってあげるから。早く、遅れちゃうから!」

 雪美が駆け出す。
准汰は突っ転びそうになりながら雪美に手を取られている。

(まぎれもなく、あの頃のままの雪美だな)

まるで拉致されるように引っぱられながら、准汰は心の声でつぶやいていた。

 目の前にいるのは、はつらつと、元気いっぱいの雪美だった。

飲み会が盛り上がってくると、雪美が准汰の近くにやってきた。

タンブラーを二つ持っている。
「どうぞ。オレンジジュース」

雪美はテーブルにそれを置くと、准汰と向き合って腰をおちつけた。

「ひさしぶりね」

「さっき、すげえ手荒なことされたけどな」

二人が笑いあう。その笑顔のなかには懐かしさがまざりこんでいた。

「不動院大学だっけ?」
「そう。短期のほう。雪美は?」
「わたしは八丁堀の、事務系の専門学校」
「楽しい?」
「バイトは楽しいかも」
「おいおい」
「あはは」

受け答えしつつ、准汰は雪美の指輪に気がついた。

「雪美、もしかして彼氏できた?」

「あ、これ」

雪美が左手をかざしてみせる。

「そう! 年上の人とつき合ってるの。准汰の一万倍はかっこいい人だよ。
                年上だから頼れるしね。うらやましい?」

「うらやましい?って、俺男だろ」

「あは、そうだね」

    雪美が声をたてて笑う。

「じゃあ、妬ける?」

「妬けねえよ」

    雪美の元気そうな姿に准汰はほっとした。

「ねぇ、おぼえてる?」

「なにを?」

「私、准汰のことが好き。私じゃダメかな?」

  とうとつな雪美の言葉に、准汰の箸が止まる。雪美はニヤニヤ笑いながら、
                          タンブラーを傾けている。
「なに固まってんのよ」

「おまえ、マジでそういう冗談やめてくれ、ほんとに……」

准汰は間がもてなくてジュースを飲んだ。
何年か前のクリスマス・イヴの夜がよみがえる。

「准汰も少しは成長した? あのときは真っ赤になってうろたえてたもんねー」

「くそっ、すごく焦ったんだぞ今。……からかってんだろ」

「うん」

雪美は准汰にまっすぐ目をあてたままうなずいている。

「なによ、こわい顔して」

「べつに」

「なんか胸に引っかかってる? そんな顔よ」

    と准汰をうかがいつつ、こう付け足した。

「ユイちゃんとうまくいってないの?」

「……」

無言の返答ってことは図星だ、と決め込んで、
          雪美は呆れたようにため息をついた。

「ちょっと、頑張ってよ! 私のことふってユイちゃんとつき合ってるくせに」

「おまえをふったこととユイとつき合ってること自体は関係ないだろ。

誰とも比べられないくらい好きなんだよ、ユイのことは」
      と応じた准汰を、まんまるな目で雪美は見返している。

「でも、好きなだけじゃつき合っていけないんだよ。
    それじゃただの両片想いと変わんないよ。進歩ないままじゃん。わかってる?」

雪美の言葉が、准汰の胸の中にどっしりと落ち込んできた。

「うん、わかってんだけどなぁ……」

あいまいに返しながら、准汰は、どういうわけか眞紀を思い出した。

***********************************************************

「悪いね、つき合わせちゃって~」

 ホームセンターで買った装飾の資材を片手に、眞紀が言う。ユイは頬をふくらませた。

「もう、ほんと無理やりすぎますよ」

と言い返すユイは、楽器屋のロゴが入った袋をさげていた。

「でもすいません。おごってもらっちゃって」

「いいのいいの、メシぐらい。こんな時間まで連れまわしてるんだし。
 このへん危ないからバス停まで送るわ」

「ありがとうございます」
携帯電話を開くと、もう九時だった。
(准汰、まだ飲み会終わらないのかな……)
なんて思っていると、

「こないだのバーベキューのときは仲よさそうだったけどねー」

胸の内を見透かしたような眞紀の言葉に、ユイは、はっと息をとめた。
「ケンカ?」

 眞紀の楽しげな口調に、ユイはむっとして顔をそっぽむけた。

「ちがいますよ。あ、でもケンカとかできたら、まだいいのかも。
あ、でもやっぱりそれもいやかなぁ…」

  ややあって、眞紀がいった。

「言いたいことも言えないような関係なわけ?」

「そ、そうじゃないと思うんですけど」

もし雪美さんと准汰だったら、思いのありったけで喋りあうかな。
(あ、だめだめ)

ユイはよくない考えを追っ払うみたいに、頭を振った。

「別れちゃえば?」

いきなり言われてユイはおどろき、眞紀の横顔を見上げた。

眞紀は無表情のまま、前に目を向けている。

「相手の考えてることがわからない。信じられない。
言いたいことは言えない。言わない。
そのうえ問題にしなきゃいけないとこ丸投げして、
距離のせいとかにしちゃうんだろ?」

ユイは聞きながら、鞭のような言葉で叩かれている気がした。

心臓が跳ねて、あばら骨にぶつかった。

「ちがう?」

眞紀の言葉が、ユイの首に巻きついた。

息ができない。声が出ない。ユイはこわばった顔で眞紀を見返した。

ニヤニヤ笑う眞紀の眼だけは笑っていなかった。

「相手にも非はあるのに、ぜんぶ自分のせいにしちゃって」

(うっ……)

「准汰くんは鈍そうだしね。気づいてあげられないんだ、ユイちゃんの気持ちに」
眞紀が、ユイのほうへ顔をふりむける。

「いま、どっか外れてた?」

「は、外れてません」

「で、スパイラルなんだろ?」

「はい」

みごとに言い当てられた。ひどく情けなくて、ユイは大きなため息をついた。

「落ち込んじゃった? ごめんね」

眞紀の手がユイの頭に置かれた。

「けっこう歩いたから、ちょっとそこに座るか」

************************************************

「ここでいいよ、彼氏が迎えにきてくれるみたいだから。送ってくれてありがと!」

雪美が准汰に笑いかける。

「いや、帰り道だし、いいよ」

「こういうときは素直に、どういたしましてって返しときゃいいのっ」

「……はい」

「そうだ。ユイちゃんにメールしてあげなよ」

「え、なんで?」

准汰のにぶい反応に雪美が顔をしかめた。

「なんでって、高校のサッカー部の飲みって言ったんでしょ。
ユイちゃんが、私と准汰のこと気にしてるからよ」

「あ」

「呆れた。ちょっとは成長したかと思ったのに、どんだけ女心にうといのよ」

「ごめん」

「はいはい。謝るんならユイちゃんにね」
と言い交わしつつ、さらに歩きつづけた。
ユイにメールしようと、准汰が携帯電話を取り出した。

そのとき、バス停の人影が目にとまった。
(眞紀先輩? それとユイ?)

あらためて見つめなおし、ついで准汰はそのほうへ足ばやに歩きだした。

「どうしたの?」
と雪美があとを追った。
 眞紀が准汰に気づいた。

「ユイちゃん。准汰くんがいるよ」

「え、あれ、准汰と……雪美さん?」

ユイがベンチから腰を浮かせる。

「ユイちゃん、ひさしぶり!」
准汰を追い越した雪美が駆けより、ユイの肩に手をかけた。

親しみをこめて笑いかける。

「ユイ、あのな」

雪美とのいきさつを話そうとした准汰をさえぎり、

「君ら、こんな時間に二人で何してたの?」

ひややかに眞紀が言った。そして雪美を蛇のような目でうかがい見る。

「ふーん、そういうこと?」

「ちがいます! 高校のときの同級生で飲み会があって、
おなじ方向だから一緒に帰ってただけです!」
雪美がユイにも聞かせるように、言い立てた。

「眞紀先輩こそ、ユイを連れまわして何してたんですか」
ついで准汰が、なるべく感情をおさえて言った。

「何って、ただのバイトのお使いだけど」

眞紀は言い返し、そうだよな、とユイのほうへ顔を振り向けた。

「うん、そうなの。ごめんね」
ユイが准汰に謝る。

准汰が、嫌味な笑いをうかべる眞紀をにらんでいると、
背後でバスが止まった。

「じゃあ俺、ユイを送っていくから。気をつけて帰れよ雪美」

「うん、おやすみ。ユイちゃんもおやすみ」

「あ、はい。おやすみなさい雪美さん。眞紀先輩も」

  准汰はユイの手をとってバスに乗り込んだ。
雪美は走り去るバスに手をふっている。

バス停に、眞紀と雪美が残された。

「雪美ちゃんだっけ? 准汰くんとはどういう関係?」

「だから、ただの高校の同級生です」

雪美が言いきる。ふうんと眞紀がつぶやき、

「ま、似たもの同士だね、俺ら」

「え」

「自意識過剰と、負けず嫌い。身も世もなく准汰くんを
好きだったわけじゃないんだろ」
「なっ……」

言葉がのどでつかえて、雪美は唇をふるわせて眞紀をにらみつけた。
眞紀は満足げにほくそ笑み、さらにつづけた。

「なんか聞いたことある名前だと思った。
さっきユイちゃんから聞いたんだよね」
(知らないふりしてたの?この人!)

雪美の頭に血が昇っていく。反対に眞紀は楽しげだ。

「何が言いたいのかわからないんですけど」

「言ったでしょ。似たもの同士だって」
(落ちつけ。ここで怒ったら、この人の手に乗せられる)

さっさと立ち去ればいいのに、こんな男と同じだなんて言われて、
このままじゃ悔しい。雪美はすこし震えながら口をひらいた。

「たしかに似たもの同士みたいですね、わたしたち。負けず嫌いだし、
自意識過剰ですよね。でも眞紀さんは勘ちがいしてます。

わたしはわたしなりに本気で准汰のことが好きでした。
眞紀さんだってユイちゃんのこと、そういうことなんじゃないんですか?」

後半はかなり当てずっぽうだ。でも眞紀の表情がすこし変わったのを
、雪美は驚きながらも見逃さなかった。

「そういう意味での似たもの同士だと思ってます。でも、だからって、
わたしは眞紀さんに協力なんかしません。
准汰とユイちゃんの邪魔したら、許しませんから!」

「どういう勘違いしてるのかは知らないけどさ」
眞紀がゆっくりと立ち上がる。あきらかに怒気をはらんだ目が、
雪美を睨みつけていた。雪美は負けじと睨みかえした。

「……まあいいわ。君とは二度と会わないだろうし?」
そう言って眞紀は荷物を担いだ。
「じゃあね、雪美ちゃん」
 と、立ち去ろうとした眞紀の足が止まった。

雪美のバッグに付いたストラップを見ている。

「なんですか?」
「隼人の知り合い?」
「え?」

雪美の脳裏に、ストラップをくれた男の顔がよぎった。

「いや、なんでもないわ。じゃあね」
ひょろりとした背中は、あっというまに夜の闇にとけていった。
(はぁ…なにあの気味悪いひと)
雪美の緊張がほどけていく。

(ユイちゃん。大事なことは、相手への信頼と自分の責任を
まっとうすること、なんでしょ)

 つながれた手が痛い。准汰は無言で足を動かす。

ユイは引きずられるように歩くしかなかった。顔が上げられない。

バスに乗っている間も二人は無言だった。

降りた後もずっと。
           「准汰、手が痛いよ」

            「え、ごめん!」

 准汰が足をとめて手をはなす。ふたたび歩きだした准汰のあとを、
 ユイはとぼとぼついて行く。

           (一緒に歩いているのに、楽しくないなんて)

 つながれていた手を見つめ、ユイは泣いてしまいそうだった。
 そのままユイの家まで着くと、准汰が唐突に口を開いた。

「眞紀先輩に、なんか言われた?」

        ユイの肩がびくりと跳ねた。笑顔で表情をごまかし、

「なにも言われてないよ。今日のは本当に、ちょっと疲れただけだから」

「ほんとに?」

「……うん」

          視線が下がってしまった。

(准汰は雪美ちゃんとなに話したの? なんで一緒にいたの?)

 そんなことを思うけれど言葉にはできない。ユイはぎゅっと服を握りしめた。

「俺は、ちゃんと言ってくれないと分かんないよ。ユイがなに考えてるか」

             准汰の声はこわばっていた。ユイの瞳が揺れる。

それが分かったのか、准汰は唇を噛みしめた。

「ごめん」

   准汰は踵を返した。遠ざかる背中を見つめていたユイは、
                      准汰が消えたあとも

立ちつくしていた。指先が冷えて、
   つま先の感覚が鈍くなったところでやっと家の中に入る。

 ふらふらとした足どりで自室に向かうと、ベッドに倒れ込んだ。

『准汰くんは鈍そうだしね。気づいてあげられないんだ、
                   ユイちゃんの気持ちに』
 眞紀の言葉がよみがえる。

(准汰は悪くない……私の言葉が足りないから嫌な思いをさせてしまった)
 悲しくなって涙がでた。

(明日会ったら、ちゃんと謝ろう。それで元通りに)

 なれなかったら、どうしよう。

ユイは五号館の階段を上っていく。

足どりが重いのは、昨日のことをまだ引きずっているからだ。
(今日はまだ准汰に会ってない……
もしかして避けられてる?嫌われたのかな)

 思考は悪い方ばかりに傾いて、気分は落ち込んだ。

眞紀の言葉も頭にこびりついていた。

ユイはそれをふり払うみたいに、足早に四階まで登り切る。

 教授の研究室が並ぶフロアは、静かな空気に包まれていた。

薄暗く、廊下には書物が山積みにされている場所もある。

それを避けながら進んで『言語文化学科 土井裕美准教授』と
記されたドアをノックした。

「はい、どうぞー」

「失礼します」

 あいさつして踏み込んだユイは、思わず笑いそうになる。

「土井先生の部屋って、相変わらず、すごいですよね」

「掃除しようとは思うんだけどね」

 そこは紙で溢れていた。足の踏み場がなく、部屋の奥には進めそうもない。

ユイはなんとか扉を閉めて、積まれた本を倒さないように縮こまった。

「プリントを提出しに来ました。遅れてすみません」

「はいはい。預かります」

 用はこれだけだ。ユイは帰ろうと思ったが、土井に引き留められた。

「ユイちゃん、最近どう?」
「え?」
「元気ないじゃん。目がキラキラしてないよ?」
「き、きらきら?」
 土井は立ち上がると、おもむろに荷物を脇によせ始めた。

紙がばさばさと散らばったがソファーに座る場所ができる。

「ほらユイちゃん座って。あ、時間ある?」
「はい、大丈夫ですけど」
「お茶淹れるからね」

  ことわる暇もなかった。微笑みながら湯飲みを渡される。

両手を温めるように持って、ユイはソファーに腰を下ろした。
「それで、どうしたの?」
 ユイに向き合った土井が尋ねる。
「私ってそんなに分かりやすい顔してます?」
「色んな子を見てるから、だいたい分かるよ。
目がキラキラしてる子としてない子はねぇ」

 土井もお茶を飲んでひと息つく。

そのまま黙って、ユイが話し出すのを待っている。

「……あの、私、付き合ってる人がいるんですけど」
「あぁ、夏川くんだっけ?」
「なんで知ってんですか?」
「だって大学内でよく一緒にいるじゃない。
まえ学食にいたでしょ? 見てたよー」
 土井が笑う。ユイは恥ずかしさで顔が赤くなった。

土井はまた口をつぐんで、続きを待っている。

「大学に入った頃はよかったっていうか、
  毎日楽しくて……准汰にすぐ会えて話が
    できて。でもすれ違いが多くなって、
   会えない時間が多くなって。不安、なんです」

             思っていたより言葉は出てくる。

でも、うまい言葉で伝えてはいない気がする。

それでも土井は相槌を打ちながら、真剣に聞いてくれた
「でも、私のために時間あけてとか、言えないじゃないですか。
  准汰は忙しそうで、私はなにもできなくて、もし違う誰かだったら、
 もっと上手く准汰のこと、支えてあげられるんじゃないかって……」

 時間と共に心まで離れていくのでは、と怖かった。
 彼がなにを考えているのか、分からなくなるときが多くなった。

「不安で、怖いんです」
    ユイは先生から目をそらして、泣きたくなるのをこらえた。

「そっか。ユイちゃんは夏川くんのこと大好きなのねぇ。
                   だから色々と不安なんだ」
「あ、はい」

     面と向かって言われると照れる。お陰で涙は引っ込んでくれたけど。

「んーじゃあ、ユイちゃんはそれを伝えたことがあった?不安なんだって」
「いいえ」
「けどそれじゃあ、伝わるものも伝わらないね」

 ユイは唇を噛んだ。しょんぼりとするユイに、土井は小さく息をもらした。

「授業でも言ったでしょう?」

 なんのことだか分からず首をかしげているユイに、土井は続ける。

「こうやって話していても、内容や気持ちは、
相手に3割程しか伝わらないって、私いったと思うけどなぁ?」

そこでやっと授業で聞いたことを思い出す。

言葉で伝えられる部分はそんなに少ないのかと、
           そのときユイは驚いたはずだ。

「あとの7割は表情やしぐさで。それでも伝わらないものの方が多いのよ。
 だって違う人間だもの。同じ生き方なんてしてないのよ。
 言ってくれなきゃ分からないじゃん」

 超能力者じゃあるまいし、と土井は笑う。
                 ユイは准汰の顔を思い浮かべた。

「いまここでユイちゃんが私に話してくれたとおりを、
 どうして夏川くんに言わないの」

  土井は言った。なおも続けて、

「どーんっと気持ちをぶつければいいのよ。
    恋人なんでしょ?受けとめてくれないなら、
           それまでの関係だったってことよ」

 ユイは大きくうなづいた。
     すっかりぬるくなってしまったお茶を一気に飲む。

「お茶ごちそうさまでした。私、気持ちぶつけてきます!」
       荷物を持って立ち上がる。ユイは丁寧に頭を下げた。

すっきりとした顔には笑顔が戻っている。

「また何かあったらきなね」

「はい!それじゃあ、失礼します」

 ドアが閉まったと思うと、またユイがひょこっと顔を覗かせた。

「掃除するときは呼んでくださいね?手伝いますから」

 笑みを残して、今度こそドアは閉まる。元気な足音が遠ざかっていった。

*****************************************************

大学はいつものように賑やかだった。

その喧噪から離れるように、准汰は空き教室の隅にいた。

机に伏せて目を閉じている。今日はまだユイと会ってない。

いや、会わないよう避けていた。怖くてメールも電話も出来なかった。
(何をやっているんだろう)
 自分に呆れる。溜息を吐いたところで、こつんと音がした。

目を開けると、机の上に缶コーヒーが置かれている。准汰が顔を上げる。

翼と由樹が立っていた。

二人は椅子を引きよせると腰を下ろした。

「それで、なにがあったんだ?」
            まず翼が問いかけた。
「え、いや……」

「お前すぐ顔に出るから分かりやすいぞ?」

          准汰がごまかす前に、なおも翼が言った。

「ユイちゃんと喧嘩でもした?」
           こんどは由樹が尋ねる。

「さっき廊下ですれ違ったとき、ユイちゃんも暗い顔してたから。
  捨てられた子犬みたいだった」

「その例えはどうよ」

「そう?准汰も同じような顔してる。置いていかれた犬みたいだ」

 二人のやりとりを聞きながら、准汰は昨日のことを思い返していた。

黙ったまま何も言わない准汰の鼻先に、翼は人差し指を突きつけた。

「無理に聞こうとは思わないけどな、お前もユイちゃんも、
                    一人で問題を抱えすぎ」

「たまには吐き出した方がいいよ。楽になるし、相談にものるから」
                      優しい口調に涙腺がゆるむ。

それを堪えるようにコーヒーを飲み干して、准汰は大きく息を吸い込んだ。

「喧嘩っていうか、俺が、一方的にきついこと言って、逃げた。
                        昨日のことだけど」

 一言ひとこと区切るように言う。翼と由樹は、それで?と続きを促した。

准汰は昨日の出来事をかいつまんで話した。

そして、ユイが何を考えているのか分からない、と二人に告げた。

「ユイは俺にわがまま言わない。それってユイの良いところだと思うし、
 俺も助けられてきた。けどそれって違うんじゃないかって。
 俺以外の人にならユイは言いたいこと言えて、
        甘えられるんじゃないかと思っちゃってさ」

 自分で言って凹んできた。准汰の視線はまた下がっていく。

呆れたようにため息をついたのは翼だった。

「それ、ユイちゃんに言ったことあるか?」

「え?いや、ない……」

「それなのに『言ってくれなきゃ分からない』って、
ユイちゃんを責めたらダメだろ。話してほしかったら、
自分の気持ちもはっきりさせろよ」

 准汰は言葉を詰まらせた。言い返せない。

「それをしない内から、落ち込んで逃げるのは間違ってる。
まずはやるべきことをしろ」

「やるべきこと?」

「きちんと謝れ、話を聞け。俺たちもう子供じゃないんだ。
相手のこと受けとめて、こっちの気持ちも伝えなきゃならない。分かるだろ?」

 准汰はこくりと頷いた。

「だったら落ち込んでないでユイちゃんの所へ行ってこい!」

  翼はとどめとばかりに准汰の背中を叩いた。

ばしんっと音が響いて、准汰はむせる。

今度は由樹に背中をさすられていると、ケータイが震えた。

「ユイからだ……話したいって」

「ちょうどいいから、行ってきなよ」

  肩を落としたままの准汰を、由樹は励ますように言った。

翼もうなづいている。
准汰はケータイを握りしめて立ち上がった。

「うん、俺行ってくるよ。二人とも、ありがとな」

  そうは言ったものの足どりは弱々しい。

ゆっくりと教室を出て行く准汰を二人は見送った。

静かになった教室で翼は大きく伸びをする。

「たまには厳しく言ってやらないとな!あいつすぐうじうじするからさ」

「そうだね、お疲れ様」

  にかっと笑う翼につられて、由樹も微笑んだ。

ユイは中庭のベンチに腰かけていた。

足もとでは猫が三びき寝ころがっている。

いつもなら彼らと仲良く遊ぶユイでも、今だけはそうはいかない。

さっきは先生に勢いよくたんかを切ったが、
ずっと伝えてこなかった言葉たちだ。

それを今さら、どれだけ形にできるんだろう。

頭の中で何度シミュレーションしても、内容はぼやけたものだった。

そんなふうに考えていると、遠くに准汰が見えた。

「あ、准汰…となり、座って」

  准汰が無言で座る。ベンチの下にいた猫が逃げていった。

二人ともしばらくは何も言わず、目の前の植え込みを眺めていた。

「ごめん」

  先に言葉を発したのは准汰だ。

「昨日はきついこと言って、ごめん。
自分気持ち押しつけてさ、ユイから逃げてた」

「私も……」

「いや、ユイは悪くない。俺がいけないんだ」

  ユイの言葉をさえぎって、准汰は続ける。

二人は相変わらず植え込みに目を投げたままで、
たがいに表情までは分からなかった。

このときユイが顔色を変えた
ことも気づけないほど、准汰は必死だった。

「准汰」

  というユイの言葉は耳に乗らず、

「情けないよな。ずっと一緒にいたのに、
        思えばユイの考えとか 気持ちとか、
                 全然わからないんだ」

                   と声を昂ぶらせる。
「ねぇ」

「甘えてたんだ、俺……イテッ!」
        准汰は喋るのをやめた。というより、やめさせられた。

准汰の頬をつねったまま、ユイはにらんでいる。

「ゆ、ユイ?」

「3割しか伝わらない」

「え?」

「准汰の気持ち、3割しか伝わらないよ!」

    ユイは顔を真っ赤にして叫んだ。残りの猫も逃げていった。

「私はね、准汰のそうやって純粋で真っ直ぐなところ好き。
  でも不安だよ。そうやって前を向いてるときに、准汰の中に私はいるの?」

「ユイ……」

ユイのきゅっと結ばれた口元を見ると、唇がかすかに震えている。

唇だけじゃなく、全身に力が込められていた。
(ユイは今、本音でぶつかってきているんだ)

 そう思い、准汰は今までの自分について考えた。

自分の幼さにいらつき、翼にしかられ、そんな自分に呆れて、
訳もわからないのに自分を責めていた。

今だって、あれでは申し訳ない気持ちや反省の言葉じゃなく、ただの愚痴だ。

だから、さらに彼女を傷つけることになってしまった。
さっきとは別の意味で自分が情けなくなった。ユイと同じように、
准汰は口元を引き締めた。

 ややあって、今度はユイが口を開いた。

「……へへっ、はじめて本音いっちゃった。怒るのってパワー使うね」

  ユイは言った。とたんに緊張の糸が切れた。

「ずっと黙っててごめんね、でもこれが私の本音だよ」

「うん」

「准汰の気持ちも教えて?」

  と笑うユイに、准汰は歯がゆい衝動がわきあがった。

自分も今こそ、二人のことに向き合うチャンスなんじゃないか。

「俺、ユイを守ってやれるような男になりたい。
俺だってユイのことを支えたい。
その為には、ユイが何を考えているかとか、どう感じているかとか
知っていきたい。ユイが安心できるように、俺が何を考えているかとか、
どう感じているかとか伝えていきたい」

 今度は、しっかりと彼女の目を見て伝えた。

顔じゅうに熱が集まり、汗がにじむのがわかった。

それに気づいたのか、ユイは准汰の手を取った。

「また、一から確認していこう」
「うん。ありがとう准汰」

  と笑うユイに、准汰も緊張がゆるんだ。
  正面の植え込みで、猫たちも二人の話を伺っていた。

**********

「そんなことがあったんだ」

  千秋は白い息を吐きながら言った。

 今日は大晦日。高校一年からすっかり恒例のソバ、緑のたぬきを
食べながら年を越すパーティー、通称〈たぬパ〉を今年もすることになった。

今回は一人暮らしをはじめた洋介の家へ集まったのだが、
到着してすぐ准汰は千秋にベランダへと呼び出されていた。ベランダへ出た瞬間、

「最近なんかなかった?」

  と聞かれた。

単刀直入に聞かれたことに驚きつつ、
准汰はバーベキューの片付けのこと、サッカー部の集まりの夜のこと、
仲直りのときのことと、順番に説明した。

「えらいえらい。あんたたちは今までが我慢しすぎだったのよ。

 雨降って地固まる、ってわけね」

 ニカッと笑いかけられ、准汰もさそわれるように笑った。

自分のケンカについて話すのは、少し恥ずかしい気分にもなる。
でも、どうして千秋はこんな質問をしたんだろう。
しかも同性の友達であるユイじゃなく、自分に。

「どうしていきなりこんなこと聞くんだ? ユイが何か言ってた?」
 
「んー、まぁ、深い意味はないんだけど」

「なんだよそれ。『なんかあった』じゃなくて『なんかなかった』って、

俺たちがケンカしたのわかってたような聞き方だっただろ」

「ははは、痛いとこつくねぇ」

 珍しくはっきりしない彼女の言い方を、准汰は不思議に思った。

「いやね、言葉は悪いんだけどそれで済んだならいいんだよ。私の余計な憶測」

「ちゃんと言ってくれよ、気になる」

   准汰に催促され、それまで笑顔だった千秋が真剣な顔つきになった。

「これはほんとお節介かもしれないし、もしかしたら私が思ってるほど深刻な事
  態じゃないかもしれないから聞き流してくれて構わないんだけどさ」

「うん」

       ここで息をついで、千秋はこんな言葉を口にした。

「眞紀先輩のことなんだけど」

「え?」

そのとき、
「おい千秋、客用の割り箸ってどこ片付けたんだよ!」
         どてらを着込んだ洋介が顔をのぞかせた。

千秋は、
     「またあとで」
              と言うとベランダを出て行った。

 眞紀先輩。あまり耳にしたくない名前に准汰は
  いやな気分にならざるをえない。彼はきっと、ユイに特別な感情があるんだ。

千秋はそれについて言いたいのか、それともほかに何か知っているのか……。

ぐるぐる考えていると、誰かがベランダの窓を開けた。
「風邪ひいちゃうよ」
「ユイ」
      ユイはベランダにあがると、准汰のわきに立った。

急に寒いところへ出たから鼻の頭が真っ赤になっていく。

「洋介君のお部屋、きれいだね」
「あー、千秋が全部やってるらしいよ。
      洋介の散らかしっぷり見てると鳥肌が立つらしい」

「そうなんだ、千秋はいいお嫁さんになれそう!」
     ユイはにこにこ話している。准汰もつられて笑う。

この笑顔を守りたい。たとえ千秋が何を知っていたとしても、
誰にもユイを譲ることはできない。
彼女の横顔を伺いつつ改めてそう思った。

准汰の視線に気づくことはなく、ユイははしゃいでいる。

「あ、雪だ!」
      ユイの声に空を見上げると、粉雪が踊っていた。

「どおりで寒いわけだなー」

「すごい! 明日つもるかな? 積もったらいいのに」

 なかなか雪が積もることのない広島市内で、それは難しいことかもしれない。

しかし准汰も、その言葉に賛成したかった。

しきりに降り積もろうとする小さな雪たちが、今の自分たちと少し被って見えるのだ。

「積もるといいな」

「うん」

 くす玉が割れたみたいに、雪はだんだん本降りになってきた。
准汰はジャケットを脱ぐとユイの頭からすっぽりかけた。

「准汰が寒いよ」

「いい。下にも着込んでるし。まだ雪、見てたいだろ」

 ユイはとまどった様子を見せたが、ほっ、と息をついたあと、はにかんだ。

その表情は准汰の顔をほてらすには十分に効果的だった。

「温かいよ。ありがとう」

「どういたしまして」
         お互い照れながら見つめ合っている。

雪、年末、二人きりのベランダ。その演出が二人の気分を高揚させた。

 ケンカの前よりも深まった絆も実感できて、
      こうして笑っていられることが幸せだった。

しかし二人きりの思いに浸るのも、ここまでだ。

〈のびるぞー〉と結露した窓に書かれた文字と、緑のたぬきを手にした千秋、
 洋介、茜、陸が、ガラスの向こうで笑っている。

「わ、さむーい」
       千秋が窓を開け、あとのみんなが言葉をかけてくる。

「おい、おまえたち腹へってねーのか。俺、待ちきれねぇよ」

「ユイちゃんたちのも、できてるよー」

「二人ともお熱いのは結構だけど、そばは冷める一方だし」 
にぎやかに騒ぎ、はやしたてる。

「ねぇ准汰。幸せだね、私たち」

「そうだな」

 と言い交わしつつ、二人は暖かい部屋へ入った。

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隼人は友人のために作ったお茶漬けを片手に立っていた。

それを見た友人、眞紀は何ともいえない顔をする。
「え、そのチョイス?」
「仕方ないだろ、病人食なんて作ったことないし、
冷蔵庫も調味料も空っぽじゃん」

 隼人もまた微妙な顔をしていた。そりゃあたしかに、
自分の用意した食事が正しいとは思えない。

「わざわざ飯作らなくても寝てりゃ治るし。食欲ねーつったじゃん」

「お前、それが年末年始に看病しに来た人間にいう言葉かよ。
俺、初詣の代わりにお前のお守りしながら年越すんだぜ」

「や、俺はもとから、夜中に初詣自体めんどくさいから
いかねぇって言ったしね」

「行かなきゃすっきりしないだろ、でも一人で行くのもなんだしさ」

「家族で行ってくださいよ、ほんと」

 熱のせいか、いまいち相手をやり過ごせないことに
いらだっているのだろうか。

たしかに眞紀に初詣に行くことを提案したのは自分で、
快く話にのってきた覚えはないし、風邪をひいた際も看病してくれと頼まれた覚えもない。

しかし隼人の性格も手伝って、彼を放っておくことはできなかった。

 強引にお茶漬けを差し出す。眞紀は渋々うけとった。

「つーか、なんなの? いままで風邪ひいても
看病しに来たこととかないじゃん」

「やぁ、さすがに年越しの瞬間までひとり布団の中は寂しすぎるだろ」

「…キャー、ハヤトサーンステキー」

「なんだそれ。まぁそれに、うちの親は昼間にユイの
親と一緒に初詣いくからな。
ユイも香織姉ちゃんもいないから、暇もてあましそうだし」

  ユイと聞いた瞬間、眞紀のこめかみが動いた。

しかしそれだけで、あとは茶碗のお茶をすすっている。

「ふーん」

「何、なんかしゃくにさわった?」

普段から歯に衣着せぬ物言いをするから扱いにくい。

ユイからは眞紀について何も聞いていないけど、アルバイトで何かあったのか。

昔からそうだ。何を考えているのかわからない、
のらりくらりとかわすような立ち居振る舞いに隼人は困り果てていた。

それは、眞紀と高校時代同じ軽音楽部員であり、
隼人の元恋人である海野詩織も同じ思いであろう。

「べっつにー。そうやって子供は親から離れていくのねー、親不孝ものぉー」

「お前に言われたかねぇよ。ほら、もう食わねぇなら薬もってきたから飲め」

「……」

 隼人が市販の薬のパッケージを見せた瞬間、また言葉を発しなくなった。

「だから寝てれば治るんだって」

「許しません」

 じゃらじゃらと小瓶から錠剤を出すと、眞紀の口に押し込んだ。
それと同時に水の入ったコップを手わたす。
彼が錠剤を苦手なのは知っている。
嫌いなものはテコでも口にしないのも知っている。

ならば先手必勝あるのみだ。
「ほら、上じゃなくて下向け。喉が広がって飲みやすくなるから」

「……」

「どうだ?」

「……」

 眞紀はゆっくり立ち上がり、流しへ走り込んだ。
  続いてびたびたっと音がしたので、
   今回も錠剤を克服することはかなわなかったのだろうと判断した。

「亮ちゃん、お薬お上手ゼリー用意しまちゅかー?」

「……黙れ」

       咳をしながら戻ってきた眞紀に睨まれた。

それを受け流して、隼人は食器を片付けはじめる。

「まぁ走れるぐらい元気なら、いんじゃね」
          話しかけるも、相手は無言で横になった。

どうやら本格的にすねたらしい。

「そうやって頑なにならねぇの。
 無理は無理なりに努力することが大事って言いたいんだよ」

「それは普通の苦労をして普通の幸せを感じてきた奴が言うことだろ。
 俺は受け付けないもんは受け付けないし、無駄な労力は使わない。
 努力とか克服とか、単純で泥臭い考えは嫌い」

 少し論点がずれた返しのような気がしたが、
          彼には思うところがあるのだろう。

そしてそれは眞紀の本質的な何かなのかもしれない。

それらについて、隼人はあえて気にしないことにした。

「なぁ、亮。何があったか知らないし
 俺のいえた義理じゃないかもしれないけどさ、
           もう少し幸せになってみたら?」

      いいつつ、隼人は食器を洗う音にため息を隠した。

******************************************************************

中学3年生の夏だった。
 眞紀は楽しくて仕方なかった軽音部を引退し、まるでやることがなくなった。

違う中学だった隼人とは、友人のライブで知り合った。

先輩に連れられてライブに行くと、
眞紀はいつもポケットに手を突っ込んで後ろから眺めていた。

そんな眞紀に隼人のほうから話しかけ、ふたりはすぐに意気投合した。

ギターもそこそこ弾けるので、てっきり軽音部だと思っていたが、

実は野球部だった。

彼もまた部活動を引退してヒマを持てあましていた。

週末になると街にやってきて、

ゲームセンターでギターの真似事をして遊んでいた。

しかし中学生のお小遣いではそうたくさんは遊べない。

そのあとはコンビニでアイスやジュースを買って、公園で何時間も話したり、

先輩の家に行ってギターを触わらせてもらったりしていた。

海野詩織は眞紀と同じ中学のクラスメイトだった。

とくに目立つわけではないが地味なわけでもなく、何となく存在感が漂っていた。

たまに彼女のことを好きだという同級生の噂を聞いたが、

これといって浮いた話はなかった。落ち着いた雰囲気の詩織だけど

人見知りをしない性格で、友達も多かった。3年になって、
たまたま3回つづけて席がとなりになったのをきっかけに、

よく喋るようになった。それから密かに想いをよせていたが、

その気持ちを打ち明けたことは、詩織本人はおろか誰にもなかった。

 いつものように本通のゲームセンターで隼人と待ち合わせをしていると、
詩織が歩いていた。眞紀が話しかけようか迷っていると、目が合った。

「あ、亮くん。こんなとこで会うなんて珍しいじゃない」

「ん、おお。ってか、どうしたのそれ」

  詩織は大きなカバンを抱えていた。

「今日は模試だったんだ。直前まで勉強したくて、
いろいろテキスト持って行ったらこんな荷物になっちゃった」

  向けられたやわらかい笑顔に、眞紀は恥ずかしくなって目を反らした。

「おい眞紀!」
  バンっと背中を叩かれた。隼人だった。

「ちょ、いてぇよバカ。なんだよ」

「なんでお前がこんな可愛い子と話してんだよ。ナンパしてんじゃねぇよ」

  詩織は声をあげて笑った。
「違うよ。中学の、クラスメイト」
  眞紀はバツの悪そうな顔で詩織を紹介した。

「こんにちは。詩織って言います」

「へぇー。おれ隼人。こいつとは違う中学だけど、仲良いんだ。
今からここ行くんだけど、一緒に行こうよ」

  ゲーセンの入り口を指さしながら詩織と眞紀を交互に見る。

「えっ、でも……」

「なぁ、いいよな亮」

「あぁ、おれは別に」

詩織の方をチラっとみやる。

やっぱり笑みを浮かべていて、また視線が泳いでしまう。

「ね、いいじゃん」

  隼人は詩織の荷物をサッと持ち上げると歩き出した。

「うわ、重っ、なにが入ってんのこれ」

「えっと、これはね」

 詩織は丁寧に、さっきと同じ説明を隼人にもした。

それをきっかけに、よく3人で遊ぶようになった。

詩織の塾帰りを待っては、ゲーセンに行くのだ。

 そして十月に入ったある日、とつぜん隼人から話があると言われた。
詩織も受験勉強に重きを置き始めていて、遊べるのも2.3週間に
1度というペースになっていた。

公園のすべり台の上に座って、棒アイスをかじる眞紀。

そのとなりで隼人はカップのアイスを端からすくって食べている。

十月上旬の日差しは、動けば汗をかかせてはくれるが、
アイスを食べ終わる頃には若干の肌寒さを覚えさせた。

「俺もさ、してみようかなって思う。高校受験っていうの」
すべり台の脇にのびる大きな木を見つめながら、隼人が言った。

「は? お前、まじ」

  突然のことに、眞紀は返答に困った。

「詩織ちゃんがさ、勉強頑張ってるの見て、
なんか俺も、頑張ってみようかなって思って」

「え、詩織……」

  眞紀は嫌な予感がしたが、その予感はすぐに現実になった。

「俺さ、詩織ちゃんのこと好きだ。同じ塾に通って、
同じ高校を目指そうかな、なんて。俺、女々しいかな」

 その声にはちっとも女々しさを感じない意志の強さがうかがえた。

「そっか」

 眞紀はいよいよ言葉をなくした。

 それから隼人は詩織と同じ塾に通いはじめ、
3人で遊ぶことはおろか2人で遊ぶことすらもなくなった。
眞紀は親に頼んで安いエレキギターを買ってもらい、先輩に教えてもらった。

ひとりのときは、何かを振り払うかのようにギターの練習に時間を費やした。
それでも隼人は定期的に眞紀に連絡を取って、勝手に近況報告などをしてきた。

けっきょく隼人は第一志望の高校に入れたものの、
詩織は滑り止めで受けた高校に入ることになってしまった。

そこでたまたま眞紀と同じ高校になったのだ。

眞紀が少し期待したのもつかの間、高校入学と同時に、
隼人と詩織は付き合い始めたのだ。

隼人と付き合ってからも、詩織と眞紀の交流は続いていた。

高校も同じなら軽音部も同じだったので、
2人の接点は中学の頃より増えてしまった。
ギターを弾く隼人に感化されて、詩織は軽音部に入ろうと決めたのだろう。

そう思うと、眞紀は詩織とどう接していいのかわからなかった。

詩織も初めのうちは同じ中学出身の眞紀を頼りにしていたが、

彼のそっけない態度や、ときたま見せる嫌味っぽい
             仕草にだんだん戸惑うようになった。
       詩織も、眞紀の気持ちに気づいていないわけではなかった。

その上で隼人と付き合ったのだ。

だから、彼の取る態度を邪険には出来なかった。

そばに居れば話しかけたり何かと気を遣った。
               それは隼人も同じだった。

詩織への気持ちを眞紀に伝えてからも、しばしば眞紀と連絡を取っていた。

こんなことで自分たちの友情を崩したくないと思ったのだ。
連絡を取りあいはするものの、高校に進学してから隼人と眞紀が
二人だけで遊んだのは3度だった。

それ以外は共通の先輩と一緒だったり、
ライブハウスで顔を合わすくらいだった。
             最後に遊んだのは高校3年生の5月だ。
「予定がある」
        いつもそう言って隼人からの誘いを断り続けていたが、

「時間は合わせるからたまには付き合えよ」 と言われてしまい、

眞紀もしぶしぶ時間を作ることにした。

 高校に入っても遊ぶ場所は変わらない。

本通りのゲームセンター前で会って、ギターのゲームをした。

それに飽きればコンビニでアイスを買って公園に行った。

「お前、元気にしてんの」

      隼人はクレープのアイスを片手に持って眞紀を見やった。

「おう、どう見ても元気だろ」

「まあそうだな。なんか、ギター上手くなったな」

「ゲームのギターだけはな」

     棒アイスをかじりながらそう言い返した眞紀だが、
        実際は軽音部の中でも群を抜いてギターが上手かった。

「いいよな、お前」

「あ、なにが」

「ギター上手くて、そこそこカッコいいし、モテんじゃね」

「んなこと、ねーよ」

         眞紀のこめかみが動いたのを、隼人は見逃さなかった。

あわてて繕おうとして次の言葉をさがした。

「好きな子とか、いねーの」

「別に」

        完全にしくじった、と思った。目が宙を泳ぐ。

自分が詩織と付き合ったことで眞紀がどんな気持ちだったのか、
想像するだけでいたたまれなくなる。

けれども、自分がそれを口にしてしまうと、
眞紀は本当に気持ちのやり場がなくなってしまうではないか。

それすらも言い訳かもしれないと思いながら、
なんとなく詩織を話題にするのは避けていた。
    (眞紀がほかに好きな人でも出来て、幸せになればなぁ……)

 と罪悪感から逃れることばかり考えている自分が嫌になるのだった。

いっぽう眞紀は、

(5月と10月の夕方って、なんとなく似ているな)
と、ぼんやり思っていた。

隼人がこれ以上むだな話をしないように目を反らし、アイスを食べた。

 それからも眞紀は、のらりくらりと2人の気遣いをかわしながら高校生活を
過ごしていた。隼人と詩織は、高校の3年間をそのまま付き合い続けた。

 卒業式の1週間後のことだった。

眞紀がイヤホンをしてギターの練習をしていると、楽譜の横に置いていた携帯電話が光った。
詩織からの着信だった。時計は25時をさしている。

同じ部活なのでいろいろ連絡を取り合うことはあったが、
こんな時間に電話をかけてくるのは珍しかった。

                つづく・・・・  (2月9日 更新予定)

原作   しおん真未
      高田 環央
      長岡 英里
      早川 未来

協力 比治山大学現代文化学部 

監修 吉本直志郎

 
(やまぎし ゆい) 16歳(高1)

広島市内の県立出澪(でみお)高校に通う女の子、クラブは軽音楽部。


(なつかわ じゅんた) 16歳(高1)

広島市内の中学校で山岸ユイと同じクラスだったが、サッカーに専念するためユイとは違う学校に進学。

2011 夏編
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35周年 秋編
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35周年 恋夜空編
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開局35周年記念スペシャル
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2010 冬編
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石井杏奈着うたPR
秋編(石井杏奈着うたPR)
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NATSUGOYA編
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♪「がんばるけん~」
 作詞:石井杏奈 & tetsuhiko
 作曲:tetsuhiko
 石井杏奈(いしいあんな)
 スターダスト音楽出版所属
 アクターズスクール広島9期生
 Birthday : 1994.02.12