|
最初から読む
ジリジリと焦がすような、容赦ない日差しが降り注ぐ八月の初め。 今日は、友達グループで、宮島の包ヶ浦自然公園に行くことになっている。 遅刻してはいけないと思って早く家を出たが、どうやら一番に到着してしまったようだ。 ユイは暇をもてあまして、噴水の縁に腰掛けて、行き交う人々を見ていた。 「山岸……?」 「えっ?」 不意に名前を呼ばれて、ユイは面食らった。 そこに居たのは、ユイが思い描いていた人物だったのだ。 ユイは、驚いて心臓が口から飛び出しそうだった。 「やっぱり山岸だ。……元気だった?」 突然の再会に戸惑いながら、二人は顔を見合わせて苦笑した。 ユイは、立ったままの准汰をちらりと見上げた。その瞬間、困ったように頬を しばらく続いた沈黙を破ってくれたのは、准汰だった。 「今日って、宮島に行くんだよな?」 ユイは、参加者については詳しく聞かされていなかった。 ただ、「当日のお楽しみ」とだけ言われていて、まさか准汰が来るなんてことは、 「森田に誘われたんだ。俺、実は宮島って行ったことなくてさ」 今回の言いだしっぺがユイの友人で森田とも親しい神原千秋だから、 不意に、ユイのポシェットの中で、携帯電話が震えた。 「もしもし?」 電話は、神原千秋からだった。 ユイが待ってましたと言わんばかりに電話越しの千秋に抗議すると、 『私たちみんな遅れるから。二人で先に行っててよ~。じゃっ』 ユイの戸惑いもお構いなしに、千秋は電話を切ってしまった。 ユイは携帯電話の画面を見ながら、呆然とした。 そんなユイの様子を、准汰が不思議そうに見つめているのが分かる。 ユイはしどろもどろになりながら、やっとの思いで電話の内容を伝えた。 「……ということなんだけど……」 しばしの沈黙。 二人きりなら、准汰は来ないかもしれない。 足元に、丸々と肥えた鳩が寄ってきていた。 「先に行って、時間つぶしながら待とうか」 ユイが立ち上がると、足元にいた鳩が翼を羽ばたかせて舞い上がった。 ユイは高揚した気分で、准汰とともに電停へと向かっていった。 中学時代の思い出話をしながら、電車に揺られること40分。 「着いた~」 准汰が腕を上げて、大きく伸びをする。改札を通り抜けると、 「もみじ饅頭の匂いがするね」 「私も食べたいな。そういえばお姉ちゃんから聞いたんだけど、 「へ~。あんこだけだと思ってた。全部食ってみたいな」 「ふふっ。島に渡ったら見てみようよ」 「おう」 宮島口のフェリー乗り場に来ると、平日だというのに大勢の観光客が列をなしていた。 「すげぇ人の数」 「さすが世界遺産だね~」 「やっべぇ、俺、テンション上がってきた」 キラキラと瞳を輝かせながら、准汰が列の先の様子を窺う。 「お~、動き出した!」 まもなくしてフェリーが動き出すと、准汰はまるで小さい子どものように海を覗き込み、 「ふふっ。夏川君小さい子みたい」 「海は男のロマンなんだよ~」 「え~」 二人はくすくす笑いあいながら、濃いブルーの海を見つめていた。 「あっ、鳥居見えたよっ」 誰かがそう叫ぶと、乗客たちの視線が、一斉にそちらに向けられる。 「夏川君、綺麗に撮れた?」 「ん~、微妙」 「見せて~」 二人は画面を見せ合った。どっちもどっちで、少しぶれた景色が写っていた。 「「へたくそ~」」 笑い声が重なり、二人は目を見合わせて、また笑った。 「着いた~!宮島だ~っ」 桟橋を抜けて広場に出ると、准汰のジーンズのポケットの中で携帯電話が震えた。 「えっ、ちょっと、おいっ」 焦ったような准汰の声に、ユイはドキドキした。 「え~」 小さく漏らしながら、准汰が携帯電話をポケットに戻す。 ユイは、なんだかデートみたいだと浮かれていた自分が恥ずかしかった。 「神原から電話でさ。遅刻組は予定変更で、来るのやめるって」 ユイは目を白黒させた。電話の相手が彼女じゃなかったのは嬉しいが、 「メールしてみる」 ユイはすぐに神原千秋にメールを打った。 ~♪♪~♪~♪~~ メール受信を知らせるメロディが鳴って、 千秋は携帯電話を開いた。 「ユイからメールだ~」 千秋の携帯電話の画面を囲んで、覗き込む。 『予定変更って、何かあったの?来ないって本当?(;_;)』 小さな画面を集団で覗き込んで、笑い出す者あり、苦笑いする者あり。 「完全に困ってるみたいだな」 千秋はニヤニヤしながらメールを返信した。 携帯電話が低い音を立ててメール受信を知らせると、 千秋からのメールだ。 ユイは神に祈るような気持ちでメールを開いた。 (え~っ) 本文には、『ファイト♪』の一言だけ。 その言葉の意味はわかっている。せっかく二人きりなんだから、 ユイはこのことをどう説明すればいいのかと思い悩んだ。 「……せっかくここまで来たんだし、 「……うん」 完全に二人旅になってしまった。ユイは改めて照れくささを感じた。 二人は気を取り直して、バスに乗り込んだ。 バスといっても大型タクシーのような車内は、8人乗りで、 乗り合いバスは順調に島内を走り、10分ほどで目的地に辿り着いた。 バスを降りると、濃い草木と潮の香りに包まれた。 「「海だ~!!」」 開けた視界の先に広がる瀬戸内海。穏やかな波が寄せては 濃い海の青と薄い空の青が、重なってとても綺麗だった。 「海なんて久しぶりだな~」 「私も~。気持ち良い~」 「宮島って厳島神社のイメージが強かったんだけど、こんな海水浴場もあるんだな」 「ね~。私も知らなかったよ」 「ちょっと歩いてみようか」 「うんっ」 二人は、波打ち際に沿って歩き始めた。 「せっかくだから、ちょっとだけ入っちゃおうかな」 ユイはサンダルを脱いで手に持つと、ちゃぷちゃぷと浅瀬を歩き始めた。 「あ~あ。水着持ってくれば良かったな~」 穏やかな波音とともに聞こえてくる子どもたちのはしゃぎ声に、 「今日暑いから、気持ちいいだろうな~」 波打ち際の、ギリギリ水に浸からない場所を 照りつける太陽は痛いほどで、せっかく海に来ているのに入れないのは、 なんだかお預けを食らっている気分だった。 「今度はちゃんと水着持って来よう、うん」 独り言のように言う准汰の背中を追いながら、ユイはまた一緒に来たいな、 半ばぼーっとしながら歩いていたユイの足に、にゅるっと 「わわっ」 「おっ」 絡まったワカメを取ろうとしてよろけたユイの腕を、准汰が掴む。 「わわ、ごめんっ」 慌てて体を離すと、ユイは足の下に何かがあるのを感じた。 足を上げると、その下には小さな貝殻が埋まっていた。 ユイは貝殻を拾い上げると、太陽にかざした。 「綺麗~」 「こっちにもあるよ」 「えっ、どこどこ」 「ほら、これ」 准汰は自分の足元に落ちていた貝を拾い上げて見せた。 二人は貝殻を集めながら、しばらくの間海岸で過ごした。 昼時を過ぎたころを見計らって、二人は海の家に向かった。 カラフルなパラソルの群れの中でも最も海に近い緑色のパラソルの席を陣取って、 「夏川君、早いね」 ユイが半分食べたか食べないかのうちに、准汰は通常の2倍以上は 「ん?あぁ、ゆっくり食べて良いよ」 「うん、ごめんね」 ゆっくり食べて良いと言われても、少し焦る。 ユイも食事を終えると、そのままそこでカキ氷を食べた。 その舌がイチゴのシロップで染まっているのを指摘されてユイが慌てると、 アルバイトらしき女の子がハート型に曲がったカップルストローを持ってきた。 (何に使うの~!?) 受け取った瞬間凍りついたユイは、ハッとして准汰の方へ向き直った。 置き去りにするのも忍びなかったストローは、 それから1時間ほど海岸をぶらぶらして、二人は再びバスに乗り込んだ。 来たときと同じように桟橋でバスを降り、今度は宮島の代名詞とも言える 「あれ、厳島神社にはお参りしなくて良いの?」 ユイは、半歩分ほど前を歩く准汰に問いかけた。 「えっ、厳島神社って、お参りするところ?見るだけじゃないんだ」 目を丸くする准汰に、ユイは逆に驚いた。 「神社だもん、見るだけじゃないよ。 「結婚式?えっ、でも、宮島って、ナントカって神様が 随分曖昧な記憶で、准汰が例のジンクスを持ち出す。 しかしユイの姉が言うには、そのジンクスの続きも存在しているらしい。 「いつのことかは分からないけど、その女神様にもお婿さんが来たから、 「じゃぁ、もう大丈夫なんだ」 「そうみたい」 「そうか~。世界遺産で結婚式って、スケールでかいよなぁ」 「一生の思い出だよね~」 結局二人は参拝はせず、厳島神社を右手に臨みながら、海岸沿いを歩いた。 「そろそろ、お土産見に行かない?みんなにお土産買って帰らなきゃ」 「よしっ。行こう」 二人は土産物を求めて歩き始めた。地理は良くわからなかったが、 表参道の商店街にさしかかったところで、ユイの携帯電話がふるえた。 『今、宮島?』とタイトルのつけられたメールには、 『〈必勝〉って書いてある杓子、買ってきて☆よろしく~(^^)』とある。 「隼人くんからのメールだけど」 「〈必勝〉って漢字が書いてある杓子、売ってるかな?」 「もしかして、あの仲間?」 そういって准汰が指さす先には、たくさんの杓子が並べられた店があった。 「そうかも」 といいつつ店にふみこんだユイが、 「わ、あったよ」 すぐに〈必勝〉と書かれた杓子を見つけた。 「いろんな言葉を書いたのがあるけど、 准汰は、〈友情〉や〈努力〉や〈根性〉などと書かれた杓子を手に取り、 「おなじ言葉が書いてあっても、字のかすれ具合や大きさが と、ユイが准汰に話していたら、 「ほうよ。うちのじいちゃんが書きよるんよ。見ていく?」 店のおばちゃんが、紙につつんでくれた杓子とお釣りを ふたりが店の奥へと足を運ぶ。鼻めがねのおじいさんが 顔は神妙だが、慣れた手つきだ。 「杓子は宮島の伝統工芸品でねぇ。〈敵をメシとる〉とか おばちゃんがいう。 「せっかくだし、俺も買おうかな。これください」 そう言って准汰がおばちゃんに渡したのは、大きく〈夢〉と 「はいはーい。お二人さんは、どこから来ちゃったん?」 准汰が選んだ杓子を袋にいれながら、おばちゃんがたずねる。 「広島です。地元なんです」 「あら、そうなんね~。何歳?」 「16です。ふたりとも高校一年生」 「ありゃあ、じゃあちょっと早いね~。こんど来るときは3人で来てね。 おばちゃんは意味ありげに笑いながら、杓子の入った袋を差し出す。 (なにが、ちょっと早いんだ?) ユイは小走りにあとを追った。 「あんた、ええ言葉を選んだね」 と、おばちゃんは准汰にだけ聞こえる声で、 「この杓子じゃったら、あの可愛い子を、うまいことすくい取れるけんね」 ふたりで桟橋にむけて歩いていると、右の店からも左の店からも香ばしい香り 「ねぇ、あげもみじだって」 ユイが言って、〈あげもみじ〉と看板に書かれた店の前で足をとめた。 「あげもみじ? なに、それ」 「もみじ饅頭が揚げてあるのよ。わたし食べようかな」 「じゃあ俺も」 と二人で店に踏みこむ。 准汰は餡、ユイはクリームの揚げもみじを食べながら歩いた。 桟橋にむかう途中で二人の目を引いたのは、 商店街に横たわる大きな杓子だった。 「大きいね~。何メートルあるんだろう」 「7.7メートル。世界一の大きさだって。すげーなあ!」 准汰もユイも、またたきもしない目で見とれている。 「この大杓子、厳島神社の世界遺産登録記念なんだね。写真とっとこ~」 ユイが説明文を読みながら言ったら、 「どうせなら大きさ比較で撮る? そこに立ってみて」 准汰がいった。 「えっ、うん」 大杓子の前に立つ山岸ユイを、准汰の携帯のカメラがとらえる。 「どうだっ」 大きな杓子を背景にした笑顔のユイを、准汰は見せている。 「きれいに撮れてる! わたしも撮るよ。立って立って」 と声をはずませ、ユイの携帯にも大杓子と夏川准汰が収まった。 二人はいろんな場所で写真を撮った。 きょう一日で、宮島の風景がたくさん撮れた。その中に二人を ユイと准汰は、さまざまな味のもみじ饅頭をおみやげにして、 「いっぱい買ったね~」 「こんなに種類があるとは思わなかったな~」 山のむこうに、大きなオレンジみたいな夕日が沈もうとしている。 フェリーを降りると、宮島駅のホームでたくさんの 電車に乗って広島市内についたら、そこでお別れなんだ。 准汰はどうだか知らないけど、ユイはなんだか気分がふさいできて、 「……今度また、みんなでどこか遊びに行きたいね」 電車が広島駅について、別れぎわにユイが言ったら、 「おう。今日は楽しかったよ。ありがと」 准汰が元気な声で応じた。 「わたしも楽しかったよ」 「うん。それじゃ、また」 准汰はかるく手をふり、くるっときびすを返して人ごみに消えた。 なんだか待ち合わせのときと同じように、 今ごろになって、ユイは顔が火照ってきた。 火照っているのは顔ばかりじゃなさそうだ。 ユイは暮れ方の空を見上げた。 八月半ばにさしかかり、気温の上昇もようやく頭打ちとなってきた。 やがて陽ざしがかたむき、練習は終了となる。部員のみんながてんでに帰っていく。 「なあ准汰。きょうも一徹に行くだろ?」 森田洋介がいう。 「また一徹か。飽きないねえおまえも」 准汰がいいかえす。 「悪いかよ。うまいもんは、うまいんだよ。行かねーの?」 洋介の誘いをことわるつもりはない。たしかに一徹のお好み焼きはうまい。 「行くよ」 「よっし決まりな。おい陸っ、おまえも行くだろ」 洋介が陸にも声をかける。 「うん、もちろん行くよ。あそこのお好み焼きは最高だからね」 七瀬陸もうきうきした声でいいかえした。 「さすが陸はわかってるじゃん。あんなにうまいお好み焼きなら、 「まいにちは、さすがに飽きるだろ」 「うん、まいにちじゃあな」 「なんでだよ。飽きないんだよ!」 三人はいいかわしつつ、ほかの部員たちに別れを告げて部室を出た。 いつからだろうか? 部活の終わりには、きまって三人で みずからのお好み焼き論を貫き通して三十五年、 「ちぃーす! おっちゃん、俺いつものね」 のれんをくぐるなり洋介が注文し、カウンター席に腰かける。 「お、今日もきたな。彰吾、肉玉そばW肉W、もち入りだ」 「あいよ、肉玉そばW肉Wもち入り!」 一徹おやじの声がかかると、彰吾と呼ばれた若者が注文を復唱する。 「俺は……肉玉そば、納豆入りで」 「じゃあ僕は、肉玉そばのしそコーン」と注文しつつ、 准汰と陸も洋介のわきに腰をおろし、 鉄板の上に、生地の満月が三つ並んだ。三人でサッカーの話を 「はいよ。肉玉そばW肉Wもち、肉玉そば納豆、 目の前に、美味しそうなお好み焼きが出来上がった。 「ところで、どうだったんだよ准汰」 洋介が口をひらく。 「どうって、何が?」 「とぼけんなって。愛しの山岸ユイと、宮島でデートしたんだろ?」 「あ、僕も気になるなぁ。宮島デート、楽しかった?」 陸もいって、准汰に顔をふりむける。 「デートじゃないって。おまえらがドタキャンしたから、 たちまち顔を赤くして、准汰は反論している。 「それをデートって言うんだよ。手ぐらい、つないだのか?」 「わあ、山岸ユイさんと手つないだんか。いいなあ准汰は」 洋介が、ついで陸がいうと、 「ば、ばかっ。そんなことするか!」 准汰はますます顔を赤くした。 「なんだよ、二人であちこち見て歩いただけかよ。 「うん、それは……」 口ごもりつつ、准汰はひざに目をおとした。 「えっ、交換してねーの?」 顔をふせたまま准汰がうなずく。 「おーいマジかよぉ。せっかくのチャンスに、何やってんだよ」 「いきなり二人っきりにされたら、めんくらうに決まってるだろ。 准汰が、うらめしげな口ぶりだ。 「二人っきりのほうが親密になれると思ったのに、 と、洋介がつづけようとしたとき、 「じゃあ洋介は、神原千秋さんにガツーンと自分の 陸が横あいから口をはさんだ。 「そ、それはだね陸くん」 とたんに洋介がうろたえだす。 「そうだそうだ。俺のことより自分はどうなんだ。 つづいて准汰も反撃にでた。 「いや、まあ、あれだ。俺は連絡先は知ってるもんな」 洋介はあいまいに応じている。 「それで?」 と陸が先をうながす。 「だから、このあいだ宮島へ行こうって神原から連絡があった」 「それは、みんなで行こうってことだろ。こっちから個人的に何か、 准汰がいうと、 「……いや、ぜんぜん」 洋介は、さきほどの准汰みたいにうなだれた。 「なんだよ。けっきょく洋介も、神原と一歩も 「うるせー、俺は准汰とちがって、神原の連絡先は知ってるんだ。 そんな理屈をおしつけて、洋介が肩をそびやかす。 「連絡先くらい、俺だってすぐに聞けるよ」 准汰も勢いこんでいいつのる。 「そうか? 草食系の准汰には無理だろ」 「洋介だって、連絡先を知ってるだけじゃ意味ないじゃん」 「なにをっ!」 「なんだよ!」 と二人がにらみあう。そんな准汰と洋介をひややかにみて、 「ま、二人ともヘタレには違いないけどな」 陸がつぶやいた。 准汰も洋介もその言葉に納得するしかなく、おし黙ってしまった。 ややたって、 「なあ准汰」 と洋介がきりだす。 「なんだよ」 「俺たちが言い合ってても仕方ない。ここは共同作戦といこうぜ」 洋介はいって、右手をさしだした。 「ああ、いいだろう」 准汰が察したような顔になり、その手をにぎりかえす。 「よし、おまえが山岸の心をつかめるように協力してやるよ」 「じゃあ俺も、洋介と神原さんがうまくいくように、いろいろ考えてやるよ」 「ははは、がんばれよ。僕も応援してるからさ」 と陸はわらっている。 そのとき、洋介の携帯電話が鳴った。 「うわっ、さっそく神原から電話だ。どうしよう」 ディスプレイをみた洋介があわてだす。 「とにかく早く出ろよ」 准汰にせかされ、電話を耳にあてた洋介が、 「も、もしもし。神原? ん、どうした?」 言葉もすべりぎみに話しかけている。 「え、つぎの日曜? ああ、サッカーの練習は休みだけど・・・・」 准汰と陸には神原がなにをいってるのか知らないけど、みるみる洋介の顔が笑いにたるみだす。 「おう、わかった。准汰と陸にも言っとく。じゃあ日曜日に」 電話を切った洋介に、二人が問いかけるような目をむける。 「おまえらこんどの日曜、暇だろ?」 「うん暇」 「僕も暇だけど、なんだよ?」 洋介は准汰と陸の肩をゆすりながら、 「こんどの日曜が、俺たちの初陣になるってことさ」 と明るい声でつげた。 ゴトン、ゴトン… 空は青く晴れわたっている。 「よーっす」 「よーっす」 待ち合わせ場所のショッピングビル前で、 「ちょっと准汰くん。来るの早いんじゃないの? たった今やって来た洋介が准汰を茶化すと、 「はあ? そんなんじゃねーよ。それに、 准汰がいいかえす。 「僕としては10分前に着くのは常識だけど」 と陸はいってる。 准汰がポケットから携帯電話を取り出す。 液晶画面には12時58分と示されている。 「山岸たち、遅いな」 「そんなに心配しなくても、愛しの山岸ユイちゃんは逃げないぞ」 「おまえ……」 まだ言うか、と准汰はきつい目で洋介をにらみつける。 「アレだろアレ。女子は洋服やら髪やら気をつかうんだろ。 といった。 「洋介。お前は、もう少し身なりを と、准汰は洋介の頭を指でつついた。 ワックスでととのえたつもりの髪は、 洋介はショウウィンドウの正面に立ち、 そんな彼を、こんどは准汰と陸が声をたてて笑った。 「…おそい」 ビルの壁にもたれかかっている洋介が、 「もう20分だな」 と、准汰も人ごみを見まわしている。 「三人とも遅いなんて、さすがに心配だね」 という陸は、気をもんでいるふうもない。 「そうかそうか。俺たちと遊ぶのに、 冗談を言いかけた洋介のポケットから、 『ちょっと、寝坊? 今どこよ』 声の主は神原千秋だ。 「寝坊って、そっちだろ。とっくに着いてんよ」 『え、見当たらないけど』 「正面入り口。ど真ん前に居るぞ」 『……』 「え、どした?」 『正面は人多いからって、裏の入り口前って言ったじゃん! 「…あっ」 『ばか森田』 あくたいをつき、千秋が電話を切った。 「どうだった?」 准汰が洋介にたずねる。 「ごめん。裏口集合だった。えへ」 「なっ!」 ぺしっと准汰は洋介背中をひっぱたいて、三人が裏口へと急ぐ。 「待てって、置いてくなー!」 「もう、おそーい。女の子待たせるなんて、 両手を腰に当てて仁王立ちの神原千秋が、男の子たちをにらみつけた。 ショートヘアにボーイッシュな身なりの、その千秋の後ろには、 「わりいわりい。おわびに何かおごるから」 「おー洋介、太っ腹だな」 「もち、俺と准汰と陸でな!」 「おい!」 准汰が洋介のわき腹を小突いた。 「やったねー」 「きょうは男の子三人のおごりってわけだね」と笑い合い、 ユイと千秋と茜はよろこんでいる。 「そうだ! 近くにお洒落なカフェがあるの。 と千秋の声は弾んでいる。 「いいね、そこ行こ!」 すぐさま茜が同意し、つづいてユイが口をはさんだ。 「前に茜が教えてくれたお店もステキだったよ。そこにも行ってみたいなあ」 「おいおい、ハシゴとか値段高いとこは、ちょっと無理だかんな…」 洋介が不安をのぞかせた表情で、女の子たちを見やる。 「問答無用! 遅れて来たんだから文句いわない。行くよっ!」 千秋がたたみかけるように言って、 「おいってば!」 「女の子のパワーはすごいね」 「…だな」 あとを追う男たちは、あきれた口ぶりで言い合ってる。 いかにも女の子が好きそうなカフェだ。 店に踏みこむ。 「いらっしゃいませ」 大人びて落ち着いた雰囲気なので、高校生六人は パイやマフィンの甘い香りが漂う。 ショーケースをのぞきこんだユイは、 「わあー、どれもみな美味しそう…」 じっさい、目移りしてしまう。 「みんな、好きなもの頼んでいいって、森田が」 「言ってない!」 反論をまったく気にせず、千秋はさっさと注文を決めるのであった。 「カプチーノ、おいしいよ」 両手でカップを持って、ユイは笑顔を浮かべている。 「マフィンもおいしいよー。これ食べたかったんだ。しあわせー」 「そういや、きょうは徹と牧原、来なかったんだな」 ひとくちアイスコーヒーを飲んで、准汰がいう。 出澪高校の赤沢徹と牧原加奈子。ユイと准汰とは中学校も 「うん、映画観に行くって言ってたよ」 「毎回毎回、俺たちに付き合ってられっかよ。察しろよー准汰」 洋介が隣から身を乗り出す。 「なんだよ、鈍感みたいに言うな!」 「待ち合わせの間違いに気づかない森田だって、充分鈍いわ」 千秋が、きつい一言を吐きだす。 「だから、ごめんってば! おごりでチャラだろ」 「それにしても、今日は待たせちゃってごめんね」 陸が申し訳なさそうに頭を下げた。 「ううん。千秋に連絡とってもらってよかったよ。 いまがチャンスだと、その目が言ってる。 准汰は、ぐっと唾を飲み込んだ。 「そういや、山岸のアドレスも知らなかったよな。 「え、私の?」 そんなつもりじゃなかったユイは、どきりと胸を高鳴らせる。 「ほら、また洋介がドジしても大丈夫なようにだな、その」 「もうドジしねーから!」 洋介がわめいた。 「ふふっ、いいよ」 二人のやり取りに緊張がほどけたユイの顔から、 「じゃあさ、みんなのも教えて! 森田くんと、七瀬くんのも」 「え、僕たちのも? いいけど」 「…鈍感なのは准汰の方じゃなかったみたいだな」 「なっ」 洋介の言葉に、陸と千秋と茜がクスクス笑う。 「よっしゃあ、遊ぶぞ」 カフェから出た6人は本通りを歩いた。 「みんなで出来ることってなんだろう」 すいすいと人の波を縫って歩く千秋の後ろを、ユイは、はぐれないように足を急がせる。 「えーっと… カラオケ? ボーリング?」 「最近ボーリングやってないなあ」 「じゃあ行ってみようよ!」 「さんせーい」 タイミングを見計らって人の波を横切る。ユイは危うく人に 「申し訳ありません。只今、全レーン埋まっておりまして。待ち時間は…」 ボーリング場のフロントの中から、係員が頭を下げる。 「どうする?」 入り口に戻り、みんなで顔を見合わせた。 「作戦変更! 今日は人多いみたいだし」 「じゃあさ、じゃあさ、ゲームしよ! ゲーム!」 6人はボーリング場と併設されているゲームセンターへ向かった。 「日曜だし、どこ行ったって人多いよな」 准汰がつぶやく。 「よし、ここはひとまず解散だ!」 しばらく黙りこんでいた洋介が、ふいに告げた。 「解散?」 「ああ。大人数で行動するより、動きやすいだろ?一時間後に集合な。神原、付き合え」 「うん、いいよ」 「ちょっと、森田」 准汰がなにか言いかけたら、天野茜が、 「じゃあ私、七瀬くんについてこっと。なんとなくゲーム上手そうだもん」 「うん、いいよ」 そんな調子で、たちまち4人が勝手なほうへと歩きだす。 「え? ええ?」 ユイは方々に散っていくみんなの背中を、ぽかーんと 置き去りにされた格好のユイと准汰は、困ったような面映ゆいような 「七瀬くんって、夏川くんたちとは中学違ったんだよね?」 「うん。高校入ってからの付き合いだけど」 などと言い交わし、陸と茜は目的も無くゲームセンターの中を 「それにしては息合ってんじゃない?」 「そう? まあ、見てて飽きないかな」 「なにそれー」 あまり人見知りしない茜は、ぺしぺしと陸の肩を叩く。 「あ、これやんない?」 「これー! 私もすき!」 目にとまったのは、赤い帽子をかぶったキャラクターが主人公の、 「二人とも、楽しんでんのかな」 「准汰と山岸さん? みんな過保護だよね。 「あはは、頼りになるー」 陽気な音楽に乗せて、フラッグの合図と共にレースは始まった。 「いいの? ユイと夏川、こないだも今日も二人っきりじゃ、 洋介の後ろから、千秋は声をかけた。周りの音にかき消されないように、近づいて声を張る。 「いいのいいの。それくらいしないと手をつなぐだけでも 「そうだけど」 「俺も都合いいんだし」 「はい?」 「あ! 神原、あれやろうぜ」 ガンシューティングゲーム。二人用で、タイトルや外装は見るからに シリーズ物らしく、千秋も見かけたことくらいはあった。 「森田、こういうのが好きなの?」 「好き、つーか得意? これはやったことないけど」 「へえ」 千秋は目を細める。コインを入れると同時に効果音で 「うわー!」 急に画面上に飛び出してきたゾンビに、 「森田! だらしない!」 そう言って、千秋は次々に標的を撃っていく。 千秋はイジワルそうな笑みを浮かべて、ちらりと隣をうかがい見る。 「得意なんじゃなかったっけ?」 「いや、そのはずなんだけど……はは」 やがてストーリーは進み、1ステージ目のボスまで辿り着いた。 「しまった、油断した」 それまで快調だった千秋のライフポイントが大きく削られた。 しかし、相手もかなり弱っていた。勢いよく迫ってくる相手に、 「俺って、頼りになるんじゃない?」 「よく言うわ」 ぷっと吹き出し、二人は顔を見合わせて声に出して笑った。 「また二人になっちゃったね。もう、みんな勝手なんだから」 「ああ、そうだよな」 森田の作戦だと知っている准汰は、動揺しないように普通に振る舞う。 宙を仰ぎ見て、視線を会わせようとはしない。手持ち無沙汰なのか、 「夏川くん、何がやりたい?」 「山岸のやりたいやつでいいよ」 なんでもいい。いちばん困る返答だ。しかし、 「じゃあ、あれとね。これとね……あと、あれも!」 「ぷっ、多いな」 「えへへ」 「じゃあ、全部やるぞ」 前より、宮島のときより自然に笑えてるだろうか。ユイは思った。 「あ、あれ」 最後に指さした先には、小さなクマのマスコットが山のように積まれたクレーンゲームがある。 ユイは小走りで駆けていった。 「なに?」 「私、これ好きなのー」 ユイは透明なガラスごしに、きらきらした瞳で見つめている。 「あー、最近よく見るよな。このクマ」 「でも、取るのヘタなんだ。私」 ふにゃりと苦笑いを浮かべる。准汰はおもむろに、 「えっ」 「三回までには取れる気がする」 一枚目のコインを入れる。ゆっくりと動くアームを目で追う二人。 積まれた山に爪が引っかかるけど、少し動いただけで 「うーん」 二枚目のコインを入れる。さっきよりも動いたマスコットは、 「あと少し!」 ゆっくりと三枚目のコインを入れる。ユイの喜んだ顔が見たい。 いちだんと集中して、准汰は手を動かした。 「あっ!」 「っしゃあ!」 チャラララッチャチャーン。軽快な音楽に乗せてマスコットが 「すごーい。夏川くんすごい!」 目を丸くしてユイが飛び跳ねる。 「三回で取れるって言ったろ?」 ふう、と一息ついて、出口から取り出したそれをユイに手わたす。 「両方やる」 同じクマが二匹。赤色のスカーフと青色のスカーフの色違いだ。 「ありがとう! でも、夏川くんが取ったんだもん。はい」 片方、青色のスカーフのクマを准汰に差し出す。 たじろぐ准汰だが、ユイの無邪気な笑顔を見てふと笑みが 「おう、サンキュ」 「ふふっ。お揃いだね」 「……天然って、いちばん厄介だよな」 准汰は、マスコットに目を落として呟いた。 「ん、何か言った?」 「なんでもねえよ! そろそろ時間だし、行くぞ」 マスコットは二人の手にぶら下がり、それぞれのリズムを また六人が合流してしばらく街をぶらついているうちに、 「じゃあ、学校で」 「今日は楽しかったな」 「また集まって遊ぼうね」 ユイはみんなに向かって手を振った。 その日の帰り道、街路灯の光が灯り始める道の途中で、 なんとなくどきりとして、そっと開く。差出人には、 「なんだよ、森田か」 肩の力が抜け、歩きながら内容を確認する。 『今日は俺のおかげで(^ー^)bメアドゲット!やったな』 「はいはい、サンキュ。森田がドジしたおかげさまで」 『もうメールしたんか?』 「さっきまで会ってたのにするわけないだろ」 『はあ、これだからダメだわ(- -;)メ まあがんばれよ。じゃあまた学校でな』 「はあ? 何がだめなんだよ……」 准汰は、アドレス帳の〈山岸〉のページを開いて、目を細めた。 「こんど用事がある時に、普通にメールすればいいんだよな。うん」 もう夜が長くなる季節だ。夕焼けの後ろから迫ってくる暗闇に いっぽう、夜も更けてユイは自室のベッドに寝ころがり、 「メール送ってもいいかな……別におかしくないよね」 文字を打っては消し、短い文章を何度も何度も読み返して、 「今日はクマ取ってくれてありがとう(^ ^*) 風呂あがりの麦茶をもって自室に戻った准汰は、 (洋介?) ぬれた髪をガシガシ拭きながら、画面を開く。 「文化祭、ぜったい行くよ! 演奏がんばれ(^^)」 文章を作っては消し、作っては消しをくりかえして、 こんなときに気の利いた言葉でも書ければ 軽快なメロディーが響いて、ユイの携帯にメール受信を知らせる。 (夏川くん!) はじめての受信メールに、胸が高鳴る。 (練習がんばろ!) ユイはギターを抱え直し、何度も何度もコードを練習しはじめた。 そのあくる日 「ユイ、早く早くっ!」 ホームルームが終わると同時に、神原千秋が音楽室へと駆け出した。 「先に行っちゃうよ~」 と天野茜もあとにつづく。 「待って~、あ、加奈ちゃん、また明日ねっ」 ふたりとも足が速くて、ユイは教室で見送る牧原加奈子に ドアを開けて飛び込むと、すでにほかの部員たちは練習を始めていて、 「おそいよ~」 「ごめんなさ~い、先生の話、長くって~」 ドラムセットに埋もれるようなかっこうで、 「待ちくたびれたよ~」 と冗談めかして言うのは、先輩部員の海野詩織だ。 「じゃぁ、さっそくだけど始めるよ~」 いいながら、詩織がスティックをにぎる。 「っしゃー! いくぞーっ!」 ふだんの詩織のほんわかした雰囲気からは 「おつかれさま~」 ひとしきり練習を終えると、もうすっかり夕闇が迫っていた。 ふっくらとした体つきの女の子と、背の高い細身の男の子。 「そっか、加奈ちゃんは今日、バイト休みだっけ」 茜がいうと、千秋が、 「バスケ部おわるの待ってたのか~。健気だねぇ」 とつづける。 放課後はアルバイトにいそしんでいる加奈子は、 文化祭シーズンだけは特別にバイトを休むのだと言っていたけど、 「気づいてますけど」 その声に、3人はアハハと渇いた笑いで返す。 「や~、お2人さんを邪魔しちゃ悪いと思ってね~」 千秋が茶化すように返すと、加奈子が、 「もー」 と苦笑する。 「ほらー、気ぃつかってくれたんじゃん。加奈子ってば照れ屋さーん」 千秋の言葉にのっかるように、徹が唇をとがらせる。 「はいはい、ごちそうさま。それはそうと、赤沢のクラス、文化祭で何するの?」 千秋がたずねると、徹は得意げに胸をそらせて、 「カレー」 と答える。 「あー、そっか。田島先生のクラスだもんね。 「そうそう。カレー以外の候補も出なかったし飯系少なそうだし、 「さすが脱力系1組」 茜が口をはさむと、 「だろ? マジでタジマーニャが担任で良かったよ。 「あはは、さっすが1組」 「笑いごとじゃないから、マジで。ところで、3組は何すんの? 徹がちらっと加奈子を見やる。ユイが言ってもいい? 「加奈ちゃんがダメって言うから内緒ね」 ユイがいいかえすと、徹は大げさに、 「え~っ」 と残念そうな顔をする。 「どーせ当日になればわかるんだから、いいじゃない」 「えーっ。知りたい知りたい」 「ダーメ! ほら、暗くなるから帰るよっ」 「ちょっ、待って! 加奈ちゃーん」 半笑いの顔でさっさと歩く加奈子を、徹が追いかける。 「またやってるよ」 とわらいあって家路についた。 バンドの練習や模擬店の準備をしているうちに、文化祭当日を迎えた。 「ねぇ、ちょっとこのスカート短くない?」 数日まえの衣装あわせのときよりもさらに5センチ以上短くなっている 「千秋、可愛いよ~」 「うんうん」 ユイと茜が賞賛すると、千秋は顔を真っ赤にして唇をとがらせた。 はずかしそうにモジモジするたびに、ぴょこぴょことスカートの 「ほら、つぎは山岸さんと天野さんだよ。 あやしげな笑みを浮かべて迫ってくる女の子たちに、ユイと茜は、 「さーて、准汰くん。いよいよ愛しの山岸ユイちゃんの マイクのように差し出された森田洋介の拳を払いのけ、 「なんだよそのテンション。おまえの方が舞い上がってんじゃん」 准汰がいうと、洋介は、 「ばっか言え。……当然だろ」 「おーともよ。この門の先には俺たちの知らない女の子たちの 「はいはい、赤沢もいるけどね。勝手に燃えててよー。 熱血ドラマの主人公のようなセリフを吐きながら校舎を見上げる洋介を、 「わーっ陸、おまえ抜け駆けか!」 あわてて陸を追いかける洋介につられて、准汰もあわただしく 「いらっしゃいませーっ。カレーうまいっすよー」 教室の近くまでくると、ひときわ大きな呼び込みの声がきこえてきた。 「おー、やってるやってる」 先頭を歩く洋介が切り込み隊長となって、人ごみの中を進んでいく。 「よー。あと5分だから、もうちょっと待って」 申し訳なさそうにいう徹に、洋介が、 「え~っ。准汰くんはもう待てませんっ」 なんて言うから、准汰が洋介の背中を叩く。 「きゃー、のろけ発言~。今の聞きました?」 「今日の洋介うぜぇな」 「待ち合わせからずっとこうなんだ」 「もうすぐ神原さんに会えるから舞い上がってるんだよね」 「あー、どうりで。まあ落ち着けよ。お楽しみはこれからだろ」 意味深な徹の発言に、3人の頭の中は、?マークでいっぱいになった。 徹の言葉の意味がわかったのは、彼の仕事がおわって、 窓をおおう暗幕にはハロウィンでおなじみのカボチャのお化けや そしてドラキュラの格好をした案内係が手にしている看板には、 「昨日やっと何やるか教えてもらえてさー。入ろうぜ」 あっけに取られている准汰と洋介を尻目に、徹と陸が暗幕をくぐる。 演出を考えての薄暗い照明。室内にもたくさんの怪しげな 4人を迎えたのは、スカート部分が大きく広がった 「お帰りなさいませ、ご主人さま……あっ」 「神原?」 森田の驚いた表情に、名前を呼ばれた神原千秋は 千秋が抗議すると、徹がイエイッとVサインをつくる。 「ちょっと赤沢っ! もう、はやく加奈子のとこ行けっ」 「イエっさー。加奈子~」 マンガなら確実にハートマークが散乱しているような 「へ~、にあうね。可愛いよ」 陸がしげしげと見つめる。 「あ、ありがとう」 ほめられた茜は、ちょっと気恥ずかしそうに首をすくめた。 いっぽうの加奈子は、制服の上にフリルのついた白いエプロンを 徹が、 「加奈子もコスプレすればよかったのに~」 残念そうに言うと、 「あたしは調理係だからコスプレはしないよ」 と、もっともな回答。 と不服そうに唇をとがらせる徹に、 「まぁ次に、機会があればね」 なんて付け加えて笑う加奈子は、徹の扱いをよく心得ている。 接客ちゅうの女の子の中に、ユイの姿はなかった。 「なあ、山岸は?」 尋ねたのは准汰ではなく、洋介だった。 「ユイはジャンケンで負けたから、今は宣伝係してるの。 千秋が4人がけの席に案内して、メニューを差し出す。 〈地獄の一丁目・オレンジジュース〉 などと怪しげな名前ばかりが並ぶメニューから、 二人を教室の奥の席に案内して、注文をきいてバックヤードへ 「山岸」 准汰が声をかける。 「あっ」 ユイが目を丸くして、ついで、いつもの笑顔になる。 「来てくれてたんだね」 「ああ。山岸は魔女のコスプレ?」 「うん」 なにを話そうかと言葉が出てこない准汰の足を、 「いてっ」 洋介をにらむと、おれじゃないとばかり首を横にふっている。 そのときバックヤードからユイを呼ぶ声がして、 「ごめんね、もう行かなきゃ。このあと十一時半から体育館で 「うん、ぜったい行く。がんばって」 「うん、ありがとう! じゃあ、またあとでね」 ちいさく手をふって、ユイはバックヤードに戻っていった。 「はい、お待たせー。ユイじゃなくてごめんね」 と、千秋がドリンクを運んできた。 「なによ」 千秋が准汰の肩をつついた。 「べつに~。ほら、仕事仕事」 「もー。あとで、ぜったい聞き出してやる」 「はいはい」 千秋をあしらって、准汰はジュースに口をつけた。 「で、さっきおれの足、ふんだの誰だよ?」 「ん? おれ」 徹がいった。 「だって准汰~。あそこは『可愛いね』とか 「おれは、お前とはちがうんだよ」 「おれが軽いみたいに言うなよ。 「見てりゃわかるよ。おれが言いたいのは、思ってること、 「難儀だねー、お前。可愛いって思ったら、 ほめられていやな子なんていないだろ。ほら洋介、お前も。 「やー、徹くん。あれはなかなかレアだぜ」 「うんうん。気に入ったんだよな。 「そりゃいかん」 しゃきっと表情を引きしめる洋介とは裏腹に、 「あらら~」 「ライバル出現かー。どうする准汰? 准汰の視線に気づいて、洋介と徹もユイたちに目をとめ、 「准汰、はっきりしない男は嫌われるよ」 というのは陸だ。 「おっ、陸ちゃん辛口」 陸は軽口を叩かない分、一言一言が重い。 二人の楽しげなようすに准汰が歯がゆさを感じていると、 (目が合った!) 准汰が焦っていると、男は何かを察したようにニヤリと 思わず立ち上がりかけた准汰を尻目に、男は、 「またあとでね」 と言って、ユイの頭をぽんぽんして出て行った。 ユイはのんきに、 「またね~」 なんて言いながら手をふっている。 (なんなんだよあの男~) 「うーわー、むこうは超余裕って感じ?」 洋介が面白くなさそうに唇をとがらせる。 「准汰の視線、バレバレだったんだね~」 「な~。思いっきりけん制してたよな。 陸と洋介が言い、徹だけはうーんと首をかしげている。 「どったの?」 「いや、一緒にいたチャラいほうは軽音部の2年なんだよ。 徹と洋介が考え込む最中も、准汰の頭の中では、 「山岸さんに訊いてみたらいいんじゃないかな」 陸の一言に、 「おーっ陸ナイス! そうだ准汰、訊けよ。 「それいいかもな。ほら、山岸との距離を縮める第一歩としてさ」 洋介と徹が准汰の背中をバシッと叩く。 「……がんばる」 二人に押し切られる形で、准汰は決意した。 准汰がいつ切り出すか悩んでいるうちにも、 準備のために模擬店を抜けたユイ、千秋、茜たちを見送り、 「けっこう人いるんだな」 予想外に混みあっている館内に、准汰はおどろいた。 「うちの軽音部って上手い人が多いから、人気みたい」 人混みに埋もれそうになりながら、加奈子がいった。 「それにしてもすっげぇ人だな」 徹がすぐ後ろを歩く加奈子に手を差し伸べる。 (徹すげー) (俺もこんなだったら悩まないのかな……) 手をつなぐ二人の後ろを歩きながら、准汰はあれこれ (徹は参考にしちゃダメだ) 准汰は自分に言い聞かせている。 だんだんと館内の照明が暗くなってきた。 まもなく幕が上がって、ユイたちのバンドが姿を見せた。 「マジ楽しみ~」 千秋を見ながら嬉しそうに笑う洋介の前方に、 男も、洋介と同じような表情でステージを見つめている。 准汰は、一瞬だけ男のほうを見た。男は准汰に気づく様子もない。 (負けたくねーな) 演奏を終えた3人と合流して、8人で構内を 8人は自然と二人ずつ並んで歩くようなかたちになって、 「ライブお疲れ。ギター良かったよ」 「ありがと。緊張で手、ふるえてたから、 ほっとしたようなユイの笑顔に、自然と准汰の顔もほころぶ。 「えいっ」 「きゃっ」 ふいにユイの横顔が視界から消える。 「もー、隼人くん!」 「ハハッ、きまったきまった」 うしろからいきなりユイに膝カックンを (隼人…?) ユイの口から出た名前には、准汰も聞き覚えがあった。 「隼人またやってるー」 隼人の隣で笑っているのは、ユイたちのバンドでドラムを 「相変わらずだな~」 詩織の横で、連れのチャラ男がケラケラと笑っている。 「先輩たちも今から回るんですか?」 「回るっていうか、隼人にうちのクラスの売り上げに 「またあのコスプレするなら行ってもいいよ」 「あれかー、どうしよう」 千秋が親しげに話しているのを見て、洋介と徹が、 と声をそろえる。 「ん? 赤沢どうした?」 「や、なんでもないっす」 「そっか。まぁお前たちもうちの模擬店、こいや」 「何してんすか」 「うちのカレーと交換でどうすか」 「いいねぇカレー。隼人、カレーも食ってやれ」 「お前、俺にどんだけ食わせる気なんだよ」 隼人が笑う。 そのあとは十一人での団体行動になり、 「じゃぁ、また連絡するわー」 「おう」 「またなー」 徹に見送られて校門を出た准汰たち3人は、夕暮れの中を歩いた。 「ああ」 「俺たちの中学の先輩とか…すっかり忘れてたし」 「かなり目立ってた人みたいだねー、あの人。鷹西隼人だっけ?」 「ああ。野球部エースで、確か推薦で鯉宮館高校に行ったんだぜ」 「なにそれ」 「だってサッカーと野球じゃ畑が違うだろ」 「確かにそうだね。准汰としては、安心したのかな? 陸が准汰を見やる。准汰の表情は微妙だ。 「安心…安心かー」 「なんだよ准汰」 「すっきりしてない感じ?」 「んー。幼なじみだっていうのはわかったけど、 「あれなー。こっち見てニヤッて笑って内緒話したとこだろ? 「怪しいって?」 「ほら、マンガとかであんじゃん。 「あーらら。准汰、大変だ~」 「陸おまえ、ひとごとだと思って」 「だってひとごとだもーん」 「うわー。これでも気にしてんだからな」 「わかってるよ。だからこうして作戦会議してんでしょ。 夕暮れの道に、3人の声が弾んでいた。
昼どきに近い基町クレド前、夏川准汰は寒さに なぜ彼が一人で肉まんを食べているのか。その理由を 「ふぁーあ…」 休日だというのに、准汰は家族の誰よりも早く目が覚めていた。 クレドに着き、准汰はとりあえず近くの大型書店で適当に漫画などを物色してみた。 でもこのまま家に帰るのもなんだかしゃくなので、 (洋介にメールしたら「今日は忙しい」って返ってきたし、陸も用事があるって言ってたっけ……) いつもの面子のアテも外れた准汰は、完全に手詰まりだった。 准汰は大型ビジョンへと顔をむけた。待ち合わせ場所によく指定される、 休日という事もあって、周囲にはさまざまな人がいた。 (そういえば、宮島に行った時もあのビジョンの前に集合だったな) 准汰はビジョンを見ながら、あの日の出来ごとを それと共に彼女も自然に思い出され、准汰は自分の顔が熱くなるのを感じた。 もともと友人はそれほど多くないので、アドレス帳のや行には (メール、してみようかな) 山岸も悪い気はしないはずだ。そして、もしも山岸も暇を 准汰はビジョンへと視線をもどした。 それを懸命になだめている女の子のうしろすがたを見て、 (あれ?) 准汰は目をうたがった。冷え切った肉まんのひとかけらを 「大丈夫だから泣かないで。ね?」 となだめる声を聞いて、 (やっぱり山岸だ) 驚きと喜びが准汰の胸を満たした。 「山岸」 准汰がよびかけ、ユイが振り返る。 「あ、夏川君! わわっ」 よほどびっくりしたのか、ユイは振り返った拍子に おきあがろうとするユイに手をかしながら、 「なにやってるんだ。その子は妹?」 「あ、違うの。この子、奈々ちゃんっていうんだけど。 少女はとつぜん現れた准汰を警戒するように、 ユイはこれまでのいきさつを准汰に説明した。といっても 「警察には?」 「まだ届けてないの。それに……」 ユイはちらりと奈々のほうを見る。 「またわたし以外の知らない人に預けられるのが、嫌みたい」 「そっか。うーん、困ったな」 准汰はどうしたものかと思案する。泣き止んではいるが、 「奈々ちゃんこんにちは。ぼくはこのお姉ちゃんのお友だちで、 そう言って手を差し出す。奈々はユイの背に隠れたが、 「奈々ちゃん安心して。お兄ちゃんが、奈々ちゃんの家族を 「えっ!」 思わずユイが声をあげる。いっぽう奈々は、 「ほんと?」と首をかたむけ、 「もちろんほんとだよ」 准汰も笑ってそれに答える。 「夏川くん、大丈夫なの? やっぱり警察に届けたほうが…」 「警察はだめだよ。奈々ちゃんが嫌がってるんだから。 「うん、わかった」 ユイは納得した。 「奈々ちゃんは今日、誰とここに来たの? 「お兄ちゃん? お兄ちゃんとふたりで来たの?」 「うん、あのね、奈々があたらしい野球場が見たいっていったの。 奈々が、たどたどしく説明してくれた。 「マツダスタジアムの事かしら」 「あたりまえだろ。よし、じゃあ奈々ちゃん。 「うん!」 ***************** 「おぉー、これがマツダスタジアムかぁ。でっかいなぁ」 スタジアムを前にし、准汰が素っ頓狂な声をあげる。 「うわー、おっきぃ・・・」 奈々もすっかり驚いているようだ。 「夏川君、来た事なかったの?」 ユイが不思議そうに尋ねる。 「テレビではよく見るけど、実際に来たのは初めてだなぁ」 「そっかぁ。あたしは幼馴染とよく来るんだよ。」 「へぇ・・・そうなんだ」 准汰は文化祭で見た男の顔を思い出し、曖昧な返事をしてしまう。 「とりあえず、中に入ってみようか菜々ちゃん」 「うん」 三人は正面ゲートからスタジアムの中へと入る。 「どう、菜々ちゃん。この中にお兄ちゃんはいる?」 「ううん、いない」 「そっか・・・」 その後、グッズショップの方も廻ってみたが、結局菜々の兄らしき人物は見つからなかった。 「お兄ちゃん、どこにいるんだろ・・・」 菜々が俯きがちに呟く。 「だ、大丈夫だよ。きっと見つかるから、ね。」 准汰が慌てて菜々を慰める。 「あ、今日はコンコースが開放されてるみたいだよ。行ってみようよ!」 「「こんこーす?」」 突然のユイの言葉に、准汰と奈々が声を揃えて問い返す。 「ふふ、きっとおどろくよ。こっちこっち!」 そう言うと、ユイはスタジアム横の階段に向かって走り出した。 「ほらー!こっちこっちー!」 階段の上からユイが子どものように二人を急かす。 「なんだよ、一体何があるんだよ。」 准汰は菜々の歩調に合わせ、ゆっくりと階段を登りながら尋ねる。 「ほら、みて!」 ようやく二人がユイに追いついた時、ユイはそう言って自身の背後を示す。 ユイの示した方向、そこには球場を見渡せる広大な通路が広がっていた。 ユイ曰く、コンコースとはこの通路の事なのだそうだ。 コンコースはグラウンドを取り囲むように続いており、 「わー・・・」 「すげぇ・・・こんなに近くでグラウンドが見られるんだ」 二人はコンコースの内側へと駆け寄る。 コンコースは一階観客席の最後部ぎりぎりまで開放されており、グラウンドを一望できた。 グラウンドは芝生が瑞々しく青く輝き、 一台の芝刈り機がゆっくりとした速度で芝生を手入れしている。 「えへへ、すごいでしょ」 ユイはさも自分の手柄のように誇らしげだ。 「この通路もね、今は全然人がいなくてお店も閉まってるけど、 「へぇー」 返事はするものの、准汰はこの光景を見るのに夢中なようだ。 しばしの沈黙の後、 「お兄ちゃんにも見せたかったな・・・」 不意に、ぽつりと菜々が呟いた。その一言で准汰とユイは我に返る。 「菜々ちゃん。ここにはお兄ちゃんはいないみたいだし、一旦、駅まで戻ろうか・・・」 「うん・・・」 准汰の問いに奈々は素直に頷く。三人は駅に向かって歩き出した。 駅への帰り道、三人は終始無言だった。広島駅の構内には交番がある。 (やっぱりこれ以上連れまわすのはまずいよな・・・) 俯いて、准汰は一人考えていた。マツダスタジアムで奈々の兄を見つけられなかった以上、 (探してあげるなんて言っておいて結局これかよ・・・) 頭ではわかっているが、准汰は自らのふがいなさが悔しかった。その時だった。 「菜々っ!」 そう呼ぶ声がした。顔をあげると、前方から大きく手を振りながら男が走ってくる。 「あ、お兄ちゃんっ!」 菜々は男を見るなり駆け出した。男はほとんどヘッドスライディングのような勢いで 准汰とユイは驚愕した。まさか、こんな偶然があるのだろうか。 「よかった。本当によかった。菜々。ごめんな、一人にして」 「ううん。大丈夫。お兄ちゃんとお姉ちゃんが一緒にいてくれたから」 「お兄ちゃんとお姉ちゃん?」 准汰とユイはゆっくりと男に近づく。それに気付き、男も慌てて立ち上がる。 「あ、菜々を保護してくれてた方ですか。あの、本当にありがとうございまし・・・」 男は二人の顔を見るなり言葉を失う。そんな男に准汰はにっこりと声をかける。 「どういたしまして。森田洋介君」 「いやー、びっくりしたー。 「こっちだって死ぬほどおどろいたっつーの。 「本当。森田君に妹さんがいたなんて、あたし全然知らなかった」 「へっへー。可愛いだろ?自慢の妹だ。准汰、お前にはやらんぞ」 「いらねーよ。いや、妹としては是非とも欲しいけど」 「ふふっ」 四人で軽口を叩き合う。菜々は初め、急に親しげに話し出す 「それにしても」 と、ふいに洋介が切り出す。 「休日に二人でおでかけなんて、 ぼっ!と、一瞬で耳まで真っ赤になる二人。 「ば、馬鹿!ちげーよ!俺と山岸が会ったのはたまたまで・・・」 「そっそうだよ!ほんとにただの偶然・・・」 「へぇ~。約束もしてない二人が、 洋介の冷やかしに、顔を赤くして俯いてしまう二人だった。 「よし。じゃあ菜々。兄ちゃんたちはお邪魔なようだから、 「お、おい」 「うん。お兄ちゃん、野球場見に行こうよ。あのね、 「へぇ、そりゃ楽しみだ。じゃ、そゆ事なんでお二人さん。 そう告げると、洋介と菜々は新球場へと歩き出す。 「准汰お兄ちゃん、ユイお姉ちゃん。ありがとう。 輝くような笑顔でそう叫んだ菜々に、二人は笑顔で手を振った。 「よかったね、奈々ちゃん。無事に森田君と会う事ができて」 「ん、うん・・・」 相変わらず人通りの激しい広島駅を、二人は歩く。 「どうかした?何か元気ないみたい」 ユイは准汰の顔を覗き込む。准汰はふいに足を止めた。 「少し考えてたんだ」 「何を?」 「本当にこれでよかったのかなって」 「??何が?」 ユイはキョトンとしている。准汰は俯いてぽつりぽつりと 「菜々ちゃんの事。俺は奈々ちゃんの家族を探すなんて 「・・・」 「本当は今日、ずっと考えてたんだ。 消えそうな声で准汰は話す。 「・・・夏川君は、どう思ってるの?」 「わからない。何が正しかったのか。 「でも、あの時はそうする事が奈々ちゃんのためだと 「・・・うん。」 「だったら、それでいいんじゃないかな。」 「え?」 准汰は顔をあげてユイを見る。 「私ね、あの時夏川君が来てくれて、すごく頼もしかった。 「ううん、本当だよ。あの時のあたしは、 「・・・」 准汰はユイの言葉に聞き入っている。 「ほら、『やらなくて後悔するよりも、やって後悔する方がいい』って言うでしょ。だから、 ユイは真剣な眼差しで准汰から目を離そうとしない。 普段のユイのイメージとは少し違う、 「・・・そっか。うん、確かにそうだよな。」 准汰はユイの言葉をかみ締めるように、うんうんと何度も頷く。 「ありがとう山岸。なんだか、すっきりした」 「えへへ、どういたしまして」 ユイは照れながら、柔らかく微笑んだ。 「えと、じゃあこれからどうしよっか。もう解散する?」 ユイが問いかける。 准汰は心の中でもう一度繰り返し、そして覚悟を決めた。 「あのさ、山岸」 「え、何?」 しっかりとユイの顔を見据える。体温がどんどん上昇していく。 「よかったら・・・どこか、遊びに行かないか?」 **** 言った。****** 千秋に声をかけるときだって、 それはやっぱり、そこに特別な思いがあるからなんだと、 「えっと、その……」 准汰が息をのむ。 「ごめん!」 「ええ?」 あまりの勢いに、准汰の体から一気に熱が抜けていった。 「じゃなくて、あのね…」 ぱたぱたと手を前で振り、ユイは頭の中で 「今度改めて遊ぼう?」 そう言うと、准汰に背中を向けて電車乗り場の方へ踏み出す。 「またメール、するねっ」 「…おう」 引き止めようかと思ったけど、笑い返して手を振った。 ユイは自分から、これからどうしようかと持ちかけたのに、 相手は正面から来てくれたのに、 「ピンポンパンポン ピンポンパンポン・・・・」 休憩時間を知らせるチャイムが校内に鳴り響き、 「どうしたのよ、ユイ。具合でも悪い?」 席の近い神原千秋が、それに気付き、寄ってくる。 「違う、違うの」 ユイが顔を上げる。その手には、プリントが握られていた。 「それ、さっきの」 「わあああ、見ちゃだめっ」 あわてて机に隠したけど、ときすでに遅し。 それは、ついさきほど数学の授業で返された 先週、抜き打ちでおこなわれ、 「見ちゃいけないなら、先に収めときなよー」 千秋が笑う。ユイは、しゅんとしている。 「中学の頃は、けっこう数学好きだったんだけどな…。 「まあね。小学校の算数だったころが懐かしいね。 千秋は腕を組んで机にもたれかかる。 「ううん。決まってないから、 「うん。ユイの場合、ギリギリになってあたふたしてそうだね。 「あはは、ごめんごめん。とか言いながら、 「そうだね。5点差だけど」 うしろから、天野茜がやってきた。 「なっ。なんで茜がそれ持ってんのよ!」 「拾ったんだよー、そこで。机から落ちてたみたい」 あわてて茜の手から奪い取る。 「千秋ちゃんも同じくらいだったんだね」 「ちょっとユイ。そこは安心していい所じゃないんじゃない?」 「私はたまたまだよ。ほら、今回のテストは 千秋が、しどろもどろに言葉を紡ぐ。 「うー。じゃあ茜ちゃん教えて」 「いいけど、人に教えるのヘタだよ…そういうのは先輩に 「塾か…もし私が入ったら、今より自信持てるかな」 ユイがひとりごとみたいに呟く。 「なんなら千秋も行ったら?」 ちらっと、千秋の手元を見やる。 「私は、もうちょっと後でいい。今は何も考えずに、 「先輩…か」 いつもならにこにこしながら二人の 「そうそう、たとえば海野先輩とか、勉強してそうじゃない?」 「あ、でも全然テスト興味なさそうな人も居るじゃん。 千秋と茜は軽音学部の先輩の話を始めた。 その日、家に帰ってからメールを打った。 『ねえねえ、隼人くんは塾とか行ってる? メールの送信先は鷹西隼人だった。 しかし、隼人は塾には行っていない。 『行ってないよ。勉強のことで悩みでもあるのか? 中学の頃は、たまに勉強会と称して隼人がユイに勉強を 『ありがとう。練習試合がんばってねp(^▽^)q 『そんなことないんじゃないか? 俺も受験用には、 そこには、いわゆる塾とは印象の違う なんとなくユイは、 手にした案内書の地図と駅前の道路を見くらべている。 広い通りにはコンビニや飲食店がならび、 「えーっと、ここからまっすぐ歩いて…」 つめたい風に首をすくめながら、ななめ前方のデパートにむけて足をふみだす。 「あった!」 デパートのすぐ近くに目的の建物を見つけたユイは、 と、白い建物に青い看板が掲げてあった。 ユイはちょっと緊張ぎみに、その建物に踏みこんだ。 「こんにちは。体験授業をお願いしていた山岸ユイです」 と声をかけ、ぺこりと頭をさげる。 「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」 セミロングにスーツ姿の女性が笑顔をかえし、 「わたしは山岸さんの担当をさせていただく、 「山岸ユイです。よろしくお願いします」 広びろとしたフロアには自由にくつろげる机や椅子が 「思ってた雰囲気と、ちがいました?」 目をおよがせているユイに、由香里が問いかける。 「あ、はい。いくつか教室があって、 ユイが言い返す。さらに、こう付け足した。 「なんだか、とても開放的な感じですね」 「授業が無い日でも立ち寄って、 由香里がいうとおり、いくにんかの生徒が 「さっそくですが、授業を体験してみましょうか」 「はい、」 由香里にうながされ、ユイは授業ブースの席にすわった。 一つの机に三つの椅子が用意してあり、 「きょうは、山岸さんの苦手なところを一緒にやりましょう」 「はいっ」 ユイはノートをひろげ、シャーペンをにぎりしめた。 ************************************************ 「で、その個別指導の教室に通うことにしたんだ?」 コーヒー牛乳を手に、千秋が問いかける。 「そう。お父さんもお母さんも、いいよって言ってくれたし」 机の上に弁当をひろげ、ユイが答える。 「でも、部活は出るよね?」 「もちろんよ。だから週に一日だけ通うんだ。 「そっか。次のテストは私も負けてらんないな!」 「ふふっ。私もがんばるからね」 握りこぶしを作り、にっと笑いかけた。 「そういえば、ユイ。こないだ夏川くんと、 「うん、奈々ちゃんね。なんで知ってるの?」 思わぬ話題を振られて、ユイは目を丸くした。 「森田と電話してるときに聞いた」 「千秋ちゃん、森田くんと電話で話したりするの?」 といいつつ、ユイは頬が赤くなった。 「するよ。べ、べつに深い意味はないけど。普通の会話だよ」 まっすぐ問いかけてくるユイに、千秋は照れくさそうに答えた。 「そうなんだ」 准汰といっしょに奈々を連れて、 (夏川くん…) ユイは、心の声でよびかけた。 「さみい…」 准汰は大きなスポーツバッグを肩から下げて、 「あれ」 その教室からもれる明かりのほうへ、 「山岸?」 まぶしい光の中には、まちがいなくユイの姿がある。 ふりあおぐと『個別指導・Axis』と大きく書かれてある。 「部活も勉強も両立してんだな。…よし、俺もやるぞ」 准汰はがんばっているユイを応援したくなり、 いつかユイにあげたキーホルダーだ。そして、 〈がんばれ!〉 さかさまの鏡文字だし、指はかじかんでいるし、 准汰は自分も元気をもらったような気分になった。 「きょうも、よろしくお願いします」 ユイは席にすわり、問題集をひろげた。仲本由香里をはさんだ 「きょうは、先週解けなかった問題の復習からいきましょう」 「はい。 ユイはAxisに通うようになってから、 「じゃあ、次はこの問題にいきましょう」 由香里の指導で問題集にとりくむ。 「できました」 「そう。ちょっと見せて」 由香里が答えを確認する。そのとき、 「…あ、れ?」 ちいさならくがきに目をとめて、たちまち 〈サッカーボールと 「がんばれ」の文字〉 だれが描いたものか、すぐにわかった。 「ユイちゃん、ほとんどできてるわよ。それと、ここはね…」 「あ、はい」 ユイはノートに目をもどし、由香里の補足説明を聞きながら、 「ありがとうございました」 個別指導がおわって授業ブースを出たユイは、 「ユイちゃん、おつかれさま。きょうも復習して帰るの?」 由香里が笑いかける。 「はい。家だとついついテレビを見たり、 とユイも笑いかえす。 「そういえばユイちゃん、なにか悩み事でもあるの?」 「えっ、わたし、授業中ぼーっとしてましたか?」 ユイは、まっすぐ由香里を見かえした。 「そうじゃないけど、休憩時間とか、 「すごーい。わかるんですね」 ユイは、びくりと肩を揺らした。 「ふふっ」と 目をほそめた由香里は大学生だけど、 机をはさんでユイとむきあった由香里に、 「じつはわたし…」と、 先日の准汰とのいきさつを話しはじめる。 「…そう。ユイちゃんは、その子が好きなのね」 「その、好きというか、気になるっているというか…」 いきなりそう聞かれて、ユイはかえす言葉につまった。 「気になってる段階で、もう好きなのよ」 由香里が断言する。 (仲本さんって、大人だな…) ユイはそう思った。 「でも、今までどおり楽しいだけじゃ、だめなのかな?」 自分に言ってるのか由香里に言ってるのか 「みんなで楽しく遊ぶときはなんでもないけど、二人だと、 「そんなわけでもないけど…」 げんに宮島で、二人っきりで遊んだことがある。 「自分の気持ちが変わることを、怖がっちゃだめよ」 「変わる…」 准汰への気持ちが、どう変わるのだろうか。 「二人きりで遊んでも、楽しいことがいっぱいあるはずよ。 由香里は言って、あらためてユイに問いかけた。 「ユイちゃんは、どうしたいの?」 「わたしは… 会いたい」 「そう。じゃあその会いたいって気持ちに、 宮島で准汰とすごしたときは緊張したけど、別れぎわには、 「あ、そろそろ失礼するね」 時計を見て、由香里は席を立った。 「話を聞いてもらって、ありがとうございました」 「いいえ。勉強も恋もがんばってね!」 由香里はみじかく笑って、つぎの学生との授業に向かった。 「よーし、やるぞ」 ユイはすっかり気分が晴れて、 自習をすませて外に出ると、ユイはガラス窓に 〈うん、〉と書き加えた。 ******************************************** 「お姉ちゃん遅いなぁ~」 ユイは唇をとがらせながら、携帯の画面を見た。 『もう少しで着くからね! ごめん(><)』 というメールがきてから20分。 楽しげに行きかう人たちに目をおよがせ、 「こんどの土曜日、ひま?」 一昨日の夜、勉強の息抜きにユイがギターを弾いていると、 「ひまだよ。どうしたの?」 「お母さんの誕生日プレゼント、買いにいこうよ」 「そっか。お母さんの誕生日、もうすぐだったね。 ユイの姉の香織は、大学で吹奏楽部に所属している。 「だから、1時にはサークルが終わるから、 「わかった。じゃあ1時半にクレドで待ってるから」 「うん」 そういう手筈だったのに、もうすぐ2時になろうとしている。 退屈しているユイの気分そのままに、空は曇りはじめていた。 今にも降ってきそうな空を見上げながら、 (本屋さんにでも行ってようかなぁ) 新しい楽譜も見たいし、と歩きだしたそのとき、 顔をふりむけると、幼なじみの鷹西隼人だった。 「隼人くん!」 目を丸くするユイに、隼人が笑いかける。 「何してるんだ、こんなところで」 「お姉ちゃんと待ち合わせしてるの。 「俺は友だちと映画に行ってきたんだけど、 隼人の言葉を疑問に思いつつも、ユイは笑顔でうなずいた。 〈お姉ちゃん〉とディスプレイに表示されている。 「もしもし」 『もしもしユイ。ごめんねっ』 ユイは抗議したいところだけど、あせった口ぶりの姉に、 「隼人くんと出会ったから、一緒に本屋にいるの。 『それがね、こんどのコンクールのことで 「えーっ!」 『ごめんね。隼人によろしく! じゃっ』 そう言うなり、姉は電話を切ってしまった。 あっけにとられているユイを、隼人がけげんそうに見ている。 「お姉ちゃん、来られないって。 「俺はかまわないよ。プレゼントは何にするか決めてるんか?」 「まだよ。いろいろ見てから決めようって話してたの」 「そっか。じゃぁ、見にいこうか」 「うん」 書店を出た二人は、にぎやかな商店街に踏み出した。 「あ、加奈ちゃんと赤沢くんだ~」 「あぁ、あの、前にいる二人?」 「そう」 ふっくらと丸くて背の低い牧原加奈子と、 「あの二人、付き合ってるのか」 その様子をみて、隼人がいう。 「うん。すっごくラブラブなんだよ」 「へー。ユイは? ユイは好きな人、いるのか?」 「へっ!」 自分に話を振られるとは思っていなかったので、 ユイは恥ずかしそうに口元を手でふさいでいる。 「びっくりしすぎだって。で、どうなんだ。 隼人が楽しそうに問いかける。 「え……」 口ごもりつつ、ユイの脳裏には准汰の顔が浮かんでいた。 でも、はっきり好きだと宣言できるほど、 「ん?」 言いよどむユイの顔を、隼人が覗き込む。 目と目が合うと頭の中を見透かされているような気がして、 隼人は笑いをおさえて、ユイの頭をクシャクシャと撫でた。 「なによ~」 みだれた髪をなおしつつ抗議するユイに 「なんでもない」 といいながら、隼人は笑っている。 「そういう隼人くんは? 詩織先輩とは、うまくいってるの?」 ユイは話を逸らそうと、おなじサークルの先輩で、 隼人は、 「まあね」 はにかみながら言ってる。 その表情がすごく柔らかくて、 「加奈ちゃんと赤沢だっけ? 「そっかぁ~」 「うん。会いたいと思ったら、いつでも会える距離だしな」 (会いたいと思ったら、いつでも会える距離かぁ……) 隼人の言葉が、やけに耳に残った。 「会いたいって気持ちに、素直になればいい……かぁ」 無意識のうちに、ユイは声に出していた。 「ん? なにか言ったか?」 歩幅が大きいぶんだけ先を歩いていた隼人が、 ユイはあわてて、なんでもないと顔の前で手をふっている。 「あっ、このお店、見たい!」 ショーウィンドウの前で足をとめる。 「もう春かぁ」 ワンピースのマネキンを見て、隼人が言う。 「春だねぇ。いいな~ぁ、このワンピース」 マネキンに目をうばわれているユイに、 「じゃあ、初めてのデートは、この服に決まりだな」 「えっ!」 ユイがウィンドウから顔をふりむけると、 ユイをからかうのが、すこぶる楽しそうだ。 「隼人くんっ」 ユイは、バシッと隼人の腕をひっぱたいた。 勘のいい隼人のことだ。 もしかして、何もかもわかっていて、面白がっているのだろうか。 「いじわるぅ」 「ごめん、ごめん」 口をとがらせるユイのほっぺたを、隼人が笑いながらつつく。 「あれ、山岸じゃないか?」 徹に肩をたたかれて、 たしかにユイだ。 「となりにいるのは、鷹西先輩だよな? 徹が声をひそめながら、加奈子の視線に合わせて腰をかがめる。 べつに隠れることもないけど、なんだか見つかっては、 「まさか、デート?」 徹の言葉に、加奈子は冷静な口ぶりで言い返す。 「はぁ? そんなわけないじゃん。 「だよなぁ。でも、ここに准汰がいなくて良かったな。 「だよねぇ」 二人は顔を見合わせて、ふたたびユイたちの方へ視線をのばした。 ときおり、じゃれるようなしぐさで笑い合ってる様子は、 こんな二人を見たら、ヘタレの准汰じゃなくても落ちこむ 「一応、何してるのか聞いてみようか」 そう言うなり、加奈子が携帯を取り出してメールを打った。 「どっちにメールしてるんだ?」 「ばか。ユイに決まってんじゃん」 〈何してるの〉 とタイトルに入れられたメールを見て、ユイが辺りを見回す。 「加奈ちゃん!」 ユイは持っていた商品を棚に戻し、店から飛び出した。 加奈子と徹も店から出て、 「で、お母さんのプレゼントは決まったの?」 オレンジジュースを飲みながら加奈子がたずねる。 「何にしようか迷っちゃって~」 「なかなか決まらないんだよな。ユイは優柔不断だから」 茶化すみたいに隼人がいう。 「だって~。加奈ちゃんは、 「うーん」 加奈子は天井をふりあおいだ。 「いちばん多いのは、ハンカチかなぁ。 「ハンカチかぁ。もうすぐ春だし、 「だったらいいお店、おしえてあげるよ。 ユイは加奈子に案内された店でハンカチを買った。 街には雨が降りだし、加奈子と徹は 「やるね~、赤沢」 にんまり笑う隼人の視線の先で、背の高い徹が、 ユイがつぶやく。ちょっぴり加奈子がうらやましかった。 「お前もね」 「え、なに?」 隼人が何を言おうとしたのか分からなくて、 「なんでもない。傘、買いに行こう」 その夜。 〈会いたいって気持ちに、素直になればいい〉 でも、やっぱり准汰に会いたい。 (どんなふうにメールすればいいのかなぁ) かかえた枕に口元を埋めて、 そして、ユイの頭の中に、あるシーンが蘇ってきた。 それは一年まえの夏、鯉宮館高校のグラウンドで ユイはこの高校を志望校の一つにしていたから、 だけど、もともと安芸藩の藩校で男子校だったせいか、 「どうも自分の通う学校じゃないかなーぁ」 と、ユイの気持ちは揺らいでいた。 「あした鯉宮館に来るんなら、舟入商業と とユイは鷹西隼人から声をかけられたのだ。 そんなわけで、その日ユイは、 八月だというのにその日はなんだか肌寒くて、 「わぁ、ひろーい」 ユイは目をまん丸にして見わたしている。 鯉宮館のグラウンドは、野球場とサッカー場が その北側で、鯉宮館と舟入商業の練習試合は行われていた。 「一回でも、隼人さんの打席を見なきゃ」 ユイは一塁がわのベンチのほうへ急いだ。 この日、なぜかコンタクトレンズが目に 隼人に見られたら、あとでメガネの だから一塁側で見物しているユイは、右目0.1、左目0.2の 試合はすでに9回裏、3対3の同点で、ツーアウトランナー そしてまさにこのとき、鷹西隼人が バッターの輪郭はぼやけている。 隼人を見つめるユイは、見えているというより、 (やっぱり、ここだけはしっかり見なきゃ) ユイは思った。真剣勝負にのぞむ隼人の打撃フォームなのだ。 そこでユイはバッグの中からメガネを取り出そうとして、 「カキューン!」 隼人の金属バットがボールをとらえた。 かるいキャッチボールでさえ、取りそこねて口に当たれば、 まして鷹西隼人が真芯で捉えた弾丸ライナーだ。 音に気づいて視線をむけたユイの顔面に、 その瞬間、ユイの目の前に白い影がよぎった。 「ズドッ! バタッ!」 にぶい音とともにユイも地べたに倒れた。 どれほどか過ぎて……。 「だいじょうぶ?」 やさしく呼びかける声で、山岸ユイは目を覚ました。 どうやらここは保健室らしい。 どうして自分はいま、保健室のベッドに 「あなたには、ボールは当たってないのよ。 それを聞いて、とっさに全てがわかった。 「ほんとうなら、まともに打球が顔面を直撃してたそうよ」 「どうしてわたし、助かったんですか?」 と問いかけるユイに、白衣の先生は笑いのまじった声で、 「すごい子がいるもんね。 (そうか。私を助けてくれた人がいたんだ) ユイは、そのサッカー少年に感謝したい気持ちでいっぱいだった。 でも、あんな打球をヘディングして、無事でいるとはとても思えない。 「せんせい。私を助けてくれたその人、大丈夫だったんですか」 「あなたとしては、その子がどうなったか知りたいよね」 白衣の先生が、親しみのこもった声でユイに言いかえす。 「ぜんぜん心配ないわ。おでこにちょっとすり傷があったけど ほっと安心したところで、 「すみません、申しおくれました。わたし、実が丘中学3年の山岸ユイです」 「うん、知ってるわよ。野球部の鷹西隼人くんの友だちだそうね」 先生はいって、じぶんは西若あんなだとユイに告げた。 保健の教員かと思ったら、この高校の校医だという。 「うちの病院、スポーツ整形もやってるから、 と、西若せんせいはすっかりうちとけた口調になって、 「きょうはオープンスクールだったから、中学生のために、 「え、わたしと同じ中学?」 「そう。学年もあなたと同じ3年生。ええと、名前は何て言ってたっけ。 ユイにケガがなかったので、その少年は安心して、 サッカー部には違いないけど、どんな男の子だろう。 そのころ夏川准汰は、 朝から鯉宮館高校でのトレセンに参加し、 このトレセンとよばれる合同練習会で実力を認められた選手たちは、 さらに県選抜、中国地方選抜、日本代表へと フリーキックが思うように決まらない准汰に、 「よう准汰。洋介が言ってたけど、おまえトレセンで、 おでこの傷に手をのばした徹から顔をひきつつ、 「ああ、そうだよ。洋介のおしゃべりめ」 准汰は苦笑まじりで言ってる。 「女の子を助けるために弾丸ライナーにヘディングなんて、 「まともにヘッドなんて、しねぇよ。 「うっそぉ! そんなテクニックあんの?」 徹が目をぱちくりさせて聞きかえした。 「プロなら常識さ。高校サッカーでも、よくやるぜ。 と、准汰がついつい調子にのりだす。 足技にはまあ自信のある准汰だけど、 ましてやサッカーボールよりもまるで小さい硬球の弾丸ライナー。 「助けなきゃ」と思ったときには横っ飛びにジャンプしていた。 手ではなく頭が出てしまったのは 浅い角度で当たったとはいえ、かすり傷ですんだのは、 本当に奇跡的と言える。 准汰はそれほど痛くはなかったが、 「いてぇ!」 角度が変わったボールはグランド脇のネットの支柱に跳ねかえり、 偶然がふたつ重なるなんて…… そんなわけで、洋介のほうがタンコブを作ってしまった。 准汰と徹が話しているところへ洋介がやってきた。 「よう徹、おまえもお好み焼き食べにいくか。 とつぜんのフリに、准汰の顔つきが変わった。 「なんでオレがおまえらに、 いどむような声で言いかえしている。 洋介はあたりまえだと言わんばかりに、 「今回のさわぎで一番の被害者はオレでぇ。 「カンボツなのに、なんで盛り上がってるんだ?」 徹がおどけた表情で、洋介のタンコブにふれた。 「いたーい! さわるなっ」 その手を払いのけ、洋介がさらにいいたてる。 「それにくらべ、おまえはあの山岸ユイを 白馬の王子みたいな心境ではなかったが、 「損な役まわりをひきうけてやったんだから、 そんなわけでお腹はいっぱい、サイフは空っぽになって、 (トレセンを終えて、甲子園常連校同士の試合を ライト側からこっちへ近づいてくる山岸ユイが目にとまった。 一打サヨナラのチャンスだから、准汰はすぐに視線を戻した。 そんな気がした。 山岸ユイ。 ルックスの可愛さは、たしかに2年の頃から 男子のあいだでは、ひかえめで人の悪口は言わず、 准汰自身も見たことがある。 それは彼女の内面からにじみでるまぶしさだけど、 (ユイを助けたい! と思った瞬間、 でもオレ、いま思い返しながら、事実を色濃く作り変えてる? 母親に迎えにきてもらって家に帰ったユイも、 「夏川くんかぁ……」 あの球が当たっていたら頭が砕けて、わたしは死んでいたかも。 ♪ピロリーン。ピロリーン♪ そのときユイの携帯が鳴った。 「もしもし、ユイです」 「あ、おれ隼人。元気かぁ?」 「うん元気だよ。心配させてごめんね」 「いや、オレのほうこそごめんな。気絶させて」 そのあと隼人は、洋介に謝ったり准汰に ユイも校医の西若せんせいにお世話になったことや、 「けっきょく逆転サヨナラのチャンスも凡退で、 ヒーローになりそびれたと言って、隼人は明るく笑った。 その後、 とくに仲よしの牧原加奈子とは、いつもどおり会話がはずみだす。 「ケガしなくてよかったね。 「すごいって?」 夏川准汰のことを知らない、 「え! 夏川くんのこと知らないの? 加奈子は、なおも熱っぽい口ぶりで、 そして最後に 「体を張って助けてくれたんだから、お礼を言わなきゃ。 あくる日、登校してすぐに、ユイは加奈子と二人で そして、廊下で准汰が来るのを待った。 だからユイは、加奈子と立ち話をしているふうをよそおい、 准汰の顔は、中学のクラブ活動紹介の写真で、 「あっ……ちがうか」とか、 あけすけな声を出したりして、 ユイは口もとに指をあて、 授業開始まで3分になったころ、 朝練を終えたサッカー部、バスケット部の男子たちだ。 軽い走りでこちらに向かってくる夏川准汰に目がとまった。 准汰が自分に目をとめたとき、ユイは一歩ふみだし、 「きのうはありがとうございました」 准汰は、 と笑みをむけた。 ユイがハイと答えると、准汰はうなずきかえして あわただしい一瞬だったけど、 あの時から、ユイは准汰のことが気になっていた。 ユイは目を閉じて准汰の顔を思い浮かべる。 ユイが准汰のことを考えるとき、その表情はいつも笑顔だ。 ユイは目を開けるとすぐにメールをうった。 自分の素直な気持ちをそのまま文章にしたら恥ずかしいポエムが 『こんばんは。この前は誘ってくれたのにごめんね。 「うん。これでいいよね」 出来あがったメールがおかしくないか そわそわしながら返信を待っていると、 ユイはあわてて携帯を閉じて、 「ユイ、今日はほんとごめんね! これ、お詫びの品」 ずっと、中学時代の准汰との出会いのシーンを 「やった! 私ここのいちごのケーキ好き!」 ユイはベッドから飛び起きると、ケーキの入った箱に 「そうそう。隼人の分もあるから、渡してきてくれる?」 「えーっ、いまから?」 さっそくケーキをとりだして、 「付き合わせちゃったんだから、当然でしょ。 結局ケーキの誘惑に負けたユイは、隼人の家までケーキを 隼人の家につくと、隼人の母親がユイを出迎えた。 「あらあら、ユイちゃん。 「夜遅くにごめんなさい。ちょっと隼人くんに用事があって」 「そうなの? わざわざごめんなさいね。ちょっと待っててね」 二階へ隼人を呼びに行った母親が、すぐに一人で戻ってきた。 「いま手が離せないみたいなの。二階まで上がってちょうだい」 押しの強い隼人の母親に言われるがまま、 高校生になってからは、初めてかもしれない。 「どうぞ」と声が聞こえたので、ドアを開ける。 隼人は野球道具の手入れをしていたところで、 「悪いな。上がってもらって。で、なに?」 「きょう付き合わせちゃったから、お礼のケーキ。 ユイは隼人にケーキの入った袋を渡した。 「おばちゃんたちの分もあるから、どうぞって」 「さすが香織姉ちゃん。気がきくよな。 隼人はさっそく箱を開けてケーキをひとつ取り出した。 「もう、行儀が悪いんだから」 ユイに注意され、隼人が苦笑する。 「これ美味いよ。ユイも食べるか?」 「ううん、私の分は家にあるから」 ユイは部屋の中に入ると、ベッドに座った。 ふと、ベッドの脇にギターが置かれているのに気がついた。 ステッカーの色は薄れていたけど、弦は新しいものに張り替えてある。 「懐かしい! まだ弾いてるの?」 「ん、ああ。たまに気晴らしでね」 なにを隠そう、ユイにギターを教えたのは隼人だ。 当時よく隼人の家に出入りしていたユイは、 「俺はへたくそのままだけど、ユイはうまくなったよな」 「私だってまだまだだよ」 隼人はケーキを食べ終わると椅子を逆に座りなおし、 「そうだ。なんか歌ってよ! なんでもいいからさ」 「無理! だって音痴だもん!」 「音痴じゃないって、俺は好きだよ」 「っ!」 ユイは言葉に詰まった。隼人に正面から好き、 「好きって?」 「ほら、昔はよく俺がギター弾いてる横で歌ってくれたじゃん。 そっちの意味かとほっとする反面、 「だからお願い。久しぶりにユイの歌が聞きたくなった!」 「ほんと音痴だから! 耳ふさいでて!」 「それじゃせっかくの演奏も聞けないじゃん」 笑う隼人に、ユイは自分のミスを誤魔化すようにチューニングをはじめた。 さあ、始めるぞっというところで、 隼人はすばやく携帯をとると、液晶に出た名前を見て携帯をぎゅっと握った。 「電話だ。ごめん、ちょっと待ってて」 そう言って隼人は部屋を出た。 すっかりやる気を削がれたユイは、 隼人の携帯の液晶画面に出ていた名前は、詩織だった。 どうしても気になったユイは好奇心に負け、 聞こえてきたのは、隼人のぼんやりとしたあいづちばかりだった。 どんな会話をしているのかまではよくわからない。 (なにがあったんだろ) ズルズルと床に座りこみ、詩織とのことを 昼間はあんなに幸せそうに笑っていたのに。 あの笑顔は嘘なんかじゃない。 ほんもののはずだ。それはユイにも充分伝わってきた。 ならば、どうして? 考えても答えは出てこない。 ドアのむこうでは、まだ通話は続いている。 ユイが二人のことを考えこんでいると、 「なにしてるんだよ、ユイ」 「あ……」 通話を終えた隼人が不意にドアを開けた。 いぶかしげにユイを見おろしている。 「あ、あのね、なんだか隼人くんの様子がおかしかったから」 とあわてた顔をふりむけ、 「気になっちゃって、その……盗み聞きしてたの。ごめんなさいっ!」 隼人はちょっと眉を動かしたけど、すぐに笑いかけてくれた。 「ユイ正直すぎ。そんなふうに謝られたら怒れないって」 「怒ってくれていいよ。だって私、最低だもん」 もしも自分が同じことをされたら、どんなふうに思うだろう。 ユイは罪悪感で、まともに隼人を見ることができなかった。 「じゃあさ、怒るかわりに俺の話、聞いてくれね?」 と、隼人がユイの横に腰をおろした。 「うん、聞かせて」 ユイがうなずく。 「ありがと。ちょっとまっててくれ、飲むもの持ってくるな」 隼人が階段をおりていくのを見送りながら、 なんだか大変なことになってしまった。 しばらくして、隼人はお盆にお茶の入ったコップをのせて戻ってきた。 ユイは手渡されたコップをうけとり、 「俺は、今のままでも十分だと思ってたんだ」 お茶が半分ほどになったころ、隼人はようやく口を開いた。 「でも詩織は違ったみたいだ。 「そんな……」 「俺だって信じられないよ。 けど、とつぶやいたまま、隼人は口をつぐんだ。 ユイも何も言えなかった。コップの中の氷がとけて、カランと音がした。 その日は夜も遅かったので語りつくすことも出来なくて、 「おやすみ隼人くん。送ってくれてありがとう」 「おやすみ。話、聞いてくれてありがとな」 たがいにすっきりしない気持ちを抱えたまま、二人は背を向けた。 ユイは家に入るとすぐさま部屋に駈けこみ、ベッドに寝ころがった。 「ケーキ食べないの?」 香織が声をかけてきたけど、とても食べる気にはなれなかった。 あれだけ楽しみにしていたのに、 頭の中は隼人と詩織のことでいっぱいだった。 「彼女ができたんだ」 隼人と詩織はすごく仲が良くて、すごく好きあっていて、 そしていつか自分に恋人ができたら、あんな 「あ、メール」 ほったらかしだった携帯を開くと、いつのまにか新着メールが届いていた。 「夏川くんだ……」 いそいでボタンを押す。隼人の家に行く前に送ったメールの返事だった。 『返事が遅くなってごめん! 練習が長引いちゃって。 ユイは何度も何度も、准汰からのメールを読み返した。 『ほんと! 嬉しいな(*^v^*)でも もう日付が変わりそうな時間なので、ユイは簡単な言葉を送った。 そしたら准汰から、たちまち返事がきた。 『わかった。おやすみ!』 ユイはしばらく、その短い文面を見つめていた。 日曜日の朝。ユイは身支度に手間取っていた。 「ど、どうしよう。やっぱり着ていく服くらい ハンガーにかけたままの3着を、鏡の前で自分にあてがって見くらべる。 「男はけっきょく、女の子の服装なんて見てないのよね」 鏡の前でにらめっこしている自分の顔を見て、 せっかく会えるというのに、なんてむつかしい顔をしているんだろう。 家を出るときに姉とすれちがい、 「おっ、がんばって」 と言われた。 もしかして浮かれてる気持ちが顔に出てたかなと思うと、恥ずかしい。 待ち合わせ場所のショッピングビル前に向かった。 待ち合わせ場所についたけれど、まだ准汰は来ていないようだ。 少し熱くて、ぱたぱたと手で顔をあおぎながら、 「おまたせ! もしかしておれ遅刻?」 そんな会話から始めてみたけど、あとの言葉が続かない。 「山岸は」 声を出して笑ったことで、緊張が小さなしみのように薄れていく。 (すべり出しは、ま、こんなもんか) なんて思いつつ、准汰はユイに言った。 「今日は、お互いのやりたいことに付き合うことにしよう」 やっと会話が行き交いだし、二人は足どりもかるく本通りの方へ歩いて行く。 まずユイがファッションビルの前でたちどまり、 「私、服を見たいんだけど、いいかな」 「涼しいね」 ユイのほっぺたは朝から熱っぽかった。 ほっぺたの熱はそのせいだかどうだか知らないけど、 エスカレーターでのぼっていると、各フロアごとに違う感じの 「夏川くんも見る?」 「いや、おれはいいよ」 と、あかるい表情のまま言い返された。 准汰は、尽きないユイのファッショントークに押され気味だった。 「チュニックもいいなって思うんだけど、どうしようかな」 (チュニックって何だろう。まーた、分からない言葉が飛び出したぞ) カジュアルで明るい色の服が目につく階で、ユイがエスカレーターからおりる。 「ワンピースよりも短めなのかな」 どうでもいいような話だけど、 ユイはチュニックのあった店にそのまま足をふみいれ、 そのあとを、ものめずらしそうな目つきの准汰がついていく。 もう夏物の服が出そろっていて、ピンクやオレンジのものが多かった。 「これもかわいいなぁ」 「山岸に似合いそうだよ」 「ほんと!」 ユイが手に取る服を見ていると、あきらかに女の子だなと 今日着ているのワンピースだって、ピンク色だし。 「山岸ってさ、ピンク好きなの?」 「似合わないのに、ついつい選んじゃうんだよね」 「そんなことないって。似合ってるよ」 口調にいきおいをこめて、准汰は言い返している。 「本当に?」 「本当だって! 今日の服も似合ってるよ」 たたみかけるようにほめた自分の言葉に、おもわず照れてしまった。 「ありがとう。嬉しいな……」 おちつきなくよろこんでいる。 またいろんな服を見てまわりだしたユイを目尻でとらえ、 「可愛いって思ったら、『可愛いね』って素直に言えばいいんだよ」 顔が熱くなってきた。 ユイの背中に目をあてているだけで気分が高ぶるのをおぼえた。 そう考えただけで鼓動が早くなってくる。 一人どぎまぎしていた准汰は、 「ねえねえ、夏川くん」 あわてぎみに意味不明の声をたてている。 ユイは笑いながら、 もちろんユイに似合うし可愛いに違いないと思った准汰だけど、 「試着してみたら?」 ピンクのスカートを体にあてているユイに、 しばらくして、ユイが試着室のカーテンをあけた。 「お、おぉ……」 准汰が、体のどこかにしびれが走ったみたいな声をもらした。 「どうかなぁ、これ」 ボリュームのあるピンク色のスカートだ。 (だれが見ても可愛いって言うよ。 そうだ、そう言え。 「可愛い」 「え?」 「可愛いよ!」 たちまちユイが、顔いっぱいに笑みをひろげた。 可愛いと口にした准汰の言葉が、 このままでは続かないと思った准汰は、 「どこかのカフェで、ひと休みしないか」 「うん、それがいいね」 ショッピングビルを出ていくらも歩かないうちに、 「あ、新商品が出てる! スパイスの効いたココアだって。 ドリームヒルの奥のほう、二人がけの席におちつくと、 冷たい飲み物が、少し汗ばんだ体をクールダウンさせてくれた。 「どう?」 准汰が新商品の味をたずねてきた。 「おいしいよ。ココアの甘さとスパイスの香りがベストマッチ!」 「ちょっと飲ませてもらっていい?」 「いいよ。どうぞ」 と、ユイがココアを准汰の近くに置きなおす。 准汰が自分のストローでそれを飲んだ。 (これって、間接キスだよね?) とっさに気づいたユイが、まいったなあといった、 「新しい味だな」 と笑っている。 古い味がどんなだか知らないくせに。 「先輩だ後輩だと仲たがいしてたときもあったけど、 「よかったね。人間関係がうまくいかないと、 と、ファッションの話にふたをして、サッカーの話になった。 きょうの准汰は、このあと本屋でサッカー雑誌を買うそうだ。 部活のあれこれを准汰から聞きながら、 でもユイが考えても、うまい解決方法は見つかりそうもない。 「山岸?」 「あ、ごめん」 准汰の話を途中から聞いてなかった。 笑顔でとりつくろったけど、ようすが変だと気づいた准汰は、 「なんか悩みごとでもあるのか? 友だちのこと? 勉強のこと?」 そうたずねたのだろう。 (たとえ話としてなら、いいかな) そう思ったら、自然に言葉が口からでた。 恋人ということばに准汰はうろたえたが、かまわずユイが続ける。 「その彼と彼女は学校も違ってて、おたがいに予定が合わなくて、 うんうんとうなずきながら聞いていた准汰が、 「おれはショックを受けるよ。 (うん、たしかにショックだ) と、あらためて思った。 そんな准汰の胸の内などわかるはずもなく、ユイは隼人 「その彼と彼女って、だれのことなんだ?」 「だれって、たとえばの話だって」 口調にいきおいをこめて、ユイは言いかえしている。 「それって、山岸自身のことだったり?」 「え、ちがうよぉ!」 「本当に?」 と念をおす准汰が意外で、 「どうして私のことだと思うの?」 けげんそうにユイが問いかえす。 「いや、山岸がそういうことで悩んでるのかと思ったけど、 「たとえばの話だもんな」 「そう。たとえばの話」 准汰の口が、なにか言いたそうにしている。 「うん?」 「いつでもメールしてこいよ。 これを聞いて、つい目の前の准汰が五歩もしりぞいたような気がした。 「やっぱり俺じゃ、だめかな」 「そんなことないよ!」 ユイがあわてて否定し、それから小声で付け足す。 「うれしい。ありがとう……」 友情から恋に育つかもしれないと期待していたけど、 (夏川くんにとっての私って、やっぱりただの友だちなんだよね) 友だち、友だち、友だち……夏川くんの心のど真ん中に、 よし、友だちで居てやるっ。 「私も待ってるよ、相談!」 むりやり気分を切りかえ、ユイがあかるく応じる。 「勉強のことも恋愛のことも、なんでも相談し合おうね。 「まぁ、相談しなきゃならない悩みがないことが一番だけどな」 「そうよね。あかるく前向きでいれば、悩みなんてなくなるかなあ」 なんて会話をはずませながら、 喫茶店を出てゲームセンターで遊んだあと、すこし歩くことにした。 川にそって曲がると、原爆ドームが見えてきた。 准汰は、横目でちらりとユイを見た。 ユイが自分に話しかけているのに気づいて、 「あの船に、乗ったことある?」 川をさかのぼる遊覧船を指さし、ユイが言う。 「いや、乗ったことないけど」 「乗ってみたいね。楽しそう」 とユイが笑いかける。 可愛くて、まともに見ることができない。 「ねぇ山岸、この花火大会に、一緒に行かない?」 「花火大会?」 ユイもポスターに目をとめた。 「もちろん俺でよければ、なんだけど」 「うん、いいよ。一緒に行こう」 ユイはこころよく了承してくれた。それからすこしおしゃべりをして、 帰り道、さっそくユイからメールが届いた。 『今日はとっても楽しかったです。ありがとう♪ 准汰は喜びを抑えきれず、ひとりでにニヤついてしまう。 (山岸とは、こうして少しずつ距離をちぢめられたらいいんだ) なにを悠長なことを! と徹に怒られそうだけど、 花火大会の当日、ユイは朝から大忙しだった。 「ほんとにあんたって子は。どうして、もっと早くから言わないの」 洗濯物を取り込んだ母親が、苦笑まじりに叱っている。 「だってぇ、めったに着ることないし」 「どこにしまったのかしらねぇ」 せっぱ詰まっているユイをそっちのけに、 「ここにもない。もーう、どこだろう」 こんなことなら昨日のうちに探しておけばよかったと、ユイは後悔した。 それは、薄いピンクの生地に赤い金魚がプリントしてある浴衣だ。 「ん?」 洋服タンスの奥に箱があるのを見つけた。 いろんな服の陰になっていて、はじめに探したときは 「おねがい。この箱の中に金魚ちゃんが、いますように」 うーん、やっぱりこの浴衣でなきゃ。 准汰との約束の時間は17時なので、これで (花火大会まではまだ時間があるのに、どうしたんだろ) 『あ、俺だけど、今いい?』 「うん。どうしたの?」 准汰の声の調子が、ちょっと変だ。 『その……言いにくいんだけど、昨日から熱が出てさぁ、 「え……」 たちまち全身から力がぬけていくようで、 ユイは浴衣に目を落とす。 『たぶん風邪だと思うんだけどね。それよりほんとごめん! 「ううん、気にしないで。仕方ないもん」 『もしあれだったら、俺のことはいいから。 「うん」 お互いの声が小さくなっていく。 行けなくて残念なのは、二人とも同じだ。 『じゃあ、今から病院に行ってくるから。また』 「うん。またね」 電話を切って、ユイはため息をついた。 せっかく見つけた浴衣を箱におさめた。 洋服タンスに戻していると、洗濯物をたたみおえた母が、 「それでしょ浴衣。着ないの?」 「うん。一緒に行く人が、行けなくなったから」 「そう、残念ね。お母さんと行く?」 「いい。行きたくない」 「せっかく浴衣を見つけたんだから、行ったほうが楽しいでしょ」 「だから、今日はもう、どこにも行きたくないの!」 ユイは口調に不満をのぞかせ、二階の自分の部屋へあがった。 「もう、誰があと片づけするのよ」 わかりきった問いを口にしている。 ユイは自室のドアを閉めると、ベッドに倒れこんだ。 可愛いって、言ってほしかった。いっしょに花火を見たかった。 ぜんぶ自分のわがままだけど、わかっているけど、 (子供みたい。ほんとヤダ) 泣くのは嫌だ。ユイは枕を顔に押しつけたまま、 そのうち眠ってしまったらしく、 時計を見ると、もうすぐ花火が始まる時刻だ。 (花火……見るだけ見ようかな) ユイはベッドをおりて、電気を点けずベランダに出た。 はじめの一発を待っていると、携帯が鳴った。 着信をみる。准汰だ。 あわてぎみに通話ボタンを押して耳にあてる。 「もしもし!」 とユイが勢いよく応じたので、准汰はひるんでいる。 そのあとハハハッと笑って、 『今いいかな?』 「わたしはいいけど、夏川くんは大丈夫?」 『薬のんでぐっすり寝たら、だいぶ楽になった。 「ううん。夏川くんが元気になって良かった」 准汰の声を聞いて、沈んでいた気持ちがたちまち薄れていく。 かわりに嬉しさが胸いっぱいに広がっていく。 『山岸、いまどこにいるの?』 「わたしも家だよ。自分の部屋のベランダ」 『なんだ、花火大会に行かなかったの?』 「うん。ベッドに寝ころんでたら寝ちゃってて」 まさか、すねてたらそのまま眠ってしまったとは言えない。 その時、最初の一発が空に上がった。 わずかに遅れて、綿で包んだような音が届いた。 「花火、始まったね」 『山岸ん家からも、花火見えるんだ』 「うん」 『俺もいま、家の縁側から花火見てるんだ』 いよいよ夜空は光にみちあふれ、賑やかさを増していく。 「花火、一緒に見れたね」 『電話だけどね』 准汰が申し訳なさそうに言う。だけどユイはそれでも良かった。 どんなカタチであれ、一緒に花火を見ていることが大切なのだ。 「きれいだね」 『うん。あ、いまのすごかったな!』 まばたきするのも惜しいくらい、七色の花が咲きつづける。 ユイと准汰は花火が終わるまで、いまの花火が良かったとか、 夏の屋台では何が食べたいとか、 生ぬるい風にのって火薬の匂いが運ばれてきた。 准汰の声を聞きながら、ユイはひそかに決めた。 (今日のことはぜんぶ心の箱におさめておいて……おっと、 花火大会から何日かして、准汰たちサッカー部は猛暑の中で 夏休みも終盤にさしかかっていたが、まだまだ暑い。 「んん……ゲホッ! ゲホッ!」 風邪は治ってるはずだけど、まだ喉の調子がよくない。 グランドの外周を走っていると口の中が乾燥して、 「大丈夫か? 准汰」 心配した洋介が隣にやってきた。 「風邪は平気なんだけど、喉がな」 「監督に言って、せめて走る本数少なくして いつもの調子が出ない准汰はすでに洋介より1本遅れている。 「あの監督がそんな甘いこと言うかよ。 サッカーの名門である准汰の学校は、 監督はこの学校の卒業生でもあり、長年監督を務めている。 准汰は監督の表情が、仏頂面からわずかでも 「だったら休めって。体こわしたら元も子もないぞ」 「サッカーの練習は休みたくないんだ。俺の命だから」 「……まぁ、無理すんなよ」 ぽんっと准汰の肩に手をやると、洋介は先に走り出した。 もっと早く走りたかったが、これ以上は無理だ。 走っているといろんなことを考える。 じつはあの花火大会の日、 つい好きだと伝えそうになったけど、 二人で買い物をしているときに交わした話だ。 これは、ユイと准汰にも当てはまる。 准汰はその不安を完璧に消し去ってやる自信がなかった。 准汰にとってサッカーは本当に大切なものだ。 監督からも期待がかかっている分ほんきで取り組みたい。 (告白していい返事をもらったとしても、 だから、言葉をぐっと飲み込んだ。 今でもその時のことを思い出すと妙な気分になる。 言わなくて良かったと思う気持ちと、後悔とがないまぜになっていた。 ずず、と鼻を吸い込む。 (やべ、鼻水まで出てきた。風邪がぶり返したかな) なんべん吸い込んでも鼻水が流れてくる。 おかしいな、と思い始めたとき、走り終えていたはずの陸が 「准汰! 大丈夫か?」 「なにが?」 准汰は足を止める。 「なにがじゃねーよ!」 陸がティッシュで准汰の顔を拭いた。 「うわ、お前どうした!」 後ろから走ってきた洋介が、准汰の顔を見て目を丸くした。 「すげぇ鼻血でてるぞ」 「え?」 鼻の下をさわると、血がべっとりとついた。 「あ、ほんとだ」 練習着で拭おうとしたとき、サッカー部のマネージャーである今野雪美が 「待って待って! 鼻血ならこれで拭いて」 雪美がタオルを准汰の顔に押し付ける。 「ぷはっ、息できねぇよ、ばか力! 自分で持つから」 「ばか力とはなによ。心配して走ってきてあげたのに」 准汰と同じ学年の雪美は美人でスタイルもよく、 部活中は長い髪をうしろで束ねている。 「鼻血止まった?」 「ん……まだっぽい」 雪美はクーラーボックスから保冷剤を出すと、 「熱中症か脱水症状かもしれないね。横になる?」 「うん。そうさせてもらう」 「水分もとったほうがいいよ」 雪美は准汰のそばにスポーツ飲料の入った紙コップを置いた。 「鼻血が出るほどなに考えてたの? 好きな子のこととか?」 「はぁ!」 「ムキになった! 図星でしょ?」 「ちがうよ」 「同じクラスの子?」 「ちがうって」 「わかった。佐々木ちゃんでしょ?」 雪美の尋問にうんざりし、目をつむり、疲れているふりをした。 介抱と虐待で接してくるなんて、この女どうなってんだ? 「ねぇーいいじゃん。ケチ。教えてよ」 「今野には関係ないだろ」 「……関係あるよ、って言ったらどうする?」 雪美の意味深な言葉に、准汰は目を開けた。 「関係あるって?」 「……」 雪美は黙ったままうつむいて、自分の靴に目をおとしている。 暑さのせいだろうか。雪美の頬が赤く染まっているように見える。 「准汰って、ほかの学校の女の子とも仲いいよね」 ぼそっとつぶやいた。 声をかけると、雪美がぱっと顔をあげた。 「なんでもない! 気にしないで。私ちょっとトイレ行ってくる」 そこへ、練習が休憩になって洋介と陸がやってきた。 「お、鼻血とまった?」 「うん。なんとか。休憩が終わったら練習に戻るよ」 「ほんとか? まだ休んでたほうがよくね?」 陸が言うと、准汰は大丈夫だと笑ってみせた。 「あれ、雪ちゃんは?」 「そっか。じゃあ勝手に スポーツ飲料 飲んじゃおっと」 洋介は准汰の使った紙コップにそれをいれようとした。 その手が止まる。 そう言って准汰に紙コップを返した。 喉あめがひとつ入っていた。喉の調子が 准汰はのどあめをズボンのポケットにおさめた。 代わりに帰りに食べようと思ってたスナック菓子を取り出すと、 マジックでありがとうと書いた紙コップにスナック菓子を入れて、 それから充分に水分補給をして体を休ませていると、 「集合!」 と号令が掛かった。准汰たちはグランドへ走った。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 暑かった夏がようやくおわろうとしている。 陽の光はまだ強いかがやきをもちこたえているけど、 新学期に入ると、ユイは軽音部の練習、 あの花火大会の日から、 「あれ、メールだ」 ユイの携帯がメールの着信を告げたのは、 画面には〈夏川くん〉と表示されている。 「今週の日曜、映画に行かない? だって!」 たちまち顔をほころばせ、ユイの足どりが軽くなる。 しかも誘われた映画は〈太陽に恋して〉だった。 すぐさまOKの返信を送ると、心が空に舞い そして、そわそわと待ち続けた日曜日。 ユイはクローゼットの前で腕をくみ、 「うーん、何を着て行こうかな。このワンピースはもう季節はずれかな。 なんて首をかしげつつ、なかなか服装が決まらない。 准汰と会うのは久しぶりだし、いつも以上に身支度に気をつかっている。 「あーあ、やっぱり昨日のうちに決めておけばよかった」 あれでもないこれでもないとハンガーを片寄せたりしているうちに、 「あっ」 真新しいピンクのスカートに目が止まった。 いつか准汰と出かけた時に買ったものだ。 「うん、これにしよう!」 スカートが決まれば、あとは造作もない。 無難なところで白のブラウスを身につけ、ユイは玄関をでた。 (きっと今日は、すてきな一日になるよ) 待ち合わせ場所に急ぎながら、ユイにはそんな予感がしていた。 広島駅前の噴水ちかくで携帯をいじっている准汰が目にとまる。 ユイはそっと後ろから准汰に歩みより、 「わっ!」 准汰がおどろいて声をあげ、ふり返る。 「やまぎしーぃ!」 「ごめんね。ふふっ、そんなにびっくりするなんて」 いたずらっぽい目でわらっているユイの 「それ、もしかして、こないだいっしょに選んだスカート?」 「うん、そう」 「やっぱり似合ってるな」 たちまちユイが、顔いっぱいに笑みをひろげた。 まともに見るのが照れくさくなって、准汰はあらぬ方に目をおよがせ、 「じゃあ、行こうか」 二人は路面電車に乗って、本通り方面へとむかった。 〈太陽に恋して〉という映画は、高校生の恋愛を描いたものだった。 ストーリーが自分の恋とかぶっているところもあると感じたからだ。 主人公の女の子は、別の高校に通っている男の子に恋をする。 そして、お互いが愛を感じた直後に二人を (ちがうところもあるけど似てるもん。この二人、わたしと夏川くんに) ユイはパンフレットから目をあげ、准汰の横顔をうかがい見た。 准汰はユイの思いをそっちのけに、ジュースのストローをくわえたまま、 (夏川くんとわたしは、どうなるんだろう) ユイは心の思いをひろげた。 (ずっといつまでも、夏川くんのそばにいられるだろうか) 映画の中の二人のように結ばれるだろうか。それとも……。 「あ、山岸。始まるみたいだ」 ユイの思いをさまたげて、開演のブザーが鳴り響いた。 いよいよ映画が始まった。 ピアノの音楽にあわせて、スクリーンに映像が浮かび上がる。 二人ともすっかり物語に引き込まれて、 「終わったなー」 と准汰は背を伸ばした。 「うん。すごくいい映画だったね」 ラストシーンの余韻で、ユイの胸はまだ熱い。 二人は席を立ち、ほかの客たちと出口にむかった。 「俺、恋愛映画ってあんまり見ようと思わないんだけど」 「きょうは私に合わせてくれた?」 「ん、うん。でもすごく楽しめたよ。なんていうか、 最後のほうが聞きとれなくて、 「え、なに?」 ユイが問いかえすと、 「いや、なんでもない。」 准汰は顔の前で手をふり、 「まだ帰るのはちょっと早いから、どっか寄っていく?」 「じゃあ私、行きたいお店があるの」 「じゃあ、そこに行こっか」 しばらく紅葉の並木道を歩いたところで、 「このお店よ」 ユイが指さしたのは、通りに面した2階にあるカフェだった。 看板に〈柊〉と書かれている。 「お姉ちゃんのお勧めのお店なんだ。まえから来てみたかったの」 二人が店内に足をふみいれる。 「いらっしゃいませ」 店員に案内されて奥の席につく。 「山岸、なに飲む?」 と准汰が差し出すメニューは見ないで、 「私、カプチーノにする」 そくざにユイが言った。 「ここのカプチーノってそんなにうまいの?」 「うふふ、注文してからのお楽しみよ。夏川くんは何にする?」 准汰はしばらくメニューに目をそそいでいたが、ラテにきめた。 きょう観た映画の話をしていると、待つほどもなく二つのカップが運ばれてきた。 「素敵でしょ」 飲むのが勿体ないようなラテアートで、 「すごくいいねぇ、俺、こんなのはじめて見た」 いいつつ、准汰が身をのりだす。ユイもカップをのぞきこむ。 あわてぎみに准汰が上体をそらす。 ひたいが触れたことで二人ともあせりに似た感情におそわれ、 おちつきを取りもどすように、ユイの手がカプチーノにのびる。 優しい味が口の中に広がっていく。 ユイが、ちらりと見やる。 「……准汰?」と、 その女の子が顔をふりむけた。 「……准汰?」なんて、 「もしかしてデート中だった?」 「そ、そんなんじゃないけど……」 「そうじゃないなら、わたしもまぜて」 ユイの横に並んで腰かけ、 准汰が、いくらかそっけない口調でユイの名をつげる。 「ユイちゃんかぁ。可愛い子だね」 准汰の表情をうかがうと、 「そうだ、このあいだはありがとな今野」 「ああ、部活のときのこと?」 「准汰ったら部活中に鼻血を出しながら走ってたんだから!」 自分で話題を振ったくせに、准汰は雪美を黙らせようとしている。 「迷惑かけて悪かったって!」 「ま、マネージャーですから、これからも私に任せてよ」 それで夏川くんは大丈夫だったの? ユイはそう聞きたかったけど、 二人のやりとりは、まるでユイを忘れたように盛り上がっていった。 鼻血でランニングの話はおわったけど、 部活や学校での准汰について、いろいろユイに聞かせてくれる。 「なんか、俺の部活の話ばっかで、面白くないよな」 「そんなことないよ。夏川くん、部活がんばってるんだなぁって……」 ユイが准汰を気づかう。 この言葉の交わし合いで、ユイは少し安心した。 「おっと、もうこんな時間か」 准汰が時計をみた。ユイも自分の時計に目をやり、 「帰るの? じゃあ、今日はもう帰ろう」 まっさきに立ち上がった雪美のあとにつづいて、三人が店を出る。 風がいくぶん強くて、空には地上を暗くさせる雲がわだかまっていた。 「今日は二人ともありがとな。楽しかったよ」 ひとをまぶしがらせるに充分な笑顔だ。 准汰と別れたあと、ユイと雪美は途中まで同じ道なので、 「准汰のこと、どう思う?」 「ねぇ、ユイちゃんは?」 ユイも准汰が好きかと、そう問い返された。 雪美に気圧されて、ユイはまともに言い返せなかった。 雪美にはあり、自分には無い何か。それは……だいいち容姿がずば抜けている。 しかも雪美は、ユイがもっていない、おおらかさのようなものをにじませていた。 そのおおらかさが、 街路樹の道を折れると、冷たいビル風が吹きつけてきた。 ぶ厚い雲のせいか、暗くなりかけているせいか、雪美の表情は見えにくい。 雪美をかばうように風を背なかに受けながら、 「うん、応援する」 ほとんど意志の抜けた言葉で、気付いたらユイはそう答えていた。 「ありがとう! わたし、頑張るね」 雪美がユイの手をとり、顔いっぱいに笑みをひろげた。 ユイはそうしたあれこれを心がきしむような思いで聞きながら、 (きっと明るくて優しくて、頼れるマネージャーに違いない) おまけに雪美は、ほら今だってすれちがう人が 「泣くわけないでしょ」 ユイは自分を叱るような声で押しとどめた。 「応援するって言っちゃったし……」 すっかり秋がふかまった十一月、准汰は部活を でもユイからのメールは届いていない。 こっちが三回メールを送って、 気になって、ため息ばかり出てしまう。 「どうしたんだよ」 「いや、山岸のことなんだけどさ」 「上手くいってないんだろ?」 「お前って分かりやすいんだよ。近ごろ元気なさすぎ!」 「じつは最近、メールがほとんど来なくて。 「そうか。で、何か思いあたることはないのか?」 「たしかに前よりは話すようにはなったけどさ、俺が好きなのは山岸だし」 「……そういえば」 ユイとラテアートのカプチーノを楽しんでいる 話題はもっぱらサッカー部のことになり、今野が自分の失敗を口にするたび、 なるほど、今野と親しそうだから避けられているのか、 「山岸さん、きっと遠慮してるんだよ」 「准汰と今野が付き合ってると勘ちがいして、 「おい准汰、これ見ろよ」 ラメが入ったオレンジ色の玉が、ゆらゆらゆれている。 「それが、なんだよ?」 へえーっ、と准汰と陸が声をハモらせた。 「どうだ、わかるか准汰。男から積極的に攻めないとな!」 「とか言って、積極的な神原さんから貰ったんだったりしてね」 「ギクッ」 「おそろいのストラップか。洋介は、准汰より一歩リードだね」 「だろ」 洋介はふんぞりかえっている。そんな洋介はひとまず置いて、 「山岸さんがどう思ってるかなんて、分からないよね」 「それなら、こっちから伝えようよ。ぼくは君だけを見てるんだよってさ」 「陸、それって准汰へのアドバイスにかこつけて、 「えっ」 陸が否定とも肯定とも取れない声を発した。 准汰は、この二人の親友に感謝した。 准汰はあらためて強くそう思った。 (おそろいのストラップか。 そして、はっきり伝えよう。君が好きだと。 12月になると世間は早くもクリスマスモードになる。 街を染める色は緑と赤と白だ。 あちこちで電飾が光り、クリスマスソングが流れ、 いつも通りサッカーの練習があったが、 雪美は部活が終わるとひとまず帰宅し、それから准汰の家に向かった。 冷たい風が顔にあたるけど、もう冷たいという感覚もない。 ちょっと待ってろと言われた雪美は、玄関先でおとなしく准汰を待っている。 カフェで会った山岸ユイのことを、ふと思い出した。 でも心の一方で雪美はそれを忘れようとしている。 (私だって准汰が好き。どうしても譲れないの。 そんなことを考えているところへ准汰が出てきた。 「どうした? こんな時間に」 「今日はクリスマスイブでしょ。はい、プレゼント」 「は?」 「なんで俺に?」 「いいから。開けてみて」 たまたま入ったお店で見つけたものだ。きっと准汰によく似合うはずだ。 「これから、なにか用事でもあるの」 「まぁな。ちょっとした用だけど……」 あいまいに返して、准汰は雪美から顔をそらせた。 「これからユイちゃんに会うの?」 「え、なんで!」 「わかるよ」 「まいったな」 ついには言葉となって雪美の口から飛びだした。 「でもユイちゃんは、准汰のこと好きじゃないよ」 「えっ……お前、なに言ってるんだ」 「だって、私が准汰のこと好きだって言ったら、 と、もう自分で自分を止められない。 いきなり告白された格好の准汰は、顔を赤くさせている。 雪美はまっすぐ見返し、准汰のほうへ踏み込んだ。 「私、准汰のことが好き。私じゃダメかな?」 ややあって、 「……悪い」 准汰は雪美の両肩に手をおき、彼女をやさしく遠ざけた。 「今野の気持ちはうれしいけど、俺は山岸が好きなんだ」 准汰は言った。決定的な一言だったが、 「たとえ山岸が俺を好きじゃなくても、俺の思いは変わらない」 といったそのあとの言葉を、雪美はわずかな望みが 「そう。わかった。今日はもう帰る」 「でも私はあきらめないから。私が准汰を好きだってこと、 なにか言いかけた准汰を置き去りにして、雪美は自転車を走らせた。 准汰から離れるにしたがって、涙があふれてきた。 (どうして私じゃないの。こんなに好きなのに) 涙を風にさらしながら走っていた雪美は、 准汰もユイちゃんも、どっちもが好きあっている。それはわかっている。 (私、准汰に好きになってもらえるなら、何だってする) (ごめん、ユイちゃん) 雪美は手の甲で涙をぬぐった。 応援してね、と文章の最後に付け加えて。 幾千もの星がひしめいていた。 けど、いま打ったメールのせいで雪美の鼓動は 「……ほんと、嫌な女」 とつぶやき、また自転車を走らせる。 ずるい自分を切り離したくて、力いっぱいペダルを踏みつづけた。 准汰がユイの家のチャイムを鳴らしたのは、それから30分後だった。 出てきたのは母親で、准汰がユイを呼んでほしいと頼んだら、 「夏川くん」 「ごめん、こんな時間に。ちょっといいかな」 「うん」 と了承したものの、ユイは浮かない顔をしている。 上着を取りにひきかえしたユイを待ちながら、 (迷惑だったかな。一家だんらんでイブの夜をすごしてたとしたら、 雪美の話を聞いて、准汰は自分が勘違いしていたことに気づいた。 洋介たちにもはやし立てられ、自分の中でユイはすっかり特別な存在になっていた。 だが、今夜はユイに告白しようと決めていた。 でも、その決意も今になって揺らぎはじめた。 ユイが、カーキ色のジャケットを着て玄関から出てきた。 その気まずさを取っぱらうように、准汰が口をひらいた。 「そのうち、山岸たち女の子のほうにも連絡いくかも」 「うん、わかった」 弾みのないユイの受け答えに、 今野雪美が早手回しのメールを 「きょう山岸を呼び出したのは、これを渡したかったから」 「クリスマスプレゼント」 ほんとうは洋介たちのように、おそろいの品を贈ろうとしたけど、 「やめろ。俺とかぶる気か」 ユイがリボンをほどいて小箱を開けると、 いっしゅんユイの顔に笑みが浮かんだ。 「それとさ、俺」 「ごめん夏川くん。受け取れない」 准汰の声に、おっかぶせるようにユイが言った。 「え!」 まさかの態度に准汰は驚いた。プレゼントで勢いをつけて、 「嬉しいけど、受け取る理由がないから」 ユイは准汰を置いて走り出した。 「どうしたんだよ。なんで?」 「私、どうしても受け取れないの」 ふと考えた准汰だけど、そうすれば友達でさえなくなるかも。 「いろいろ困らせてごめん。じゃあ、また年末に会おうな」 どっちにしても准汰とユイにとっては、とんだクリスマスイブだった。 **************************************************** 人それぞれに、大晦日を楽しく過ごす方法がある。 「そんな高いレストランでディナーなんて、お前、お金あるのかよ」 「じゃあ、ファストフードってのは?」 「それより、どこかの家で年越しそばを食べて、ゲームでもしようよ」 それを考えると足取りは重くなる。 でも余計なことは口にせず、遅れがちになるユイを振り返りつつ歩いている。 でも寂しい。 この孤立感はどこから来てるんだろう。 ユイの寂しさに切ないものが混ざってきた。心の半分はここに居たくて、 廊下の床に涙をぽたぽたこぼしながら、 もう、准汰と自分は友だちだと決めた。好きという感情を消して、 きっとあのときは、雪美から送られてきたメールが そんな意味のメールだった。ほんとは准汰を追いかけて、 (クリスマスのとき私があんな態度だったから、きっと嫌われちゃったんだ) おさまりかけた涙をふいて、そんなことを考えていると、 「わたし、もう夏川くんの近くに居たくない。ぜったい嫌われた。 またもや泣きながらユイが言った。 「それが今の、ほんとの気持ち?」 ユイがうなずく。そしたら千秋がユイの頬をひっぱたいた。 と言っても加減して。そのショックでユイ 「いっしょに居るのがつらいのは、准汰が好きってことじゃないの。 「心をオープンに、好きな人に好きだと言えばいいのよ」 「准汰への想いを正直な自分のフィルターにかけたら、 雪美が、いともたやすく准汰を呼び捨てにしているのが羨ましい。 けっきょくはユイの背中を押して准汰のほうへ踏み出させたけど、 『あらユイちゃん。どうしたの?』 「私、夏川くんが好き。だから雪美さんの応援はできません。 『知ってたよ』 雪美さんと私のあいだに、ルールは何もない。 「うん。二人ともありがとう」 午前0時が近づくと、准汰の母親が〈緑のたぬき〉を 「ふふ、勘よ勘。こんなに可愛い娘が准汰の相手ならいいなって思ったの」 (雪美さん、ありがとう) 准汰との仲が進展した大晦日から、早くも一ヶ月がすぎた。 たまにどちらからともなく掛ける電話では、 「こんばんは准汰」 「准汰が好きよ」 心の中では百回でも言えるのに、 「このままじゃダメだよね。 一月の中旬からバレンタインフェアは始まっていた。 店頭には所狭しと、きれいにラッピングされたチョコレートや、 でも、これだと思えるチョコが見つからず、いまだに買ってない。 ユイも頑張って作ってみたら? とでも言うみたいに。 そしてバレンタインデーの前日。 ユイの家でお菓子を作ろうということになって、 話し合った結果、簡単で失敗も少ないブラウニーを作ることにした。 「じゃあ始めますか」 「わたしが小麦粉、量るから」 「こらこらユイ。手を遊ばせない。 (准汰のために……じゃなかった、私のために美味しくできますように) ユイは、そう心で唱えている。 そして一時間後。オーブンからは甘い香りが漂っている。 あとは焼きあがるのを待つだけだ。 「大成功だね」 ブラウニーをほおばりながら、ユイは准汰のことを考えた。 そして二月十四日。バレンタインデーがやってきた。 だからユイも、好きだと言える。はっきり准汰に好きだと言える。 待ち合わせの時間より十分も早く来たのに、駅の噴水の前では、もう准汰が待っていた。 「あのね、准汰くんに渡したいものがあるんだけど、 (でも、もうひとつ大事なことが残ってる) ユイの言葉に、コーヒーカップを持ちあげようとした おどろきをはらんだ准汰の表情が、 「ごめんね、いきなり」 「なんであやまるんだよ。すげーうれしいよ」 准汰も心をこめた口ぶりで、 「あーあ、ユイに先を越されちゃったな」 あれこれうかつに喋るわけにはいかない。 「准汰もわたしも両想いのくせに、ずっと片想いだったもんね」 そんなわけで、バレンタインデーの日から 〈おはよう〉と〈おやすみ〉のメールは日課となり、 「わかってるって。まさか洋介から、 准汰と洋介と陸は、そのホワイトデーのプレゼントを買い終えると、 すでにユイが待っていた。 翔実高校の制服の中に一人だけ出澪高校の制服のユイがいて、 昨夜の電話のお喋りで、 「はい。バレンタインデーのお返し」 「わあ、指輪だ」 ビルにかくれて沈む陽も、 きょうは落ち葉に埋もれても、これで終わりになるものか。 どんなことがあっても、俺もユイもみんなも 「森田くんや七瀬くんや千秋や茜がいなかったら」 とユイはみんなの名前を口にしつつ、 「いまこうして、准汰とわたしは 「俺、ユイのことが大好きだよ」 思ってることがそのまま口に出てしまった准汰は、 「あんまりとつぜん言うから、恥ずかしいよ」 「わたしも准汰が大好きよ」 いま二人は心の中で同じことを思っていた。 (なんて俺は幸せ者なんだろう) (なんて私は幸せ者かしら) 色んなことがあったけれど、あきらめなくてよかった。 ****************************************************** きょうは、県内の高校生バンドが このライブにユイたち出澪高校のバンドも出場する。 いよいよ次が自分たちの出番となり、舞台裏で待ちながら、 「今日までいっしょうけんめい練習してきたんだから、 不安そうな声でユイが言ってる。 「いまさら、なに言ってんのよ。 と千秋は強気だし、 「ライブは聴いてくれる人も味方だから、 「あーあ、サッカーの試合も見たかったなぁ」 千秋が余裕をみせて、別の話題をふってきた。 「きょうは男子たち練習試合だったのに、 とぼやいている。 「ほんと。わたしらの演奏も聴いてもらえないし、 と茜が同調する。 「でも、准汰や森田くんや七瀬くんも頑張ってるから、 千秋も茜も、うんうんとうなずいた。 茜が言って、携帯のストラップに付けている指輪を二人に見せた。 千秋もネックレスにしている指輪をつまんで見ている。 緊張ぎみだけど、 「よし、行くよ!」 バンドリーダーの詩織の声を合図に、 なんたる偶然! たった今、 音は生まれるはしか消えていく。 でもすぐ次の音が追いかける。 音と音とが繋がって、美しい音楽になる。 そしていま、わたしも准汰も青春というかけがえのない音楽を奏でている。 ************************************************************ 恋待ち風にのせて アナザーストーリー 「 今野雪美の恋 」 始業式のときは満開だった桜の花も散り、 だれもがこれから始まる学生生活に夢をふくらませ、地に足がついていない。 ひとつ学年がちがうだけで若いなと思うのは、 先輩という意識が強くなったからだろう。今野雪美は新入生たちを見ながら、 あんなふうに胸をふくらませていたけど、もうずいぶん昔のことに思えた。 色白で顔立ちの整った雪美が長い黒髪をリズミカルに揺らして歩けば、 サッカー部の女子マネージャーをつとめている雪美は、 でもきびしい練習に音をあげて、半年もたたないうちに こちらも希望者が多いけど、 しんどい仕事だけど今でも続けている。 誘った友人はとっくにやめてしまった。 「あ、今野」 「准汰」 はちあわせたのは同級生の夏川准汰だ。二年生でも実力のある准汰は、 「今から洋介たちとお好み焼き食べにいくけど、今野もいくか」 「おごるなんて、言ってないだろ」 准汰が足を踏み出したので、雪美も並んで歩きはじめる。 「なんだよ、とつぜん」 と、あきらかに動揺している。 「付き合ってるんでしょ。知ってるんだよ。 いいつつ、雪美が准汰の背中を力まかせに叩いた。 「あのな」 いたわりをみせた表情を雪美にふりむけた。 「おねがいだから、それやめて。そんなふうに気を遣われても困る。 去年のクリスマスに、雪美は准汰に告白した。 准汰は申し訳なく感じているのか、雪美の前ではユイの話はしない。 「わるい」 准汰が謝ったとたん、また雪美がバシッと背中を叩いた。 「さっきから、人の背中をばんばん叩くなよなっ」 准汰が足をとめる。かみつくような声だけど、顔は笑っている。 「ばーか。いまのせりふは冗談よ。私がそんなヤワに見える?」 「たしかに失恋して落ち込んだけど、私はいつだって前向きよ。 「新しい恋?」 「そうよ。准汰よりずーっといい男!」 雪美が空を見あげる。かたむいた太陽が頭上の空をオレンジ色に染めていた。 温かくて、切ない夕暮れだ。 「ごめん准汰。用事を思いだした。私、今日は帰る」 「え、そうか」 「ごめん。このつぎにおごってもらうから」 バス停までの足どりが、水の中を歩くみたいに重くなりだす。 そのうち雪美は、歩道で立ち止まってしまった。 家路を急ぐ人が、そんな雪美を右に左によけながら通りすぎる。 人の流れをさまたげていることに気づいて、 はやくも街灯がともり、全身さびしんぼうの雪美を照らしている。 夏川准汰と山岸ユイが付き合いだしたことは、 驚きも動揺もしなかったけど、ちいさなシミのような寂しさが 寂しさとも悲しさともつかないシミは、 (新しい恋なんて嘘。いまでも准汰が好き) マネージャーとして同級生として あの端正な顔立ちにいちばん惹かれた。 あいつの優しさが心の平安を壊してしまう。 冷たくされて捨 てられたほうが、サッパリかもね。 無関係な人たちが、そんな雪美を気にもせず歩道を流れていく。 ふいに声をかけられた。雪美がふりあおぐ。 「気分わるいの?」 「あ、だいじょうぶです。ちょっとしんどくて」 若者がうながす。いわれるままに雪美は立ちあがる。 大丈夫かと聞かれたら大丈夫じゃない気がしてきて、 雪美はベンチにすわった。 感じのよさは准汰にひけをとらない。 「隼人。なにしてるの!」 若者はそのほうへ手をふりかえし、 「じゃあな。ゆっくり休んで帰るんだよ」 立ち去ろうとした腕を、おもわず雪美が掴んだ。 「ん、どした? まだ気分わるい?」 気分はこの人のせいで、ものすごく良かった。 「 あ、いや。なんでもありません。ごめんなさい」 掴んだ手はとっくにひっこめたけど、 ポケットから取り出した何かを、雪美の手にのせた。 いいおき、彼は彼女のほうへと走り去った。 (んー、見れば見るほど……) 不細工で不格好で、どんくさい顔のヒーローだ。 当たってる。隼人という若者が 雪美はベンチから立ちあがった。 もう、すっかり暗い。 雪美は人の流れにうまく乗れるように早足になった。 バス停にはすぐついた。時刻表を見るとバスは3分前に出たばかりだ。 だれもいない待合室のイスにすわる。 ストラップの紐に指をかけて、顔の前にかかげる。 もういちどヒーローにつぶやいた。 (君みたいなへんてこなヒーローよりも、もっともっと強いよ、わたし) と自分に言いきかせた。 と、ストラップのヒーローを見つめる。 似合いもしない決めポーズをいっしょうけんめいとっている彼は、 雪美は大きく息を吸いこんだ。吐きだす息といっしょに涙がにじんだ。 ああもう! ぐちぐちしているわたしもばか。 それに、さっきの彼は何だったの? じつは少し、どきどきした。 つかの間の癒しというか、准汰のことで落ち込んでいた気持ちが、 彼と言葉を交わした一瞬だけ、吹っ飛んでいた。 (ああ、今日はいろいろありすぎて、気持ちの整理がつかないよ) バスがきた。待合室から飛び出し、雪美はバスに乗り込んだ。 家族が心配するから、涙をぬぐいきって家に帰らなきゃ。 雪美はカバンをあけてハンカチをさがした。そしたら足元にヒーローが転がった。 いい男なんて、たくさん居る。好きな人が出来たなんて嘘ついたけど、 そのうち現実にしてやるから。自分磨きに精をだして、そのうち現実にしてやる。 今日のことはぜんぶ忘れてしまおう。 ヒーローと目があった。 相変わらずの不細工な顔に、雪美はまた声をたてて笑ってしまった。 雪美がストラップを拾いあげる。顔の汚れを指でぬぐう。 カバンの中の、チャックがついたポケットにしまった。 【 お知らせ 】 来週からは 『恋待ち風にのせて ~ 大学編 ~ 』 が ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『 恋待ち風にのせて 』 ~ 大学編 ~ 6月のはじめ、山岸ユイは広島市内の教会で親戚の結婚式に参列していた。 空は晴天、この時期に雨が降らなかったのは幸運と言える。 新郎新婦を祝福する声があふれ、バラ科の花びらが舞っている。 夢のような光景に、ユイがうっとりしながらカメラを構える。 シャッターを押す。 叔母が声をかけた。花嫁の母である。 「入学したばかりで、もうアルバイトもしてるんでしょ?」 「えへへ……朝美お姉ちゃんに言われたからってこともあるんですけど」 いいつつ、ユイは自分に手を振る従姉の朝美に手を振り返し、 またシャッターを押した。 ユイと准汰は、この春にそれぞれ出澪高校と翔実高校を卒業し、 去年の暮れに会ったとき、ユイは准汰が不動院大学の (おれ、もともと子どもが好きだし、それにスポーツをしているから、 准汰は言った。いっぽうユイは、理系か文系かで言うなら文系。 (准汰が不動院大学を受けるなら、わたしも考えてみてもいいかな) 四年間の大学生活で二年だけでも、准汰が同じ構内いると思えば安心だし。 「あの子も市内の大学だから喜んでるわよ。 ユイはちょっぴり羨ましそうに朝美を見つめた。 4年近くも会っていなかった従姉は大人びて見えた。 (なんだかびっくりしちゃうなぁ……) この春から耳に入っただけでも、 でも大学に入学したばかりのユイには、結婚も家庭を持つことも、 なんて思いつつ、ユイは素敵な被写体にシャッターを押しつづける。 (准汰……) ファインダーごしに2人を見ながら、自分と准汰にその装いを重ねてみた。 (って、なに考えてるの! いまは2人に集中!) ユイがカメラを下ろして、かぶりを振る。叔母が怪訝そうにユイを見ている。 午後3時に挙式と宴会がおわる。親族や招待客が談笑しながら、 携帯電話を開くと、准汰からメールが届いていた。 『ミーティング終わった・これから練習。結婚式どうだった?』 『ミーティングお疲れさま! 練習がんばってね! こっちもいま終わったよ。 朝美ちゃん、すごく綺麗だった。写真を撮りすぎて肩凝っちゃったよ~』 大学に入学してからは、もっと2人の時間が増えるとユイは思っていた。 ところが4年制の学部と違って、その半分の2年で卒業する准汰は、 おまけに准汰はサークル活動や、その仲間との付き合い。 (会えないのは寂しいって、准汰に言ったほうがいいのかな) (……だめだ。いまは准汰も忙しくしてるだろうし) ユイは、少しだけ唇を噛みながら携帯電話を閉じた。 ************************************************************ 「ヘイヘイ! サイドまわせ!」 不動院大学の高い敷地にあるグラウンドで、サッカー部は練習に明け暮れていた。 夏川准汰は汗まみれになりながら、まだ慣れないフィールドを走りまわっている。 ほぼ毎日ある部活の練習や、4年制にくらべてカリキュラムの厳しい マメに復習でもやっていなければついていけない。 「おーい、そこの1年の……あー夏川! 交代!」 「これ」 准汰がゼッケンを脱ぎ、その男に差し出した。 かがんだまま准汰を見上げた男は、ややあってニコリと人懐っこく笑った。 「サンキュ。おまえ、やっぱりスピードあんなぁ」 准汰がポカンとして男を見ているとコーチから、早くしろよ、と声がとんでくる。 犬歯の男は准汰の肩をポンと叩いて、さっそうと走り去った。 “純情”といわれたのが馬鹿にされたような気がして、准汰は眉をひそめた。 「“練習おつかれさま……"」 准汰は返信しようとしたが、 午後の練習に区切りがつき、休憩に入った。 准汰がグラウンドの脇の水道に駆け寄る。そこには先ほどの犬歯の男がいた。 「俺の名前、世羅翼(せらつばさ)。4大の言語文化学科。 おまえ、翔実高校の元副キャプテンの夏川だろ?」 どこかで見たような気もしないこともないが、その犬歯には記憶がない。 「でも相変わらず早えーなー、おまえ」 「なんだよー、すねてんのかよ!」 翼はほかの歯もぜんぶ見せて爆笑しながら、准汰の背中をバシバシ叩いた。 久しぶりに再会した友人に話すような翼の口ぶりは馴れ馴れしいが、 「たぶんお前、向こうのチームの12番にマークつけられてると思う」 「そうそう。でさー、もしボール取られたら、サイドに寄せて、 「……えー」 准汰は黙りこんだあと、疑わしそうに翼を見た。 「ほんとだってー」 紅白戦は休憩前と同じ編成で組まれた。ちなみにクジ引きである。 ほんとうに12番が自分をマークしはじめたので准汰は驚いた。 「っ……」 味方からのパスをまたもや12番にブロックされた准汰は、口の中で舌打ちした。 准汰はためらったあと、ボールを追って走った。 (騙されたと思って!) 向かってくる准汰を目で捉えた12番が、一瞬うろたえた。迷ったふうをみせ、 翼は准汰を目で追いながら、あの人懐っこい笑みを浮かべていた。 ついで立ちあがり、頭の上で拍手をし始める。 「ナイスブロックー!」 その声に気をよくして、准汰はまた走り出す。 けっきょく試合の結果は准汰がいるチームが勝った。 「俺の言ったとおり、だろ?」 翼がにっと笑う。准汰はうんうんと大きくうなずいた。 「お前すごいな! なんで分かったんだ?」 「見てれば分かるって」 なんでもないという風に返される。 興奮ぎみに准汰がまた口を開こうとしたとき、集合の号令がかかった。 会話を終了させてコーチの周りに集まる。 「さて、来週の日曜日だが、岩国産業大学との練習試合が決まった」 「みな参加するように。詳しいことはまた連絡する。 「疲れたー」 口々に言いながらみんなが帰り支度を始める中で、 返信の終わっていない携帯電話をスポーツバッグの奥へ押しやる。 「なんか嫌なことでもあったかー?」 「ほんとなんでもないから。今日はありがとな!」 ろくにまとまっていない荷物を持つ。 家に帰った准汰はベッドの上で頭を抱えていた。メールを打っては消し、 「タイミング、悪いって……」 ぼやいても仕方ない。コーチに対して悪態もついてみたが、 どうにかなるわけでもない。 『ごめん。日曜日会えなくなった。 『そっか~残念だけど仕方ないね。試合がんばってね! こういうとき、ユイはすんなりと受け入れてくれる。 人がいいから、わがままを言わない。 それが嬉しくもあり、同時に申し訳ないと思う。 もう一度おわびのメールを送って、准汰は枕に顔をうずめた。 会いたい気持ちだけが逸るがどうにも出来ない。 大学に入って近づいたと思っていた距離は遠いままだ。 降り出した雨が、いっそう准汰の気分をうっとうしくさせた。 准汰から届いた『ごめん』の文字を見て、 ユイは心の声でつぶやき、メールフォルダを閉じた。 結婚式も終わり、参加者は二次会へと移った。 どのテーブルにも笑顔の花がさいているのに、 ユイの表情は晴れない。 さっきまでは朝美に幸福をお裾分けしてもらった気がしたのに。 胸の内がもやもやとして苦しかった。 (やっと二人の時間がとれて、会えると思っていたのに……) けど、仕方ない。准汰にとってサッカーは大切なものだし、 わがままを言ったらダメだよね。 だってもう子供じゃない。メールだって、 電話だってしてるんだし。と自分に言い聞かせる。 ユイはテーブルの下で指をそらせ、准汰にもらった指輪を見つめた。 高校のときにもらった大切なもの。 指輪を見てると、私たちは大丈夫だという気持ちにユイはなれた。 ユイは口元に笑みをとり戻し、何か飲もうと立ち上がった。 そのとき、また携帯電話が震えた。開いてみればバイト先からだった。 人手が足りないから、今度の日曜日に手伝ってほしいというメールだった。 「日曜日……」 ユイは思わず口に出していた。よかった。 一人でぼんやりすごす日曜日が、多忙な日曜日に変わるんだ。 ユイはすぐさま了承の返事を送った。 ************************************************************ 昼時の食堂は学生であふれている。 「ユイ!」 「あ、准汰」 同じように准汰を探していたユイが歩みよる。 ユイは手作りのお弁当だけど、准汰は券売機に並び、 不動院大学の食堂は景色がいい。全面ガラス張りの窓からは、 二人は窓ぎわのテーブルに向かい合い、 「日曜日遊べなくなって、ごめんな」 「准汰ってば謝りすぎだよ。気にしないで。ね?」 はやくご飯食べよう。 「サークルのほうはどう?」 「けっこうきつい。あ、けど友達できた。なんか変なやつだけど」 「変って?」 「変って言っても、嫌な意味じゃないんだけど。 「楽しみにしとくね」 「結婚式はどうだった?」 メールでもいろいろ聞いたが、じっさいにユイの口から聞きたい。 ユイは口をつぐんだまま、すずやかな目で窓の外を見やっている。 白いスーツが眩しい新郎。 (いつか私も准汰と……) 結婚式のあいだじゅう、そう思っていたような気がする。 「ユイ?」 ぼぅっとするユイに、准汰は首をかしげる。 「え、あっ、すごく綺麗だったよ。けど二次会とか大変だったの。 「いいなー。俺、結婚式っていったことないから、 「なんかね、こっちまで幸せになれるって感じよ。 そんな彼女を見つめながら、准汰は柔らかく微笑んでいた。 うれしい時間はたちまち過ぎていった。 「あ、そろそろ次の授業始まるね」 ユイが腕時計を見る。食堂にいた学生も少なくなってきた。 「ほんとだ、行かないと!」 准汰は残ったジュースを一気に飲んで、食器を返却口に持っていく。 「ユイは授業ないんだっけ?」 「うん、三限はあいてる」 「そっか。じゃあ俺もういくから!」 准汰は鞄をつかんだ。ユイは手を振って見送った。 「どうしたの?」 「今日の授業のあと、用事とかある?」 急な問いかけに驚きながらも、ユイは首を横に振った。 「じゃあさ、今日サークル休みだから一緒に帰ろう!」 「うん!」 ユイが嬉しそうにうなずく。 「よし! じゃあまた後で。授業おわったらメールするから」 ユイの頭をなでてから、准汰は食堂を走り出た。 昨日のもやもやが吹き飛んで、胸の内と顔が熱くて仕方ない。 「私ってば、単純だなぁ……」 熱を逃がすように、机に頬をつけて息を吐き出す。 じたばたと足を動かしたい衝動を抑えて、ユイは席を立った。 時間をつぶすために図書館にでも行こう。 「あ……」 食堂を出たユイは、小さく声をあげて立ち止まった。 視線の先にあるのは掲示板。就活情報にまじって、 ユイの目をひいたのは、赤や青のカラフルな 「花火大会かぁ……」 花火大会といえば、高校時代を思い起こす。 でもあのときは、准汰が体調を崩して行けなかった。 思わずユイはふふっと笑う。残念ではあったけれど、 (今度は一緒に行けるかな。電話ごしじゃなくて、 夜だったら准汰の時間もあいているだろうし、思い切って誘ってみようか。 金魚の浴衣じゃね。バイトのお金で新しい浴衣を買おうかな。 千秋と茜を誘って選びにいくのもいいな。 ユイは花火大会のポスターの前で、あれこれ思いをめぐらせた。 それでも考えの中心にあるのは准汰のことだ。 (浴衣を着て、可愛いっていってもらえたら、うれしい) ユイの頬にまた赤みがはしる。ドキドキし始める胸を押さえて、 ユイは足どり軽く図書館へと歩き出した。 ************************************************************** 今日は日曜日。 准汰とのデートの約束にサッカーの練習試合が割り込んできて、 ユイはアルバイト先の応援にやってきた。 「…ふーん、サッカーねぇ。そりゃご苦労なこって」 目も合わせず、相手が言った。 「眞紀先輩はスポーツされないんですか?」 彼は高校のときの軽音楽部の先輩で、 答えるかわりにこちらを一瞥した。眉の上で切りそろえられた茶髪がゆれる。 ひまを持てあました眞紀がジーンズのポケットに手をのばす。 「先輩、ライブ終わるまで我慢ですよ」 「いいじゃん。オーナー引っ込んでるし」 といって、彼は口の端をあげる。ついで煙といっしょに、こう吐き出した。 「てか、めんどくさくねぇ? そーゆーの」 「そーゆーの?」 「相手がサッカーばっかで放置。今日みたいにドタキャンされる訳だろ」 だがサッカーのない准汰を想像するのはむつかしい。 ふだんの優しい准汰だけではなく、 なにより中学生の時から見ている うーんとうなったあと、ユイは笑顔を取りもどした。 「いいんです。今度の花火大会いっしょに行こうと思うし。 「夏にあるじゃないですか!」 「知らないの? 花火大会の日はここ主催でバーベキュー大会やんぞ」 「毎年やってるよ。常連客や関係者よんで、スタッフは全員参加」 昼間はバーベキューで、夜はそのまま花火大会に流れる、 全員参加と言うことは、もちろんユイも仕事としてかり出される。 それは今年どころか、 へたをすれば大学生の間じゅう准汰との花火大会を (まだ准汰を誘っていないだけ、傷は浅いと思おう) ステージの片付けを終え、ミーティングのために事務所へ戻る。 すでにオーナーと眞紀が並んで席についていた。 デスクの上に書類が広げられている。 「あ、いえ。こちらこそ」 と笑えば同じように返され、オーナーが紙コップを差し出す。 「ここで『君のために淹れたんだよ』なんてコーヒーでも と眞紀が茶々をいれる。 ユイはオレンジジュースを受け取った。 「さて、冗談はさておき、来月に毎年恒例の 「花火大会ですか?」 「あれ? 知ってたんだ」 予想が当たってしまったことに、ユイは眉を下げる。 オレンジジュースを見つめながらうかない表情を自覚した。 情けないな、と思いつつオーナーの言葉にうなずく。 「じゃあ話が早いや。好きな人、呼んでいいからね」 「へ」 気落ちして思考が鈍っていたユイは、 「ユイちゃん、今の声おもしろい」 「お、もしろくないです。あの、呼ぶのはお客さんや 関係者の方だけじゃないんですか?」 「うん、サクラにほしいんだよ。人数多いほうが参加しやすいでしょ?」 まあ軽くお手伝いしてくれる人もほしいし、 ユイは思いがけない話に驚きつつ眞紀を見やる。 (好きな人、呼んでいいって知ってたくせに) 彼はテーブル上の書類へ目を通していた。 「眞紀先輩?」 「なに」 眞紀はあらぬ方へ顔を向けた。普通の顔だった。 彼の普通の顔の場合、いやな予感がするのだが。 「あー、もしかして眞紀くん、またユイちゃんで遊んだね。 「んなことナイっすよ」 オーナーのゆるい制止を聞きながら悟った。 「わたし、からかわれてました?」 にやりとする眞紀に、またやられたと頭を押さえた。 *********************************************************** あざやかな空に大きな入道雲が伸びていた。 サイダーを取り出しながら視線を戻すと、 スイカを冷やしてくるよう頼まれたユイは、 緑と白のコントラストに、准汰は空とは別の美しさを感じた。 そんなことを考えていると、 「こらっ、ユイに見とれてる暇があったら手を動かしなさい」 犯人は千秋だ。手にはトングが握られている。 「お前ら、相変わらずそんな調子かよ」 ユイに誘われて参加した、このバーベキュー大会。 高校の馴染みである友人たちも呼ばれていた。 「洋介、その肉、燃えてる」 「え、ちょ、うわっ!」 「お前も相変わらずだな」 あわてる洋介に准汰が苦笑する。 ひさびさの水入らずの感覚が、嬉しくもありくすぐったい。 「あー、ここはいいから、早くユイ呼んできて!」 その声を受けて准汰は走り出した。 「ユイ!」 振り返るユイに、先ほどのペットボトルを差し出す。 一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐに笑みを返してきた。 「ありがとう」 「千秋が呼んでる。なんかあった?」 川からあがるユイに手を貸した。 バランスを崩さないように気を付けていると、足元に目がとまる。 水にぬれた彼女の足はきらきら光り、その華奢さを際立たせていた。 細いなぁと准汰は思った。 「ううん、いい天気だなぁって」 いいつつ、ユイはまた空を仰いだ。 准汰もつられて見上げる。 「ああ、これなら花火もきれいに上がるな」 眩しくて手をかざす。 「ごめんね。花火、二人で観たかったよね」 ユイがつぶやく。 「気にすんなよ。洋介たちも一緒だと盛り上がるし、 准汰の手が頭をなでる。 遠くから洋介の声が届いた。 「ほら、千秋が待ってる」 きゅっと握り返した彼女は、もう顔がほころんでいた。 「遅い! あんたたちいちゃつくなら、よそでやってよね」 仁王立ちの千秋による手厚い歓迎を受け、新たに指示された場所へ向かう。 いくつかにわかれているグリルは、 准汰が自分の持ち場はどこだろうかと探していたら、肩をたたかれた。 たしか、ユイのバイト先の先輩。 眞紀と言ったはずだ。 「うん。あっちは千秋に任せてればいいでしょ」 「わかりました」 ゆるい笑い方をする人だな、というのが准汰の第一印象だった。 ユイと談笑している眞紀を見ながら、准汰はなんとなく違和感を覚えた。 「ジュンタクン、だよね。力仕事ばっかり頼むと思うけどいい?」 例の笑顔が今度は自分に向けられる。 「いいですよ。焼き具合とかわからないから、そんぐらいしかできないですし」 「安心しなよ、ユイなんて荷物運びどころか焼くのもできないから」 「先輩!」 「実際できなかったでしょキミ。高校の追い出し会、 そういえば昔、軽音部の追い出し会で焼肉屋に行ったけど、 ユイが焼き始めたとたん、網の上のものすべてを消し炭にしたとか。 あわてふためく彼女が目に浮かぶようで、准汰は思わず苦笑した。 それを見逃さず、ユイがとがり声をあげる。 という眞紀を准汰が見やる。目があった。 その言葉の意図がわからない。相変わらずの笑い顔。 ずっとこの顔だから、本当に笑っているのかすら怪しくなってくる。 「まあ、それなりに……」 「ユイってさ、子供っぽく怒れるんだな」 眞紀が視線をユイにやる。 彼の言葉も表情も、 「しっかり捕まえときなよ、いつか大火事おこすかもよ」 ユイが手にした紙皿が揺れるのを見ながら、准汰は眞紀に不快感をおぼえた。 すこし離れたところで、千秋は高校時代の先輩や友人たちを見やっている。 千秋は眞紀にあまり良い感情を抱いてなかった。 何を考えているのかわからない。 准汰が感じていたように、千秋もあの笑顔を胡散臭く感じる。 「なんだかなー」 思わずこぼしていた。 ユイは気づいていないようだが、 「どうしたの? 千秋」 「あー、なんでもない茜」 「なにそれ」 千秋は適当に返事をする。確信できないことは口に出さない方が吉だろう。 第一、この考えを口に出すほうがむつかしい。 「やぁ、先輩たち元気でよかったわー、なんて」 「うん? 変な千秋」 そこへ顔を真っ赤に染めたユイがやってきた。 「どうしたの山岸さん。顔赤いよ」 「なんでもないよ! きょう暑いから」 「熱中症なら気をつけろよ。山岸が倒れたらびっくりして准汰もぶっ倒れるぞ」 洋介がタオルで汗をぬぐいながら言う。 「大丈夫だよ、飲み物持ってるから」 「で、どうしたの?」 「紙皿が足りないから貰いに来たの」 ユイは言いながら段ボール箱を開け、紙皿を取り出した。 「ユイ」 「楽しくやるんだよ」 と手を振れば振り返された。 ライブハウスのメンバーはすっかり打ち解けて、 そのあとも准汰は眞紀に話しかけられた。 といっても、片付けの指示をされただけだ。 ユイは紙皿を片手に、いつもと変わらない感じでいろんな人と話していた。 いつのまにか陽がかたむき、夕焼けに染まったユイの頬が、 ひとをまぶしがらせるに充分なユイを目の端で追いながら、 「准汰、これゴミ捨て場まで持っていってくれる?」 千秋が、重そうなゴミ袋を渡しながら言った。 洋介も両手にゴミ袋を抱えている。 「一緒に行こうぜ。千秋だってこれくらい持てると思うんだけど、 顔は洋介に向けて言いながら、准汰が千秋からゴミ袋を受け取る。 「さいきんどうなの?」 「お前こそ、ユイちゃんとデートする時間は確保してるか。 准汰はその言葉にすこし凹んだ。このあいだ、デートの約束の日に、 「そのことかなあ……」 「ん? なにが?」 「いや千秋がさ、ユイちゃんのこと気にかけてたから。 ユイが千秋に相談でもしたのだろうか。 「いや、でもお前のドタキャンのことはやっぱり関係ない気がするしなあ……」 「まあ、これから花火だし! 久しぶりにユイちゃんとゆっくり出来るんだろ。 そうだ、そうしよう。 花火の会場まではみんなで行くけど、そのあとは自由解散なのだ。 ライブハウスの人も、おのおの招待した友達と過ごすようだ。 花火もみんなと一緒に見るものだと勘違いしていたユイは、 「ゆっくり二人で見れるね」 「おれ、トイレに行ってくる」 洋介はトイレにかけこんだ。洋介を待ちながら、 入れ違いでゴミ捨て場に来たようだ。 ゴミ捨て場にひきかえそうとした准汰は、 ユイが、眞紀先輩と2人だったから。 「あー、つかれた。ちょっと一服するわ」 眞紀が、腰に巻いた皮のポーチから煙草とライターを取りだす。 「片付けまだ残ってるし、一服してるヒマなんてないですよ」 ユイがみんなの方を気にしながら言う。 「大丈夫だって。ユイちゃんもはじめてのことで疲れたっしょ。 いいつつ、眞紀は煙草をふかしている。 「いっつもニコニコしてるだけの天然なやつじゃなかったんだな」 「え、それひどい! 眞紀先輩だって、 ほんとうに失礼な人だと、ユイは頬をふくらませた。 「なに言ってるんですか、もう」 ふくらませた頬が、こんどは真っ赤になる。 「そうそう、3人で話してたとき、そんな顔してたよ」 ユイは恥ずかさのあまり顔を上げられない。眞紀はユイの肩越しに人影を見つけた。 目を細め、口をむすんでうなずく。 「あ、ユイちゃん虫。動いちゃだめ」 息まで止めて、眞紀にされるがままだ。 「はい、オッケ。ビビリちゃん♪」 楽しそうに眞紀が笑った。 虫ごときにおびえた自分がまたまた恥ずかしくて、 「でも、いいよな、ユイちゃんって」 「……はい?」 「ユイちゃんみたいな子、嫌いじゃないよってこと」 「え?」 「なんだよもー、ほんとニブいな。さっ、行くぞ」 そう言って、眞紀は煙草を足で消すとさっさと歩きだした。 (眞紀先輩……それ、どういうこと) ユイの鼓動が速くなる。 でもそれは、ときめきとはまるで違う動悸の高鳴りだった。 ************************************************ 「あー、食いすぎて腹いてぇ」 洋介がトイレから出てくると、准汰が立ちつくしていた。 「おい、准汰?」 顔色わるいぞ、お前も腹こわしたか? (さっきのあれ、なんだ) 声はしたものの、ユイと眞紀の会話は聞こえなかった。 ユイはずっとうつむいていて、眞紀がユイを抱き寄せた……のか? そんなはずないとは思いつつも、あの、2人の所作が腑に落ちない。 (もしかして眞紀先輩は、ユイのことを……) 眞紀先輩にはどうも親しみが持てない理由が、これではっきりした。 それにしてもユイは……ユイは、されるがままになっていた。 隠れるようにして見たから、一部始終が見えたわけではない。 だけど2人を包んでいた空気の層は、ぜったいに普通じゃなかった。 准汰の脳裏に、されるがままになっていたユイの姿がこびりついた。 ************************************************ 花火大会の会場に着いた。早々に解散宣言をして、 みんなも思い思いに散っていった。 眞紀とオーナーは余った食材をライブハウスの 眞紀がいなくなったことを確認すると、ユイはほっとした。 さっきのことは、からかわれたんだと思うことにした。 それより何より、これから准汰と花火を見るのだ。 うれしくて顔をふりむけると、准汰もまっすぐ見返した。 ユイは笑顔になる。 「なに、見つめあってんだよお二人さん!」 洋介がからかう。かくいう彼はしっかりと千秋と手をつないでいる。 「陸と茜ちゃんはあっちの屋台に行くってさ。 じゃ、と手をあげて洋介と千秋は人混みにまぎれていった。 いつもは強気な千秋だか、洋介に手を引っ張られていく姿はとても可愛い。 准汰とユイは飲み物を買うと、花火が見れそうな場所に腰を下ろした。 「人、いっぱいだね。ちゃんと見れるかなあ」 「大丈夫だよ。ここの花火、けっこう高くあがるんだよ」 「そうなんだ、楽しみだなあ」 自分も花火を楽しむためには、もやもやを払拭したいところだ。 ややあって、 「……あのさ、きょうゴミ捨て場でさ」 「あ、そういえばね、聞いてよ! きょう眞紀先輩がゴミ捨て場でね、 言い終わったあとに、ユイはしまったと思った。 せっかく准汰と楽しくすごしているときに、あの嫌な気分がぶりかえしてきた。 「そうなんだ。はは、あの人、ひとをからかうのが好きなんだな」 これを聞いて、准汰の疑念は小さなシミのようにうすれていった。 いっぽうユイは、つまんないことを喋ったせいで、 表情もうつろに口をつぐんでいる。ユイちゃんみたいな子、嫌いじゃないよ、 と言った眞紀先輩の言葉が、耳について離れない。 (はやく花火の音で、消し去ってほしい) きっと先輩は、からかってきただけだったんだって。 わたしには、こうしてちゃんと准汰がいてくれるんだもん。 わたしが好きなのは、准汰なんだ。 ユイは三角座りをしていた腕をほどいて、自分から准汰の手を握った。 准汰は、あの、ただならぬ行為が虫のせいだったと すっかり晴れやかな気持ちになれないのは、 でもそんなこと、いまは考えないでおこう。 誰がユイのことを好きだろうと、ユイはいま、 目と目があった。 ふたりは言葉もなく見つめあった。 ユイが、握った手に力をこめた。 さっきまでジュースを持っていたユイの手は、ひんやりとしていた。 准汰がその手を強く握り返したそのとき、 どーんと大きな音がして花火がはじまった。 「わあ、きれいだね」 「うん、きれいだな」 花火があがるたびに、歓声もあがる。 その音と歓声に負けまいとして、ユイと准汰の会話は大声になる。 握り合った手が2人を幸せな気分にし、 色とりどりの花火は、ユイと准汰のための最高の演出家だった。 ***************************************** きょうは准汰とユイは大学に来ていた。 短大生の准汰は夏休みでも忙しく、友達と図書室で課題をする約束をしていた。 たまたま予定がなかったユイは、一緒に図書室へ行くことにした。 ユイと准汰は、別々の高校だったぶん、 こうして学内で並んで歩けることが嬉しかった。 夏休みの図書室は人が少ない。准汰は4人掛けのテーブルに荷物を ユイは近くの本棚で、どんな本を借りようか迷っている。 「おっす准汰、相変わらず早いな。あ、ユイちゃんだ! おはよっ」 サッカー部の世羅翼が准汰とユイを交互に見て声をかけてきた。 「おはよう」 「お前ら、相変わらず仲良しだな」 黒縁メガネからのぞく瞳はまだ少し眠そうに見える。 背の高い彼が、ほわっとアクビをしながら席に着く。 「わぁ、由樹くん髪切ったんだね!」 「うん、近くの理髪店でね。そこ小さい店で、 「そうなんだ、いいなー。由樹くん、幼児教育化だけあって、 ユイと由樹の会話を聞きつつ、翼が准汰に話しかけた。 「ユイちゃんと由樹って、何か同類だよな」 「え、そうかな?」 「うーん、もちろん性格とかは違うけど、マイペースで人を和ませる感じがさ」 「ああ、わかるかも」 「ユイちゃんもここに座りなよ。課題手伝って」 夕方まで集中して、やっと3分の1が終わった。 言語文化学科のユイは3人の課題についていけず、借りた本を読んでいた。 「このあとみんなでメシ行こうぜ」 「ごめん、きょうは高校時代の部活の集まりがあるんだ」 ユイと准汰は駅まで一緒に歩いた。 「集まり、楽しそうだね」 「うん、みんな進路がバラバラで、久しぶりに会うからな。 声がはずんでいる。 准汰は、部活の集まりを本当に楽しみにしているのだろう。 「行ってらっしゃい、楽しんでね」 「ユイも気をつけて帰れよ」 駅でわかれたユイだけど、ひとつだけ気になることがあった。 (部活のあつまりってことは、雪美ちゃんも来るのかなあ) 今野雪美は准汰と同じ高校のサッカー部のマネージャーだった人で、 とても美人で明るい子だった。そして、准汰のことが好きだった。 バスの中で、ユイは雪美のことを思い出していた。 最後に雪美と話したのは、一昨年の大晦日。 『たとえ准汰を失っても私自身が取り戻せる。大切なのは自分なのよ』 あの日の雪美の言葉がよみがえる。もし雪美なら、 こんな状況でも准汰とうまくやれていたんじゃないかとか、 その上、今日の飲み会で准汰と雪美が以前のように親交を深めるのではと (けっきょく悪いのは、いいとか嫌とか、はっきり言わない自分なんだよね) ユイは、膝の上に置いた鞄に顔を押しつけた。 「そんな姿勢してたら、バスに酔うよ」 その声に顔をあげると、何かに頭をぶつけた。 「あいたっ」 眞紀が座席のわきに立ってニヤニヤしていた。 「もう、痛いじゃないですか」 「俺は、握り拳つくってただけだから。ぶつかったのはユイちゃん。 「そうですか、すいませんっ」 「えっ…謝るんだ」 眞紀はユイの顔を見ながら、 「そうですか?」 「隣いい?」 ユイの返事をきくまえに、眞紀が座席に腰をおろした。 「俺、いまからオーナーのお遣いで買い出しに行くんだけど、つき合ってくれない?」 「え?」 眞紀はニヤニヤ笑いをうかべ、ユイを見つめる。バスが止まった。 ユイが降りるバス停だった。 「あの、私ここで降りるんですけど!」 「ちょっとホームセンターとか楽器屋に寄るだけだし、いいだろ」 眞紀は席を立とうともしない。そのうちバスの扉が閉まり、動きだした。 「あーもう。降りれなかったじゃないですか」 「ごめーん」 あやまりつつ、眞紀は悪びれたふうもなく笑っている。 ********************************************************** 准汰は、慣れない立町の通りをうろついていた。 時計はもう、待ち合わせの七時を指している。 そのとき、脇の道から女の子が出てきた。 「すいません。魚兵っていう居酒屋、さがしてるんですけど」 雪美は眉をつりあげ、振りかぶったバッグで横殴りに准汰の頭を狙った。 「うわっ、ごめん」 准汰はそれをよけつつ、あらためて目の前の同級生を見つめる。 もともと顔立ちの整った雪美は、見ちがえるほど美人になっていた。 (女って化粧一つで変わるなぁ。いや化粧じゃないかも。 「なにボーッとしてんのよ。どうせ迷子になってたんでしょ」 雪美が准汰の腕をつかむ。 「私が連れてってあげるから。早く、遅れちゃうから!」 雪美が駆け出す。 (まぎれもなく、あの頃のままの雪美だな) まるで拉致されるように引っぱられながら、准汰は心の声でつぶやいていた。 目の前にいるのは、はつらつと、元気いっぱいの雪美だった。 飲み会が盛り上がってくると、雪美が准汰の近くにやってきた。 タンブラーを二つ持っている。 雪美はテーブルにそれを置くと、准汰と向き合って腰をおちつけた。 「ひさしぶりね」 「さっき、すげえ手荒なことされたけどな」 二人が笑いあう。その笑顔のなかには懐かしさがまざりこんでいた。 「不動院大学だっけ?」 受け答えしつつ、准汰は雪美の指輪に気がついた。 「雪美、もしかして彼氏できた?」 「あ、これ」 雪美が左手をかざしてみせる。 「そう! 年上の人とつき合ってるの。准汰の一万倍はかっこいい人だよ。 「うらやましい?って、俺男だろ」 「あは、そうだね」 雪美が声をたてて笑う。 「じゃあ、妬ける?」 「妬けねえよ」 雪美の元気そうな姿に准汰はほっとした。 「ねぇ、おぼえてる?」 「なにを?」 「私、准汰のことが好き。私じゃダメかな?」 とうとつな雪美の言葉に、准汰の箸が止まる。雪美はニヤニヤ笑いながら、 「おまえ、マジでそういう冗談やめてくれ、ほんとに……」 准汰は間がもてなくてジュースを飲んだ。 「准汰も少しは成長した? あのときは真っ赤になってうろたえてたもんねー」 「くそっ、すごく焦ったんだぞ今。……からかってんだろ」 「うん」 雪美は准汰にまっすぐ目をあてたままうなずいている。 「なによ、こわい顔して」 「べつに」 「なんか胸に引っかかってる? そんな顔よ」 と准汰をうかがいつつ、こう付け足した。 「ユイちゃんとうまくいってないの?」 「……」 無言の返答ってことは図星だ、と決め込んで、 「ちょっと、頑張ってよ! 私のことふってユイちゃんとつき合ってるくせに」 「おまえをふったこととユイとつき合ってること自体は関係ないだろ。 誰とも比べられないくらい好きなんだよ、ユイのことは」 「でも、好きなだけじゃつき合っていけないんだよ。 雪美の言葉が、准汰の胸の中にどっしりと落ち込んできた。 「うん、わかってんだけどなぁ……」 あいまいに返しながら、准汰は、どういうわけか眞紀を思い出した。 *********************************************************** 「悪いね、つき合わせちゃって~」 ホームセンターで買った装飾の資材を片手に、眞紀が言う。ユイは頬をふくらませた。 「もう、ほんと無理やりすぎますよ」 と言い返すユイは、楽器屋のロゴが入った袋をさげていた。 「でもすいません。おごってもらっちゃって」 「いいのいいの、メシぐらい。こんな時間まで連れまわしてるんだし。 「ありがとうございます」 「こないだのバーベキューのときは仲よさそうだったけどねー」 胸の内を見透かしたような眞紀の言葉に、ユイは、はっと息をとめた。 眞紀の楽しげな口調に、ユイはむっとして顔をそっぽむけた。 「ちがいますよ。あ、でもケンカとかできたら、まだいいのかも。 ややあって、眞紀がいった。 「言いたいことも言えないような関係なわけ?」 「そ、そうじゃないと思うんですけど」 もし雪美さんと准汰だったら、思いのありったけで喋りあうかな。 ユイはよくない考えを追っ払うみたいに、頭を振った。 「別れちゃえば?」 いきなり言われてユイはおどろき、眞紀の横顔を見上げた。 眞紀は無表情のまま、前に目を向けている。 「相手の考えてることがわからない。信じられない。 ユイは聞きながら、鞭のような言葉で叩かれている気がした。 心臓が跳ねて、あばら骨にぶつかった。 「ちがう?」 眞紀の言葉が、ユイの首に巻きついた。 息ができない。声が出ない。ユイはこわばった顔で眞紀を見返した。 ニヤニヤ笑う眞紀の眼だけは笑っていなかった。 「相手にも非はあるのに、ぜんぶ自分のせいにしちゃって」 (うっ……) 「准汰くんは鈍そうだしね。気づいてあげられないんだ、ユイちゃんの気持ちに」 「いま、どっか外れてた?」 「は、外れてません」 「で、スパイラルなんだろ?」 「はい」 みごとに言い当てられた。ひどく情けなくて、ユイは大きなため息をついた。 「落ち込んじゃった? ごめんね」 眞紀の手がユイの頭に置かれた。 「けっこう歩いたから、ちょっとそこに座るか」 ************************************************ 「ここでいいよ、彼氏が迎えにきてくれるみたいだから。送ってくれてありがと!」 雪美が准汰に笑いかける。 「いや、帰り道だし、いいよ」 「こういうときは素直に、どういたしましてって返しときゃいいのっ」 「……はい」 「そうだ。ユイちゃんにメールしてあげなよ」 「え、なんで?」 准汰のにぶい反応に雪美が顔をしかめた。 「なんでって、高校のサッカー部の飲みって言ったんでしょ。 「あ」 「呆れた。ちょっとは成長したかと思ったのに、どんだけ女心にうといのよ」 「ごめん」 「はいはい。謝るんならユイちゃんにね」 そのとき、バス停の人影が目にとまった。 あらためて見つめなおし、ついで准汰はそのほうへ足ばやに歩きだした。 「どうしたの?」 「ユイちゃん。准汰くんがいるよ」 「え、あれ、准汰と……雪美さん?」 ユイがベンチから腰を浮かせる。 「ユイちゃん、ひさしぶり!」 親しみをこめて笑いかける。 「ユイ、あのな」 雪美とのいきさつを話そうとした准汰をさえぎり、 「君ら、こんな時間に二人で何してたの?」 ひややかに眞紀が言った。そして雪美を蛇のような目でうかがい見る。 「ふーん、そういうこと?」 「ちがいます! 高校のときの同級生で飲み会があって、 「眞紀先輩こそ、ユイを連れまわして何してたんですか」 「何って、ただのバイトのお使いだけど」 眞紀は言い返し、そうだよな、とユイのほうへ顔を振り向けた。 「うん、そうなの。ごめんね」 准汰が、嫌味な笑いをうかべる眞紀をにらんでいると、 「じゃあ俺、ユイを送っていくから。気をつけて帰れよ雪美」 「うん、おやすみ。ユイちゃんもおやすみ」 「あ、はい。おやすみなさい雪美さん。眞紀先輩も」 准汰はユイの手をとってバスに乗り込んだ。 バス停に、眞紀と雪美が残された。 「雪美ちゃんだっけ? 准汰くんとはどういう関係?」 「だから、ただの高校の同級生です」 雪美が言いきる。ふうんと眞紀がつぶやき、 「ま、似たもの同士だね、俺ら」 「え」 「自意識過剰と、負けず嫌い。身も世もなく准汰くんを 言葉がのどでつかえて、雪美は唇をふるわせて眞紀をにらみつけた。 「なんか聞いたことある名前だと思った。 雪美の頭に血が昇っていく。反対に眞紀は楽しげだ。 「何が言いたいのかわからないんですけど」 「言ったでしょ。似たもの同士だって」 さっさと立ち去ればいいのに、こんな男と同じだなんて言われて、 「たしかに似たもの同士みたいですね、わたしたち。負けず嫌いだし、 わたしはわたしなりに本気で准汰のことが好きでした。 後半はかなり当てずっぽうだ。でも眞紀の表情がすこし変わったのを 「そういう意味での似たもの同士だと思ってます。でも、だからって、 「どういう勘違いしてるのかは知らないけどさ」 「……まあいいわ。君とは二度と会わないだろうし?」 雪美のバッグに付いたストラップを見ている。 「なんですか?」 雪美の脳裏に、ストラップをくれた男の顔がよぎった。 「いや、なんでもないわ。じゃあね」 (ユイちゃん。大事なことは、相手への信頼と自分の責任を つながれた手が痛い。准汰は無言で足を動かす。 ユイは引きずられるように歩くしかなかった。顔が上げられない。 バスに乗っている間も二人は無言だった。 降りた後もずっと。 「え、ごめん!」 准汰が足をとめて手をはなす。ふたたび歩きだした准汰のあとを、 (一緒に歩いているのに、楽しくないなんて) つながれていた手を見つめ、ユイは泣いてしまいそうだった。 「眞紀先輩に、なんか言われた?」 ユイの肩がびくりと跳ねた。笑顔で表情をごまかし、 「なにも言われてないよ。今日のは本当に、ちょっと疲れただけだから」 「ほんとに?」 「……うん」 視線が下がってしまった。 (准汰は雪美ちゃんとなに話したの? なんで一緒にいたの?) そんなことを思うけれど言葉にはできない。ユイはぎゅっと服を握りしめた。 「俺は、ちゃんと言ってくれないと分かんないよ。ユイがなに考えてるか」 准汰の声はこわばっていた。ユイの瞳が揺れる。 それが分かったのか、准汰は唇を噛みしめた。 「ごめん」 准汰は踵を返した。遠ざかる背中を見つめていたユイは、 立ちつくしていた。指先が冷えて、 ふらふらとした足どりで自室に向かうと、ベッドに倒れ込んだ。 『准汰くんは鈍そうだしね。気づいてあげられないんだ、 (准汰は悪くない……私の言葉が足りないから嫌な思いをさせてしまった) (明日会ったら、ちゃんと謝ろう。それで元通りに) なれなかったら、どうしよう。 ユイは五号館の階段を上っていく。 足どりが重いのは、昨日のことをまだ引きずっているからだ。 思考は悪い方ばかりに傾いて、気分は落ち込んだ。 眞紀の言葉も頭にこびりついていた。 ユイはそれをふり払うみたいに、足早に四階まで登り切る。 教授の研究室が並ぶフロアは、静かな空気に包まれていた。 薄暗く、廊下には書物が山積みにされている場所もある。 それを避けながら進んで『言語文化学科 土井裕美准教授』と 「はい、どうぞー」 「失礼します」 あいさつして踏み込んだユイは、思わず笑いそうになる。 「土井先生の部屋って、相変わらず、すごいですよね」 「掃除しようとは思うんだけどね」 そこは紙で溢れていた。足の踏み場がなく、部屋の奥には進めそうもない。 ユイはなんとか扉を閉めて、積まれた本を倒さないように縮こまった。 「プリントを提出しに来ました。遅れてすみません」 「はいはい。預かります」 用はこれだけだ。ユイは帰ろうと思ったが、土井に引き留められた。 「ユイちゃん、最近どう?」 紙がばさばさと散らばったがソファーに座る場所ができる。 「ほらユイちゃん座って。あ、時間ある?」 ことわる暇もなかった。微笑みながら湯飲みを渡される。 両手を温めるように持って、ユイはソファーに腰を下ろした。 土井もお茶を飲んでひと息つく。 そのまま黙って、ユイが話し出すのを待っている。 「……あの、私、付き合ってる人がいるんですけど」 土井はまた口をつぐんで、続きを待っている。 「大学に入った頃はよかったっていうか、 思っていたより言葉は出てくる。 でも、うまい言葉で伝えてはいない気がする。 それでも土井は相槌を打ちながら、真剣に聞いてくれた 時間と共に心まで離れていくのでは、と怖かった。 「不安で、怖いんです」 「そっか。ユイちゃんは夏川くんのこと大好きなのねぇ。 面と向かって言われると照れる。お陰で涙は引っ込んでくれたけど。 「んーじゃあ、ユイちゃんはそれを伝えたことがあった?不安なんだって」 ユイは唇を噛んだ。しょんぼりとするユイに、土井は小さく息をもらした。 「授業でも言ったでしょう?」 なんのことだか分からず首をかしげているユイに、土井は続ける。 「こうやって話していても、内容や気持ちは、 そこでやっと授業で聞いたことを思い出す。 言葉で伝えられる部分はそんなに少ないのかと、 「あとの7割は表情やしぐさで。それでも伝わらないものの方が多いのよ。 超能力者じゃあるまいし、と土井は笑う。 「いまここでユイちゃんが私に話してくれたとおりを、 土井は言った。なおも続けて、 「どーんっと気持ちをぶつければいいのよ。 ユイは大きくうなづいた。 「お茶ごちそうさまでした。私、気持ちぶつけてきます!」 すっきりとした顔には笑顔が戻っている。 「また何かあったらきなね」 「はい!それじゃあ、失礼します」 ドアが閉まったと思うと、またユイがひょこっと顔を覗かせた。 「掃除するときは呼んでくださいね?手伝いますから」 笑みを残して、今度こそドアは閉まる。元気な足音が遠ざかっていった。 ***************************************************** 大学はいつものように賑やかだった。 その喧噪から離れるように、准汰は空き教室の隅にいた。 机に伏せて目を閉じている。今日はまだユイと会ってない。 いや、会わないよう避けていた。怖くてメールも電話も出来なかった。 目を開けると、机の上に缶コーヒーが置かれている。准汰が顔を上げる。 翼と由樹が立っていた。 二人は椅子を引きよせると腰を下ろした。 「それで、なにがあったんだ?」 「お前すぐ顔に出るから分かりやすいぞ?」 准汰がごまかす前に、なおも翼が言った。 「ユイちゃんと喧嘩でもした?」 「さっき廊下ですれ違ったとき、ユイちゃんも暗い顔してたから。 「その例えはどうよ」 「そう?准汰も同じような顔してる。置いていかれた犬みたいだ」 二人のやりとりを聞きながら、准汰は昨日のことを思い返していた。 黙ったまま何も言わない准汰の鼻先に、翼は人差し指を突きつけた。 「無理に聞こうとは思わないけどな、お前もユイちゃんも、 「たまには吐き出した方がいいよ。楽になるし、相談にものるから」 それを堪えるようにコーヒーを飲み干して、准汰は大きく息を吸い込んだ。 「喧嘩っていうか、俺が、一方的にきついこと言って、逃げた。 一言ひとこと区切るように言う。翼と由樹は、それで?と続きを促した。 准汰は昨日の出来事をかいつまんで話した。 そして、ユイが何を考えているのか分からない、と二人に告げた。 「ユイは俺にわがまま言わない。それってユイの良いところだと思うし、 自分で言って凹んできた。准汰の視線はまた下がっていく。 呆れたようにため息をついたのは翼だった。 「それ、ユイちゃんに言ったことあるか?」 「え?いや、ない……」 「それなのに『言ってくれなきゃ分からない』って、 准汰は言葉を詰まらせた。言い返せない。 「それをしない内から、落ち込んで逃げるのは間違ってる。 「やるべきこと?」 「きちんと謝れ、話を聞け。俺たちもう子供じゃないんだ。 准汰はこくりと頷いた。 「だったら落ち込んでないでユイちゃんの所へ行ってこい!」 翼はとどめとばかりに准汰の背中を叩いた。 ばしんっと音が響いて、准汰はむせる。 今度は由樹に背中をさすられていると、ケータイが震えた。 「ユイからだ……話したいって」 「ちょうどいいから、行ってきなよ」 肩を落としたままの准汰を、由樹は励ますように言った。 翼もうなづいている。 「うん、俺行ってくるよ。二人とも、ありがとな」 そうは言ったものの足どりは弱々しい。 ゆっくりと教室を出て行く准汰を二人は見送った。 静かになった教室で翼は大きく伸びをする。 「たまには厳しく言ってやらないとな!あいつすぐうじうじするからさ」 「そうだね、お疲れ様」 にかっと笑う翼につられて、由樹も微笑んだ。 ユイは中庭のベンチに腰かけていた。 足もとでは猫が三びき寝ころがっている。 いつもなら彼らと仲良く遊ぶユイでも、今だけはそうはいかない。 さっきは先生に勢いよくたんかを切ったが、 それを今さら、どれだけ形にできるんだろう。 頭の中で何度シミュレーションしても、内容はぼやけたものだった。 そんなふうに考えていると、遠くに准汰が見えた。 「あ、准汰…となり、座って」 准汰が無言で座る。ベンチの下にいた猫が逃げていった。 二人ともしばらくは何も言わず、目の前の植え込みを眺めていた。 「ごめん」 先に言葉を発したのは准汰だ。 「昨日はきついこと言って、ごめん。 「私も……」 「いや、ユイは悪くない。俺がいけないんだ」 ユイの言葉をさえぎって、准汰は続ける。 二人は相変わらず植え込みに目を投げたままで、 このときユイが顔色を変えた 「准汰」 というユイの言葉は耳に乗らず、 「情けないよな。ずっと一緒にいたのに、 と声を昂ぶらせる。 「甘えてたんだ、俺……イテッ!」 准汰の頬をつねったまま、ユイはにらんでいる。 「ゆ、ユイ?」 「3割しか伝わらない」 「え?」 「准汰の気持ち、3割しか伝わらないよ!」 ユイは顔を真っ赤にして叫んだ。残りの猫も逃げていった。 「私はね、准汰のそうやって純粋で真っ直ぐなところ好き。 「ユイ……」 ユイのきゅっと結ばれた口元を見ると、唇がかすかに震えている。 唇だけじゃなく、全身に力が込められていた。 そう思い、准汰は今までの自分について考えた。 自分の幼さにいらつき、翼にしかられ、そんな自分に呆れて、 今だって、あれでは申し訳ない気持ちや反省の言葉じゃなく、ただの愚痴だ。 だから、さらに彼女を傷つけることになってしまった。 ややあって、今度はユイが口を開いた。 「……へへっ、はじめて本音いっちゃった。怒るのってパワー使うね」 ユイは言った。とたんに緊張の糸が切れた。 「ずっと黙っててごめんね、でもこれが私の本音だよ」 「うん」 「准汰の気持ちも教えて?」 と笑うユイに、准汰は歯がゆい衝動がわきあがった。 自分も今こそ、二人のことに向き合うチャンスなんじゃないか。 「俺、ユイを守ってやれるような男になりたい。 今度は、しっかりと彼女の目を見て伝えた。 顔じゅうに熱が集まり、汗がにじむのがわかった。 それに気づいたのか、ユイは准汰の手を取った。 「また、一から確認していこう」 と笑うユイに、准汰も緊張がゆるんだ。 ********** 「そんなことがあったんだ」 千秋は白い息を吐きながら言った。 今日は大晦日。高校一年からすっかり恒例のソバ、緑のたぬきを 今回は一人暮らしをはじめた洋介の家へ集まったのだが、 「最近なんかなかった?」 と聞かれた。 単刀直入に聞かれたことに驚きつつ、 「えらいえらい。あんたたちは今までが我慢しすぎだったのよ。 雨降って地固まる、ってわけね」 ニカッと笑いかけられ、准汰もさそわれるように笑った。 自分のケンカについて話すのは、少し恥ずかしい気分にもなる。 「どうしていきなりこんなこと聞くんだ? ユイが何か言ってた?」 「なんだよそれ。『なんかあった』じゃなくて『なんかなかった』って、 俺たちがケンカしたのわかってたような聞き方だっただろ」 「ははは、痛いとこつくねぇ」 珍しくはっきりしない彼女の言い方を、准汰は不思議に思った。 「いやね、言葉は悪いんだけどそれで済んだならいいんだよ。私の余計な憶測」 「ちゃんと言ってくれよ、気になる」 准汰に催促され、それまで笑顔だった千秋が真剣な顔つきになった。 「これはほんとお節介かもしれないし、もしかしたら私が思ってるほど深刻な事 「うん」 ここで息をついで、千秋はこんな言葉を口にした。 「眞紀先輩のことなんだけど」 「え?」 そのとき、 千秋は、 眞紀先輩。あまり耳にしたくない名前に准汰は 千秋はそれについて言いたいのか、それともほかに何か知っているのか……。 ぐるぐる考えていると、誰かがベランダの窓を開けた。 急に寒いところへ出たから鼻の頭が真っ赤になっていく。 「洋介君のお部屋、きれいだね」 「そうなんだ、千秋はいいお嫁さんになれそう!」 この笑顔を守りたい。たとえ千秋が何を知っていたとしても、 准汰の視線に気づくことはなく、ユイははしゃいでいる。 「あ、雪だ!」 「どおりで寒いわけだなー」 「すごい! 明日つもるかな? 積もったらいいのに」 なかなか雪が積もることのない広島市内で、それは難しいことかもしれない。 しかし准汰も、その言葉に賛成したかった。 しきりに降り積もろうとする小さな雪たちが、今の自分たちと少し被って見えるのだ。 「積もるといいな」 「うん」 くす玉が割れたみたいに、雪はだんだん本降りになってきた。 「准汰が寒いよ」 「いい。下にも着込んでるし。まだ雪、見てたいだろ」 ユイはとまどった様子を見せたが、ほっ、と息をついたあと、はにかんだ。 その表情は准汰の顔をほてらすには十分に効果的だった。 「温かいよ。ありがとう」 「どういたしまして」 雪、年末、二人きりのベランダ。その演出が二人の気分を高揚させた。 ケンカの前よりも深まった絆も実感できて、 しかし二人きりの思いに浸るのも、ここまでだ。 〈のびるぞー〉と結露した窓に書かれた文字と、緑のたぬきを手にした千秋、 「わ、さむーい」 「おい、おまえたち腹へってねーのか。俺、待ちきれねぇよ」 「ユイちゃんたちのも、できてるよー」 「二人ともお熱いのは結構だけど、そばは冷める一方だし」 「ねぇ准汰。幸せだね、私たち」 「そうだな」 と言い交わしつつ、二人は暖かい部屋へ入った。 ***************************************************** 隼人は友人のために作ったお茶漬けを片手に立っていた。 それを見た友人、眞紀は何ともいえない顔をする。 隼人もまた微妙な顔をしていた。そりゃあたしかに、 「わざわざ飯作らなくても寝てりゃ治るし。食欲ねーつったじゃん」 「お前、それが年末年始に看病しに来た人間にいう言葉かよ。 「や、俺はもとから、夜中に初詣自体めんどくさいから 「行かなきゃすっきりしないだろ、でも一人で行くのもなんだしさ」 「家族で行ってくださいよ、ほんと」 熱のせいか、いまいち相手をやり過ごせないことに たしかに眞紀に初詣に行くことを提案したのは自分で、 しかし隼人の性格も手伝って、彼を放っておくことはできなかった。 強引にお茶漬けを差し出す。眞紀は渋々うけとった。 「つーか、なんなの? いままで風邪ひいても 「やぁ、さすがに年越しの瞬間までひとり布団の中は寂しすぎるだろ」 「…キャー、ハヤトサーンステキー」 「なんだそれ。まぁそれに、うちの親は昼間にユイの ユイと聞いた瞬間、眞紀のこめかみが動いた。 しかしそれだけで、あとは茶碗のお茶をすすっている。 「ふーん」 「何、なんかしゃくにさわった?」 普段から歯に衣着せぬ物言いをするから扱いにくい。 ユイからは眞紀について何も聞いていないけど、アルバイトで何かあったのか。 昔からそうだ。何を考えているのかわからない、 それは、眞紀と高校時代同じ軽音楽部員であり、 「べっつにー。そうやって子供は親から離れていくのねー、親不孝ものぉー」 「お前に言われたかねぇよ。ほら、もう食わねぇなら薬もってきたから飲め」 「……」 隼人が市販の薬のパッケージを見せた瞬間、また言葉を発しなくなった。 「だから寝てれば治るんだって」 「許しません」 じゃらじゃらと小瓶から錠剤を出すと、眞紀の口に押し込んだ。 ならば先手必勝あるのみだ。 「……」 「どうだ?」 「……」 眞紀はゆっくり立ち上がり、流しへ走り込んだ。 「亮ちゃん、お薬お上手ゼリー用意しまちゅかー?」 「……黙れ」 咳をしながら戻ってきた眞紀に睨まれた。 それを受け流して、隼人は食器を片付けはじめる。 「まぁ走れるぐらい元気なら、いんじゃね」 どうやら本格的にすねたらしい。 「そうやって頑なにならねぇの。 「それは普通の苦労をして普通の幸せを感じてきた奴が言うことだろ。 少し論点がずれた返しのような気がしたが、 そしてそれは眞紀の本質的な何かなのかもしれない。 それらについて、隼人はあえて気にしないことにした。 「なぁ、亮。何があったか知らないし いいつつ、隼人は食器を洗う音にため息を隠した。 ****************************************************************** 中学3年生の夏だった。 違う中学だった隼人とは、友人のライブで知り合った。 先輩に連れられてライブに行くと、 そんな眞紀に隼人のほうから話しかけ、ふたりはすぐに意気投合した。 ギターもそこそこ弾けるので、てっきり軽音部だと思っていたが、 実は野球部だった。 彼もまた部活動を引退してヒマを持てあましていた。 週末になると街にやってきて、 ゲームセンターでギターの真似事をして遊んでいた。 しかし中学生のお小遣いではそうたくさんは遊べない。 そのあとはコンビニでアイスやジュースを買って、公園で何時間も話したり、 先輩の家に行ってギターを触わらせてもらったりしていた。 海野詩織は眞紀と同じ中学のクラスメイトだった。 とくに目立つわけではないが地味なわけでもなく、何となく存在感が漂っていた。 たまに彼女のことを好きだという同級生の噂を聞いたが、 これといって浮いた話はなかった。落ち着いた雰囲気の詩織だけど 人見知りをしない性格で、友達も多かった。3年になって、 よく喋るようになった。それから密かに想いをよせていたが、 その気持ちを打ち明けたことは、詩織本人はおろか誰にもなかった。 いつものように本通のゲームセンターで隼人と待ち合わせをしていると、 「あ、亮くん。こんなとこで会うなんて珍しいじゃない」 「ん、おお。ってか、どうしたのそれ」 詩織は大きなカバンを抱えていた。 「今日は模試だったんだ。直前まで勉強したくて、 向けられたやわらかい笑顔に、眞紀は恥ずかしくなって目を反らした。 「おい眞紀!」 「ちょ、いてぇよバカ。なんだよ」 「なんでお前がこんな可愛い子と話してんだよ。ナンパしてんじゃねぇよ」 詩織は声をあげて笑った。 「こんにちは。詩織って言います」 「へぇー。おれ隼人。こいつとは違う中学だけど、仲良いんだ。 ゲーセンの入り口を指さしながら詩織と眞紀を交互に見る。 「えっ、でも……」 「なぁ、いいよな亮」 「あぁ、おれは別に」 詩織の方をチラっとみやる。 やっぱり笑みを浮かべていて、また視線が泳いでしまう。 「ね、いいじゃん」 隼人は詩織の荷物をサッと持ち上げると歩き出した。 「うわ、重っ、なにが入ってんのこれ」 「えっと、これはね」 詩織は丁寧に、さっきと同じ説明を隼人にもした。 それをきっかけに、よく3人で遊ぶようになった。 詩織の塾帰りを待っては、ゲーセンに行くのだ。 そして十月に入ったある日、とつぜん隼人から話があると言われた。 公園のすべり台の上に座って、棒アイスをかじる眞紀。 そのとなりで隼人はカップのアイスを端からすくって食べている。 十月上旬の日差しは、動けば汗をかかせてはくれるが、 「俺もさ、してみようかなって思う。高校受験っていうの」 「は? お前、まじ」 突然のことに、眞紀は返答に困った。 「詩織ちゃんがさ、勉強頑張ってるの見て、 「え、詩織……」 眞紀は嫌な予感がしたが、その予感はすぐに現実になった。 「俺さ、詩織ちゃんのこと好きだ。同じ塾に通って、 その声にはちっとも女々しさを感じない意志の強さがうかがえた。 「そっか」 眞紀はいよいよ言葉をなくした。 それから隼人は詩織と同じ塾に通いはじめ、 ひとりのときは、何かを振り払うかのようにギターの練習に時間を費やした。 けっきょく隼人は第一志望の高校に入れたものの、 そこでたまたま眞紀と同じ高校になったのだ。 眞紀が少し期待したのもつかの間、高校入学と同時に、 隼人と付き合ってからも、詩織と眞紀の交流は続いていた。 高校も同じなら軽音部も同じだったので、 そう思うと、眞紀は詩織とどう接していいのかわからなかった。 詩織も初めのうちは同じ中学出身の眞紀を頼りにしていたが、 彼のそっけない態度や、ときたま見せる嫌味っぽい その上で隼人と付き合ったのだ。 だから、彼の取る態度を邪険には出来なかった。 そばに居れば話しかけたり何かと気を遣った。 詩織への気持ちを眞紀に伝えてからも、しばしば眞紀と連絡を取っていた。 こんなことで自分たちの友情を崩したくないと思ったのだ。 それ以外は共通の先輩と一緒だったり、 「時間は合わせるからたまには付き合えよ」 と言われてしまい、 眞紀もしぶしぶ時間を作ることにした。 高校に入っても遊ぶ場所は変わらない。 本通りのゲームセンター前で会って、ギターのゲームをした。 それに飽きればコンビニでアイスを買って公園に行った。 「お前、元気にしてんの」 隼人はクレープのアイスを片手に持って眞紀を見やった。 「おう、どう見ても元気だろ」 「まあそうだな。なんか、ギター上手くなったな」 「ゲームのギターだけはな」 棒アイスをかじりながらそう言い返した眞紀だが、 「いいよな、お前」 「あ、なにが」 「ギター上手くて、そこそこカッコいいし、モテんじゃね」 「んなこと、ねーよ」 眞紀のこめかみが動いたのを、隼人は見逃さなかった。 あわてて繕おうとして次の言葉をさがした。 「好きな子とか、いねーの」 「別に」 完全にしくじった、と思った。目が宙を泳ぐ。 自分が詩織と付き合ったことで眞紀がどんな気持ちだったのか、 けれども、自分がそれを口にしてしまうと、 それすらも言い訳かもしれないと思いながら、 と罪悪感から逃れることばかり考えている自分が嫌になるのだった。 いっぽう眞紀は、 (5月と10月の夕方って、なんとなく似ているな) 隼人がこれ以上むだな話をしないように目を反らし、アイスを食べた。 それからも眞紀は、のらりくらりと2人の気遣いをかわしながら高校生活を 卒業式の1週間後のことだった。 眞紀がイヤホンをしてギターの練習をしていると、楽譜の横に置いていた携帯電話が光った。 同じ部活なのでいろいろ連絡を取り合うことはあったが、 つづく・・・・ (2月9日 更新予定) 原作 しおん真未 協力 比治山大学現代文化学部 監修 吉本直志郎 |
![]() (やまぎし ゆい) 16歳(高1)
広島市内の県立出澪(でみお)高校に通う女の子、クラブは軽音楽部。 ![]() (なつかわ じゅんた) 16歳(高1)
広島市内の中学校で山岸ユイと同じクラスだったが、サッカーに専念するためユイとは違う学校に進学。 ♪「がんばるけん~」
|
